番外編:ベアトリス皇女は振り向かない 6
物語の中から出て来たような(ベアトリスにとっては比喩でない)王子様は、その麗しい面に、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「お会いできて光栄です……が、お時間が限られていると思うので、簡潔に。兄は貴女からのお申し入れを、受け入れるそうです」
(良かった~……!)
ベアトリスは、心の底からほっとした。
ほぼ一方通行に、手紙を送ったのだ。
了承なら返事はいらないと書いたとはいえ、あちらに行ってから
『そんな話は知らない』
と言われる事もあると思っていた。
(その場合は、手荒な真似になるから本当に良かった……)
両想いCPの為なら、多少強引な真似しても許されるだろうと考えるベアトリスだった。
「ただ、これは私からの懸念なんですが……」
「はい?」
言いづらそうな第二王子に、ベアトリスは聞き返す。
「兄と貴女の『密約』を知っているのは、此処にいる人間だけです。陛下や妃殿下も知りません」
ベアトリスは力強く頷いた。
そうでないと困る。
この婚姻は、国同士の約定である。
例え、婚姻した王太子と皇女の間に子が生まれなくても『自然の摂理』として、約定に反しないが、最初から二人が、
『白い結婚を目論んでいる』
事を、この国の国王や王妃が知っていたなら、帝国への裏切りとなり、決して少なくないペナルティを払わねばならなくなる。
(ヘタを打てば、開戦もありえる重大事だわ)
それを提案した自分もかなりヤバイが、利益があるとはいえ、承知した王太子も結構ヤバイ奴だとベアトリスは思っている。
事情を知ってこんな場所にいる、同じかそれ以上にヤバイであろう弟王子が、再び口を開いた。
「つまり、他の者の手前、寝室を完全に別にするのは難しいと思われます」
ベアトリスから申し出た『白い結婚』だ。
王太子と寝室を共にする事に、不快感があると思われたのだろう。
気にしない……とベアトリスが口にする前に、少し目をそらすようにして第二王子は続けた。
「……あと、兄も若い男ですので」
……成程。
第二王子が気にしているのは、ベアトリスの貞操らしい。
何を馬鹿な……とベアトリスは笑わなかった。
いかに想う相手がいても、健康な成人男性に、3年間禁欲生活をさせる難しさは想像できた。
前世知識だけでなく、後宮育ちなので『ベアトリス』も基本耳年増である。
というか、知らないとシャレでは済まないので、後宮の役割は幼い時から教えられていたし、庭で侍女が衛兵と……なんてのを、見てしまった事もあった。
(一番驚いたのは、その侍女の一人が大臣の奥様で、相手の衛兵の奥様がまた他所の……それはまぁ置いておいて)
後宮勤めの男性は去勢、という国も、前世歴史にはあった。
帝国でそのような話がなかったのは、避妊薬、堕胎薬その他が、充実しているせいかな?とベアトリスは思った事があった。
(国の上が必要としたのは特殊な物だけど、そのおかげで、帝国は薬全般が発達しているのよね)
医師、薬師、錬金術師はどこの国でも稀少な存在だが、皇宮には彼らの為の棟があったし、帝国全体でも数は多い方だろう。
無論、怪しげな薬も多いが、底辺が大きいため、役に立つ物も多い。
母が後宮から去ったあと、ベアトリスはその部屋に入った事がある。
宮殿からは何も持ち出したくなかったのか、部屋はドレスや豪奢な置き物、宝飾品の山だった。
『全てはベアトリス様の物です』
母親の侍女は、恭しくベアトリスの前に傅たが、興味を引く物はなかった。
ただ一つをのぞいては。
クローゼットの隅におかれた、宝石一つ付いていない頑丈そうな木箱。
きつい香水の香りに混じって、ほのかに漂う独特の苦い匂いに、ベアトリスはその箱だけを自室に運ばせた。
予想通り、箱の中身は薬品だった。
皇族は常に暗殺の危機に晒されているので、中和剤や解毒薬は必需品だった。
ベアトリスも幼い時から、軽い毒で体を慣らしていて、そのおかげで命が助かった事がある。
薬の知識も一通りあったが、母の薬箱には、ベアトリスには分からない物が幾つかあった。
それらは後年拾ったリカによって、組み合わせ次第で避妊や堕胎、あるいは倦怠、痺れ、喪心等を催す、数種の薬である事が判明した。
自分で飲んでいたか、他人に盛っていたかは知らない。
絶対に手を出してはならない対象にさえ、我慢が効かない事があるのに、王太子には手を出しても良い、いや本来なら手を出すべきである、ピッチピチの若い女性が、隣にいるのである。
(ベアトリス、『悪役皇女』の名に恥じない美女だし、プロポーションもいいからなぁ)
第二王子の心配も分かるし、正直、アリュシアーデ様にバレならいなら、王太子の相手を務めても……と思わないでもないが、そういうのは絶対にバレるものだとベアトリスは知っていた。
だから、そんな場面になってしまった時の為に、ベアトリスは王国に来るに際して、様々な薬、もちろん母の薬箱に入っていたアレらも持って来ていた。
だが……
「だいじょうぶヨ! ソウイウときハ、わたしニマカセル!」
止める間もなく、斜め後ろにいたリカが、胸を張って応えていた。
セルリアン王子は目を見開いてそちらを見たが、驚きの表情の後は少し赤くなった。
「そ、それは、貴女が身代わりになるという……」
「違いますっ! そういう意味ではありません!」
ベアトリスは慌てて否定する。
さすがに、侍女を生贄にするような女だとは、思われたくない。
「つまりわたしガ、いっしゅんデゆめノせかいヘ……」
「あ!あのですねっ! ここにいる者は体術が得意でして……いえ、殴ったりでなく、軽く突い……触っただけで、人を眠らせる事ができるのです。痛くもないし、勿論後遺症などもありません。私が、自分自身で証明しております!」
立て板に水式で、縋るような目をしてべらべら話すベアトリスに、第二王子は納得したらしく、何度か頷いた。
「……まったく問題がないとは言いませんが、自衛の方法があるのは分かりました」
一国の王太子――実兄の身に何かされてはたまらないよね……針を使ったり、薬を使ったりする方法もあるというのを、リカに言わせないようにベアトリスは必死だった。
「……お手紙や、本日お会いできた事で、皇女殿下のお人柄が少し理解できたように思います」
「合格と言う事でしょうか?」
澄ました顔の第二王子は、目を伏せ両掌を胸の前で挙げた。
「貴女と兄上、アリュシアーデの謀に協力しましょう」
(おぉ、セルリアン王子の協力があれば、上手くやれる率がとても跳ね上がるわ!)
ベアトリスは礼を告げた。
「有難うございます」
「……喜んで、ではありませんよ」
「承知しております」
彼には、こんな危ない橋を渡る理由はない。
純粋に兄と、その想い人である幼馴染を思う気持ちから手伝っているのだろう。
おまけに、兄と幼馴染が結ばれるまでは、彼は自分の婚約者も持てない。
「セルリアン殿下には、本当に不自由をおかけします」
含みを感じさせるベアトリスの言葉を、第二王子はさらっと流した。
「婚約者のことなら、ご心配なく。兄と話がついています」
「それは……」
「防波堤になるご褒美は、しっかりいただくという事です」
後年の策士を思わせる笑みを浮かべた王子に、内容を聞きたい気持ちはあったが、ベアトリスはただ優雅な仕草で頭を下げた。
乗馬服では格好がつかないな、と思いながらも。
「第二王子殿下に感謝を。私に出来る事があれば、何なりとどうぞ」
「貴女は王太子妃として、兄を支えてください」
それこそが、王太子とベアトリスの『密約』。
ベアトリスを王国の王太子妃として、帝国から『保護』すること。
その代りに、ベアトリスが知る限りの帝国の、またその他国の情報の提供。
皇女として、女皇として教育された彼女のすべてを使って、王国に尽くす事。
それ以上に望むことはありません、と美しい顔に微笑みを浮かべて、第二王子は去った。
…次が、『ベアトリス編』の最後になるかと。




