番外編:オトネル子爵は何も知らない 2
「エリザとの婚姻無効を申し立てましたが、拒否されました……」
王家の印が押された婚姻届だったので、無効にするにも王家の印がいると、ローリエは役所を追い返された。
彼は何度も訴えたが、役所の返事は変わらず、王家は相手にもしなかった。
ローリエの父、リュクス伯爵は、すべてはクリスタからエリザに勝手に結婚相手を変更したローリエの責任として、彼を伯爵家の籍から抜いた。
これでローリエとエリザの、平民夫婦が出来上がった。
「僕をオトネル子爵の籍に入れてください! そうすれば、跡取りも出来ますよ!」
後がないのが分かったのだろう、フラビオにすがるローリエの健康的だった頬は削げ、目だけが爛々と光っていた。
フラビオも出来ればそうしたかったが、ローリエがオトネル子爵家の血を引いていないことを理由に、養子縁組は貴族院に拒絶された。
このような場合、有力な後ろ盾があれば話は別だったが、どの公爵家、あるいは侯爵家も彼の味方にはならなかった。
オトネル子爵家と取引があった家でさえ、『関わりたくない』と面会すら断られた。
最後の手段になってしまったが、エリザとフラビオの親子鑑定も行われた。
結果は黒で、エリザもオトネル子爵家の血を全く引いていないことが証明されてしまった。
こうなっては、エリザも子爵家に置いておく理由はない。
「……この家の跡継ぎには、遠縁の子を養子に入れる事になるでしょう。貴方には、伯爵家が温情で譲った土地があるでしょう? エリザとそこに行ってお暮らしなさい」
「あんな何もない田舎!さびれた場所は嫌だ! 僕は、僕は……」
ローリエの膝が崩れた。
フラビオに、彼を慰める言葉は見つからなかった。
結局、ローリエとエリザは、リュクス伯爵家から譲られた土地に行った。
エリザも最初は抵抗したが、家の物を好きなだけ持って行って良いと告げたら、部屋の物を洗いざらい持って出て行った。
彼女も彼女なりに、この屋敷に居場所がないのを感じたのだろう。
エリザが出て行った後、偶然クリスタの部屋の前を通ったフラビオは、ほんの気まぐれでその部屋のドアを開けた。
簡素なベッドと小さいタンス、粗末な机と椅子――他は何もなかった。
ほぼ書斎で過ごしていたとは聞いていたが、寝るだけの部屋にしても、もう少し人の気配があるはずだ。
タンスを開けると、クリスタがいつも着ていた焦げ茶色の服があるだけだった。
成程、エリザはクリスタの物も持って行ったのか、と彼は思った。
だが、メイドは否定した。
「エリザ様は、ご自分の部屋からのドレスや宝飾品だけで、馬車にあふれる程でしたので……」
「じゃあ、クリスタの部屋のあれは何だ? 空じゃないか」
クリスタに、持ち出す時間があったとは思えなかった。
誰かが片付けたのか、と口にする前に、メイドは彼に淡々と告げた。
「それは、クリスタ様は何もお持ちではありませんでしたので」
「……なんだと?」
「いつも着ている簡素なドレス、それと学園の制服。以外の衣服は、お持ちではありませんでした」
「バカな……! それで茶会などに行ける訳がない」
貴族の子女が茶会に出るのは義務だ。
子爵令嬢たるクリスタにも、招待状が幾つも届いていた筈だ。
「クリスタ様が、お茶会に出かけたことはありません。いつもエリザ様と奥様がいらしてましたよ」
御存じなかったのですか?――問いかけるメイドの声は困惑していたが、まるで彼を嘲笑うように響いた。
「クリスタのメイドは……」
「クリスタ様に専属メイドはいません。手伝いの必要なドレスもありませんでしたし」
フラビオは目の前が暗くなるのを感じた。
いつも地味な服を着ているのは、自分より美しい姉に対する当て付けだと思っていた。
食事を共にしないのも……
『クリスタはまた部屋から出て来ませんでしたのよ……困ったこと』
『あの子は私達と食事するのは嫌なのよ、お高くとまってるのね!』
あの二人にそう言われ、仕方ないものだと思った。
「食事は……その、運ばれていたな?」
「はい、毎回、旦那さま方のお食事が終わった後、書斎の方に」
「なぜ作ってすぐ運ばない!」
「手が足りませんでした。奥様からもそれでいいと……」
虐待、その言葉が彼の中で蘇る。
クリスタは、痩せていなかったか?
髪もエリザのように艶がなく、いつも同じようにまとめていた。
そういうものだと、あの娘は見てくれが悪いから仕方ない……と、そう信じていた。
フラビオは、初めて、クリスタがこの家に、自分に、『虐待』されていたことを知った。
パメラとは、離縁こそしなかったが、領地の片隅の屋敷に追いやった。
一気に老け込んだ彼女は、エリザはフラビオの娘だと信じていたと言っていたが、本当がどうかは分からない。
本当なら、もっと早くに『親子鑑定』をせがんでいただろう。
クリスタに対する仕打ちは認めた。
それの何が悪いの?という態度だったが……
(あなただって認めていたじゃない)
と言外に言われているのは分かった。
それをフラビオは否定できなかった。
あれだけの仕事をしていたクリスタが、茶会などに行けるわけがないのだ。
子爵家は一気に傾いた。
この跡取り騒動で、多方からの信用を無くしたのが原因だが、単純に子爵家の仕事を出来る人間が足りず、仕事が回らなかったという事情もあった。
新たに人も雇ったが、元のようには戻らなかった。
またエリザからは何度も金の無心が届いたが、ある程度の物を送って後は放って置いた。
実際フラビオは、パメラが子爵夫人の名で手を出した、詐欺事件の後始末に追われて、それどころではなかった。
パメラは収監される前に、男と逃げたが程なく捕まり、その時男に刺された傷が元で亡くなった。
問題の多い子爵家の跡取りになりたい人間もなく、最後に子爵位を返上し借金を返して、フラビオは隠遁した。
その後の彼の行方は誰も知らないが、子爵家の墓所で一度、墓守に見かけられている。
彼の去った後、クリスタの母の墓石に、白い百合の花が置かれていたという。
巷には、第二王子が留学先から、美しい花嫁を連れ帰ったという噂が流れていた頃だった。
…子爵はただのにぶいおっさんだったのかもしれませんが、それで罪がない訳はないですよね。
…まぁ、百合を買えるくらいのお金は持ってるって事で、野垂れ死にとかはしません。
…次は『王家の話』の予定だったんですが、『皇女可哀そう!』のご意見が多いので、こっちの話になるか、両方混ぜちゃおうかー、とかぼーっと考えてます。
…ご興味のある方は、また見に来ていただけると嬉しいです。