10.君に出会うまで(王国編3)
帝国から婚姻の申し込みと聞いて、王国側は最初、第二王子へのものだと思った。
理由は単純で、王太子テオバルド――先日立太子式も済ませた王国の第一王子には、既に何年も前から婚約している令嬢がいるからだ。
そして、第二王子セルリアンには、まだ婚約者がいない。
普通に考えれば、こちらと思っても不思議はない。
だが、帝国は普通ではなかった。
堂々と、国として正式に、婚約者のいる王太子に、己の国の皇女との婚姻を申し入れてきた。
流石に、何か理由があるのは察せられた。
元から帝国皇室は生まれる子が少ない事もあり、外に出す事は殆どない。
それでも王国としては、丁重に
『王太子には婚約者がいるので、お申し入れは受けられません』
と返し、帝国は
『それでしたら、皇女との婚姻に対し帝国としては……』
と条件を提示し、国対国の交渉が始まった。
「話は聞いたか?」
「表向きの話は。帝国で皇子が産まれて、それまで跡継ぎとされてきた皇女が、邪魔になったので、こちらにという事ですよね?」
人払いは済ませてあるが、あまりに明け透けに話す弟に兄は苦笑を浮かべた。
「裏があると思うんだな」
「ありますよね?」
セルリアンはきっぱりと言い切った。
「それだけなら帝国が皇女、たった二人しかいない子どもの一人を外に出すと思えません」
「そうだな」
皇位継承者は、国の生命線だ。
多すぎても困るが、少なすぎると国が亡びる。
「王国だって、兄上が立太子式を無事終えても、僕を他国に出さないでしょう?」
王国も帝国より恵まれているとはいえ、国王の子供は兄弟2人しかいない。
前国王の息子、国王の弟が1人いるが、既に臣籍を得て王籍から出ている。
セルリアンも、兄に子供が生まれるまでは、王籍を出ることは許されないだろう。
「……ましてや、あの血統を重んじる帝国がだな」
弟は頷くと、事情を知ってそうな兄の言葉を待った。
テオバルドはふうっと、ため息をついて口を開いた。
「どうやら、皇女殿下がキレたらしい」
「は?」
「弟皇子が生まれて、何もかも奪われたと思った皇女がキレて、弟を引っ叩いたらしい」
「え……引っ叩いたって、皇女殿下の手でですか!?」
目が丸く開かれた弟に、兄は頷いた。
「……何か、あまりに人間的な行為で驚きますね」
王国民にとって、帝国とは国境が接しているが、帝国皇室は分厚いカーテンの向こうにあり、100年も200年も時が止まっているようなイメージだ。
少しはそちらの情報が入る、王子という立場のセルリアンも、似たようなイメージを持っていた。
むしろ、人間だったんだと安心した……とぼそっとつぶやくと、兄は楽しそうに笑った。
「ですが、それならそんなに、力はないでしょう」
セルリアンには、『帝国の皇女』という身分の女性がカトラリー以上の重い物を持てる想像ができなかった。
「力だけならな。問題は『行為』そのものだろう」
「まぁ確かに、穏やかな行為ではないですね」
「帝国としては、ようやく生まれた『皇子』だ。真綿で包むように育てていたところに、暴力をふるう姉君を側に置いておけないだろう」
うーん、と弟は少し上を向く。
「理屈は分かりますが、それだけだったら、皇女を他国へまで追いやらなくても、少し距離を置けばよろしいのでは?」
帝国は広いし、皇帝の力がとても強い国だ。
皇宮のある土地から、充分距離のある場所に、幾つも離宮がある筈だった。
「確かめた者はいないのだが、皇女は見事な『紅色』の髪をしているらしい」
「その噂なら聞いたことがあります」
皇女は滅多に居城である後宮を出ないし、神殿に参る時もヴェールをかぶっているので、彼女の容姿は噂の域をでない。
それでも帝国人にとって誇らしい事なのか、『皇女殿下は紅色の髪をしておられる』というのは、広く出回っていた。
「帝国の初代皇帝の肖像は、謁見に使われる大広間に飾ってあって、それは王国の大使も見たことがあるんだが、見事な『紅色』の髪だということだ」
セルリアンは首を傾げる。
「え、つまりそれは?」
「『紅色』は初代皇帝の、象徴的な符号らしい――で、その色を継いだ皇女様が、帝国の貴族に嫁げば、子どもにその色が受け継がれる可能性ができる」
「あぁ……そういうことですか」
帝国にとって『紅』とは、その髪色の男子が産まれたら、そちらを皇帝にしようとする勢力が出来かねない程の『色』なんだろう。
「現在の皇帝や、皇子の髪色が『紅』というのは聞かないから、現在『紅色』を持つのは皇女だけなんでしょうね」
「おそらくな」
「下手を打ったら国が割れるから、国内には嫁がせられない」
「だな」
「そして、帝国の法には、『帝国外で生まれた者には、帝国籍を与えない』という条文があるから……」
「他国で『紅色』の髪の男子が産まれても、問題ないということだ」
成程、無理を押してでも、隣国へ嫁がせようとする訳である。
「そもそも『皇帝の娘』だからな。帝国の矜持として、小国には嫁がせられない。そこそこの国力を持ち、同じ年周りの王太子がいる王国が選ばれた訳だ」
「あちらからすれば、『光栄に思え』というところでしょうね」
こちらは迷惑極まりないが――セルリアンは、ふうっと歳に似合わぬため息をついた。
「早く諦めてくれればいいですね……」
「諦めないよ」
きっぱり言い返された、セルリアンはえっ?と兄を見つめる。
「帝国だって馬鹿じゃない。僕らが、皇女の事情をこうして手に入れられるように、あちらだって事前に、こちらの事情は全部調べてある。その上で申し込んできたんだ、こちらが頷かざるを得ないような『奥の手』は持っているさ」
婚約者のいる兄が、皇女を迎えるのは決まっているという――何とも言えない違和感をセルリアンは感じた。
「兄上、それは少し……」
「今、こちら側に出来るのは、皇女の輿入れの為の条件を、少しでも王国に有利に進める事だけだ」
「断る事は? 断る事はできないのですか!」
「『奥の手』が出るまでは、何度でも断るさ。だが、王太子が国内の公爵令嬢と婚姻するよりも、王国にとって遥かに有利な条件が提示されれば無理だな」
兄と、筆頭公爵家の令嬢であるアリュシアーデも、政略的に結ばれた婚約者同士であることには間違いがない。
だが、兄弟として、幼馴染として、ずっと二人を見てきたセルリアンには、二人は確かに惹かれあっていると思っていた。
(特にアリュシアーデは……)
先日の立太子式の際も、公爵令嬢として、また王太子の婚約者として、誰からも誹りを受けないよう一分の隙もなく美しい装いで列席し、兄の晴れ姿に頬を染めて見惚れていた。
兄もそんな彼女を目に入れ、優しく微笑んでいたではないか。
「兄上は……それでいいのですか?」
「セルリアン、お前の兄はな、テオバルドという男である以前に、この国の王太子なんだ。国にとって何が一番かを常に考える立場なんだよ」
淡々と、そう返されてしまえば、それまでだ。
国民が王が、そして自分もそれを兄に望んでいた筈だから。
でも、それはあまりに……
せめて自分なら……と思わないでもないが、帝国が望むのは、王太子の配偶者――次期王妃の地位だ。
第二王子なんて、目もくれないだろう。
「まだ時間はあります」
セルリアンは、思わずそう口にしていた。
「そう簡単に、帝国がこちらに、飛び付かざるを得ない物を差し出せるとは思いません。おそらく交渉は長引くでしょう」
セルリアンの脳裏に浮かぶのは、帝国との国境にある鉱山。
鉱物資源の乏しい王国にとって、あそこを差し出されれば断れない。
だが、あそこは帝国にとっても特別な場所な筈だ。
「それはそうだが」
「だから兄上も簡単に諦めないでください」
自分を真っ直ぐに見つめる弟の視線に、テオバルドは苦笑を浮かべ
「分かったよ」
とつぶやいた。
…兄は16、弟は13です。




