祖母の家にて
私が祖母の家で暮らすようになって、はや一週間となった。
都会のガヤガヤとした喧騒から離れて田舎で暮らすというのが、こうも心を安らかにしてくれるものだとは思わなかった。
『視ること、それはもうなにかなのだ。自分の魂の一部分あるいは全部がそれに乗り移ることなのだ』
梶井基次郎が言っていたこのことが、都会にいた時にはまるで心に落ちて来なかったが、今ならストンと腑に落ちる。
都会にいた時には木を見ても水を見ても何とも思わなかった。しかし、今は木を見ればそこに私自身を見るように感じる。さらさらと流れる清水を見れば、私自身の魂も共にどこまでも流れていくように感じる。田んぼにも、太陽にも、山にも、私はいつの間にか忘れてしまった私自身を発見して、私は溶け、私に還る。
私が祖母の家に住むことになったのは偶然だが、その偶然に感謝したい。
一週間前、私はこの祖母の家に来た。なぜなら、祖母が私の叔母、母の妹である私の叔母のもとへ引き取られることになり、この家が空き家となることになったからだ。それで、私に住まないかと言ってきたのだ。私は、小説家という職業柄前々から田舎に住みたいと思っていたところだったので、ちょうど良かったとこれを承知した。
こうして、私は小学生や中学生の夏休みに遊びに来て以来久しぶりに祖母の家に来た。
祖母の家は田舎にある。周りには田んぼと山、空に太陽があるくらいなもので、あとは人家がけっこう離れた場所にまばらにあるだけだ。静かな場所だ。祖母の家の前にはアスファルトで整備されていない道が一本通っているが、ここへ来て一週間になるのに人が通ったところを見たことがない。
このくらい静かな方が、私のような職業にとってはむしろ都合がいいのだ。私は小説家とは言っても、そこまで有名で人気な作家というわけではない。中堅といったところだが、ここにいれば中堅より少し上ぐらいにはなれるかもしれない。
私は7時くらいに起きると、朝食を食べてから午前中は読書をし、昼食を食べてからまた読書をして、夕方くらいになったら小説を書き始める。軽い夕飯を摂りながら通しで23時くらいまで小説を書き続けてそのあと就寝する。
さて今日、私は午前、午後の読書を終えて、夕方にいつもの通り小説を書き始めた。
季節は夏だから体中の水分が蒸発してしまいそうなほど暑く、私は普段執筆場所にしている今の障子を開け放ち、風が通るようにして執筆することにしている。一応、旧式の扇風機も稼働させつつ。
エアコンがないわけでもないが、私はつけずにこうやって開け放すことにしている。別に、エアコンをつけると体温調節機能がどうのこうのとか言うつもりはない。ただ、こうやって開け放していた方が、小説を書くのにはいい雰囲気であるのだ。
子供の時から祖母の家にある旧式の扇風機が、畳の上で首をゆっくりと振り、斜め前へと視線を向ければ、居間の横にある廊下を挟んで家の前庭があり、道があって田んぼがあって山がある。そして、緑の山を濃い蜂蜜の色に染め上げて沈む、あの夕焼けがある。この展望が、小説を書くためには良かった。だから、エアコンもつけずこうして暑さを忍んでいるのだ。
私はこうして小説を書いていた。正確には、キーボードで文字を打ち込んでいた。
さて、ややあって私が難所だと思っていた箇所を無事に書き終えることができたので、私は少し一息をついた。辺りはすっかり暗くなって、夜になってしまっている。蚊取り線香の白い煙が、居間の畳の上を這っていた。
それを見ていて、私はふと昔のことを思い出した。私がまだ小学生くらいの時、夏休みにこの祖母の家に遊びに来ていた時のことだ。
その頃、今でもそうだが、私はこの居間に布団を敷いて寝ていた。
昔のことだ。祖母も呑気なもので、私が眠る時になると暑いだろうからとこの居間を完全に開け放した。つまりは戸締りをしなかったわけだ。不用心なことだ。田舎だし、泥棒だとかそういった類のものは全くと言って良いほど現れなかったのである。
だから開け放し、風通しのいい状態の居間で私は寝ていたのである。
だからだろうか。私は毎日のように不思議な体験をしたのである。あるいはそれは夢だったのかもしれない。この居間に近所の子供とかが忍び込んでいたずらをしただけなんじゃないかとも思う。
夜になりこの居間に寝ていると、私は決まって金縛りになった。身動き一つできなかった。指一本も動かせなかった。わずかに眼球を少しだけ、きょろきょろと動かすことができる程度だった。
その眼球を動かして、私が左右を見ると、いつも決まって双子のような、性別もわからない、そもそもそこにいるかどうかもわからない者が2人、私の左右寝そべっていた。手で顔を支え、こちらを見ながら寝そべる者があった。
歳のころは十三四といったところで、絹糸に似ているがまるで実在感のない白い髪を、片方は切り上げ、片方は長く垂らし、両方とも怖いほどに紅い、柘榴石のような深い何かを孕んだ目をこちらに向けながら、2人とも私を見て笑っていた。
2人とも着物を着ていた。真っ白な、汚れ一つない着物だ。死者の着る白装束に似ていた。左前であったかどうか、それは覚えていない。2人とも、この世の者とは思えないほどに美しかった。
私はその2人に挟まれて、仰向けに寝ながら身動きも取れずにただただ天井を眺めていた。
そうこうしていると、私は決まって尿意を覚えた。このことを予想して眠る前には水分を控えるようにしていたのだが、そんなことに関係なく尿意を覚えてしまうのだ。体を動かすことの出来ない私の中で、尿意はどんどんと高まっていく。膀胱に尿が溜まり、ゾワゾワとした切迫感が膨らんでいくのだ。
そして、私のそんな状態を見透かしたように、2人の少女とも少年ともつかない者たちが、私の耳元で囁き出すのだ。
『我慢しなくてもいいんだよ?私は、君がここでおしっこを漏らしても笑わないからね。シーしーしちゃってもいいんだよ。ほら、しーしー」
『駄目だよ、駄目。しっかり我慢しなきゃ。小学生にもなってお漏らしなんて、他の人に知られたら笑われちゃうよ?もしかしたら、おむつつけさせられちゃうかもしれないね』
私の耳元で、同じ声をした2人が、全く逆のことを囁く。そして、漏らさせようとするほうは私のお腹、膀胱の辺りを手でぐっぐっと押し込み、我慢させようとするほうは私の股間をきゅっと握ってくるのである。
膀胱を押されれば、当然尿意は増す。股間を握るのも、本人は私が漏らさないように押さえているつもりだったんだろうが、その優しい握り方が、私に甘い刺激を伝え、逆効果になってしまっていた。
同じ声で真逆のことを囁かれて、私は混乱してしまう。そして最後には必ず失禁してしまっていた。
今まで膀胱に溜まっていたものが、尿道を通って開放感とともに放出されていく。
私が決壊し始めると、2人は私の股間の上で手を重ねて私の尿を受け止めた。私は開放感と、2人の手を汚してしまっている罪悪感でおかしくなってしまいそうだった。
私の尿は布団を汚し、2人の真っ白な着物まで、黄色く染め上げてしまうことがあった。
そして私は、そのあとに、片方からは漏らしてしまったことを褒められ、片方からはそれを詰られながら、いつの間にか寝入ってしまうのである。
そして、朝目覚めると布団には見事な世界地図が描かれていた。
『おや、───ちゃん、おねしょしちゃったのかい?』
私は双子にあった朝は、いつも祖母にそう言われた。おばあちゃんは優しかったので、叱られたりすることはなかったが、祖母の家にいる時にはおむつをつける羽目になったり、家の前庭の道から見えるところにおねしょ布団を干されたりするのが恥ずかしくて嫌だった。その時は、ここら辺にもまだ人がいたので、道を通る人が、おねしょ布団と私を見て微笑ましそうな顔をして通っていくのだ。それが恥ずかしくて嫌だった。
しかし、私がどれだけ耐えようとしても、双子は毎日のように夜になると現れて、私は布団を濡らしてしまった。しばらくは祖母も耐えてくれたが、やはり洗濯の手間がかかるということでおむつを充てられることになってしまった。
この双子のせいで私は小学校の高学年まで祖母の家にいる時は夜のおむつをとることが出来なかった。
子供の頃の恥ずかしい思い出だ。しかし流石に大人になった今ではそんなこともあるまい。私は小説の執筆を終えて、居間に布団を敷きながらそんなことを考えた。
昔の頃とは違って、今は田舎といえども開け放しは危険だ。ちゃんと雨戸を閉め、戸締りをして寝た。だから、私以外誰も、この家にはいないはずであった。
そうして私は眠りについた。眠る時にはクーラーをつけるので、ちゃんと快適に眠れる。私はすぐに眠りについた。
懐かしい夢を見た。祖母におねしょ布団を干されるのを、縁側から眺める夢だった。私は恥ずかしかったが、おねしょをしてしまったのだし、仕方がないと思って黙って見ていた。陽の光が眩しかった。振り返った祖母の顔は白く眩しくて見えなかった。
『あれ?またおねしょしちゃったの?・・・・・・大丈夫だよ、私は君がおねしょしても笑わないからね。おむつも私がつけてあげるからね』
『あれー?おねしょしちゃったんだ。駄目だよお、こんなに大きくなったのにおねしょなんてしちゃ。恥ずかしいねー』
いつの間にか私の後ろに立っていた、あの双子に私はそう言われた。あれ、なんでこんなところにあの子達が・・・・・・・?そう不思議に思っているうちに、私は目が覚めた。
いつもの居間だった。天井のオレンジ色の常夜灯がぼんやりと暗闇に光っていて、私が子供の時からある古いクーラーがガーッと音を立てながら、涼しい空気を吐き出している。
私はもちろんおねしょなどしていなかった。しかし、膀胱にはかなりの尿が溜まっていた。それはかなりの切迫感を持って、私にひしひしと感じられた。トイレに行きたい。トイレに行こう。しかし私の体は動かなかった。動かせなかった。
金縛りだ。私はそう思った。指一つ動かせなかった。しかし目玉だけは動かすことができた。
私には一つの予感があった。だから私は目玉を動かして左右を見た。
そこには、あの双子がいた。夢のなかから出てきたのかと思った。それくらい生気を感じなかった。白い滑らかな髪は、暗闇の中で艶を出し、白すぎるほどに白い肌は、人間味を感じさせなかった。柘榴石のような紅い目は、深みに嵌れば帰ってこられなくなるような予感を感じさせた。片方は慈愛に満ちた優しい微笑みを、片方は悪意に満ちた意地悪な微笑みを浮かべていた。
私は恐ろしかった。しかし動けなかった。やがてスッと手が伸びると、慈愛の片割れは私の膀胱のところに手を置いた。
『あれ?こんなにここが膨らんでるってことは、君、さてはおしっこを我慢してるね?』
『えー?ほんとお?やだあ、こんなところでお漏らしなんてしないでよ?』
意地悪な片割れはそう言って私の股間をキュッと握る。甘い刺激が私を襲う。尿意がさらに増してきた。
『ほら、がまんがまん。お漏らししないようにがーまん。しっかりがまんしないとダメだよ?こんな歳になってお漏らしなんてしたら恥ずかしいからね?』
『あの子はこう言ってるけど、別に漏らしちゃってもいいんだよ?ここにいるのは、私たち2人と君だけだし、私は君がお漏らししちゃっても笑ったりしないからね?ほらこうやってお腹押してあげるから、しーってしよ?ほら、しー』
左右から、かわるがわる囁かれる。
私はお腹を押されることに耐え、我慢しようとする。しかし尿意はますます募る。ゾワゾワとした嫌悪感のようなものが、私の下腹部を圧迫する。
『ほら、出してもいいんだよ?しーってしちゃえ。濡れた服も、布団も、全部私がどうにかしてあげるからね。もしお漏らしが癖になっても、私がおむつをはかせてあげるからね』
『ダメだよ、お漏らしなんてしちゃ。こんな下の毛も生えるような年齢になって、お漏らしなんて恥ずかしいことなんだからね?がまんしよ?がーまんっ』
足を擦り合わせたくても擦り合わせられない。私は股間に、尿道にグッと力を込めることしか出来ない。きゅっと意地悪な片割れに優しく股間を握られて、やはり逆効果に尿意は増す。焦りが増す。慈愛の片割れの囁きは、そんな私の焦りを柔らかく包み込んでくれる甘い誘惑だった。
『ほら、だしていいよ、だーせっ。しーってしよ?しーしー』
『ダメだよ、漏らしちゃ。そんなことになったら恥ずかしいからね?ほらがまんがまん。がーまーん』
『ほら、しーしー、しーしー』
『ダメだよ、がまん、がーまんっがーまんっ』
囁き声に、耳をくすぐられる。私の頭をおかしくさせ、私の尿意はどんどんと増していく。下腹部から上がってくる、嫌悪感にも似た、快感にも似たぞわぞわとした感覚が私を責め苛み、耐えられそうになかった。
『あれ?そろそろおしっこ出ちゃいそうかな?』
『ええ?ダメだよ、漏らしちゃ。もういい歳した大人なんだよ?ほら、がまんしよ?』
『お漏らししてもいいんだよ?ほら、私が全部受け止めてあげるからね。布団も私が干してあげるし、服も私が着替えさせてあげる。おむつだってつけてあげるからね』
そう言って、今まで私の膀胱を押していた手を私の股間の上にのせる。2人の手がそこで重なった。
『しーしー』
『がまん、がまん』
耳元で囁かれながら、ついに私は決壊した。
今まで耐えに耐えていたものが一気に出ていく。それは膀胱から、尿道を擦り上げ、私の足の間を温泉のような暖かさで満たしていく。やっと出せた、という思いでホッとして、そのすぐあとに失禁をしてしまったという罪悪感を感じる。濡れていく不快感と、水流が足の間やお尻を愛撫していくことによる快感。失禁は、不快感と快感の入り混じる複雑で根源的な満足なのだと知った。放尿による開放感で脳が真っ白に染め上げられていく感覚は、絶頂に近いような気がした。
私から流れ出た水流は、2人の細く真っ白で綺麗な手を黄色く汚し、流れて布団とともに2人の白い着物の一部までを黄色く汚した。
全て終わって、私は一気に脱力してしまった。今まで必死に力を入れて我慢していたところら一転して、深い安らぎのようなものすら覚えた。
いつの間にか、私は2人から頭を撫でられていた。失禁して頭を撫でられるのは、まるで子供、いや、子供以前に戻ったかのようで、私は私の心の中の根源的な部分へ落ちていくような気がした。
『ちゃんとしーって出来たね。えらいえらい。これからも、いつだってしたくなった時にお漏らししていいんだからね?私も君のこと、おむつみたいに受け止めてあげるから。よしよし、いい子いい子』
『もーちゃんと我慢しなきゃダメって言ったじゃん。私の手、おしっこでびちょびちょになっちゃったよ?この歳になってお漏らしで人の手を汚すなんて、大人失格だよ?あー恥ずかし恥ずかし、恥ずかしいねえ』
失禁して褒められ、叱られる・・・・・・それは人の奥深くに仕舞い込まれたものを呼び覚ます。それは記憶であり、懐かしさ、もう二度と戻れないものへの回帰であった。甘えていられた時代への回帰であった。
私は2人に左右から囁かれながら、いつの間にか心地よく眠ってしまった。
◇
私が目を覚ますと、もう朝になっていた。そして、いつになく気分がすっきりとして、爽やかだった。
タオルケットをまくり、触ってみたが、さらっとして跡もないしアンモニアの香りもしない。
さては、夢だったか・・・・・・と一度は思ったが、パジャマのズボンが変わっていることに気付き、そして双子の1人の言っていたことを思い出して、急いで雨戸を開けて庭に出てみた。
庭の、道から見えるところ、物干し竿に、果たしてそれは干されていた。下着に、パジャマの下、そして────大きな世界地図の記された、紛れもないおねしょ布団が。
私は狼狽した。ちょうどその時、折悪く普段は全くと言っていいほど人の通らない道の向こうから人が歩いてきているのが目に入った。
私は通り過ぎてくれるように祈ったが、祈り虚しく、三十代ぐらいに見えるその女性は家の前で立ち止まると、その干してあるおねしょ布団を見ておや、という顔した。そして微笑ましそうにこう尋ねてきた。
『あらら、ずいぶんやんちゃなお子さんがいらっしゃるんですね』
私は子供がやったということにしてしまおうと思った。しかし、私に子供がいないなんてことは、すぐにわかることだ。嘘をつけば面倒なことになる。だから私は正直に、
「いえ、その・・・・・・・私に子供はいません。これは、その、恥ずかしながら私がやってしまったものでして」
すると、その女性は、一瞬目を丸くしたが、やがてくすっと笑うと、
『あら、やんちゃなお子さんではなくて、やんちゃな大人さんでしたか』
そう言って、くすくすと笑いながらその人は歩み去っていった。
『大丈夫だよ、大人でもお漏らししちゃうことだってあるからね。その時は私がよしよしして慰めてあげるからね』
『あー、ほら、笑われてるじゃん。もういい大人なのに、お漏らしなんてするからだよ?恥ずかしい子だねー。ほら、仕方ないからよしよししてあげる』
誰もいないはずなのに、確かにそんな声が聞こえた気がした。
そして、私の頭に、ぽんとふたつの手が置かれ、頭を撫でてくれるのを感じたのだった。