15.君に出会うまで(王国編8)
再び、皇女から手紙が届いたのは、それから一ヶ月後だった。
内容も変わらず、帝国と自分の状況、謝罪の言葉と
『貴女の王太子と私の間に子供が出来る事はないから、信じて待っていて欲しい』
だった。
「どう解釈したらいいかしらね……」
アリュシアーデは顔をしかめて、ひとり言のようにつぶやいた。
再び呼び出されたセルリアンは、あっさりと答えた。
「おそらく、王国の王室典範にある、『王位継承者に限り、妃が一年不妊の場合は側妃を迎えることが認められる』という一節を示しているんだと思う」
「……やはり、その事よね」
納得はしているが、まだしかめた顔のままアリュシアーデは口を開いた。
「でも、子供が出来ないなんて、今から分かる訳は……」
「まぁ、帝国の皇室が年々子供が出来づらくなっているから、その事を言っているのか。或いは、帝国は大陸一、薬学の研究が進んでいるという話だから、子供が出来なくなるような薬を持っているのか……」
「そんな! 私も、そのような薬の話は聞いた事があるけど、それは毒の類よ!」
セルリアンも頷く。
「そうだね。だけど、もっと安全な物が向こうでは出来たのかもしれない」
「そんな……だけど、でも……どうしてそこまで……?」
自分に王太子を譲ろうとするのか……アリュシアーデは混乱した。
「それは本人に聞かないと分からないけど、皇女殿下が『帝国を出たい』というのが、理由の一つだろうね」
身分のある人間が国を出るには、身分を捨てるか婚姻しかない。
たとえ平民になれたとしても、国境を越えるのは容易い事ではない。
その点、婚姻なら警護付きで、合法的に国を出る事が出来る。
「国を出たい理由は察せられるし、本人も書いてきている。その気持ちには嘘はないだろう」
実の弟とはいえ、皇位継承者に暴力をふるう程、怒りが貯まっていたのだ。
その後は針の筵であろうし、彼女も国内に嫁がされて、軟禁されたまま弟の戴冠式に引きずって行かれるのは望まないとあった。
どうやら、帝国内部の、皇女を外に出したい派と、内に留まらせたい派の勢力は、案外拮抗しているらしい。
それでも外に出したい派の方が、権力があるのか、切実なのか、多少帝国に不利な条件でも、王国へ嫁がせようとしているのだろう。
先日、ついに『国境の鉱山』が、皇女の持参金に付けられた。
皇女を国内貴族に嫁がせて、後々の火種を作りたくないというのは、それだけ『皇女の紅色の髪』に価値があるのか……それとも、帝国内の勢力争いか、あるいは単に、皇帝の息子かわいさか……
いずれにせよ、この先の帝国への対応の参考になりそうだと、セルリアンは頭に書き留めた。
「ただ、国を出たいにしろ、子供を産まないにしろ、それを書いてアリュシアに手紙を出す理由にはならない筈だ」
このままいけば、皇女が嫁いでくるのは、ほぼ決定事項だ。
その後嫁いで、何年も子供が出来なければ、自動的に側室の話は出るだろう。
「それでも手紙を寄越したと言う事は、何らかの協力をアリュシアに求めているんじゃないか?」
「協力? 私に何か出来るの?」
「色々あるさ。手紙には、『信じて待っていてほしい』ってあるよね? つまり、君に『どこか別へ嫁がないで』待っていてほしいって事だろう」
アリュシアーデは、はっとした顔になった。
王太子との婚約がなくなれば、アリュシアーデは当然、他の相手との婚約、婚姻が求められるだろう。
「どうしよう、セルリアン! 私、全くその事を考えてなかった……」
「……それもどうかと思うよ?」
なぜ、王太子妃候補として周囲を認めさせた、その優秀な頭で思い至らないのか……と、セルリアンは胸中でため息をついた。
まず絶望に陥って、その後に、ショッキングな手紙を受け取って、考えずに済んだ……というか、
(兄上以外との婚姻なんて、一瞬たりとも考えたくなかったのか)
ここにも愛が重い人間がいると、セルリアンは遠い目になった。
「……君の気持ちに配慮して、お父上もしばらくは、縁談を断る事ができると思うけど、それも1、2年が限度だろうね」
アリュシアーデは、王国の筆頭公爵家の娘であり、もしかしたら、公爵家の主人になるかもしれないのだ。
しかも、非の打ち所がない王太子妃候補だったとして、才色兼備は保証されている。
候補を降りた理由も、彼女の非は一切ない。
各家にとって、嫁にもらうとしても、婿に行かせるにしても、最良物件であることは間違いない。
「正式に兄上との婚約が解消されたら、国内だけでなく、国外からも婚約申し込みが殺到するだろうから」
アリュシアーデが真っ青になった。
「どうしたら……」
セルリアンは、うーんと首を捻って、アリュシアーデに告げた。
「一つ提案があるけど、これは兄上に相談してからだね」
「王太子殿下に知らせるの?」
「うん。そろそろ帝国との交渉も、佳境に入っているみたいだし」
今なら、知らせても問題ないだろうと言うセルリアンに、アリュシアーデは縋るように口を開いた。
「あの……!」
「アリュシア?」
「あのね、もしテオバルド様が、帝国の皇女殿下を……妻として迎えたいっていうなら、それを責めるつもりはないの」
「アリュシア……」
「だけど、私を側妃にしてほしいの!」
「……」
「二番目でもいいの、テオバルド様の妃になれるなら。それが分かったの……」
(それは、兄上に直接言ってくれ……)
幼馴染の熱い告白に、セルリアンは泣きたい気分になった。
(僕から兄上に告げるのか……勘弁してほしい)
その兄は、君をあっさり諦めたんだが……とは、もちろんセルリアンは言わなかった。
側妃――第二妃も勿論『妃』だが、何につけ正妃である第一妃より、位も立場も落ちる。
アリュシアーデを、そんな日陰の存在に落とすのは忍びなかったのか、そもそも思いつかなかったのか……
「いや、考えない訳じゃなかったよ」
テオバルドはしれっと、セルリアンに話した。
「だが、実際問題として無理だった」
公爵令嬢を予備として、予約しておくなど。
対外的にも道義的にも、許されるわけがない。
「そもそも、フォートナム公爵が許す訳がない」
元々、愛娘を王太子に嫁がせるのに否定的だった公爵が、そんな企みがある事を知ったら……
「ちょっと怖いですね」
「だろう?」
公爵は、結婚して家を継ぐまでは、騎士団所属だった。
外見もいかついが、王子二人に、剣の稽古をつけてくれたこともある、本物の武闘派だ。
腕の一本や二本、持っていかれるだけならまだしも、そんな事を王家が持ち掛けたら、謀反でも起こしかねない。
「だから、私たちは秘密裏に事を運ばなければならない」
兄の真剣な眼差しに、セルリアンは黙ってうなずいた。
テオバルドは、『皇女の手紙』に関するセルリアンの計画を聞いても、しばらくは強張った表情のままだった。
そして、決して一人で行動を起こさないこと、情報を共有すること等条件を付けて、ようやく彼らと皇女との交渉を承認した。
国の裏をかくという彼らの、危うい状況を幾つも予想できたのだろう。
決して浮かれていた訳ではなかったセルリアンも、思ったより兄の精神に負担をかけた事を反省した。
「兄上」
「うん?」
「もしかして、余計な事だった?」
アリュシアーデとの未来がつながった事を知っても、全く喜色を見せない兄に、『まさか』と『もしや』の気持ちをこめて訊くと、相手は苦笑を浮かべた。
「いや、心配かけて悪かった……嬉しかったよ、勿論」
と言いつつも、彼の表情は複雑だった。
「だけどね、これでも、ベアトリス皇女を妻として迎える覚悟はしていたんだよ」
あ、とセルリアンは悟った。
テオバルドとしては、気の毒な皇女を彼なりに愛そうとしていた所へ、『あなたの妻になるつもりはない』と言われたようなものだったのかもしれない。
「ごめん、兄上」
「お前が謝ることじゃないよ」
それはそうだけど、そうじゃない……
ある意味、兄と幼馴染が元鞘に戻るだけ、の単純な話だと思っていたセルリアンは、人の気持ちの複雑さに己の器量の限界を感じるのだった。
…アリュシアのフォートナム公爵家は、先々代の王様の兄が作った家です。王位より愛を取りました。
…セルリアン、まだ他人事だけど、愛の重い遺伝子(だから王族が少ないんだよ…)がしっかり流れてます。
 





