11.1. 「塗料は作り立ての濾過器の品質を評価する一番の方法です」
「凄く宇宙人みたい。ただ、現代の人間の姿がまだ見えます」
「普通の人なら地球人だと信じられませんからね」、城木先生が手を髪に当て煙のような気体に触れた。「この煙の物は実は髪から蒸発した水蒸気、いわゆる汗。でも汗の匂いが私の手に嗅げませんね」
城木先生が自分の煙塗れの手を皆に差し出した。本当に、汗の匂いも煙突の排気の焦げ臭いも全然しなくて、かえって靄の涼しさと潔さが感じられたよ。どうやって彼の髪が煙を放出出来るのか?
降恆ちゃんが質問した。「先生、以前の時、日常で先生の髪がいつも煙を排出しますか?」
「いいえ。貴方達が大変な労働の時とか暑い時に汗をかくというのなら、私達は汗の代わりに煙を出すんです。うち達の肌は自発の加湿を行って猛暑に関する天気に反してずっと乾かさないようにしてます。肌は乾かしてしまえば、煙が髪の代わりに肌ぐるみから出ていって、体温が非常に増えて、熱中症、風邪、脱水などになってしまいます。但し、異常に湿って煙があまりに放出する場合は、群衆の環境に湿気を濃く曇らせるだけでなく、感染病、炎症などの体内の病気にもなるし、皮膚癌になる可能性もあるという、症状を警告するんです」
「えっ、皮膚癌までですか」と感嘆した降恆ちゃん。「んー、霧がてっきり掛かった事務所にどうせ誰でも入りたくないしね」
「ひひっ、事務所だけでなく、何処でも嫌ですよ、あんな状況があったと。当時の私達は自分の煙を節制出来なかった上、地域の全体をてっきり掛けました、『人工霧』に。スモッグと『人工霧』を組み合わせた時は、交通事故の何件、そして呼吸器疾患の症例の何件があったのかも測り切れませんでした」
「災厄でしたね、あの時は」と感嘆した澁薙君。「あの状況を絶対に長くしようとしませんでしたね。例えば、並木を植えること、濾過の系統を仕込むことなど」
「そうですね。数日をも過ごす『人工霧』の事故に取り組むには都市をもっと緑にしなければ駄目なんです。貴方達が松とか杉と呼ぶ木みたいな物を道の両側で、そして木立を散り散りに歩道、公園、会社、更に病院と工場の辺でも植えて配分してました」
「こないして、先生達の都市の木の全ては、煙の濾過を担当するちゅうことやろな」と言った智埼ちゃん。「そやけど、生物学の力だけを使うてったら解決し切れへんと思うとります。先生達の煙には有機化合物が色々にあるし、植物が吸収出来ひん化合物も含むことあるんやさかい。より高い効率の濾過器が必要な訳ですね」
「さすが化学組の組長。私達の身内の複雑な代謝を通して昇華された酵素、蛋白質、脂肪そして電解質は何の樹木が処理出来るもんでしょうか?緑は工業の廃物と、私達の煙に三割を占める物である水蒸気しか処理出来ませんでした。残りの七割を処理出来るにはこういう濾過器を使わないといけませんでした」と先生が言ったら、自分の計算機に保存した一枚の写真を見せた。「これは、私の撮った一台の濾過器です。両側で立ってたのは、右はこの機械に絵を描いた画家、左はこの機械を製造する会社の社長です。当時は私達の国の一番有名な濾過器製造業『薪房』の製品集展示会。この機は薪房の六代目です」
「『薪房』は、社名の和訳ですね?」と聞いた智埼ちゃん。
「うん。この写真の原版を送ればその機の下に付けた社名を読めなかったでしょう。だから和名に編集しておきました」
「先生の時代なら朝飯前のことわね、これは」と応えた私。
「そうです。機械に上がっていく写真の全ては、実際に紙製の写真じゃありません。全ては特別な暗号に変えられたんです。機械上の写真の編集はただ暗号を変更することです」
「けど、先生の時代の割にその機は古そうに見えます。更に、その機の網模様に絵も描かれたとよく見えますよ」と言った純彦君。「絵が凄く美しい。麦の畝を渡る農家の女性を描いたらしい」
「でも塗料が機械に滴っちまって故障させるじゃありませんか」
「大丈夫です。塗料は作り立ての濾過器の品質を評価する一番の方法です。濃ければ濃いほどあの製品の品質を確実に評価出来ること。私達群衆の放出した煙の量が塗料に五分五分に濃いので、良い濾過器なら塗料の粘性を破壊して無害の分子を発するものです」
「えー、古そうに見えてもあんなに精巧に作られましたね」と感嘆した私。「チサトちゃんのトイレの処理機と比較すれば、その濾過器はそういう処理機の数十台として務めるの」
「確かにね、この機の奥にはプログラムが設定してあるので。試行の時は、製品を始動して、画家に濾過の網に油彩の絵を描いて貰うことです。製品の電動機は画家の仕事を邪魔しないほど動き出して、滴ってしまう塗料を吸い込みます。このうちのプログラムはそれから塗料を乾かせないように、塗料の滴を引き付けて、分子の結合の分析と破壊して単独の分子にすることを行ってます」
「塗料は重合体を含む物質やさかい、えらい長い分子の構造を分割出来るようになる為、その機にあるプログラムは塗料のその重合体が幾つの連鎖で重合化されたのかを探して最適な割り方を出さへんかったらあかんちゅうことやねん」と意見を言った智埼ちゃん。
私が応えた。「塗料には石油の成分があるから、塗料の粘性の原因になる。高温度の下で、他の溶媒が蒸発して重合体を残すことによって、物体に貼り付けて、包丁に刮げ取られるしかない」
「その通り。渡邊さんと日澤さんの意見がこの濾過器のプログラムの仕組みにもう近いです。試行の間に画家がずっと遠慮せず思いっきり描いてくれたから、美しい絵を作ると同時に自分の専門に全然違った物の品質を鑑定することになりました。濾過器に絵を描くことはやがて新たな美術の風潮になって、腕の良い画家に限らず、使用者の誰でも絵が上手いか苦手かも問わずあの風潮を自宅で迎えられたんです」と城木先生が言ったら、計算機の画面に指を滑らせてあの面白い風潮を表す数枚の写真、数件の記事、数個の動画を見せた。親子、恋人、会社の同僚、学校の仲間も地味な濾過器に様々な色を彩ってやりたくなったよ。塗料だけでなく、多彩の鉛筆、クレヨン、チョーク、噴射器もこの美術に参上した。写真と動画に登場した皆は腕を問わず家族と、友達と一緒に美術の作品を一途完成させ、成果になった時、作者達が濾過器を囲んで自分の作品を誇りで写真機に向けたよ。
「わー、なんと美術の競技会の雰囲気があったようですね」と私が感想した。「あの頃は濾過器に絵を描くのを大会に出来たこともあるのですか?」
「うん、出来たんです。濾過器の三代目から始まりました」
「面白ーい。そうなら、偽物の濾過器を見本に、出場者に課題を挙げるもんですか?」、私があの大会の概要を予断した。
「そうじゃなかったです。そういう大会を催した毎に、新作と旧作の濾過器を検定する際になりました。その為、課題を挙げる時は開催の企業の作った本物の製品を別々の出場者に送って、製品紹介の時に画家に絵を任せるみたいに、大会を始めたということです。ただ、ちゃんと製品紹介の雰囲気にならないようにして、美術大会の風に盛り上がらせて、優勝者にお金を報酬して本人の作品を展示にすることにしたんです」
「その大会を開いたのは薪房ですか?」と質問した降恆ちゃん。
「この分野で一番有名なものの、薪房じゃなかったです」、城木先生が別の有名な会社の写真を見せた。「その代わりに、『魚井市』会社です。魚井市は薪房の独占を潰すことを目指して投資を惹きつける企画を行うという会社でした。あの会社は、薪房の好敵手として自分の勤め人に面白くて実現性のある企画を思い付いたり、濾過器の製造に限らず財政的、社会的課題に向けたりすることを勧めてました。そういう指向によって、魚井市は濾過器に絵を描く大会を思い付いて先駆者になったし、薪房に自分の独占を案じさせてその会社の風潮に従わせたんです。やがて、魚井市が展開した大会は濾過器製造の会社の全てに影響して想定外の利益を齎しましたよ」
「経営戦略はどう強いか分かりますね」と感想した純彦君。
「その大会には予選が仕込まれましたか?」と質問した澁薙君。
「ありましたよ。濾過器が更新されたに連れて、大会もその風に進化されてきてます。製品の四代目と五代目の間に当たって、大会の形式が予選や決勝戦という風に運用され始めたんです。予選には、濾過器を使うか使わないかの誰でも申し込んでも構いませんでした。一人或いは団体としての応募者は、自宅或いは自分の働く場所にある濾過器を選んで絵を描く動画を記録して予選に提出して、決勝戦に進出出来るかどうかを期待したんです。決勝戦には、進出した36名の出場者は濾過器博物館で開催する『濾過器美術大会』に出場して20日間で優勝者を決めることになったんです」
「何処の博物館はあの大会を催しましたか?」と私が聞いた。
「薪房と魚井市会社の本店があった澁嶺市です。その都市は私の出身である『被根橋』共和国の首都で、與蘭洋の港市の大事な一つのものでした。現代の用語を使うなら、澁嶺は與蘭洋のリスボンだと言われても良いもんです」
「先生が住んでたのは澁嶺もでしょう」と言った松澤先生。
「君が常に私の家に訪ねやがってるからあの浜辺の風景を刻んだでしょう、自分の頭に」
「面白そう。このパズルピースを通して城木先生の家の訪問にお楽しみにしてますよ。先生がなんとかやって澁嶺の風景を自分の家の周りに組み合わせて、滅びちまった都市の美しさを毎日毎日懐かしく楽しめるようになったようでしょうね」と私が言った、城木先生の家がどうなるかを想像してみることをやって。
「んー、それじゃあ貴方達も私の家に訪れてみませんか?」と誘った城木先生。「うちの写真集を見るだけでは私達のことを詳細に把握してませんから」
純彦君がその誘いを応えた。「行ってみます、是非。恐らく先生達がパズルピースを通して私達に連絡する方法を目で見れるんです。百聞は一見に如かず」
「それだけじゃありませんよ。私の過去の生活、私の国の文化、そしてうちの言語を教えることも便利に出来るんですよ」
「但し、城木先生の家を訪問する前に、渡邊君は自分の口をますます動かさないといけないでしょう。もう一週間この病院に泊まって山口君と一緒に特別の治療を受けて重傷を早く治せば良い」
「分かりました、松澤先生。先生もスミヒコ君も数学の復習を協力してくれますから。今日の昼ご飯の後も高橋ちゃん達の帳面を貰ったので、欠席の授業の内容を出来るだけ早く受け止めようとします。木曜日に学校が開業し直したし、あまりに記さなくて良かった」
「僕達も欠席中なので、まっちゃんと一緒に授業を記録し直さないと」と言った澁薙君。「『君のことが早く退院しますように』と両校の皆も期待してるから、ちゃんと僕達とご協力を」
「はい、分かります、越川先生」と私が弄りっぽく応えた、澁薙君の姓を強調して。
「城木先生、濾過器美術大会の写真をもっと見せて頂けませんか?」と求めた笠人君。「どうせ俺達のことに非常に面白い大会をわざわざ紹介してくれたから、もっと詳しい写真を見せては勿体無いことはありません」
「そうですね。折角だから、私の体験した澁嶺濾過器博物館の美術大会を見せます、動画で」と城木先生が答えた。全然動かない事物しか写さない写真に代わって、出来事を生々しく写す動画を使用すれば、本当に昔の昔から現実になったあの世界とあの出来事だと信じられるように私達をさせてくれたの。
城木先生が動画を再生した。その動画の示した日付は、ラッシュナトゥール人の一般の暦によって、第120紀元である『松蘭紀元』の、第15世である『秋墨世』の、2137年3月28日。先生が被根橋語を予め日本語に訳して編集した動画なので、全然馴染まない時代の名、お店の名、そして標語を理解出来た訳だ。先生が自宅で起き、事務の机に置いてあるカレンダーを写して日付を知らせてから、普通の朝の手続きを行なっていた。朝ご飯が終わった後に、白いシャツを隠す茶色のセーター、黒いコートと紺青のズボンに着替え、美術大会の観察員の電化済みの札を自分のコートの左胸に付けた。あの札を鉤の物で吊り付けたことなく、あの物の電磁誘導で彼のコートにしっかり貼り付けたよ。当時の城木先生は32歳なのに、城詠大学の化学工学部の教授と、澁嶺生化学研究院の専門家だった。計算機を入れた鞄を持ち車に乗ってから、先生が携帯電話を車の前のガラスに寄り置き、六kmぐらいの旅をやっていた。先生の家が澁嶺の中央から西北のところに、もう12分掛かって、澁崎公園の隣にあり砂浜に数百メートルの近道で離れ『御薔薇家』大通りの左側で立っている濾過器博物館に着いた。
澁嶺濾過器博物館は、凄い建物だった。その菱形の角柱の建物の側面が濾過器の網模様に形とされた。網の穴は実際に建物の窓のガラス。全ての窓が前に進んだり退いたり別々の周期に繰り返すという様子になった。内観に入って二階目に上った時、網の穴の不思議な動きが体験出来る。五分おきに全部の窓が自分の状態を更新した、数枚がゆっくり位置を前か後ろかにずらしたり先の位置を守ったり。それに、建物の網模様の壁には以前受賞した絵の人物や事物が動き出すという視覚の技術も披露していたよ。
城木先生が自分の電気の札を入口の電算機に当てて入らせて貰った。内観に入った時、煙髪人の作った濾過器の歴史がそれぞれの時代の遺物を通して表現されたり、自分の『有機煙』にどう対応すべきかの方法を濾過器だけでなく木立と医療も出来ると伝えたり、しかも一台の濾過器がどう作られたのかも大きい画面上に解説したりする全ての展示を先生が記録していたよ。そして、先生がもう数人の仲間に会って建物の四階目に上った。階段の代わりに、群衆を持ち上げられる動力を使った方が良い。四号のボタンを押しただけであそこへ数十秒で届いた。四階目は美術大会を催すので、当たり前に物凄く賑やかな雰囲気を持っていたわ。合計14社の濾過器製造業がここに代表を委ねて登場してきた。煙髪人に限らず、ラッシュナトゥール人の他の種族の数人もいたし、美術が好きで上手な限り大会の出場者として参加することもあった訳だ。36名の出場者の中には団体として出場したのが22名もいた。一方、残りの14名は一人で出場したが、観客の席に座っている身内に一途応援して貰うことになった。実は、一人で出場したなら、相手の団体の圧に耐えざるを得なかった、一人の出場者への応援が団体の出場者への応援より劣勢な事情で。
開会式の前に、城木先生が幾つかの団体と個人の出場者と話し掛けていた。被根橋語で話すのが当然だが、外国人の出場者になら、当時の国際的な言語である『御蔵山』語で会話をした。「おはようございます。私は城詠大学のシルビー・アルベランドと申します。貴方達は自己紹介宜しいですか?」
動画に写ったある出場者の団体が城木先生に挨拶し反応した。「はい。僕達もアルベランド博士のこと知ってますから。僕はヨシミア・マンドヘルツ、峯岡出身、このチームのキャプテンです」
「おー、東南の峯岡王国ですね。宜しくお願いします」
「こちらこそ。こちらはうちのチームメンバーでございます。左からは、澁嶺の先住民ヒビエル君とロスコーちゃん、峯岡同郷のスキャンミルト君、そして弾眼球人の銅強出身のヤガシマンちゃんです。僕達は橋村芸術学院の同期で、チームを作って二年です」
「わっ、橋村ですか。マンドヘルツさんのチームの名は?」
マンドヘルツという男性が自分の組と一斉に組の名を強く呼んだ。「僕達は、せーの、『アーネス・クンマール』と言います」、『アーネス・クンマール』という峯岡語は日本語で『星なぞり』という意味だった、城木先生の説明によると。
「はい、『アーネス・クンマール』チーム。予選の結果発表によれば、貴方達の申し込みの作品は予選の三位になったということで、今どういう感情がありますか教えて頂けませんか?」
「博士、記者らしいですよ、その声が」と反応したロスコーという女性。「私達がまだ学生ですけれどもこの国際的の大会に入って予選三位を達して勿論嬉し過ぎるという感じになってるのです。ただ一位と二位を達した相手そして、予選を超えた個人の相手を必ず気にしてようと思ってます」
ヤガシマンという女性も言った。「私達芸学院の学生ですから皆からの期待が多いし必死に頑張りたいと思ってます。とにかく私達のここにいる目標は優勝のもんですけど、叶えれば専門の画家達に勝たないとです」
「さすが弾眼球人の異常な熱情と負けず嫌いですね。大会がまだ始まってないけど、ヤガシマンさんの青い目は凄く鋭くて可愛いですよ」と城木先生が褒めた直後に、ヤガシマンさんがいきなり顔を赤めて微笑んで見せた。彼女はマンドヘルツさんの組の一番背が高くて綺麗なメンバーで、その恥の表情を見せたら、北欧の美女を思い浮かべたのさ。「では『アーネス・クンマール』チーム、今回の大会でも良い結果を」
「有難うございます、博士」と感謝したマンドヘルツさん。別れる前に、『アーネス・クンマール』の五人が博士と一緒に、峯岡王国の挨拶の文化である互いに利き手の裏を広げ人差し指を当て合っていて、多方へ向かうスパークルの星の形にしていた。
大会が始まる前に、城木先生がもう四つの出場者に会った。その中に一人で出場する二人はいた。それは城詠大学の美術部の女子四年生クロネ・カラハイムズさんや、織餌という御蔵山の電算機製造業の社員マッセイル・オーダインさん。カラハイムズさんは、美術に心を込めるほどの夢を抱えていた一方で、科学と技術に興味があまりないという人として、全く対立だと思っていたこの二つの分野が組み合わせられて芸術界の新たな物になったことを凄く興奮しちまった。彼女は濾過器のちっちゃい網の穴の図案を利用して一個の穴ぐらいの網点を色付き、自分の作品を完成させて予選の二位を突破した。だとは言え、自慢とか誇張も彼女の顔に出ず、「美術の三昧を使ってここにいて相手のチームと競う時の圧力を楽しみにしたいなと思ってます」という感情を城木先生と画面越しの私達に伝えてきた。
オーダインさんは煙髪人も弾眼球人もじゃなくて、真珠脊人だった。当時の文明の一番の強国である御蔵山の国籍を持ったし、あの国の有名な技術会社の一つに企画部の課長として勤めていたとは言え、彼はずっと他の種族の出場者と平等に社交したり更に相手の組と仲良くしたりお互いの絵のことを話し合ったりしていた。自分の絵が予選の16位になったことへの感情を打ち明ける時、「電子技術で暮らしている私に対しては著しく見事な成績なんじゃないかと、美術学院からの奇才と圧力を掛けられず楽に競えるようになりたいなと思ってます」と城木先生に述べてきた。
やがて、当時9時半頃、魚井市会社の社長、被根橋美術委員長と、国際美術文化民族委員長は次々とその第190回濾過器美術大会の開幕を宣言した。そう、その大会は一年で春分の後期と冬至の前期で二回開催されたということで、少なくとも2043年の春で初めて開催されたようだ。その大会を、伝統的なものだと言っても過言じゃないし、城木先生の国の全ての美術の学苑が自分の教え子を訓練するべくずっと課程にして運用していたね。観客の皆は四階目の広間できちんと並んだ木材の卓や、白い布団のような物からの背凭れ椅子の列に座っていた。皆は左胸の上着に証明の札を付けていた。彼らの札の枠の色は大会の役を定めるもの。団体の出場者なら赤、単独の出場者なら青、技術顧問こと観察員なら緑、管理職なら紫、出場者の身内なら黄色、更に審査員なら黒。
城木先生は出場者の後ろの席に座って、自分の計算機でそれぞれの出場者に、『出題する』会社の一覧を送り一つを選んで貰った。出場者の前の卓が普通なもんじゃなく、先生の支配プログラムに従って活動する潜在の計算機だったよ。あれらの卓が出場者に該当に計算機の画面を表し、本人にある社の名、そしてあの社の濾過器の種類を一つ選ぶ操作をして貰った。選んだのちに、36名の出場者は九つの組みに分けられ、違う社を選んだ人を優先にして同じ組に入れられることになった。出場者の皆が全部14社を選ぶことを保証する為、一組に同じ社を選んだ二名超過を入れてはいけないことと、一社が最大三名に選ばれることという制約を設けた。
一組に四名。一組の内部で、四つの出場者は二つのペアで試合をするという一番目敗退ラウンド。組Aの試合が行われることになる。次の八日間では組Bから組Iまでが内部の試合をする。全ての組の内部の試合が終わってから、各組で全勝した出場者が準決勝に進出。13日目から15日目までの準決勝で、九つの出場者はペアの代わりにトリオで試合をする。各トリオで勝ったのは20日目の決勝戦に入る。大会の管理職の部隊が七分掛かって椅子の七割を舞台裏に回収したり、卓の列を直角のU字に並べ直したりしていた。一つのU字だけでなく、互いに底が逆らい向かう二つで、二つの試合に該当する。城木先生も他の観察員と一緒に、組Aの四つの出場者の情報をもう一度確認し、彼らに籤引きのプログラムで自分の相手と、自分の試合の席を決めて貰った。
二台の濾過器が、製造の会社の紋章の模様の風呂敷に包まれ、先ほど選んだ出場者に提出された。例えば、薪房なら『一個の三角形の接触する三個の円形』の紋章、魚井市なら『多層の花弁のある撫子のような花』の紋章。二つの出場者が、絵の道具をしっかり準備しといたところで、濾過器を隣の観察員の計算機に実行して貰った。課題になった濾過器なら観察員の独特なプログラムの下で活動しなければならないし、実行中に計算機の画面に三次元の模型として映され、濾過の機能と、出場者の作業の進捗を観察するようにするもの。濾過率が75%以上であれば使用可能。出場者なら、制限時間一時間以内で相手より素晴らしい絵を描き、前の卓の列に座る審査員達に評価して頂き、当日の勝利を得ることを希望していた。
「皆が必死になっとるやん。涼気だらけのその広い空間でも汗大変かいてまで絵をちゃんと完成させようと」と感想した智埼ちゃん。
「濾過器になら普通のイーゼルより結構小さい枠があったから、団体でなら同時に自分の割り当てをやるのが出来ず、割り当ての順番で作業せざるを得ないでしょう」と言った松澤先生。「それは団体の出場者の不利だ」
「どの出場者の種類にも不利がある訳です。どちらの方が自分の不利を抑え切れるかどうかは問題だけ」と言った笠人君。
「司会者は本当に大会の盛り上がりの持ち主。自分の計算機の画面に映る両派の様子を皆に伝え続けたり、制限時間がいよいよ終わるところに、両派が最後まで作業を終わらせることを、言い過ぎの言葉で盛り上げたりしたよ」と言った純彦君。
「でもどうやって両派の様子を見れるんですか?」と質問した澁薙君。「彼らの後ろとか隣にいる写真家もいなかったでしょう」
「写真家がいなくても大丈夫」と答えた松澤先生。「当時は人を求めず機械に任せたんだ。但し、出場者の作業を邪魔しないように、機動的に飛んだり適切な角度で撮ったり出来る機械を作ったよ」
城木先生が言った。「あの機械は掌のくらいだけです。誰かに遠くで操縦されずに周りの空間を把握して、勝手に飛び方を整理したり障害物を避けたり便利な所で空間を撮影したりします」私が言った。「へー、鳥みたいに作りましたね。いや、意志で飛べる物体みたいに訓練したでしょう」
「城木先生の時代なら機械を人間みたいに振る舞うように訓練することが出来るんですね、余裕に」と言った純彦君。「あの機械はもう『初めまして。私、渡邊雅實と申します』って自己紹介が出来るもんね」、純彦君が機械のこちこちな音声を私の自己紹介に真似た。
「私は機械だと?」と私が怒って言った。皆が笑った途中で、動画にあった司会者の声は勝者を公開した。城木先生の場所の向こう側にいた団体は、五人の審査員に順序に8、7、8.5、9と8点を掲げて頂き、相手の39点より40.5点を得点して勝者となり、歓喜を爆発させた。彼らの『秋の丘の隣の町』と名付ける絵が彼らを進出させた。「『ボストリカ』チームは組Aの初戦を勝ちました。『フラッツ・ナーシェル』チームは残念ながら進出出来ませんが、ぎりぎりまで『雪玉の戦い』の絵を描き終わって頑張りました」というあの司会者の声がよく聞こえた。次々の日にはあのような言葉が聞こえ続けていた、絶対。あの時、勝者の歓喜に対立する敗者の悲哀を慰めるには部外者の後の激励でしかない。城木先生が『フラッツ・ナーシェル』の団体の悔しさと悲しみを冬至の大会の努力にしようと彼らを励まし、彼らの身内と一緒に澁嶺の浜辺を旅にすると誘った。西壁洋の辺のある国出身にとってはより温和な海に接するその都市は旅をする機会を逃してはいけないからね。