11.2. 「退院おめでとう、雅實ちゃん」
「雅實君、この動画にある勝利の公開の瞬間、ちゃんと覚えといてよ。お前が負けてしまったら、この二人の先生に慰めて貰うな」
「私なら君と一緒に先生に慰めて頂くのよ、スミヒコ君。更に、二人の先生に私達の求めを対応して頂く訳では簡単じゃない」
「そうよ、君達『花火團』だったら自分の仲間と親族に精神的に援助して頂けるだけだ。私達部外者は君達の教師として知識的に援助するしかない」と言った松澤先生。
「そう言っては大丈夫じゃないと思いますよ。精神的さを知識的さに離れさせてはいけません、知識の真正の値をふと下げてしまうかもしれませんから。知識は人の精神を発達させる役です」
「そうですね。この時代でなら人間の選良さえもそう思ってます」と賛成した松澤先生。「皆が子供から産業的な教育を受けたので知識を毎日毎日を過ごす生計の為に使う現実があるんだ。然し、知識を本人と他人の精神を鍛える為に使う少数派が存在して良かった。少数派の人の建造物は彼らの論文や企画だった」
「エジソン殿やテスラ殿などの人を示しましたね、先生?」
「そうよ、渡邊君。知識を精神に繋いだのは、世間のああいう科学者と発明家でしょう。論文に三昧な人が多いけど、窮屈な自分の部屋で引きたくなくて外に出掛けて狂おしい企画をやってまで自分の知識を披露する人もいる。例えば、渡邊君の憧れの人であるテスラさん、ピサの斜塔で玉落としの実験を行ったガリレオ・ガリレイさん、史上初の望遠鏡を作ったリッペルスハイさん」
「然し、あのような偉い人は自分の知識によって、お金を稼ぐのが困難になったし、当時の社会にも『神様に冒涜する奴』として誹謗されたことがありました。人間の愚昧になった時代では、『魔女を火炙り』という残酷な刑罰が表徴的になっちまいましたよ」
笠人君が賛成した。「実際には、『魔女』なんていなかったし、あの時代の天才的な女の学者達だった。狂信的な群衆に殺されてしまったという訳だ。確か、ガリレオさんも『首吊り』形を言い渡さらたそうだね、雅實ちゃん」
「うん。『地球は自らの軸に回ったり太陽に回ったりする』と宣言したことによって、彼は教会系政府に『神様の冒涜者』により『首吊り』死刑を判決された。けれど自分の命を救う為に、教会が聞いて欲しい『地球は平らな物で全ての天体に回って貰う』と宣言せざるを得なかった。本当に辛過ぎだったね」
澁薙君が言った。「愚かな群衆に抗えるのはどうやって?一人では無理じゃん。間違いなことを信じる人が多過ぎになってたら、正しいことを信じる人がいれば、あの人が容赦なくぶっ潰される。抗えるにはあの愚かな群衆に対等する賢い群衆が必要だ」
降恆ちゃんも言った。「だが残念ながらあんなにいる学者は最高でも同じ学者と仲になったり、最低で一人になったりするわ。非常な頭脳のせいで普通の他人に心を開かなくて、自分と同じ考え方を抱える人間だけに友達が出来たし、普通の共同体に同感して貰えないし、強い勢力に支えて貰わなくて簡単に潰される訳じゃ」
「学者達のその致命的な欠点を克服するには心を開けるだけですね」と城木先生が言った。「貴方達は若者の学者達とずっと自称してるので、そういう方法を使って世界に声を出そうとしましたね」
「はい。学者なら論文を書くと言われたのですが、私達なら論文というより、自分達の将来の仕事に初めての作業の報告書なのです。論文はある学術的な主題において自分の観点を述べる書類。その割に、今前任者の学者達の作業を受け継いで新たな物を作ろうとする私達が、自分の観点を述べるほど彼らのレベルに届いてません。だから、報告書は今までの作業を記録する私達のチョイスです」
「そういえば、渡邊君の初めての報告書は、あの交流発電機を巡るものだったね。去年の少年祭ではあれを初めて公開したそうだ」と質問した松澤先生。
「はい、私の生まれて初めての発明です。厚喜先輩が協力してくれたので、人の声を大きく出来る物が上手く出来ました。交流発電機の報告書は勿論、私の家の読書室に」
「そして、『花火團』の皆も自分の作業の報告書を保つね?」
智埼ちゃんが答えた。「はい。あたしなら、去年の少年祭の花火大会の報告書でしあ。花火の製品、作り方、安全性保証、効率はあの報告書に全く書かなあかん。あの報告書のお陰で、今回の花火大会を組むのが便利になりました」
「ということで、今年の夏祭りは貴方達の最初の大企画になったんですね」と言った城木先生。「報告書に限らなかったでしょう」
純彦君が応えた。「勿論です。小企画は報告書だけに内容を包み込み得られる一方で、大企画はまずの提案書、次の進捗報告書、最後の結果報告書を求める訳です」
城木先生が質問し続けた。「そうだったら、去年の少年祭はどうして大企画じゃなかったんですか?」
「んー、八田蜜の去年11月末の少年祭は実は、笠人君の頭でいきなり閃いたものでした、廣瀬君の組にどう対応すべきかを考えるところに。なんとか廣瀬君の虐めだけでなく、八田蜜中学校の闇のお金をも徹底的に解決出来るようになるその方法。笠人君は、三年前の両校の交流会に影響を受けて、校内のお祭りを催せば、八田蜜の予算を廣瀬家の一族の操りから解放して、お祭りの利益で積み重ねて、校長先生に文部省からの合法的な権力を受けて頂けることになると意見をあげたんです」
笠人君が言った。「私さえもあの頃の自分の意見が馬鹿馬鹿しいと思ってました。一つの催しなんて学校の時勢を完全に変える訳がないだろうと信じました。ただ、白濱中学校の設立者たる室井武洋さんの団体と打ち合わせた時、大事だが危機が沢山な催しに対しては彼方達が財政的に支えようとして下さることにしました。廣瀬君の父親も室井社長の団体の一人だけど、自分の為に勝手に八田蜜を支配しやがって団体を背けたから、必ず団体に適当な罰当たりを貰うものになったんです。あの少年祭は大企画だと私達が認めなかったのは、個人の突如な着想だったし、自分達のお金ではなくて小田原の財政の巨人様のお金に支えて貰ったし、今年の夏祭りの二ヶ月近い準備の割に準備期間も九日間しか掛からなかったし、それに学校の教室などの元々あった全てを利用したもんです」
私が言った。「大企画が出来るなら、まずあの際でお金を稼ぐしかありませんでした。八田蜜の少年祭は様々な小企画に組み合わせられたものです。私は交流発電機、スミヒコ君は教室と廊下の飾り方、チサトちゃんは花火、笠人君は屋台と広告、ナギ君はお金の管理と、廣瀬君への拉致の悪戯の仕掛け方」
「そうか。降恆ちゃんはあの時、この団体に入ったとは言え、医療の世間に駆け出してたことで、少年祭に特別なお客様として参加したでしょうね」と言った松澤先生。
降恆ちゃんが答えた。「はい。マサちゃんとの大喧嘩の五ヶ月後で、白濱の医療生徒部に入った三ヶ月後なので、医療の仕事の為に基礎を固める時間が大変掛かりました。少年祭がいきなり僕に伝わった時は、多くともこの五人の作業を観光したりしたのです」
「全てが順序に進捗すると保証したんだよ、君はね」と応えた澁薙君、降恆ちゃんの肩に手を置きながら。彼の結構控え目な身長が自分の彼女のに比べた以上は、皆が本当に恋人のカップルだったのかとまだ迷っていたはずだが、知識の力か共感の力かもそういう関係を築いたとまだ信じている。
「夏祭りの閉幕で次の企画を行う予定があると言ってたね、渡邊君と絲島君が」、松澤先生が私達の宣言を思い出させた。
「はい。あの敷地を使い続けたいと思ってますから」と答えた純彦君。「科学研究所を開業する望みを叶えるには、それぞれのメンバーが自分の専門に関する幾つかの企画をやらないといけません。夏祭りは丈夫な基礎だったら、次の企画はそういう研究所の柱と構造になる訳です」
「君達の夏祭りを開く理由は本当に様々だよね。卒業前の暇潰しがあるし、歴史的な出来事に巻き込まれた人達への治療もあるし、世間に声を掛けるのもあるし、それに学者的な夢を実現しようとする。君達のような人間が見つかったのは珍しいもんだ」
「誇張ですが、『花火團』の夏祭りは必ず皆に覚えて頂きます、新しい大事件が暴れるまで。9月10日の事変は夏祭りの結果の一つだと認めることに。狂信者達を天罰とか天誅だと思わせたままで良い。数千人が夏祭りの一週間を思いっきり楽しんで下さったことで、あの人数の応援と、万も超えなお金を受けて、彼奴らのそう呼ぶ天誅に抗い得るんですよ」と肯定した澁薙君。
「群衆心理戦ですね。貴方の言う通り、狂信的な群衆に抗う為、正しさに向かう群衆に応援して頂かないと」と言った城木先生。
「はい。その群衆で子供は一番多くなります」と私が言った。「もし将来は新しい戦争が起こっちまったら、戦場に駆け上がるのは彼らでしかありません。年上な子供である私達が次になります。然し、暴乱と戦争だらけの時代を生きたくない望みも同じし、将来を平和にする為に、頭を武器に、戦おうと、彼らも私達も思ってます」
「それは俺の台詞だった方がいいじゃんか」と反応した純彦君。「俺と笠人君と澁薙君は将来従軍させられてしまう。お前達女なら後方支援するしかないんだ」
「でも男が足りない場合は、私達も戦場に入って犠牲を背負って仕方ないじゃない。必ず君達を興奮させて思いっきり戦わせてやる」
「軍隊に女性はいるなら最高よ。皆が戦うのを忘れちゃっていちゃつくじゃん」と澁薙君が反応し、降恆ちゃんに頬を摘まれた。
「もしあんたが軍医になっても僕のことを無視しちゃ駄目」、降恆ちゃんが言って、将来の冗談話を見事に終わらせた。
「面白過ぎでしょう。正義の派も不正義の派も日本の将来を定める者になるんです。数学の目線だとしたら、貴方達も、過激派の秀才達も、日本の定理を作ろうとしてます。ただ、日本の定理の概要はどうなるか、両派の信仰次第です」
「法則の代わりに定理を言いましたね、城木先生。ガリレオ殿、ニュートン殿、テスラ殿の苦戦は、科学の法則が常に正しいことがないと証明してやった。法則は人間定めのもの。定理は人間に見つかった数学定めのもの。そうなら、どうして法則じゃなくて定理を?」
「人間なら法則という言葉を使った方が良いでしょうね。定理は数学の論理に証明されたもの。数学の論理は自然界の基礎。正しさと間違いをはっきりも、もやもやもに出来るし、それから物理、化学、生物学という、自然界の複雑な視線を生成する。定理という言葉を使ったら人間を神様に相応しいものにして無理なんです。然し、定理を言ったままは、私達ラッシュナトゥール人は貴方達がどうやって自分の国の運命をどの方に向けられるのかを、確かめたいですよ」
純彦君が何かを思い付いた。「そーうだ。日本は国。国は人間の作ったもの。だから、国の定理というのは国の人間に定められる。国の活かし方から、独特さ、そして運命まで。てことは、日本の定理だけでなく、イギリスの定理、フランスの定理、アメリカの定理、中國の定理、朝鮮の定理などもある訳ですね」
「正解。だから法則を使わず、定理の方です。国の人間は国の主で、国の神でいるもんです」
城木先生の「正解」という確認は序でに今日の凄く長い相談に結末をしちまった。ラッシュナトゥール人の想像外の物語を基本的に把握した。煙髪人、弾眼球人と真珠脊人以外の種族もいるのかなどの質問は、城木先生の家に尋ねた後にしよう。昨日と同じように、この相談は夜ご飯の時間に迫ったところで終わったが、昨日と違って、私達の世界観を変えちまう余りな物を身に付けたよ。城木先生が半球体の盾を脱ぎ終わった後は、私がこの病院でもう一週間を過ごして、口を動かすのを立派に練習したり、病床を出てよく運動したり、親様と友達を待たせるよ。
城木先生がパズルピースを出ていた時に、城木阿波郎じゃなくて松澤阿波郎と呼ん出いたし、松澤先生の兄として上手く演じて見せた。松澤先生の課程を修正したり、兵役の時代の写真を見せたり、更に東京大学の化学部に勤めたりするとも、他の患者に伝えてきた。本当に、城木先生がホモ・サピエンスの人間と一緒に私達が全然気付かずに働いていた。多分、松澤先生と学校でしか待ち合わせなかったことで、そもそも先生の『謎の兄』の存在を知らなかった。また、ホモ・サピエンスに余計に注目されないように、ホモ・サピエンスらしく振る舞ったり、この時代の学者の絶賛した説を授けたり、多くとも自分の講義を生徒達に面白くしたりしただけだ。恐らく、城木先生と同じ、時々自家を出て人間の生活を過ごす純血のラッシュナトゥール人の学者達もいるようで、私達を興奮させちまったの。
わー、病床を降り体を一気に引っ張った度に、私を固く立たせてくれる全ての骨がぽきぽきらしい音を鳴らし、普通の毎朝の寝起きと全然違って以上も素晴らしい気持ちを持たせたよ。四日間ぶりにこの病床から背を抜き切ったように動き出していたので、砂石が軋むような関節の間の音がずっと鳴ってきていた、書いたり箸を使ったり頭を洗ったり病院の外観を歩き回ったりする途中で。箸のことといえば、目覚めて四日目には雑炊に代わって緩やかな限りのご飯、焼き魚と、よく噛むことないほど柔らかい肉を食べるのが出来た。そのまま、五分おきに智埼ちゃんのお茶を一回啜りながらそのまま。
やがて、入院されて11日目には、翌日に退院を許可されるかどうかを確かめる為、噛む力を割と多く求める食事を貰ったよ。お母様がわざと豚肉を火を通し過ぎ、乾かし噛みにくくなっちまったが、飲み込みにくくないように味が濃いソースを入れた。鎮痛のお茶がずっと側にあったから口の中に稲妻が迸るまで噛んでやる。親、『花火團』、二人の先生、お医者さんと同室のお患者の前に食事するなら気兼ねだった。稲妻のような電流が突如右顎から頭上へと流れて激痛を伴うたった一度があれば、もう数日でここで籠らされるから嫌だ。但し、お母様の作った固い肉を私がとても馴染んで自分の顎がなんとか向上するほどだった。兵役によるお父様の留守中に、お母様と二人っきりで生きる一年以上で、肉と海鮮を焼き過ぎたり足りなく煮たりするという過ちをお母様が繰り返していたせいで、多くの食事で私達母娘の顎が増速中の客船のエンジンのように動かざるを得なかった。
そういう肉を口に入れた途端、前の数日で助力を受け続けた右顎が、燃料が切れるエンジンのような状態を去りつつあり、なんと電流を神経の繋ぎ目を渡って流し、起動し直すエンジンのような状態に戻ってきた。起動出来るのは弾み車が必須。その弾み車は予め開いた私の口。重力が私の顎を再び引き下げ、弾み車の慣性が私の顎を再び押し上げる。そのまま、どんどん噛む筋を増速させる。その固い肉の一切れを私が三分も掛かって噛み切り、小麦粉のように飲み込んだ。一切れ目は三分だったなら、二切れ目、三切れ目そして次々は二分半、二分、そして一分半ぐらい掛からないと、最低でも20秒掛かるまで。と同時に、数口のご飯と、数啜りの味噌汁がこの苦戦中の顎を潤滑させてくれたよ。こうして、私の決定的な食事は75分ぐらい掛かったよ、自ら動き上がれたこの右顎で、降恆ちゃんの努力な治療と、松澤先生と城木先生との唯一無二の相談の一週間の挙句。
とうとう、9月22日の正午にお父様とお母様と退院した。正午だが雨季に入った時だからあまりに晴れなくて楽だった。病院の薄い寝間着からこの暖かい青の浴衣に着替えたなんて、やっと普通の生活に戻れる気が出来たのよ。ただ私の頭には十字架の包帯がまだ付いている。この包帯を黒で塗ったら『浴衣の姿の海賊女』だと認められて面白過ぎる。退院しながらも、澁薙君と降恆ちゃんが10月8日まで小田原病院で勤めているに当たり、この豊かなカップルにあの日まで観察されることになった。智埼ちゃんも私と一緒に病院を出たし、自分のお母さんと帰る前に、彼女の鎮痛のお茶のレシピをきっちり書いた一枚の紙を送り、私にそのお茶を作ってみて貰った。
ところで、入口で待っていた純彦君、笠人君、廣瀬君、日向ちゃんと高橋ちゃん達も見えてきた、制服を着たまま。皆が午後1時までの休憩時間を私を迎えに来て過ごした。この風になら、彼らに直ぐに午後の授業を受けさせられちまうかも。実は、彼らがうちの家族がお土産の持ち帰りを手伝ってくれたよ。勿論、家へ帰る途中で、私達が自転車に乗ったり、お土産を割り当てて運んだり、互いに話したりしていた。退院後の自転車の初乗りがやはり素晴らしかった。たまに「退院おめでとう、雅實ちゃん」とも両側の道から聞こえたよ。
退院してから、色々なことを受け取るに決まっている。健康の回復、学校に復帰すること以外に、自分の家を加工すること、『若原屋』の敷地を大学から小田原の中学校に譲渡する決定が先延ばしにされること、特に厚喜丸端さんの抱えている秘密のことも気にしないと。あの事変は狂信者が天誅、好奇な人が怪奇な現象、真実を追う人がとんでもない陰謀に帰属され、全国に注目されたも同然だから、大学にあの敷地を私達の物にする決定を遅延されるのが分かった。『あんな事変なんて二度と小田原で起こらないとは限らない』、それは大学の考えたもんだね。
厚喜さんのことも私の疑惑を掻き立てた。どうやって過激派の天才達が、私達があの事変の四時間前にしか使い始めない電話に出られるのか?この問題を答えられたら、どうして誘拐されたのは私の友達の一人じゃなくて私の先輩なのかも答えられる。厚喜さんは私の先輩だとは言え、『花火團』か5年3組の仲間かに比べて、あまり親しい関係を築いていないし、彼が誘拐されたと伝えられた時、あんな風に驚いたよ。それに、城木先生の言う通り、松澤先生をも疑った方が良いという。この時代でボタンを押すだけで通話出来るこんな電話を作れば内国どころか世界中の鉱物を集めても作り得ないのに、こんな電話に全く意味が分からない過激派の誘拐犯と通話が出来たなんて可笑し過ぎじゃない?恐らく、厚喜さんも松澤先生に同じ電話を貰い、私達の番号が知られるように先生に漏洩して貰った。でも私達の目の前にどうやって出来たの?しかも、倉崎沙也香さんのことに関わっている、絶対にこの誘拐は。もし友達の一人が誘拐されれば私のことに関わるはずだが、倉崎さんの知り合いだけでなく同期もである厚喜さんなら、確かに私を彼のなんとかの秘密に巻き込むつもりがあったという訳さ。今まで、あの抱き締めは忘れていない。楽しみの時間による感謝だけでなく、助けの呼びのようだった。
倉崎さんに関する私の仮説を頼もしくさせるのは、あの事変の後期で、私の一番特別な夏祭りのお客様の手紙を一枚も受けていなかった。9月10日の事変が全ての新聞に載せたところで、倉崎さんが小田原病院を宛先にして、私の具合を知りたいと手紙を送ろうとするはずだったのにね。あの夏祭りの一週間で私とずっと付き添って全ての体験をやってみたし、あれらの体験の間に自分の気持ちを露にしてくれたし、彼女が一番気になったのはここのことと、私と厚喜さんの巻き込まれた事故なんじゃないかと考えている。然し、北口の鳥居での別れの時から倉崎さんの返事がちっとも届いていないし、疑惑より不安を煽らせた。本当に、倉崎さんがどんな人なのか、私がまだ不明。




