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日本の定理・上巻  作者: 泉川復跡
【『樹海の近道』編】第十二章。希望の写真集
35/42

12.2. 「上京したなら東京を巡り歩くじゃん」

 9月30日。私の右目の下にまだ治っていない切り傷を残したあの事変からもう二十日間。中学生の最後の月日を一途過ごしたように授業を受けていて、今日の土曜日に列車に東京へ乗れたよ。そう、今日は厚喜さんの家に訪れに行く。ただ私一人じゃなく、純彦君と澁薙君と三人で。他の乗客そして東京人にあまり注目されないように、『花火團』全員に付き添って貰ったり、うちの会議の時の派手な洋服を着たりしてはいけないでしょう。9月の最後の日に、日比谷事変の日に遥か長い間があったし、あの事変による緊張な事情も大体鎮まったし、東京に行ったら平日のように大丈夫。

 私達が常に、降恆ちゃんのお父さんの列車を選んで乗っている。山口家の鉄道会社のそれぞれの列車は、外でも中でも平安時代を思い描かせる綺麗な色を塗ったり木の香りを優しく散らしたりされたし、貴族向け一等車か平民向け三等車かも、壁に該当な階級を写す美しい絵を描いたのさ。山口家の親父が最初から、自分のお娘さんへの愛を伝えていけば良かったのにね、鉄道への愛と同じく。なら降恆ちゃんが最初から良い子な美女になったよ。こうして九時頃、私達三人が国府津駅の前で待ち合わせた。青の浴衣の私、苔色の浴衣の純彦君と、探検家の帽子と地味な服の澁薙君が、二等車の切符を買い、山口家の列車に乗った。

 窓辺の対面式座席に座り、間のテーブルに自分達の道具を置いといた。澁薙君ならピスヘルメット、純彦君なら手帳、私なら次の企画の為の道具を包む風呂敷。こんな風に座ったと部外者にも迷惑を掛けずに内部で会話をしたり、私の傷を無視されたりして良かったね。それに、厚喜さんの家に泊まるか泊まらないかまだ決定していないので、とにかく寝間着を持って行くことになった。この旅はどうせ厚喜さんの家に訪れるだけじゃないし、数ヶ月ぶりにまた上京するからさ、厚喜さんの家に泊まらなくても問題なし。東京なら色んなホテルと旅館が一杯だから、私達の持ったお金で帝國ホテルなどにさえ予約することも出来るわよ。

 列車がしっかり走り景色を相模湾の海から神奈川の畑にゆっくり変えた。小田原より東京行きは五つの停車場があって、あそこに客を迎えたり貨物を乗せたりしに近付く時、到着と信号する煙がうるさく鳴いた。勿論、横濱駅で止まった時、一番時間掛かりだった。国の一番賑やかな港市の皆がこの列車を満杯させ、賑やかにもっとしたよ。幸い、席を探る乗客達が私の席の裏から入ったし、私も窓辺に当てて座ったし、彼らの死角になった。すると、列車が走り続けた。多摩川を渡り東京に入り次第、風呂敷にある私の携帯電話が揺れていた、案の定。厚喜さんが東京駅前で私達を迎えに待っていると伝えてきた。二十日間ぶりにこれをまた使って良かったわ。

 乗車してから二時間後、遂に東京駅に着いた。自分達の荷物を持っていき下車し駅前の派手な広場に出た時、手をよく振っている厚喜さんが歩道で見えたよ。一人じゃなく、彼の横に立ったのはもう一人の女で、お二人の後ろには格好良さそうな自動車。

「おはようございます、厚喜先輩」と私が遠くから叫んで挨拶した。私達が厚喜さんの所へ駆け上がっていたよ。

「もう昼ご飯の時間が迫ってんだ。『おはよう』ってはこの時間で遅かったよ」と応えた厚喜さん、浴衣の姿で。

「週末のせいで、列車に人が凄く混んでますから。えーと、私の懐中時計が11時28分を示してるから、皆で昼ご飯を食べにいきたいと思います」と私が返事をした。

「こら、僕に会ったばかりで昼ご飯を早速?僕がまだ紹介などをやってないし、こちらの女も何も話してないのにね」

 厚喜さんの横の女が話し始めた。「この三人達が小田原から二時間経って乗車して腹が減ったでしょう、既にね。あたし達も君達を迎えにこの車で行って待ってて同じお腹空きましたよ。だが昼ご飯を食べに行く前にちょっと自己紹介をさせて頂きます。あたしは深本板美(ふかもといたみ)、この貴公子の執事の一人でございます」

 深本執事の魅惑的でお嬢らしい外見が私達を立派に驚かせた。髪型は平安時代のお姫様と智埼ちゃんのに大体似ていて前髪がおでこをほぼ隠したし、各束の髪が同等に十二単の襟ごりのように並んだ。外見はスリーピーススーツ、灰色のズボン、黒い細リボンのネクタイ、そして朱色のハイヒールで厳正な執事の風格を守ったり、優雅な洋風の学生らしさを表したりして見せた。よく見れば、深本執事は私達と厚喜さんの年齢に差があまり大きくないし、それで『お姉さん』と呼ぶべき年齢でも執事になったなんて結構珍しかったよ。

「初めまして深本さん。私は渡邊雅實。こちらは眼鏡を掛けてるのは絲島純彦君、探検家の服を着てるのは越川澁薙君でございます」

「昨年から君達のことを知ってますよ、マルちゃんからね。初めて知ったのは勿論、マルちゃんの後輩である渡邊ちゃん」

「厚喜先輩に交流発電機を作りに手伝って頂いたことですね。先輩の素晴らしい工学の腕のお陰で立派に学びましたよ」

「うんうん。手伝ってから君の写真を撮りやがったでしょう。此奴の暗室に入った時、渡邊ちゃんのことばっかり見えてしまったことありますよ。まだ講義視聴中の年齢なのに人をこっそり覗き見したと思ってました」と言った深本さん、厚喜さんを弄りながら。

「写真家ならそんなことなんてやってないじゃない。さっ、皆一緒に乗っていこう。上京したなら東京を巡り歩くじゃん」

「はい。それから先輩の秘密をゆっくりと、明かしますから」と私が自分の先輩に伝えていった。厚喜さんも何も隠せずに私達の次なるやることを期待している。彼も彼の面白い執事も私達の上京の旅を切っ掛けに、今年の9月の始まりから散り散りになった全ての縺れを解け、明瞭なものにしてくれるはずだね。

 世界一番豪華な自動車、パナール・ルヴァッソール製の自動車に乗った。この自動車は運転席と客席を含めば七人の最大限を乗せるし、梃子のハンドルが外観と共にサファイアの紺青をきらりと光るし、運転手と乗客を守る幌も付けて現在の雨季にとても適切なものになったよ。運転して貰うのは厚喜さん自身だ。馬力か人力かを使わないこのような車なら日本に前世紀末から輸入するしかなかったから、政府がまだ運転許可の年齢を規定していないが、ちゃんと練習しないなら自分と相手の命を保証しない訳だ。厚喜さんなら18歳と19歳の間で、この新しい乗り物を運転する覚悟があったし、エンジンを始動しハンドルを前後左右に引きこの車を駅前の広場から動かす操作を見た時、心配がどうか下がった。深本さんなら彼の隣に座りこの車の速度を加減する。先ほど大雨が東京に降ったそうで、道が濡れたし水溜りもあちこち残ったし、ちゃんとごゆっくり運転すると良い。

 私達がまず麹町、国の心臓を巡り行く。皇居と隔てる日比谷濠に届いたら、日比谷公園を通りすがった、左の帝國ホテルを一見しながら。ロシアとの戦争の勝利を得たことで素晴らしいパレードをあの公園は催していたが、あの歓喜な雰囲気がいきなり暴乱と悲劇だらけに変わっちまったのは、日本が平和条約よりも大事なものを受け甲斐があると狂おしく信頼していた人の集団のせいだった。今は煙と破片のちっとも残さず緑に平和になり続けたよ。お金を惜しまず払えば、豪華な帝國ホテルに宿泊し、静粛な皇居、緑な日比谷公園、列車の音が沢山な東京駅、しかも遠くの凌雲閣などを観光出来るわ。

 麹町を一周観光したのち、東京人の生活の空間へ向かって旅を続けた。皇居から遠く行けば行くほど、下の道が岩を引き換え段々自然の土に戻った。自然の土なので大雨によってぬかるみ、自動車の運転が冒険のようになった。きらきらな水色の屋根の日本銀行、東京への入口と認める表象的な日本橋、そして東京株式取引所を通り越した。右に曲がると、和風も洋風も様々な商店と飲食店が、両側で整列のようにきちんと並び、木と一緒に生々しい貿易の雰囲気を齎すことが見えた。「もう銀座に着いたのか?」と私が自問したよ。私がお母様や智埼ちゃんと一緒に入ったことある呉服屋、洋服屋、化粧品販売店、更に家族で行ったことある右の『単美ノ澤(たんびのさわ)』飲食店をまた一見する機会もあった。やがて、和光の時計塔が目線に入ったと、自分の懐中時計をしっかり握りながらあの建物をしっかり見ていた。

 銀座から、私達が別の平行の通りを渡って北へ行き戻っていた。そこで、鉄道が通わず銀座に一番近い橋である、新大橋を渡って隅田川を初めて渡ったよ。深川區と本所區を旅を続ける間に、京橋と日本橋の割に洋風が和風に劣っちまったのが見られた。釣り場と魚市場から、黒船来航の前もに設立した老舗、居酒屋と旅館まで、電線、電柱と路面電車の登場と共に、旧江戸の歴史を現代的に再現して見せたようだ。もっと北へ行ったらもう商売の雰囲気が日常生活の雰囲気に変わってきた。そっくりで伝統的な家が無限のように並んで、もしかすると左右どっちへも曲がっても家の迷宮に迷い込んじまうと思っていたよ。然し、左へ曲がらないと浅草に着けない。すると、家の迷宮に駆けてきた。出られるように、工場からの立ち昇る煙を追跡し、煙が濃ければ濃いほど隅田川が近い気がする。とうとう、吾妻橋の前に着いた。12階の紅の摩天楼、凌雲閣もはっきり見えたの。

 浅草にもっと進むと共に、凌雲閣の高さと美しさをもっと沢山理解した。ニューヨークの角柱の摩天楼と違って、地上階から幅を微かに縮んだり、十階目と十一階目の間に都市をすっかり見る展望台があったりする建築を持っているし、巨大な蝋燭か内陸の灯台かのように見えた。凌雲閣は摩天楼か塔かと呼んでも良い。日本の一番高い建物としては、当たり前にエレベーターを装置した最初の建物だからさ、日本人も外国の旅人も先進な西洋に行かずに、機械に昇降される気持ちを楽しめるの。浅草では厚喜さんの車が一番ゆっくり動いたね、東京の一番混む人並みがいるし、凌雲閣の周りの様々なお店で彼の友達が待っているお店を見付けるしね。そう、私達だけでなく、厚喜さんも工学クラブの仲間を昼ご飯に誘った。数人が某店を出て手をよく振っている。あれは厚喜さんの仲間達に決まっている。あの某店は賑やかな浅草の中で静かな飯屋『若槻(わかつき)』。

『若槻』飯屋の前で厚喜さんが車を止めた。浅草の通りは狭いということはないが、日本人にとって珍し過ぎて大きいこの車なら歩道か路面の隅かに置かれても、通りすがりの皆に随分注目される。ならば、警察官に駐車違反によって一時没収されることとか、運転が出来ない好奇な子供達に運転されればこの繁華街を乱しちまうこともある訳。厚喜さん達が『若槻』の常連さんだから、店主に車の監視を任せるつもりだった。だが、客の注文を受け料理を出す連続な仕事が店主の部下に常連さんからこの余計なことを絶対にやらせないから、浅草の巡査に任せるに限る。深本さんが執事の技能で、銃を常に背負いながら歩道を歩く三人の巡査に話し掛けこの豪華な自動車の警備をお願いした。彼女が自分の美麗な姿で巡査達をどうか動揺し、厚喜家の勢力を言い及んで彼らの警備にお土産なんとかを贈ると約束した。日本に数十台しかないこの車を目に付けるのは、滅多に来ないこのチャンスを取得して素敵でしょう、特に浅草でね。

 厚喜さんの三人の友達に合わせては八人になった。その三人は、後藤工(ごとうたくみ)さん、吉澤充博(よしおかみつひろ)さんと綾小路直人(あやのこうじなおと)さん。間違いなく覚えれば、この三人の厚喜さんの友達は私達の夏祭りに参加したことがあるし、厚喜さんと同じ写真の趣味を持って夏祭りの活動の写真集を完成させに協力したよ。後藤さんは前から予約したので、席を探しに困らなかった。工学クラブの会長で厚喜さんの一つ年上の先輩で、厚喜さんの誘拐が本当になんだろうかを一番把握したし、予め皆で誘拐への秘密を抱える全ての写真を燃やし警察の取り調べを乗り越えた。

『若槻』での昼ご飯は工学クラブの四人の先輩の私達への謝りで始まった。その急な謝りは彼らの曖昧な仕業のせいで私達を地域の規模の『天然らしい事変』に巻き込んだ為だね。「彼らが自分の仕業を自ら解決すれば私の目の下に傷跡がなかったのに」と一旦と心の奥で言った。然し、ある理由で私達をやむを得ず巻き込むことに。すなわち、私達が巻き込まれなかったら彼らが絶対に助からなかった。あの理由はさ、まず倉崎さんを指名した方が良い。良い匂いと濃い旨味が沢山な東京湾の魚の食事を楽しむ最中、魚の豊富な蛋白質が私達の頭を刺激して厚喜さん達の遭った事情の概要を少し纏めた。この纏めはほぼ私達の仮説なので、信じるか信じないかも良い。

 城木先生の家のお茶会のお陰で、昏睡から目覚めてから私の頭をずっと悩ましていた曖昧な世間の絵は、かなり明らかに描いていた。倉崎さんは厚喜さんの中学時代の謎の友達。後藤さんによると、三年間もぐらい経って厚喜さんとの連絡を断絶してしまったことに、彼女の『花火團』の夏祭りの登場まで。あの登場は彼に勿論、とんでもない驚きを齎した。厚喜さんによると、あんなに三年間ぶりに突然世間に再び出てきたなんて彼に半信半疑の気持ちが強かった。まさかに倉崎さんは過激派の司令の下で間諜として私達の一挙一動を観察しようとしたでしょう。てことは彼女が敷地に入り私達に接近したところで、少なくとももう二人の仲間も人並みに紛れ込み、倉崎さんの暗号に沿って最適な所を爆弾の仕込みに見付けた。倉崎さんも自分のあの任務をただの肉刑と認め全然成功になって欲しくなかったし、あの爆弾が見つかって警察に渡されたと知った時、安堵したなと考えた。だが私達の仮説はまだ長い。

 三年間ぶりにあの夏祭りの夜に、倉崎さんと再び出会ったと、厚喜さんが言ったが、あの前に連絡を失ったというものの、全然互いに気にならないとは限らない。9月10日の事変を通して私達を巻き込んだのは私達の仮説の証になれるかも。厚喜さんが自分の親友の謎の事情をずっと前から把握し必死にあの事情を解けてあげようと頑張ったが、倉崎さんの過激派との関係がいつの間にか深くなったことによって普通な方法に出来ないので、超越な共同体のメンバーの松澤先生の力を貸して頂いたそうだ。その反面、ラッシュナトゥール人の末裔の共同体のメンバーとして、松澤先生も日本で暗闇で存在している過激派の勢力をある程度で把握し、典型的な抵抗者の厚喜さんに想像以上の連絡設備を与え、使い方を教えた。どんな風にこの二人が絡まったのは松澤先生の教え子、厚喜さんの後輩の私なの。松澤先生が厚喜さんに私の能力を教え、少年祭を大事な切っ掛けに厚喜さんが私と初めて出会って発電機を一緒に作り、それから私と『花火團』が彼の縺れに関わることになった訳さ。

 八田蜜での少年祭が大成功になり立派な変遷を齎したことを見た時、当時『花火團』と名乗っていない私達が厚喜さんの目に留まったそうだ。少年祭のお陰の立派な稼ぎから独立に夏祭りを開くという、私達の請求を一刻も早く受け止め、その夏祭りを完璧な契機に過激派との真剣な対戦に参戦させることにしたでしょう。所詮、そういうことは私達に必死に助けを求めていたのだね。夏祭りが終わった直後に、過激派の頭脳達に最も大胆な契約を結んじまった。あの契約は二週間以内で効力ありで、9月10日の事変で解約される。解約は彼こその誘拐で、おまけに過激派が『花火團』に今まで最大たる試練を課したものだ。厚喜さんが出てきて以来、彼奴らが私達のことをずっと狙っている訳ではない。降恆ちゃんのことと廣瀬君のこと以来、私達のことを著しい対立の勢力と見做したようだよ。

 厚喜さんとの契約は彼奴らに『一石二鳥』という効果を齎しちまったね。彼の友達、倉崎さんを完全に手に入れたり、私達のことを完全に狙ったりする彼奴らは、自分に利益を齎すように契約を完全に支配し、こういう歴史を作ったでしょう。その歴史に辿り着いたのはこの先進な携帯電話が鍵を持ったはずだ。こんな電話を過激派のメンバーに渡し降恆ちゃんの番号に掛けて貰ったのは厚喜さんがやっちまった一番大胆不敵なことだ。厚喜さんが降恆ちゃんの番号を入力してからあの男に渡したとしても、彼奴らの優秀なレベルにとって、番号を入れる電話を作るのが出来、より困難な試練を送ることになる。

 自分の写真を燃やし証拠を消したのも契約の一部分だった。あの廃園の音楽室に突入していた時、焦げ匂いと腐った卵の匂いが強かったと嗅いだ。緒方さんの部下と消防士達の見付けた、ばらばらに黒と琥珀になった紙屑、恐らく燃えた写真の残り、は原因だ。あれは確か、写真を作る銀塩が酸化され、酸化銀、臭素などを生成し、そして連続酸化反応のあの環境でもっと毒害な酸化物を生成したよ。あれらは私の目の下の切り傷になんと侵入し、酸液を顔に掛けられるような熱さや、十本の針に突き刺されたようなひりひり感を、神経が破れ血が一途流れていた激痛に合わせてもっと厳重になり、今までまだ包帯を外さずただ取り替え巻き続けるのさ。同じ包帯をずっと頭に巻くと感染しやすいから、三日間おきに一回取り除き新たなものを巻き替えていた。切り傷がほぼ傷跡になるまで、私と降恆ちゃんだけは私の顔の具合が分かったの。

 厚喜さんが咳払いして反応した。「君は自分の重傷まで解説して証明してんだね、あの仮説を。僕も今まで自分の咳をちゃんと耐えざるを得ない。肺にまだ残ってる毒の埃に苦戦してるから」

「苦戦ならそれだけじゃないでしょう。『本当に誘拐犯に誘拐され長い間で肉刑を掛けられてた』と警察を信じさせる為、勝手に家出して、日比谷事変の集団の人質になってしまったみたいに見せたんだ」と言った深本さん。「あの仕掛けの誘拐の前に君がね、『誘拐犯』にぶん殴ったり水に溺れさせたりして貰ったね。写真の情報の為の拷問みたいに演じ切ったんだって」

「もう完璧な演出だったでしょう。完璧な演出を終わらせる為に、味方も敵も騙さざるを得ないんです」と言った澁薙君。

「苦肉の策なんじゃないかと思ってます」と言った純彦君。そして私達の仮説を続けたようだ。「あの現場で燃やされた写真を発見したところで、後藤さん達工学クラブも自分の写真を消滅してたということでしょう。そうすると、警察達はあのことが過激派に強引にやらされるしかないと考えられたんですね」

 綾小路さんが少し考えそう言った。「うーん、あのことが警察の取り調べを逃せなかったけれど、あの取り調べを被害者に得を差し上げるという風にして貰ったんです。西洋の法執行機関を応用しても、一般的には捜査部がまだまだ改められるべきで幸いだもん」

「世界中の警察はそういう同じでしょう。ビクトリア女王のイギリスでさえ、著名だと言われるスコットランドヤードも警察を務めない探偵の力を借りるしかなかったのです。シャーロック・ホームズさんは架空だとしても、あの状況の証なんじゃないかという人間です」

「確かにね、まっちゃん。警察の捜査業務は僕の呼んだ『はっきりと見える近道』に常に従えば推理の罠に引っ掛かることに、真実を見付けず犯人を捕まえない。全ての事件は驚くべき手掛かりをいつも目の前で表すけど、経験者で目が鋭い警官だけが見抜ける」

「でもね、越川君、警察皆でもこうなったらホームズさんみたいな探偵はもう探偵の仕事で有名になれませんよ」と言った吉澤さん。

「当たり前なことでしょう。スコットランドヤードなどの警視庁は滅茶苦茶混雑な書類のこと、そしてロンドンの滅茶苦茶ややこしい社会のことに困られてる。大きな事件に遭ったならほぼ取り組む訳にはいけないから、彼らの仕事に関係がなく、暇が一杯で、賢い人に頼るんだ。暇が多い人には辛い真実を見付ける欲望があるから」

「警察の中に探偵に頼らず自ら大変な事件を解決する人がいると思ってます。少数だとしても真実と正義をもっと意義にさせます」

「雅實君、緒方さんのことを示したいのかね」と言った純彦君。「個性的な警官だけでなく、しぶとい記者も同じ人間です。有名になりたいとか、真実を見付けたいとか分からなくても良いけど、彼らの仕事への愛は無意識に真実を明かすんです」

「それじゃ、私達のことを探偵とすれば、私達の先ほどの推理には何かが間違いか正しいか教えて下さい」と私が求めた。

 厚喜さんが私達の仮説を二つの質問で評価した。「どうしてあの契約は二週間以内で効力あり?次、どうして渡邊ちゃんが迫る途中で僕が誘拐されたあの廃園に爆発はあったのか?」

 その二つの質問は私達が今まで気になっていた、仮説を発表する途中で。あの契約は日比谷事変が起こった直後又は一日後に小田原への攻撃を活性化したら、傍観の狂信者達が『天誅』だと信じやすくて小田原が本当に天罰を受けたように見せたのじゃないか。真正の天罰なら死人あり、小田原も砕片となり。然し、五日間で猶予していた。恐らくこの二週間で何かがいきなり起こっちまってあの契約の残酷さを立派に下げたかも。厚喜さんの関わった契約の中心である、倉崎さんに関係があるね、あのものは。それから小田原じゃなくて私達『花火團』だけに攻撃の槍を構える風に契約を変更した。

 二週間で延長した契約の質問なのが、あの謎の爆発はどうかしら?よく覚えれば、あの爆発は廊下や部屋の上半を粉砕しただけだ。要するに下半には上の炎の火花と破片がばらばらに散っていた。音楽室の中の水溜りはそれから被害者が横になっている時に上の炎から守る。でもどうやってあの爆発は起こったの、爆弾とか爆薬の痕跡が見つからなったのに?ひょっとしてその携帯電話?まるであり得ないと思ったのに、厚喜さんに渡す前に松澤先生が何かを仕込んだと思わないとは駄目でしょう。厚喜さんがあの残酷な契約のことを知らせた際に、先生は厚喜さんとの通話を極秘にする為、爆発を活性化するプログラムを仕込んだ。過激派の男に渡したのちに、契機が訪れる時、厚喜さんが立ち上がり彼奴と揉み合い、彼奴の銃を奪い取りあの電話に撃ち、爆発を起こしたかもね。だがあの爆発は部屋の上半だけを破壊出来るように、あの電話が『空中に浮かんだ』訳。

『若槻』での昼ご飯はもう終わりになった。その二つの質問に答えを出したところで、厚喜さんはどうか承認の表情を見せたようだ。その表情は「探偵に就けばもう早く助けたのに」という言葉に包まれた。あの電話は爆弾の役に立って松澤先生との通話、私達の番号をさっぱり削除し松澤先生の電算機に帰還させた。食卓に置いた彼の今の電話はさっぱり新たなもので、私達のものと協力する将来を期待出来る。お腹を一杯にさせるこの昼食が残したのは、厚喜さん達が明かさないようにしている倉崎さんの行方だが、澁薙君の持って来て東京の風景を先ほどの旅の間に撮っていた写真機を通して、倉崎さんの経緯を知り彼女を助けるにはより有効な方法が必要だと信じたよ。

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