14.君に出会うまで(王国編7)
……とりあえず、
『もう一度手紙が来たら、本気だと考えよう』
という、セルリアンの緩い提案に、アリュシアーデも賛同した。
相手が相手だけに、『皇女殿下の気紛れ』で終ってしまう可能性も、充分あるとセルリアンは考えていた。
あちらが本気なら、これからも手紙が来る筈だった。
王国の筆頭公爵邸奥、厳重に守られた令嬢の部屋の窓から入って来れる、身軽な使者に持たせて……。
相手の本気が分かるまでは、このことは『王太子殿下には黙っておこう』という意見でも、二人は一致した。
アリュシアーデは、ただでさえ忙しい王太子に、不確かな情報で惑わせるのを由としないから。
セルリアンは……
王太子は有能だし、無論秘密も守れる人だが、今は完全にアリュシアーデとの事を諦めて、自分の婚約をいかに高く吊り上げるかを、日夜臣下と検討している。
それが、『アリュシアーデと結ばれる事ができるかもしれない』可能性が出て来たとなると、周囲への態度に差が出るかも知れない。
今は、帝国との折衝の真っ最中なので、少しの気の緩みも禁物だ……というのは、表向きの理由で、
『やっぱり駄目だったよ、兄上……』
となると、例え諦めていたとしても、いやそれだけに兄のダメージが大きいそうだとの判断からだった。
(皆、兄上は優しくて穏やかだって言うけど……)
それも間違ってはいないと思う。
だけど、ずっと傍で見ていた彼は、薄々気づいている事があった。
(王家に生まれたことも、第一王子であったことも、アリュシアーデを婚約者とすることも、全部、兄上が望んできたことなんだよね……)
その責務は大変なものなのだが、兄であるテオバルドは笑って引き受けていた。
心から。
王家の人間だから当然だなんて思わない。
例えば、セルリアンは自分が第一王子だったら、王太子を引き受けはするが、嫌々だろうと思う。
他にふさわしい人間を探すし、いたら多少無理をしてでも押し付けるだろう。
テオバルドの場合、たまたま、望んだ場所と実際の立場が同じだったというか……王太子になる為に生まれて来たような人だった。
セルリアンや周囲にとっては、それはとても有り難い事だったが。
幼馴染で、初恋の相手が婚約者になった事は、ある意味、幸運だったのだと思う。
だが、ここへきて、その絆が断ち切られようとしていた。
初めて、自分の思い通りにならない事が出てきた兄が、どんな対応をするのだろうかと、セルリアンは怖かったが、反面興味深くもあった。
だが結果は、『何の抵抗もせず受け入れる』だった。
抵抗すればするほど、叶わなかったときが辛くなる。
少しでも希望を持つと、断たれた後が辛いからこそ、最初に己の心を捨てたんだろうなと。
案外、重い男だったのか……とセルリアンは知ったので、隠すことにしたのだ。
アリュシアーデに会いに行った、弟が帰ってきた。
「あー、やっぱり不安だったみたいです。公爵もこっちに詰めっきりでしょ、詳しい話が聞きたいって」
苦笑を浮かべるセルリアン。
「まだ、はっきり決まっている事はない、で、納得してもらいました。また、報告に行くと思います」
「そうか。世話をかけたな」
弟は首を振った。
「兄上は今忙しいけど、僕はそうでもありません。だから、これからも、何か用事があったら言いつけてくださいね」
健気に申し出る彼は、テオバルドにとって、とてもかわいい弟だ。
背も伸びて来たが、まだ自分より低い位置にある頭に手をやり
「頼むよ」
と言うと、弟は嬉しそうに笑った。
本当にかわいい弟なんだが――何か隠しているようだ。
弟は自分より、いや周囲の誰より頭が切れる。
だが、経験がモノを言う、人付き合いや腹芸はあまり得意ではない。
何かを隠している、それは分かるが、それが何かまでは分からない。
追求すべきか、迷ったが、この弟が黙っていると言う事は、それが自分に取って一番良いことなんだろう。
「セルリアン、前にも言ったと思うけど、お前も何かあったら私に言うんだよ」
そう告げると、弟の笑顔が一瞬固まった。
「どれだけ忙しく見えても、お前の言葉に耳を貸さない兄ではないからな」
「……はい。何かあったら、真っ先に相談しますね!」
そうあってほしいなと思いつつ、そんな事態は起きない方がいいのだろうとも思っている。
テオバルドは笑いながらセルリアンを促して、歩き始めた。
テオバルドとセルリアンとアリュシアーデは、幼馴染だった。
アリュシアーデは、生まれてすぐに母親を亡くした。
それを不憫に思った、父であるフォートナム公爵は、なるべく幼い彼女を自分の傍に置くようにしていて、登城する際も一緒に連れてきた。
まだ王太子妃であった、テオバルドとセルリアンの母も、アリュシアーデを歓迎して、よく三人一緒に遊ばせていた。
フォートナム公爵に、娘を苦労の多い王家に嫁がせたいという野心はなかったが、王家としては筆頭公爵家の娘と、王子二人の年周りがちょうど良い事を幸運に思っていた。
そうして年月が過ぎ、三人の相性が良さそうな事を確信した王家側から、公爵へ正式に申し入れが入った。
「テオバルド殿下とセルリアン殿下、どちらでも良いそうだ」
不機嫌を隠さず、公爵は五歳の娘に言った。
「どちらでも……」
「どちらを選ばなくてもいいぞ。公爵家の跡継ぎは、お前ひとりなのだ。嫁に行く必要はない」
今、王族は数が少ない。
増えるまでは、テオバルドは無論、セルリアンも臣下の婿に出してこないだろう。
公爵としては、娘に婿を取り公爵家を継がせるか、親戚から適当な子息を養子に取り、家を継がせるつもりであった。
全ては、愛娘の望む幸せ次第であった。
だが、アリュシアーデは既に選んでいた。
「テオバルド様が、いいです……」
その時の公爵の情けない顔を見たのは、幸いな事に、ドアの脇に立っていた、口の堅い執事だけだった。
この先王太子になって、やがては国王になる男の名を、娘は口にした。
よりにもよって、一番面倒くさい相手を選んだ娘の、頬に差す赤味や幸せそうな微笑みを見て、公爵は絶望した。
王太子妃になる事、王妃になる事、まだまだその重責や意味を彼女は知らないが……とにもかくにも、娘の望んだ相手だった。
娘が拒否すれば、たとえ王にさえ嫁に出さないときっぱり言える公爵は、幼い娘の真摯な望みには抗う術を持たなかった。
幼い初恋はこうして実を結んだ。
…兄上は結構怖い人。
…この人とベアトリスの(仮面)夫婦漫才はさぞかし陰険だろうなぁと思います。




