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墜落

作者:


堕ちた。不意に、自然と、堕ちた。不可抗力だったというか自ら率先して堕ちたのだ。私はさもそれが当たり前のように感じていたため、抵抗などしなかった。この天命を当惑すること無く受容し、縁にも藁にも捕まらず、宙にふわっと浮いたまま。。。それ以降は覚えていない。

・・・

体育座りだった。ただ、いつものように猫背で蹲っている体制ではなかった。つまり、現実逃避をしたい訳ではなかったのである。背筋を伸ばし徐ろに前を見ていた。それは、かの躾が抜けてないような感じだった。記憶にはない。ただ私の四肢に染み付いているだけの「教育」が無意識に作用しているだけの話なのだ。

東京某所、1時間1400円、人工味を帯びた黄色の看板が特徴的なTIMESの駐車場前。車を停めている訳でもなく。ただ一人ぽつんといた。何か考える要件というものはなく、そこに居るだけだった。人間ではなく人物として捉えると分かりやすい。

・・・

不意に、前頭葉がぐわっと引っ張られた気がした。今頭を縛り付けている考え事など一切なかったため、その気とやらに乗じて不本意に天を観る。空はスプレーで塗りつぶしたように黒ずんでいた。星や月すら見えない。闇を照らすのは街灯。それとマンションからの僅かなLED光のみ。視界に人はいない。当たり前だ。とっくのとうに終電も過ぎているのだから。

視界から得られる情報は日常より少ないはずなのにふと感じてしまう。この景観は存在していたものではない。人為的に再構築されたものであると。人智は本来不可侵な領域である我々の視界に及んでいると。ビルディングの壁と軽自動車がギリギリ通れるくらいの狭い路地。それが持つ異様さと圧迫感が「都市」を感じさせた。

この何気ない空間は我々が1から改変したものだ。いつのまにか人間一人はおろか神の理解をも優に超えている。これは素人目でも脅威を感じた。

・・・

ともかく、現状、過去で私が「何をしていたか」や未来に「何をすべきか」など基本的情報が欠損していた。板挟み状態である。2年放置され続け、錆びついたトラバサミに偶然囚われた野ウサギの感情がよく分かった。動こうにも動けず、行動欲求すら削がれている状態。動物性の喪失とでも称するべきだろうか。あるはずの行動原理が湧かないのだ。いくら脳に「動け」と命令しても拒まれる一方だった。

今私という人物の構成要素の内、この虚無状態が自然だったかのように、かつて満ち溢れていた「活動」がぽかっと抜けている。ブルーホールのように、そこだけ無かった。私にあったはずの人間性が喪失している。その喪失はどんどん私という私に浸食していき、遂には、普遍で変えようのない理になる可能性だって十分あった。

気分は最悪だ。気持ち悪い。吐きそうだ。「酷い酩酊状態でただ一時的に記憶が抜けているだけだ」などと、この最悪な(「嫌悪的な」などと表現したほうが自然かもしれない)気分を私自身の様態のせいにもできるが、自らに課す言い訳に過ぎない。私の「ナニカ」に関する喪失こそが大本の原因であることを知るべきである。そして、それは人力では解決不能で、時間による解消が遂行されるまで最悪な気分のまま数時間過ごす必要があるということを、改めて悟るべきなのだ。

・・・

はぁと一息ついた。 ため息に呼応するように機能不全に陥っていた副交感神経は再起動を始める。詳細な原因は不明だが脳への負荷が体感以上にあったらしい。その一息だけで、私の視野角がぐわって広がっていくように感じた。少し首を傾けただけで、誰の飲んだかわからない鬼ころしの180mlパックとフィリックスガムの捨て紙(あみだくじは外れていた)を視認できるほどだ。されど、遠目で見れば捨てられたこれらが何であろうとゴミ、分別しても可燃ごみとビン・カンであり、第一発見者である私でさえ、それらの「質感」や「状態」などについて深く言及する気は起きなかった。

・・・

そんな私でも蓄積していた「退屈」が限界量ギリギリであることを知覚できた。「何とか自分が動ける理由はないか」のような、自分の現状を是正するためのあれこれを、脳が試行錯誤し始めたためである。全ては断続的に、ふと訪れる衝動性に身を投じた心に行動力を預けるためである。変な動機だ。ただし、これ以外に適する表現が見当たらないのだから仕方がない。僕は「この状況を打破せねばならない」ことをひたむきに末端神経に訴え続けるといった方法がないのだ。結局、己との格闘に体感25分程度を要した。ボクシングだと6R分だ。

・・・

事後は、即座に詰まってた腫瘍が跡形もなく解消された。何の介助も動機も必要とせず、すっくと立ち上がる。拍子抜けだ。「今までの苦労は何だったんだ!」と無駄に泰然自若に構えていた私に訴えたくもなる。勿論その時間経過を経て、不動の姿勢から思う通りに動けることは重々承知だが。

・・・

高速化した現代社会において、体内時間のみで生活するのは困難である。したがって、人為的に設定された時間を見ようとしたが、G-SHOCK風の中国産腕時計の短針は止まっている。携帯しているはずのスマホは不覚にも充電が切れていた。この惨状であるため、chargespotなどの公共サービスとかモバ充などの用意周到な便利グッズなどに頼る手立てはある筈もない。

この深夜を己のみで乗り切らねばならないという、過酷な挑戦だ。まさか人生で地学の見識が、月の動きを見て時刻を察せる能力が、喉から手が出るほど欲しい瞬間が来ようとは思いもしなかった。

・・・

「歩くか」

と自分に向けて宣言する。「決断」である。スマホも無いし電車も終電である以上、カプセルホテル(最悪ラブホでもいい)のような休憩スペース、そして食物、不足分は自らの足で求めるのだ。歩く過程で、悴んでいた手指が少しでも動いたらな。なんて淡い期待も抱きつつ。舗装されたアスファルトをまざまざと眺めながら歩き始めた。

自然と吐息の白濁度合いが薄くなった気もする。ここから道程が一切分からぬ旅路が始まるのである。

・・・

裏路地を抜け、大通りに出た。強かったビル風も道が広くなっていくに連れ徐々に緩和されていった。それに呼応するがごとく、歩幅は広くなり、歩調は速くなる。行き交う人達の人数は時間帯のため、やはり少数であった。その状況下で20人ぐらいの歩行者数を想定して作られた通りを闊歩することは、独占欲が満たされて気持ちよかった。さっきまで見ていたゴミという存在が、ゴミ山として集約され不法投棄されていても、何も気にならなかった。

・・・

私がいつ頃何をして、いつ頃気を失って、いつ頃記憶を失い今の今まで歩き続けているのかについては定かではなかった。ただ、人間は生きてさえいれば、エネルギーを消費するため、現在、私は餓鬼でもあった。大通りに出た当初は、アドレナリンという都合の良い物質が私の原動力として使われる「消費」の一部を肩代わりした状態だったため、事無きを得ていたものの、その状態に慣れだすと食欲というのは何であろうと増進し、アドレナリンの分泌量は徐々に交代してくる。しばしば、それに憂鬱を覚えていたが、時に文明の進歩は偉大である。650m付近に5階建てビルの1階に存る、赤と緑とオレンジのシマシマ模様が特徴的な量産型店舗についた。店員の過労が問題視されている昨今だが、こうして、僅かながらの需要に応える店には並々ならぬ心意気を感じる。でもまさか、かのダサめのネオンサインを見てドーパミンを得る機会があるとは...やはり、人生は読めない。

・・・

体内時間基準の生活を余儀なくされているため、一々の所作が遅かった。ゆとりを持った動きと自身を正当化することもできるが、現に、私の5分後に店内に入った黒猫ヤマトの運転手はツナマヨおにぎりと、ハイライトのメンソールを値札も見ずに購入したのに対し、私は雑多に置かれたグミコーナーや5日前に発売された車の雑誌など、18坪程度しかない店舗を隅々まで物色している。「これが人気なのか」「これは人気ではないのか」などパッケージや売れ行き具合を客風情が見て回る。通常営業時間ならば迷惑極まりない行為でもあろう。おまけに、散々見て回った結果、購入を決めたのは紅茶花伝とおにぎり2種(梅と鮭)という皮肉である。

・・・

現金主義なためセルフレジは使用しなかった。というのも、スイカやクレカを多用した結果、1週間で9000円を無駄にしたという大学時代の苦い経験からだ。直に私もそれらを使わねばならない時代は到来するだろうが、時代が完全にそれらに移行するまでは粘ると密かに決意した。店員はバイトであろうか、黒髪の27歳程度の女性だった。茶色がかったフレームのメガネをかけており、慣れた手つきでバーコードを読み取るなど、接客能力は高かったが、睡魔だろうか、紅茶花伝をガンっと必要以上に強く置いたのが気に触った。まあセルフレジを使用しない私も要因であるし、睡魔が邪魔してイライラしているという状況なのは百も承知だが。

・・・

多少の気まずさを覚えた私はそそくさと店を出た。品物を両手で抱え、店に入る前より足早に移動した。当初の予定では縁石に座って食そうかなどと画策していたが、人としての尊厳がまだ残っていたのと、住居侵入罪に該当しかねないので適当な公園のベンチを探していた。といっても再開発の影響で公園自体の数が減少傾向にあることに加え、公園を見つけたとしても、2坪程度でベンチが無いものも在るため、適当な場所を探し当てるのに40分かかった。だから、購入した紅茶花伝は道中で飲みきってしまい、公園近くのピークシフト自販機にて綾鷹を買い足したりもした。

・・・

木のベンチは使用者がもういないのか、想定よりも冷ややかで、ある程度の厚着であったものの、この時期に寒気を初めて肌で感じた。さりながら、手は既にコンビニおにぎりを食するため、1,2,3順序どおりに梅おにぎりの開封を始めている。そして、のりの全体像が顕になった刹那、口はおにぎりのてっぺんを1口頬張った。間髪入れず、二口三口を等間隔に噛み砕く。大体八口程度で食い終わると一旦綾鷹で流し、次なる目標を昆布おにぎりに移行した。

ペースは落ちたが昆布の方も、ものの2分で平らげた。両者とも余り咀嚼を行っていないため、味に対する感想は特に無いが、食べ終えた後に体からエネルギーがふつふつと再燃するのを感じた。

・・・

私は良識がある方だと自負しているので、しっかり一連のゴミを可燃ごみに入れた後、名も知らぬ公園にサヨナラを告げた。空は相変わらずどんよりしていた。また、アスファルトの道路を淡々と歩くのみであるため景観は一切変わっていない。しかし、街灯の光が一層強く私を照らしているように感じた。

「君。ちょっといいかな?」

37歳くらいの男性に不意に声を掛けられた。

・・・

背後から声をかけられたため、ギクッとなり前方1,2歩歩きつつ「はい。何でしょう?」と後ろを向きながら答えた。その男性の全体像を見るや否や。私に声をかけた理由が男性の風貌から読み取れた。「職務質問」である。というのも、その警官は紺の制服を着用し、路端には白バイが置かれていたからだ。その警官の制服にはシワは一切ついておらず、身長は私より数十センチ高かった。鍛錬された彼の二の腕が街頭に照らされキラリと光った。それが理もなしに威圧されているようで怖かった。

「すみません。職務質問してもよろしいですか」

意外にも警官は物腰柔らかな態度で接してきた。恐怖の対象でもあった第一印象が少し霞み、幼き頃人見知りが抜けていない私も応じやすかった。

「はい。大丈夫ですぅ。」

生気のない弱々しい声でこう答えた。

「ではお名前と住所、年齢、現在向かっている方面を教えてください。」

目的地が不明というか暇を潰しているだけなため、「分からないです」と正直に答えようかと迷ったが、気弱な部分が出て、

「帰宅中です。飲み過ぎちゃって。。。」

と多少の嘘をついてしまった。咄嗟に出た発言のため明確な罪悪感こそ無いが、後ろめたくはあった。そのため対話を諦め、

「その他はこちらに基本的な情報は書かれていると思います」

と言って財布に入っていた社員証を渡した。

「年齢確認もお願いしたいのですが」

相手が提示した条件通りの行動すらままならない自分のことを恥ずかしく思った。頬を赤らめるというより青くなった気がする。げっそりと痩せこけた感じでもある

「あっ。24っす。。。」

私の答えを聞くや否や、警官は安堵した表情を見せた。やや上に上がっていた肩を本来の形に戻しつつ

「良かったー。もしかしたら家出少年かなー?と不安に思ったんですよね。この地域最近、そういった子らが増えてんでね。いやはや。お手を煩わせてしまってすみませんでした。」

どうやら低身長(157cm)かつ童顔の私をパトロール中横目に見て、「怪しい」と疑い目星を付けていたらしい。今回はその予想を外した訳だが、警官としては真っ当な勤務態度だろう。

「はぁ。。。こちらこそ。というか家出。多いんですか?」

理と入れておくと人見知りではあるが、会話が苦手ではない。ファーストコンタクトが取れないだけだ。というか緊張してストレスが溜まった分こちらの与太話にも付き合ってもらわないと。反骨心ってやつかもしれない。

「多いなぁ。昔に比べて増えましたしね。何なんでしょうね。時代の流れというべきか。親子で馬が合わない家庭も多いみたいで。問題が生じた場合は児童相談所とかにも預けるんですけど。効果は余り見られないっすね。」

気さくな人だった。嫌な顔一つしないどころか、私より多い情報量で返してきた。普通ってこうなのか?ちゃっかり現代社会の知識も増えたし。やはり私は会話が苦手な部類なのかもしれない。

「そうっすか。何か大変っすね。パトロール頑張ってください。」

私は敬意と畏敬の念を込め、社会人として最上であろうお辞儀をした。警官は戸惑していたものの気恥ずかしそうに引きつった笑いをしながら、

「勤めを果たしたまでですよ」

といい、白バイに乗りここを後にした。白バイから排出されるガソリンの臭いを初めて嗅いだ。やはり臭かった。

・・・

寒波は一層強まった。頬が刺されたような感触がしたが、他人と会話ができたため充足感はあった。仮初めのモノかもしれないが、今の私にとってはその程度で事足りるのだった。ともあれ無心の時の再来である。考え事もせず、ただぬぽぉっと歩くだけなのだ。

・・・

既にさきほど通った道についてよく憶えていない。気がつけば現在地がある。目標もなければ記録もしない。ただ、「そこ」を目指して歩んできただけだった。虚しいし、侘しい。ただ、歩みを止めて、行動理由も意義も培ったものが一気に消失する方がよっぽど怖い。

・・・

沿道に男の集団がいた。彼らは当然の如くそこに鎮座していた。まあ日常生活を送っている場合、少量ながら目にする人達である。しかし、この時間帯に見る彼らの異様さは、何か込み上げてくるものがある。怖さでもなくグロさでもない。同情と哀れみである。そして、そのような感情を抱いた私の不甲斐なさでもある。

・・・

彼らを散見する中で興味深い人が一人いた。アラブ系の30代後半の男性で何世代か前のAndroidを使い、ネットサーフィンをしている。恐らく移民であろう。就労機会に恵まれなかったのか、免職されたのか分からぬが、大志を抱き渡日したものの現実はこうしてホームレス生活をしている彼を見ると心が痛むのだ。移民賛成派ではない一般人なのに、こんなに苦しいのだ。

・・・

何度も宣言する通り僕は人見知りである。決して妄言ではない。紛うこと無き事実だ。物的

証拠として、LINEの友だち欄には家族を含めた上で30人切っている。ただ、グッと来た人にはその壁を強行突破するのもまた、生き物の性だ。

「あのぉー。」

目的も話題も無く話しかけてしまった。やってしまった。この緊迫した挽回できる会話力も持ち合わせていない。「空気が読めない」という忠告を無視したツケが回ってきた。最悪だ。自分のことはこの際どうでもいい。ただ他人の領域内に侵入してまでやることではなかった。失言ってやつだ。

彼はしばらくきょとんとしていたが、路上生活を咎められたと思い込み、自分が広げていたレジャーシートを畳もうとした。これ以上彼の安寧を壊したくなかったため、

「いやぁ。違うくてぇ。私はぁ。。。ここに最近移り住んだ人。金欠で。家賃払えんくて。でも仕事は近くだからさ。しばらく路上生活でぇ。でも君以外の人は寝ちゃったし。君だけ最初に挨拶しようかな。って思ってさ。」

脅威の捏造である。まさかこんな虚言がすらすらと出てくるとは。ただ男は酷く納得したようで。レジャーシートを再度広げて、

「あ。なるほと。そーゆう。ことですかあ。私はフィラースです。よろ。しく。お願いします。」

不揃いな日本語で名乗ってくれた。前の警官といい、会話がままならない私が酷く悪いだけである。

「月田というものです。仲良くしてくれると嬉しいです。」

と一旦の社交辞令を済ませて握手をした。彼の手は私のより一回り大きく、外界と隔絶する壁すらない住まいなのに、手は生暖かかった。私は少々時間を取った後、次のように質問した。

「フィラースさんはここにどのくらい居るのですか?」

彼は暫くだんまりだった。けれども、求めていた答えには辿り着かなかったようで、いつだっけとスマホを取り出し、「あー!」と声を漏らしつつ

「7月ですね。」

と答えた。今が大体1月なので、6ヶ月。半年くらいだ。日本での生活は失敗とも言えるが日本社会に適応できている証拠でもある。誇ったっていい。理由が何であれ今の私よりはマシだ。

「だいぶ長いっすねー。フィラースさんはどこ出身なんですか?」

彼はポケットにしまったばっかりのスマホを出して、GoogleEarthを開いた。私にも画面を共有し、ユーラシア大陸の中央下部に赤いピンを突き刺した。

「テヘラン。イランの首都です」

彼の段ボールハウスには、不自然にも豪勢なペルシア絨毯が敷かれていた。それが前頭葉で引っかかっていたが、彼の出自を聞き納得した。

「へぇ。こっちでの暮らしはどうなんですか?」

男は口を一旦開いたものの、ハッとして口をつぐんだ。その言葉を反芻し直し再度口を開いた。

「えーと。祖国を悪く言うつもりは無いですが。中々良いです。来てよかったと思います。」

男の風貌は退廃的(言葉を選ばずに言うと不潔)だったが、彼の言動や表情は悦びに、安心で充足していた。事足りていた。羨ましいほどに。妬ましいほどに。その感情が漏れ出て少しの皮肉が口からこぼれてしまった。

「日本に来た当初の予定はどうだったの?路上生活してて虚しくならない?」

口調が早い。明確な焦燥感に駆られていた。ただ心に余裕があった彼は私の質問に対しても

、にんまりと笑って

「確かに。寿司職人になるというのが夢だった。それは。長い道のりで。諦める前に所持金が尽きた。今はバイトと2日に1回の炊き出しで。スマホの料金も食費も。自分で賄えるようになった。いずれは家賃も払える。ようになりたい。」

と自身の壮大な決意を述べた。そこには、この地でやり抜く覚悟や未来の自分自身への期待など、メラメラとした闘志がにじみ出ていた。しかし、彼が雇い先を探すのすら難しいホームレスという立場なのに変わりはない。

「路上生活者に対する偏見が強い国だけど。。。いいの?」

私であれば、不安や絶望が憑いて、セミの脱け殻のような虚無感が押し寄せることだろう。どうして、彼は希望を抱けるのか。それが私にとって奇異だった。

「テヘランにも路上生活者は。。。沢山いた。でも、炊き出しはなかった。路上生活者も一般人だったから。普通だった。日本だと。違う。ある人は寒い目をする。ある人は手を差し伸べてくれる。それでいい。」

・・・

最初は私と男は顔を見合わせていたものの次第に視線を下に移し、身の回りにある細かな雑草をぽつぽつとむしり取っていた。私は気を取り直し、新たな質問をした。

「この日本では路上生活者に強い異質物感を抱いている人達が大勢いるんだけど、それが

良いって理由を聞いてもいいかな?」

カルチャーギャップと称されるものである。そこに踏み込むのは野暮かもしれない。ただ突き止めたい理由がある時、かの文学人、哲学人は佳境を度外視して大成させた。私の行いと比べたらそれは雲泥の差といえる。しかし、決意はそれ相応のものだ。

「あー。それだけ豊かということです。「問題は問題にしない限り問題にはならない」って好きなアニメキャラが。言っていた。よーに、私達を問題として取り上げているだけで。経済指標じゃなくて国民意識が高い。真面目。」

なるほど。確かに一理ある。他国では多くの貧乏人は家を追い出されたら路上生活に移行するの(勿論やむを得ない事情で路上生活をする場合も多々あるが)に対し、私達は職を喪失しても、なんとか国家の補償や勤労することで、自身の居住地を保持しようと試みる。それは、諸外国からすると高貴な思想なのかもしれない。現に私の一連の行動も結局私の怠慢である。

「確かに。今ここにいる私が言うのも何なんですけど。他人の目を気にする。自らを他人より下げ、謙遜する態度。それが根底にあって、外国と上手く適応できない留学生とかもたまーに見かけますが、逆にそれこそ我々が誇りに持つべきものということですね。なるほど。ためになります。」

男は雑草をむしった手を膝の上に置いていた。私の与太話に自分なりについて行きながら、「そうです。」と相槌を打ちながら聞いていた。

「なるほどね。逆に日本社会の嫌いな点とか何かある?」

このまま日本は優秀!️!だから、海外からも人気!!!という増産され続けたネット記事の二の舞を踏みたくない私である。絶対評価ほど盲目的なものはない。周囲と比べることが唯一立ち位置を把握できる手段だ。

「うーん。嫌いというか。アドバイスなんですけど。もう少しシステマティックから外れるべき。かな?少し焦りすぎかな?」

経済成長期の名残ともいえるだろうか。我々は時間の流れより早く行動する時がある。3ヶ月前。24時間×60日程度の時に焦りだす人間もいる。ストイックな態度に対する奨励も可能だが、この私達にはゆらぎが足りないとでも言いたいのだろう。ただ、男の助言通りに我々は動けない。それは男が一番理解できるはずだ。

「確かに。それは共感できる。平均的な歩調が軒並み速い。私は見ての通り、乗り遅れたからここに居るんだけどね。」

男は微かに笑いつつ、真摯に私の戯言に耳を貸してくれた。男は優れた聞き手である。見るもの、聞くものを吸収して発散する一連の定型が中々に上手だった。

「旅の中で何か印象に残った国ってある?」

男はうーんと悩んでいた。考えあぐねるほど多くの国を訪れたのかと感心していたが、男の返答は、

「やっぱイラン。色々行く度感動することもある。ただ帰る時。祖国に戻るとやっぱここだなと安心する。どんな治安状態でも。戦争や紛争の最中でも。ホームタウンだなって。心がぽかぽかする。」

だった。意外だ。帰属意識というやつだろうか。私自身それを感じた経験は1,2回しかない。1回目は「永遠の0」を読破した時、2回目は昨年、同郷の酷く荒れた神社で初詣をした時。「日本人」だという意識がゾワッと体を覆った。「ボワッと」何か灯火のようなモノが点いた。これは私の感覚であり、彼のものと決して同義ではない。ただ、妙に同感できた。

「なるほどね。ここまで私と話して何か私に聞きたいことあるかな?別に宗教上も立場上もNGは一切ないから。遠慮はしないで。当人が言うのも何だけどさ。」

ここまでフレンドリーな態度を取ろうと奮闘していたが、いよいよ脅迫まがいの尋問と認識されても問題ない領域まで突入してしまった。大体の行動理由が興味本位なので、もう歯止めは効かないようだが。

「月田さんは、何か譲れないものってあります?これだけは!と護りたいもの。自身の根幹となっていて外れる訳にはいかないもの。って。」

何故それを聞くのかい?という逃げの選択肢を取ろうかと企てたが、散々無茶振りとも取れる質問に答えてくれた恩を仇で返すわけにはいかないため、真剣にその問いに向かうこととした。ただ僕の根の場所は僕自身も未だ分からずじまいである。この脳か。体か。知識か。それとも実体を持つ品々か?いやどれも他人とは大差ない。大学の卒論も蓋を開けたらアメリカのどこぞの論文の拡張版に過ぎない。努力はした。ただそれも人並みである。創意工夫は無かった。大体平均だった。ゲームも友人間で1位を何度か取った程度だ。一体私には何が残っているというのだろうか。

いいや。考えても無駄だ。正直になろう。誇張せず、事実のみを話そう。しょうもない人生だ。何もない人生だ。

「何も無いってことかな。逆に変に物に固執してたってわけじゃないから、色んな物に適応できた。強がりでもある。ただそれが私を形成する最たるものだ。」

暫く互いに東京の霞んだ空を見上げていた。特に天体観測をするわけでもなく。何となく。何かあるというのは重要なことだ。自身の存在を他人に示せる最たる手段だし、何より困難や恐慌が起こった時の支柱になる。ただそれを誇示すると他人の領域を侵害し、個となる。それが、集団に立ち向かえるほどの才であり能力ならば生きやすいのだろう。ただそれは一握りだ。僕のような人間にとっては何も無いというのも、何かあるのと同等に重要なのだとふと感づく訳である。

・・・

「小腹減りません?」

男がふと私に問いかけた。先程おにぎりを腹に貯めたばかりだが、警官に職質され、今こうして初対面のイラン人と話している訳だ。孤の存在には成らぬよう職に就き、最低限の会話こそ行っていた私だが、やはり神経が削がれる。何かつまみたい気分だ。このしょうもない動機でも食物を得る機会があるのだから、まったく贅沢な時代である。

「じゃあ。行くか。」

目的地は明言しなかった。眼前のコンビニを指していることは既に私達の共通認識だったためだ。先程は赤と黄色と緑のやつだったが、今度は緑と白と青のやつである。(個人差はあるが)チキンがコンビニ系統で一番美味な場所でもある。兎も角私達は服のポッケに両手をしまいながら(男はフードも被っていた)、小走りで横断歩道を渡った。

流れるままに自動ドア付近まで辿り着く。駐輪場には店員の物と思わしき横ハンシルバーのママチャリが横倒しになっていた。やや風が強まってきたのかもしれない。ただ細かな気候の事象など脇目も振らず、店のドアをこじ開け中に突入した。

男は真っ先に目標の品々「主食」になりうる一連の食材。おにぎりやぱんを手前取りし、タイムセール品も欠かすことなく、専業主婦と同等の速度でぶん取っていった。手練れである。かく言う私はコカ・コーラを奪取した後、安定のカルビー製品か安価なコンビニ製品かで右往左往している真っ只中であった。いつもこの二択で迷うのだ。けれども、普段とは違い二人で話しながら食すといった事象を踏まえ、倹約の心を投げ捨ててコンソメ”W”パンチを食らうことを決意した。

男と合流し、共にレジ前へ向かう。ただ大手コンビニの策略は巧妙な物だ。店頭に置かれた馴染の深いホットスナック類が目を引く。カリッとした衣を纏った、きつね色のチキン。食前から味が想起できるほど、それこそ「肉じゃが」レベルの普遍の味付け。原材料は年々高騰しており、値段も高くなっている。しかし、奇妙な中毒性があるのだ。手を離したくないようなモノが。理性を本能が追い越した瞬間である。

・・・

一連の感覚は人類共通のものかもしれない。というのも、私の前列に並んでいたかの男も、習わしの一環として購入していた。くそ。コンビニめ。消費者の財布事情を弄びやがって!酷なことをする!ということで深夜。成人男性2人が、ファサードサイン下でアクモンの第三作のような格好を取りながら、某チキンを貪るのだった。

・・・

1分もかからずに某チキンを胃に落とすと、再度店へ戻り用済みのものを投棄した。普段ゴミを家に持ち帰る習慣が多少染み付いていたため、首につっかかるような罪悪感がある。「うーん」難儀な性格であることを再確認した。

その後、海外のスリのように静かに、速やかに拠点へ帰還したのである。そして復帰時、男の拠点を俯瞰的に覗くと電池式の簡易ヒーターが熱心に動いていることに気づくのだった。どうりで手指の震えや凍えを感じずに済んだわけである。屋内であれば、(光熱費を払うことを除けば)温度が高い、低いと個人個人が忙しく適正温度を求めるのだろうが。屋外しかも通り沿いに身を置くと、この微熱風程度で「まぁ。いいかな。」とすんなり妥協してしまう。僅かながらの贅沢。微量の向上。問題解決の恒例化は何も生まないだろうと、放射熱で足の末端を温めながら思った。

「食べますか。」

というと、男は先程購入した物品をさっと開けている。しかも、手順すら確認せず、工場勤務かのように淡々と開けていた。それに乗じて私もWパックを開封する。開いた瞬間、コンソメの鼻腔辺りに充満した。明確に塩分濃度が高く、不飽和脂肪酸の含有率は他と引けを取らないこの感じ。好きだ。

互いに飲食物諸々を一通り開封し終えた後、

「いただきます。」

と、両者は日本の慣例に従いつつ食事を開始した。男は相当腹が減っていたみたいで、賞味期限間近の卵サンドに対し思わず笑みがこぼれていた。にたにたしていた。そのような男の表情を見て、何時ぞやに消えていった「在りし日の思い出」を想起しつつ、ポテチをコーラで流しつつ食べ進めていた。

ポテチは私一人でも十分に食べ切れる量だった。しかし、分け合った方が製品の主旨にもそぐうだろうし、何よりこの美味しさを共有せねばと思い立ち、男にそっと袋の口を渡した。男は臭いにつられ、袋を受け取ったが、裏の成分表示を見るや否や理性が欲に追いつき、

「いや。食べられない。」

と断った。健康志向なのかなぁ。。。などと、私は始め自らの善意を拒まれ残念に思った。しかし、男が

「成分表示を見て。ポークエキスが入ってる。イスラム教。豚駄目。」

と詳細な説明をしてくれたので、悲しみも晴れた。説明を聞いた時、なぜポークが駄目なのか?と宗教理解に乏しい私の日本人性が少し顕現したものの、宗教ってそういうものだしなぁ。と、自らを律し、それらに関する質問などという無礼な態度を取ることはしなかった。

・・・

結局私と男は2時間少々、各々の食べ物・飲み物をつまみつつ深夜を過ごした。それこそ、食べ物の話や近況報告といった他愛もない話である。先に男が寝てしまったので、そっと散乱したゴミを回収しつつ、その場を後にした。それから1,2時間、これまで通り歩き続けた結果。今(4時)の私がここにいると言って良い。歩くペースは前よりも落ちていたが、歩調は軽やかだった。

・・・

→→→

東から日の出が見えた頃、私は高速道路付近の墓地前にいた。十分な管理がされていない荒れた墓だった。人知れず見捨てられた墓だった。何時ぞやのものでもない。何故、この地に建てられたのかも分からない。誰のモノかを示す刻印ももう消えかけている。そもそもこれが、墓石なのかも不明だ。私の見識が浅はかで、モノリス的な別の何かなのかも知れない。それにもかかわらず、熟した日に照らされているこの地は奇しくも神秘的で、到底離れられるものでもなかった。聞こえる音は私の吐息と木枯らしのみ。人一人来る気配もなかった。だが、その空気感こそ、心身共々休まらぬ傷だらけの私が求めていた静寂であり、無為の境地へと私を誘ってくれた。そして、それに酷く恍惚して、何時間も名も無い墓前に座り込んでいた。

再度この地を俯瞰視する。やはり、そのモノは私には墓としか思えなかった。だから、弔いの意を込め、炭酸の抜けた飲みかけのコーラをお供え物とした。

「さて。戻るか。」

そう決意するのに、さほど時間はかからなかった。生まれたばかりの太陽光が、私の荒廃した背中を潤したのだった。


・・ ・・・・・・・ ・・ 

 ・ ・・・・・・・ ・

   ・・・・・・・

    ・・・・・

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「堕ちた感想ですか?いや。私達が終わりを決めるのは野暮だなって。たぶん、彼らは彼らなりに落とし前を付けるのでは。と、私は思います。非効率で融通は効かず、他を受容できないのは相変わらずですけどね。でも、それも彼らなりの良さです。確かに、独り歩きさせるのは危険ですけど、行動力という面で言ったら我々でも予測しかねますから。それに、彼らはしぶといですよ。犯した過ちは多々ありますが、これまでも怠ることなく挽回し続けてますし、放っておけば良いでしょう。現状、我々は我々のやるべきことを遂行するまでだと思いますよ。見ておくセカイはまだ山積みですしね。」


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