番外編:ベアトリス皇女は振り向かない 5
帝国建国以来、玉座の背後には、常に初代皇帝の肖像画が飾られている。
堂々たる美丈夫として描かれた、彼の髪色はベアトリスと同じ、『深紅』であった。
ベアトリスが、仮にも女性で初の皇帝に推挙されたのも、弟――次期皇帝に暴行を加えても、処罰、幽閉等されなかったのは、彼女が皇帝の娘だったから……だけではない。
彼女の髪色故だった。
権力を帝室に集中させる事を、正当化してきた結果、今や、初代皇帝は帝国にとって、神に等しい存在になっている。
その血を引き、その色を持つ皇女を罰する法など、帝国には存在しなかった。
(帝国の血統主義のなせる業よね。ここ数代、この髪色の皇族は出てなかったし)
ベアトリスの父である皇帝も、前皇帝である祖父も、次期皇帝である弟も持っていない深紅の色。
その為に、崇められたり、暗殺されかけたり忙しかった訳だが……
(王国の後継に、この髪色が出たら狂喜するでしょうねぇ)
ありえんけどねっ!――決意を新たに、ベアトリスは心もち頭を下げた。
「……ですので、殿下には一年の我慢を――と、言いたいところですが、大変申し訳ございません。帝国側は、一年で王太子殿下が側妃を迎える事は、認めないと思われます」
絶対に、盛大に、文句を言ってくるのが見えるようである。
「ので……三年。それ以上は絶対にお待たせ致しません! 三年お待ちいただければ、アリュシアーデ様と王太子殿下は、想いを叶える事ができるとお約束致します」
(なんか、セールスマンみたいだわね)
ベアトリスは心の中で苦笑していたが、目の前の公爵令嬢は悲痛な表情を浮かべる。
「そんな、そんな事をして、ベアトリス様に何の得があるのですか……!」
魂から、絞り出されるような声だった。
心情的には、己の愛する男と、褥を共にするつもりはないという、皇女の話は好ましい物だろう。
だが、一国の王太子妃が子を産まない事が、どれだけ立場を危うくするかも、彼女は分かっているのだ。
(アリュシアーデ様も、妃教育を受けているしね)
厳しい妃教育を受けていたのに、途中で放り出されて……それは、帝王教育の途中で『もういい』と、投げ出された、ベアトリスにも通ずるものがある。
が……
(……うん。まぁ、アリュシアーデ様の場合、原因が『ベアトリス』なんだよねぇ)
これは覆せないし、覆そうとも思わない。
今、ここにいる自分に、後悔は出来ない。
「アリュシアーデ様、私は帝国を出たかったのです。女帝として君臨したい訳でも、王妃として愛される事でもなく、私の人生で、『これ』が唯一の望みなのです」
ベアトリスは、ぎこちなく笑った。
「帝国がどんな国であるかは、手紙に書いた通りです。……ですが、私があの場所から逃げ出す為に、貴女と王太子殿下を巻き込んでしまいました。本当に申し訳なく思ってます。だから、これが私にできる最大の誠意なのです」
次期皇帝に手を出した時点で、国外へ嫁がせられるのは決定だったと思う。
候補に挙がった相手の中で、一番帝国の利になるのが、既に婚約者のいるお隣の王太子だったのは確かだが、それとてベアトリスがどうしても嫌だと言えば、変えられたかもしれない。
(だからすべては、ベアトリスの咎だ)
……独りよがりと言われても、今更と言われても、偽善と言われても、それでも償うと決めたのだ。
アリュシアーデは何かを言いかけて、止めた。
代わりに、蒼白の頬のまま、口を開いた。
「納得は……まだできません。ですが、お立場への理解は、出来たと思います」
「では」
「少しお待ちください! 実は……続き部屋に、私と王太子殿下が、一番信頼している方がいます。あの方にだけは、全てを話してあります。どうか、お目通りをお許しください」
ベアトリスは鷹揚に頷いた。
近くに誰かいることは、リカから耳打ちされていた。
何かあっても、リカが勝てない相手ではないことも。
アリュシアーデは続き部屋のドアをノックして、その中に入っていった。
(アリュシアーデ様と王太子の信用する人か……。……もしかして、……誰か、知ってる人が出てくるのかな?)
隣室のドアを見つめながら、ベアトリスはドキドキし始めた。
(忠実なる侍女マリス……『あの方』っていうから違うわね。家庭教師でもある、憂いのラザロ伯爵……令嬢より王太子寄りの人だから違うか。あとは……)
続き部屋のドアが開いた。
王国物語の登場人物を思い浮かべながら、振り向いたベアトリスは、入って来た青年に、思わず目を奪われた。
アリュシアーデと入れ違いに現れたのは、薄い微笑みを口元に浮かべた、黒髪の美青年だった。
彼は充分な距離を取って、ベアトリスの前に立った。
優雅な仕草で胸に手を当てると体を屈め、ベアトリスに向かって礼を取った。
「ルコンテス王国、第二王子のセルリアンと申します。お目にかかれて光栄です」
(美しい人は、声も麗しいのね……)
ベアトリスは一瞬のラグはあったが、ぱっと皇女のガワをかぶった。
「……ベアトリス・イレーネ・アントワーヌ・デュアリーです」
そして、一息吐いて、騒ぐ鼓動を押さえつけて口を開く。
「殿下が、このような場所にいて大丈夫なのですか?」
「その言葉は貴女に……本当に現れるなんて驚きましたよ、ベアトリス皇女殿下」
第二王子は苦笑を浮かべた。
「少なくとも私は、貴女よりは余裕がありますよ」
違いますか?と問うセルリアンに、無言で微笑み返すベアトリスだが、頭の中は軽いお祭り状態だった。
(うぉぉ……生セルリアン王子だよー!『美しき王国の懐剣』様だー! 出番少ないのに、要所要所でいいトコさらって行くレアキャラだー!!)
『王国物語』の主役カプが、王太子と公爵令嬢なら、第二王子は彼らを支える名脇役だった。
優秀で真面目な兄と、掴み所のない風のような弟。
貴族学園を卒業した後も要職につかず、ひょいっと他国へ遊学したりして……それらが、後になってどれだけ王国へ貢献していたのか明かされるのだ。
(美味しい、めちゃくちゃ美味しい人だった……)
前世も今も、ベアトリスは面食いではなかったので、ミーハーな萌え方は出来なかったが、幸せになって欲しいキャラだった。
だって彼の愛する人は……




