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宇宙的冒涜さで俺の異世界がなんか違う件について ~ミーム汚染される異世界で冒険とかスローライフとか無理ゲーだった~~  作者: 速水静香


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第十三話: 屋上からの眺め、あるいは終焉

 ――ガタン!


 背後で、墓石が落ちてきたかのような重たい音がして、俺たちの命運を分けた扉は固く閉ざされた。

 それと同時に、今まで脳の芯にまでこびりついていた、あの気の抜けたオルゴールのメロディが、まるで電源をブチッと切られたみたいに、唐突に消え失せる。


「はぁ……っ、はぁ……、はぁ……!」


 俺は、床にへたり込んだまま、酸素を求める金魚みたいに必死で口をパクパクさせた。肺が焼けつくように熱い。全身の筋肉が、もうこれ以上は無理だと、情けない悲鳴を上げている。足はガクガクと震え、まるで自分のものではないみたいだった。


「……逃げ、きれた、のか……?」


 隣で同じように床に手をつき、荒い息を繰り返していたセレスが、信じられないといった様子で呟いた。彼女の白銀の鎧はところどころ埃で汚れ、額に浮かんだ汗が、美しい金髪に張り付いている。


「……追跡の気配は、ありません。扉の向こうの個体群も、活動を停止しているようです」


 リフィが、壁に背を預けながら、かろうじて冷静な分析を口にした。だが、その声も、いつもよりわずかに上ずっている。彼女とて、あの死の鬼ごっこは相当こたえたのだろう。ライフルを握りしめるその指先が、白くなっているのが見えた。


 けれど……。


 助かった。

 本当に、助かったんだ。


 その実感が、遅れてやってきた津波みたいに、俺の全身を飲み込んでいく。途端に、張り詰めていた全身の力が、ぷつんと音を立てて切れた。俺はもう、指一本動かす気力も残っていなかった。


「……はは。ははは……。やってやったぜ、ちくしょう……」


 俺は、仰向けにゴロンと寝転がると、天井に向かって、乾いた笑い声を上げた。コンクリートの床は、ひんやりとしていて、火照った体にはむしろ心地よかった。

 しばらくの間、そこには俺たちの、ぜえぜえという荒い呼吸の音だけが満ちていた。誰も何も喋らない。喋る気力もなかった。ただ、生きているという事実だけを、互いに噛みしめている。そんな、奇妙な一体感が、そこにはあった。



 どれくらい、そうしていただろうか。

 五分か、十分か。ようやく心臓のバクバクが落ち着いてきた頃、俺は、のろのろと上半身を起こした。


「……さて、と。で、ここはどこなんだ……?」


 俺は、改めて周囲を見回した。

 俺たちが逃げ込んだ先は、狭い踊り場のような空間だった。正面には、さらに上へと続く、金属製の無骨な階段がある。どうやら、俺たちが飛び込んできたのは、あのバックヤードの、さらにその先の非常階段だったらしい。

 壁には、小さな四角い窓が一つだけ、ぽつんと取り付けられていた。薄汚れたガラスがはめ込まれており、外の様子はよく見えない。


「……少なくとも、あの忌々しいマネキンの巣窟ではないことだけは確かだな」


 セレスが、忌々しげに吐き捨てながら、ゆっくりと立ち上がった。ガシャリ、と鎧が重たい音を立てる。


「ええ。ですが、この階段がどこに通じているのかは不明です。上に向かうのが、本当に正しい選択なのか……」


 リフィが、慎重な意見を述べる。

 その通りだった。上に行ったところで、さらにヤバい何かが待ち受けている可能性だって、大いにある。この世界に来てから、俺たちの選択が吉と出たことなんて、一度だってありはしなかったのだから。


「……まあ、でも、下に戻るって選択肢はねえだろ。あのマネキン地獄に、もう一度突っ込むなんて、死んでもごめんだ」

「それもそうだな。……よし、行くぞ。いつまでも、こんなジメジメした場所にいても、気が滅入るだけだ」


 セレスの鶴の一声で、俺たちの進むべき道は決まった。

 俺たちは、一歩一歩、確かめるように、金属の階段を上り始めた。カン、カン、と、俺たちの足音が、狭い空間に無機質に反響する。

 階段は、それほど長くはなかった。三十段ほど上ったところで、踊り場があり、そこには、またしても金属製の扉が一つ、俺たちの行く手を塞ぐように、どっしりと構えていた。

 さっきの扉と違うのは、ドアノブの代わりに、太い金属のバーが横向きに取り付けられている点だった。俺のいた世界では、非常口でよく見るタイプだ。『押す』と書かれたプレートが、そのバーの上に貼られている。


「……この扉の向こう、か」


 セレスが、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 俺も、リフィも、無言で頷く。

 さあ、次は何が出てくる?

 今度は、どんな悪夢が、俺たちを出迎えてくれるんだ?

 俺は、深呼吸を一つすると、代表して、その金属のバーに手をかけた。ひやりとした、冷たい感触。


「……いくぞ」


 俺は、全体重をかけるようにして、バーをぐっと押し込んだ。

 ギイイイイ……ッ、と、錆びついた蝶番が、耳障りな悲鳴を上げる。

 扉は、ゆっくりと、しかし、拒むことなく、外側へと開かれていった。

 そして。

 扉の隙間から、今までとは全く違う種類の『空気』が、俺たちの頬を撫でていった。

 それは、デパートの中に満ちていた、空調の効いた乾いた空気ではなかった。もっと自然で、少しだけ湿り気を含んだ、本物の『外』の空気。


 それと同時に、俺の目に、一つの『色』が飛び込んできた。

 赤色。

 それも、鮮やかな赤色じゃない。まるで、何十年も前に撮られた古い写真が、陽に焼けて色褪せてしまったかのような、くすんだ、セピア色の赤黄色。


「……なんだ……?」


 俺は、完全に開いた扉の向こう側へと、一歩、足を踏み出した。

 足元は、ざらりとしたコンクリートの感触。

 目の前に、遮るものは何もなかった。

 ただ、どこまでも、どこまでも広がる、空があった。

 あの、セピア色の、空が。


「……屋上……?」


 俺の口から、呆然とした呟きが漏れた。

 そうだ。ここは、あの巨大な廃デパートの、屋上だったのだ。

 俺たちのすぐそばには、巨大な貯水タンクや、今はもう動いていない、錆びついた室外機が、墓標のようにいくつも並んでいる。床のコンクリートは、あちこちがひび割れ、その隙間から、枯れた雑草が、申し訳程度に顔を覗かせていた。

 俺に続いて、セレスとリフィも、屋上へと足を踏み出す。

 そして、俺と同じように、言葉を失った。


「……これは……」


 セレスが、絞り出すような声を上げた。

 俺たちは、三人、吸い寄せられるようにして、屋上の縁、落下防止のために設置された、腰ほどの高さのフェンスのそばまで、ふらふらと歩いていった。

 そして、そこで、俺たちは、見てしまったのだ。

 この世界の、本当の姿を。


「……うそ、だろ……」


 眼下に広がっていたのは、俺が期待していたような、元の世界の、見慣れた街並みなんかではなかった。

 そこにあったのは、都市の『死骸』だった。

 地平線の、そのまた向こうまで、延々と続く、広大な廃墟の海。

 天を突き刺すように建っていたはずの高層ビルは、無残にへし折れ、その断面を、恥部のように、夕暮れ色の空に晒している。かつては、何万台もの車が行き交っていたであろう高速道路は、途中で寸断され、まるで巨大な蛇の骨だけが残されたかのようだ。家々も、建物も、その全てが、灰色か、茶色か、あるいは黒く焼け焦げた色をして、ただ、黙って、そこに在った。


 風の音すら、聞こえなかった。


 聞こえるのは、完全な、耳が痛くなるほどの静寂だけ。

 まるで精巧に作られた、文明の墓場。そう言われた方が、まだ信じられたかもしれない。

 そして、その全てをセピア色の色褪せたような黄昏らしい光が、平等にすべてを照らし出していた。


 ここは終わっている。世界が。それを構成する、その全てが終わっていた。

 それも、終わってから、もう、ずいぶんと長い時間が経っている。


 この光景は、何よりも雄弁に、その事実を物語っていた。

 ここもまた、俺たちが冒険し、スローライフを送るはずだった、あのファンタジーな異世界なんかじゃない。

 ただ、別の絶望に満ちた異世界でしかないのだ、と。

 その事実を、俺たちは、改めて、骨の髄まで叩き込まれた。


「……なんということだ……。ここもまた我々の知る世界ではない、ということか……」


 セレスが、フェンスを掴むその指先に、ギリ、と力が入る。

 彼女の横顔は、怒りとも、悲しみともつかない、複雑な色を浮かべていた。


「……この都市は、完全に機能を停止しているのでしょう」


 リフィが、淡々と、しかし、どこか力なく告げた。

 俺は、もう何も言えなかった。

 ただ、目の前の、壮大で、美しい、そして何よりも残酷な終末の風景を、呆然と眺めることしかできなかった。

 だが。

 不思議と、心は、少しだけ、軽かった。

 あの、閉鎖されたデパートの中で、マネキンたちに追い詰められていた時の、息が詰まるような圧迫感はない。


 どこまでも広がる、この空と廃墟の海。

 そこには、絶望と同時に『解放感』があったのだ。


 少なくとも、今は、何かに追いかけられる心配はない。

 瞬きを我慢する必要もない。


 ただ、それだけのことが、今の俺たちにとっては、何よりの救いだった。


「……ははっ」


 俺は、フェンスに体重を預けながら、力なく笑った。


「……ま、いっか。とりあえず、あのマネキン地獄からは、抜け出せたんだしな」


 俺の、あまりにも能天気な言葉に、セレスが、呆れたような、それでいて、少しだけ毒気を抜かれたような顔で、俺を見た。


「……お前は、本当に……。この状況で、よくもそんなことが言えるものだな」

「だって、しょうがねえだろ。いちいち絶望してたら、身が持たねえよ。それに……」


 俺は、大きく息を吸い込んだ。

 淀んで、埃っぽい。だが、間違いなく、外の空気だ。


「……空気が、うまい」


 俺の言葉に、セレスは、ふっと、本当に、かすかに、その口元を緩めた。


「……馬鹿者め」


 その呟きは、いつものような、棘のあるものではなかった。

 俺たちは、それきり、何も喋らなかった。

 ただ、三人が並んで、終わってしまった世界の景色を眺め続けていた。


 マネキンの脅威から解放された安堵感と、この先の未来に対する、途方もない絶望感。


 その二つがセピア色の空の下で、静かに俺たちの心を満たしていく。



「……さて、と」


 しばらく、そうしていただろうか。

 最初に沈黙を破ったのは、俺だった。

 俺は、フェンスから体を離すと、その場にごそりと座り込んだ。


「これから、どうすっかな……」

「どうする、と言われてもな。まずは、この建物を降りて、地上を探索するしかないだろう。何か、手がかりが見つかるかもしれん」


 セレスが、現実的な提案をする。


「そうですね。この屋上には、水も、食料になりそうなものも、見当たりません。長居は無用です」


 リフィも、それに同意した。


 食料。


 その単語を聞いた瞬間、俺の腹が、ぐううううう、と、情けない音を立てた。

 そういえば、腹が減った。

 あの『きさらぎ駅』で、リフィのレーションをひとかけら食べたきり、何も口にしていない。マネキンとの死闘で、アドレナリンが出まくっていたせいで、すっかり忘れていた。


「……すまん」

「……いや。わたしもだ」


 俺が謝ると、セレスも、バツが悪そうに、自分のお腹を押さえた。彼女の腹も、今、小さく、きゅる、と鳴ったのを、俺は聞き逃さなかった。


「私のバックパックに、まだ、最後のレーションが残っています。三人で分ければ、指の先ほどにしかなりませんが……」


 リフィが、申し訳なさそうに言う。

 指の先ほどの、レーション。

 それは、もはや、気休めにすらならないだろう。

 俺たちの食料は尽きたのだ。

 この、広大な廃墟都市の、ど真ん中で。


「……はは。いよいよ、本格的に、詰んできたな……」


 俺は、空を見上げながら、乾いた笑いを漏らした。

 セピア色の空は、相変わらず、何も語らない。


「あー……なんかこう、ガツンと来るもん、食いてえなあ……」


 俺は、半ば、独り言のように呟いた。

 こんな状況だっていうのに、俺の脳裏に浮かんでくるのは、元の世界で食い慣れた、ジャンキーな食べ物の数々だった。


「脂っこい豚骨ラーメンとか、チーズがどろどろにかかったピザとか……。ああ、あと、袋を開けた瞬間に、コンソメの匂いがぶわって広がる、ポテトチップスとか……」

「……ぴざ? ぽてとちっぷす?」


 セレスが、不思議そうな顔で、俺の言葉を繰り返す。


「ああ、俺のいた世界の食い物だよ。体に悪いって分かってんだけど、無性に食いたくなるんだ、ああいうのが」

「……ふん。わたしは、騎士団の食堂で出されていた、猪肉のシチューが食べたいな。香味野菜をたっぷり入れて、丸一日煮込んだ、あれは絶品だった……」


 セレスが、遠い目をして言う。よほど、思い出の味らしい。


「私の故郷では、夜光茸のスープをよく飲みました。月の光を浴びて、青白く光る茸を、清らかな泉の水で煮込むのです。とても、心が安らぐ味がしました……」


 リフィも、珍しく、懐かしむような声で言った。


 ラーメン、シチュー、カレー。


 どれも、今の俺たちにとっては、決して手の届かない、おとぎ話の中の食べ物だ。

 話しているだけで、余計に腹が減ってくる。

 俺は、ごくりと喉を鳴らし、最後に、一番、今の俺が欲しているものを、口にした。

 それは、冗談のようで、それでいて、心の底からの、切実な願いだった。


「はぁ……。こんな時、なんでも売ってる店……そうだな、二十四時間、いつでも開いてるコンビニでもあれば、最高なんだけどなあ……」


 俺は他人事のように語った。

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