4.王太子と公爵令嬢の賭け
フォートナム公爵令嬢は、5歳で8歳の第一王子の婚約者になった。
静かに幼い愛を育んでいた二人だが、17歳になった第一王子が立太子式を済ませると、帝国から第一皇女との縁談が持ち込まれた。
「最初は断った。既に兄上には婚約者がいるからと」
だけど、そんなことは先方も承知で申し込んで来たから、後には引かなかった。
友好の証として、帝国との貿易に関する、幾つかの有利な条件を提示され……
「持参金として国境近くの鉱山の採掘権を付ける、っていうのがとどめの一撃になったね」
我が国は鉱物資源に乏しい。
確かにそれを持ち出されたら、国王として『否』とは言えないだろう。
(でも、それって娘の持参金としては破格すぎない?)
元々、帝国と王国の間には小さな国があって、鉱山はその国の物だった。
その併合を巡って、100年位前に帝国と王国は激しくやりあった。
(結局、山は帝国に、国民とその財産は王国に、という結果になったんだよね)
一国を滅ぼすまでして手に入れた物を、こんなに簡単に手放すなんて。
鉱山が枯れたという話も聞かないし……
「不思議そうだ」
からかうような声に、私ははっとして顔を上げた。
「申し訳ありません。お話の途中に……」
「いや、君の成績が優秀なことは知っている。その君から見て、帝国があの山を手放すのはおかしいかい?」
「……はい。帝国には、他にも鉱山があるのは知っておりますが、手に入れた経緯を考えますと」
殿下は頷く。
「君の言う通りだよ。帝国はどうしても第一皇女を、国外へ片付けたかったんだ」
帝国皇室は、子供に恵まれていなかった。
皇帝と最初の妃の間に生まれた皇子は、幼くして病で亡くなった。
責任を感じ、気を病んだ皇妃もその後を追った。
次の妃との間には、第一皇女が誕生したが、その後しばらく子が産まれなかった為、皇帝は第二妃を迎えた。
だが、その第二妃にも中々子が出来ず、もう皇女に王配を迎えて、国を継がせようとした矢先に、第二妃に皇子が誕生した。
国中大喜びの中、皇女は多少の不満を抱えて育つことになったが、話はここで終わらなかった。
「王配になる予定だったのは、皇帝の弟の子、彼女から見れば従兄だね。彼女は自分が女帝にならずとも、この縁談は続くと思っていたんだ」
だが実際には、皇女の縁談は無くなり、従兄は他の女性と恋に落ちた。
「歳の差があったから仕方ない……となれば良かったんだが」
従兄は、彼女より8歳上だった。
20歳と12歳じゃ、大人と子供ともいえる。
「……その人が選んだのは、彼女とそれほど歳が離れてない女性だったんだ」
あー、それはダメだ。ダメすぎる。
ロリコン気味だったなら、皇女でも良かったじゃん!
(あ、だから8歳下の従妹の、王配の話を受けたのか!)
妙に納得してしまった私をよそに、どこか遠い目になった王子が、先を続けた。
「しかもその女性は、皇子の母君、第二妃と同じ一族で……」
「あぁ……」
私も顔を覆いたくなった。
おそらく第二妃との関係で、その女の子は王宮に出入りして、皇弟の息子と出会ったのだろう。
「それを知った皇女は、皇子の部屋へ行き……引っ叩いたそうだ。3歳の弟を」
ヒッ!という悲鳴を私は口の中で噛み殺した。
もし歳が近ければ、ただの姉弟喧嘩と見なせるかもしれないけど、皇女は皇子より9歳上だった。
「当然、お付きの者がすぐに二人を引き離したが、彼女はそれまでに溜まりに溜まった、弟への不満をぶちまけていったそうだ」
重い物を持つこともない皇女の力では、大した傷にはならないだろうけど……
(心に怪我を負ったかも……3歳なら、忘れられるかな)
「幸い、皇子に怪我もなく、皇女も言うだけ言ってすっきりしたのか落ち着いたが、皇帝としては見過ごせなかった」
(でしょーねー)
「事情は分かるし、哀れでもある。だがこのまま、国に置いてはおけないと判断した皇帝は、外に嫁ぎ先を探した」
そして白羽の矢が立ったのが、隣の国の、まだ未婚の王太子。
王国の次期王妃なら、帝国の第一王女の嫁ぎ先としては申し分はない。
「後は話した通りだ……――兄は皇女と婚約を交わし、婚約が解消されたアリュシアの元には、婚約の申し込みが殺到した」
「アリュシア様には、何の瑕疵もありませんからね……」
ましてや筆頭公爵家のご令嬢だ。
下から数えた方が早い家門の私でさえ、学園入学前に婚約している。
「だが兄上とアリュシアの間には、一縷の望みがあった」
「……婚姻後、皇女殿下との間に、お子様が生まれないことですね」
殿下は黙ったまま頷いた。
「兄上の婚儀から多めに見積もって3年たつまで、婚約者になって欲しいと乞われたよ。もし皇女に子が生まれたら、すぐ諦めて修道院へ入るとも」
「……情熱的、ですね」
「女性の情緒の成長は早いね。一つだけしか違わない私は、まだ恋を知らなかったというのに」
あえて、厄介ごとを引き受けたのだろう、第二王子殿下は、ふふっと笑った。
「アリュシアと……兄上の想いに圧倒されてしまったよ」
……つまり、王太子も承知の申し出だった訳か。
(うーん、ちょっと酷くない? 自分は結婚するのに、婚約者には不確かな未来を待たせるなんて。しかも弟も巻き込んで…)
結果的には、王太子と公爵令嬢は、賭けに勝ったけど……いや、そんな甘いもんじゃないか。
多分、お二人に勝算はあったんだろう。
(夫婦のどちらか片方が子供を作りたくなければ、方法はあるだろう)
堕胎薬や子供を出来ないようにする薬は、花街では普通に扱っているという話だ。
なぜか、子供が出来るようになる薬っていうのは聞かないけど。
そんなものがあれば、帝国の後継者問題があっさり終わってたから、ないんだろうとも思う。
(その手の薬を自分で服用していたか、相手に飲ませてたか……)
自分で飲むなら容易いけど、この国に味方が少ない相手なら、飲ませることも出来るだろう。
そもそも割り込んできたのはあちらだし……いやいやいや。
黙ったまま、思いをぐるぐる巡らす私を見て、殿下は口の端を微かに上げ、その形の良い唇に人差し指を当てた。
(何も言うなってことよね……)
勿論です。命は惜しい。
そんな薬などなくて、ただ単に王太子と皇女とは相性が悪かっただけかも知れんし。
……知らんけど。