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宇宙的冒涜さで俺の異世界がなんか違う件について ~ミーム汚染される異世界で冒険とかスローライフとか無理ゲーだった~~  作者: 速水静香


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第十七話: 聖堂の下に ~物理編~

 ざあ、と壊れたスピーカーが、悪意に満ちた産声を上げた。

 それに呼応するかのように、聖堂の床や壁、その至る所にこびりついた黒い何かが、もぞり、と蠢く。まるで、俺たちの存在に今気づきました、とでも言いたげに。


「おいおいおい……マジかよ、これ……」


 俺の喉から、ひび割れたガラスみたいな声が漏れた。


 安息の地? 冗談じゃない。

 ここは、絶望という名の粘着シートが敷き詰められた、巨大なゴキブリホイホイだったのだ。そして俺たちは、そのど真ん中にまんまと誘い込まれた、三匹の間抜けな虫けらだ。


『……救いを……我らに、救いを……』


 神父の救われなかった祈りの言葉が、壊れた音響装置から延々と流れ続ける。その声が餌だ。この黒い澱みたいな化け物たちを呼び覚ますための、最悪の目覚ましコール。

 黒い何かはどんどんその面積を広げていく。床に落ちたインクの染みがじわじわと広がっていくみたいに。それはもはや、ただの平面的な染みではなかった。タールみたいにねっとりとした立体感を持って盛り上がってくる。その表面が、ぬらり、ぬらりと鈍い光を反射していた。


「くそっ、囲まれるぞ! 出口へ急げ!」


 最初に動いたのはセレスだった。彼女は俺の腕を掴むと、半ば強引に、俺たちが入ってきたあの壊れかけの扉へと引っ張っていく。


「言われるまでもねえ!」


 俺ももつれる足を必死に動かした。リフィも音もなく俺たちに続く。


 だが、遅かった。

 俺たちが、出口まであと数メートルというところまでたどり着いた時、扉の周りに集まっていた黒い澱が、にゅるりと触手のように伸び上がり、あっという間に出口を完全に塞いでしまったのだ。それはもはや黒い壁だった。外のセピア色の光すら一切通さない、絶対的な拒絶の壁。


「……嘘だろ……」


 俺の足が、その場で縫い付けられたようにぴたりと止まった。


「怯むな! こんなもの、こじ開けて通るまでだ!」


 セレスが雄叫びを上げた。彼女は俺の手を離すと、腰の剣をガキンという金属音と共に抜き放つ。白銀の刀身が、天井の穴から差し込む弱々しい光を反射してきらりとまたたいた。


「はあああっ!」


 気合一閃。

 セレスは剣を振り下ろした。美しい銀色の軌跡が、出口を塞ぐ黒い壁へとまっすぐに叩きつけられる。


 ――すかっ。


 そんな手応えがまったくしていない反応がしただけだった。

 セレスの剣は何の手応えもなく黒い壁をすり抜けた。


 まるでそこには何も存在しない、ただの暗がりに剣を振ったかのようだ。剣先が勢い余って床の瓦礫をカランと弾き飛ばす。


「なっ……!?」


 セレスの顔に、困惑のようなものが浮かんだ。


 ああ、やっぱり。

 そうだ。こいつも、あのタイプか。


 『きさらぎ駅』の、片足で跳ねるアイツと同じ。

 そして、あのショッピングモール。物理的な攻撃が一切通用しない化け物。


 ――チュイイイイン!


 間髪入れず、甲高い発射音が聖堂の静寂を打ち破った。

 リフィだ。彼女はセレスの失敗を見て、即座に次の手を打ったのだ。

 マズルフラッシュの青白い光が、彼女の無表情な横顔を彫刻のように一瞬だけ浮かび上がらせる。放たれた弾丸は、黒い壁のど真ん中へと吸い込まれていった。

 だが、結果は同じだった。

 弾丸は何の抵抗もなく黒い何かを通り抜け、背後の壁に着弾し、バシュッと乾いた音を立ててコンクリートの破片をまき散らした。


「……やはり、だめです。物理的な干渉は一切受け付けません」


 リフィが淡々と、しかしその声に明確な焦りの色を滲ませて事実を告げた。


 俺たちのあまりにも無力な抵抗が、逆にこいつらを刺激してしまったらしい。

 今までじわじわと床を這うようにしか動かなかった黒い澱たちが、うぞうぞと一斉にその動きを活発化させた。


『……救いを……我らに……救いを……』


 スピーカーから流れる神父の絶望的な祈りが、まるでこいつらの進軍ラッパみたいに聖堂全体に鳴り渡る。


 まずい。

 まずいまずいまずいまずい!


 四方八方の床や壁から、黒い何かが俺たちに向かってにじり寄ってくる。それはもはやただの染みではなかった。明確な意思を持って、俺たちという『餌』を捕食しようとしている。

 包囲網は確実に、そして急速に狭まってきていた。


「くそっ! どうすりゃいいんだよ、これ!」


 俺はほとんど悲鳴に近い声を上げた。

 後ずさる。だが背後からも別の黒い澱が、にゅるにゅると迫ってきている。

 もう逃げ場はどこにもなかった。


「待ってください」


 パニックに陥る俺の横で、リフィの氷のように落ち着いた声がした。彼女はライフルを構えながらも、その意識は澱の動きと、聖堂全体に鳴り続ける音声の両方に向けられていた。


「……やはり。あの音です。スピーカーから流れる祈りの声が強くなる瞬間に、澱の動きが活性化しています。この音声そのものが、あの黒い何かを増幅させているのかもしれません」


 リフィの淡々とした分析に、俺ははっとした。

 セレスが、その言葉に活路を見出したように目を見開く。


「……なに? つまり、この忌々しい音を止めれば、奴らの動きも止められる可能性がある、ということか!」


「確証はありません。ですが、このまま飲み込まれるよりは、試す価値があります」


「よし! ならば話は早い!」


 セレスが覚悟を決めたように叫んだ。


「音源を破壊する!」


 そうだ、リフィの言う通りなら、それしかねえ!

 セレスはそう言うと、一番近くにあった柱をガシャガシャと鎧を鳴らしながら駆け上がり、壁に取り付けられたスピーカーに向かって剣を振り上げた。


「おおおおおっ!」


 渾身の一撃が錆びついたスピーカーを直撃した。

 ガキン! というけたたましい金属音。

 スピーカーは無残にひしゃげ、火花を散らしながら壁からぶらりと垂れ下がった。

 だが。


『……おお、神よ……我らを……お見捨てに……』


 音は止まらない。

 壊れたスピーカーはさらにひどいノイズを撒き散らしながら、相変わらず絶望の祈りを垂れ流し続けている。


「なっ……!?」


 セレスが愕然とした顔で、垂れ下がったスピーカーの残骸と、未だ鳴り続ける音とを交互に見る。


「無駄だ、セレス!」


 俺は叫んだ。俺もまた、セレスの行動と同時に聖堂内を見渡していたのだ。


「一つだけじゃねえ! あそこにも、あっちにもある!」


 俺が指さした先。

 天井を支える太い梁の上、ステンドグラスがあったはずの窓枠の脇、そして柱の裏側。


 そこかしこに、音源があった。

 そこにはスピーカーが、まるで悪趣味な装飾のように取り付けられていた。ざっと数えただけでも、十や二十ではきかない。


 いったい何なんだ、この教会ッ!?


「それだけじゃありません!」


 リフィの鋭い声が飛ぶ。


「見てください! 澱がスピーカーに!」


 見ると、床や壁を這っていた黒い澱の一部が、まるで意思を持った蛇のように壁を伝って残りのスピーカーへと向かっていた。にゅるり、と音を立てるかのように、それはスピーカーを覆い隠し、黒い塊へと変えていく。もはや剣も弾丸も届かない、物理的な干渉を拒絶する盾と化していた。


「くっ……! 守っているというのか!」


 セレスは次のスピーカーを狙おうと一瞬身構えたが、それが黒い澱に飲み込まれていくのを見て、悔しげに唇を噛んだ。


 そうだ。この聖堂には無数のスピーカーが設置されている。その全てを、この澱の海の中を突っ切って、しかもあの黒い何かに覆われる前に破壊しつくすなんて、土台無理な話だった。


 万策、尽きた。

 俺の頭の中に、その四文字が冷たくはっきりと浮かび上がった。


 じりじりと黒い澱が俺たちの足元まで迫ってくる。

 その先端が俺の靴に触れそうになる。

 ひやりとした墓場のような冷気が足元から這い上がってくるのが分かった。

 ああ、もうだめだ。

 終わりだ。

 こんな訳の分からん、黒いスライムみたいなやつに飲み込まれて終わるのか、俺の異世界ライフは。

 冗談じゃねえぞ、女神様。

 話が違うじゃねえか。


「……二人とも! わたしの後ろへ!」


 絶望に俺の膝がガクガクと笑い始めた、その時だった。

 セレスの凛とした、そして覚悟のにじむ声が俺の耳を強く打った。

 彼女は俺とリフィを自分の背中にかばうように一歩前に出た。そして、聖堂の一番奥、あの錆びついた巨大な十字架がかかっている祭壇を指さした。


「あそこだ! あそこへ行くぞ!」


「祭壇……? 行ったところで何があるって言うんだよ! 行き止まりだぞ!」


「いいから来い! あそこだけだ! あの澱の侵食が及んでいないのは!」


 セレスの言葉に、俺ははっとした。


 そうだ。

 言われてみれば確かに、おかしい。

 聖堂の床も壁も天井も、そのほとんどが黒い何かに覆い尽くされようとしている。


 だというのに。


 一番奥にある、数段高くなっている祭壇のスペースだけは、まるで目に見えない壁でもあるかのように、黒い澱がその手前でぴたりと動きを止めているのだ。

 まるで聖域を畏れるかのように。


「……なるほど。あそこだけが唯一の安全地帯というわけですか」


 リフィが冷静に状況を分析する。


「ああ。理由は分からんが、今はそれに賭けるしかない!」


 セレスはそう言うと俺たちの手を取り、祭壇に向かって走り出した。

 俺たちのすぐ足元まで迫っていた黒い澱が、まるで生き物のようにその触手を伸ばしてくる。俺はそれを必死に飛び越えながらセレスに続いた。

 数メートルの距離が永遠のように長く感じられた。

 そして。

 俺たちはほとんど転がり込むようにして、その石造りの祭壇の上へとたどり着いた。


「はぁ……はぁ……っ!」


 俺は祭壇の床にへたり込んだ。

 振り返ると、信じられない光景が広がっていた。

 黒い澱の津波が、祭壇のまさに一段目の階段、その手前でぴたりと動きを止めている。まるで満ち潮が岸辺で止まるかのように。その先端がもぞもぞと蠢いているが、それ以上こちら側へ入ってくる気配はなかった。


「……助かった、のか……?」


 俺は呆然と呟いた。


「……ああ。どうやらそのようだな。一時的かもしれんが」


 セレスも安堵と疲労が入り混じった深いため息をついた。


 だが、状況が好転したわけでは全くなかった。

 俺たちはただ、少しだけ死刑執行の時間が先延ばしにされただけ。

 この祭壇という名の小さな孤島に、完全に閉じ込められてしまったのだ。

 周囲は三百六十度、黒い澱の海。

 逃げ場はどこにもない。


「……さて。どうしたものかな」


 セレスが腕を組み、唸った。

 どうしたものも、こうしたものもない。

 完全に詰んでいる。

 俺は諦めの境地で、祭壇の上をぼんやりと見回した。

 石造りの簡素な祭壇だ。中央には分厚い聖書が置かれていたであろう石の台座がある。今はその上には何も置かれていない。


 壁にはあの巨大な錆びついた十字架。

 そして床。

 石畳の床。


 何の変哲もない、ただの床……。


「……ん?」


 俺は、何かに気づいた。


 違和感。

 ほんの些細な違和感。


 この祭壇の床を構成している無数の四角い石のタイル。


 その一枚だけ。

 ちょうど十字架の真下に位置するその一枚だけ。

 周囲のタイルと、ほんのわずかに色が違うような気がしたのだ。

 いや、色じゃない。


 隙間だ。


 他のタイルは漆喰か何かで隙間なく埋められている。

 だというのにその一枚だけは、周囲に髪の毛一本分ほどの細い黒い線が走っている。まるで後からはめ込まれたかのように。


「……おい、二人とも。これ、見てくれよ」


 俺はそのタイルを指さした。


「なんだ、リュウイチ。ただの床ではないか」


「いや、違うんだよ。なんかこれだけ、浮いてるっていうか……」


 俺はそう言うと、そのタイルの上に膝をついた。そして指先でその隙間をなぞってみる。

 わずかに指が沈む。

 やっぱりだ。

 これはただのタイルじゃない。

 蓋だ。

 何かの隠された入り口。


「……もしかして……」


 俺は爪をその隙間にねじ込んだ。

 そして渾身の力を込めて、そのタイルを持ち上げようとした。

 だがびくともしない。石のタイルはとんでもなく重い。


「……貸せ」


 俺の様子を見て、セレスが隣に膝をついた。

 彼女は腰に下げていたナイフを器用にその隙間に差し込むと、てこの原理でぐいぐいとタイルをこじ開けようとし始めた。

 ミシミシと、石がこすれる嫌な音がする。

 リフィもライフルを背負い直すと俺たちの反対側に回り込み、セレスの作業を手伝い始めた。


「……せーの!」


 セレスの掛け声に合わせて、俺たち三人はありったけの力をその一枚のタイルに集中させた。

 その時だった。


 ――ゴゴゴゴゴ……。


 地鳴りのような重たい音を立てて、石のタイルがゆっくりと持ち上がったのだ。

 そしてその下にぽっかりと口を開けていたのは、どこまでもどこまでも下へと続く暗闇だった。


「……階段……?」


 そうだ。

 そこには石造りの螺旋階段が、闇の底へと続いている。

 ひんやりとしたカビ臭い空気が下から吹き上げてきた。


「……隠し通路か。まさかこんな場所に……」


 セレスが驚愕の声を上げた。


 俺たちの驚きの声が合図になったかのようだった。

 今まで祭壇の手前でぴたりと動きを止めていた黒い澱の海が、ざわっと大きく波立ったのだ。

 そして今までの遠慮がちな動きが嘘のように、階段の一段目へとどろりとその黒い先端を伸ばしてきた。

 聖域の禁忌が破られたのだ。


「まずい! こっちに来るぞ!」


「飛び込め!」


 セレスが叫ぶ。


 もう迷っている暇はなかった。

 俺は何も考えず、その暗闇の穴の中へと身を投げ出した。

 体がふわと浮く不快な感覚。

 そしてすぐに、何段か下の硬い石の階段に背中から叩きつけられた。


「ぐえっ!?」


 カエルの潰れたような情けない声が漏れる。

 息が詰まる。

 だがそんな痛みなどどうでもよかった。

 俺のすぐ後を追って、リフィが猫のように軽やかに飛び降りてくる。

 そして、最後にセレスが。

 彼女は飛び降りる寸前、振り返りざま、何か重たいものを穴の入り口へと蹴り入れた。

 石の台座だ。


 ゴゴゴゴ……ッ!


 という凄まじい音を立てて、台座は入り口を塞ぐように倒れ込んだ。


「セレス!」


 俺が叫ぶ。

 彼女はそのわずかな隙間からするりと身をかわすように階段へと着地した。

 そしてその直後。

 ガコン! という最後の音を立てて、俺たちの頭上の光は完全に閉ざされた。

 完全な暗闇。

 そして静寂。

 スピーカーから流れていたあの忌々しい祈りの言葉も、もう聞こえなくなっていた。

 俺たちは三人、狭い石の階段の上で、互いの存在を荒い呼吸の音だけで確認しながら、しばらく動くことができなかった。



「……い、ててて……。二人とも、大丈夫か……?」


 暗闇の中で俺は、打ち付けた背中をさすりながらなんとか声を絞り出した。


「ああ、なんとか……」


「問題ありません」


 すぐ近くから二人の声が返ってきて、俺は心の底からほっとした。

 どうやらあの澱の海からは逃げ切れたらしい。

 だが今、俺たちがいるこの場所が安全だという保証はどこにもない。


「……ここは……」


 俺は壁に手をつきながらゆっくりと立ち上がった。

 目が暗闇に慣れてくる。

 ぼんやりとだが、周囲の状況が見えてきた。

 狭い石造りの螺旋階段。

 下へと続いている。


 そしてその先。

 階段が終わり、開けた場所。


 そこにぼんやりとした明かりが見えた。


 それは蛍光灯の青白い光だ。

 俺たちは顔を見合わせた。

 そして一歩、また一歩と、その光に向かって階段を下りていった。


 やがて俺たちの足は平らな地面を捉えた。

 そこは広い、だだっ広い空間だった。

 天井は高く、いくつもの太い柱がそれを支えている。

 壁も床も全てがコンクリートでできている。


 そして俺たちの目の前には、二本の鉄の線路が闇の奥へとどこまでもまっすぐに伸びていた。


 プラットホーム。

 等間隔に並んだ柱。

 壁に貼られた色褪せた広告のポスター。

 ここは、間違いなかった。


「……地下鉄の……駅……?」


 俺の呆然とした呟きが、静まり返った地下のホームに虚しく吸い込まれていった。


 地下鉄の駅。


 廃墟の教会、その隠された祭壇の下に広がっていたのは、またしても俺の常識をあざ笑うかのような、ありえない光景だったのだ。

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