番外編:ベアトリス皇女は振り向かない 3
王国と帝国の間で、なんとか話がまとまって2年余りが過ぎた。
17歳――帝国での成人年齢になったベアトリスは、王国へと向かう日を迎えた。
贅を尽くした、皇宮の大広間。
居並ぶ高官と、帝室に連なる者たち。
その中心に立つベアトリスから、優に10mは離れているだろう。
豪華な玉座に、だらしのない恰好で腰かける男は、宰相に促され口を開いた。
「どこへ行っても、帝国の皇女たる誇りを忘れぬよう努めよ……」
覇気の全く感じられない、ぼそぼそとした声は、静まり返った広間の中でさえ、よく聞き取れなかったが、ベアトリスは膝を曲げ頭を下げて応えた。
「すべて仰せのままに、皇帝陛下」
(返す言葉なんて『コレ』以外ないもんね~)
初めて会った日から今日まで『コレ』だった。
ベアトリスはこの相手を「父上」と呼んだ事もない。
(それも今日で最後だと思うと、感慨深いわ)
母親も母親で、いつも『皇妃様は、御気分が優れないとの事です』と、ベアトリスの面会は拒否され、いつの間にか皇宮からもいなくなった。
乳母がまともな人だったのが、ベアトリスの幸運だった。
それでも、必要最低限の愛情を注ぐしか許されなかった彼女は、乳母の役目を返上せざるを得なくなった際も、娘のマリオンを皇女宮に残してくれた。
自分の地位もまだ頼りなかったが、もっと頼りない立場のマリオンを守らねば、と奮い立つことで、幼いベアトリスは強くなっていった。
(こんな場所でよく頑張ったよね、ベアトリス)
前世の父母はよく思い出せないが、イヤな感じはしないので、普通の親子関係だったのだろう。
ならば、来世に期待!だ。
一応、『皇女見送りの儀』は、皇族全員集合の筈だが、皇太子はいなかった。
(どんなに嫌いな相手でも、公式の式典はマトモに出といた方がいいと思うんだけどねー)
ちなみにアレから、ベアトリスは弟と会ったことはない。
マリオンが侍女仲間から仕入れた話では、またベアトリスが何かするのでは、と第二妃が差し止めたらしいが……
『ブクブクニふとッテ、アレジャあるケナイヨ』
……とは、リカが珍しく顔をしかめて語った、『後宮で偶然見かけた子供』の話だ。
皇太子宮には国の内外から、珍しい果物や菓子が集まっているという話は、ベアトリスも知っていた。
皇帝の隣に立っている第二妃(……いやもう皇妃様か? 御触れはなかったよね)も、心なしか、ふくよかになっている。
我が弟ながら、やばい道に進んでるなーと思う。
過保護も立派な虐待だ、と前世知識が彼女に囁いた。
皇帝が退席し散会となり、ベアトリスも踵を返し退出しようとすると、その前を遮る影があった。
顔を上げると、軽薄な若い男のにやけ顔が目に入った。
(これが、『美して優しい、私を包み込むような微笑み』に見えたんだから、思春期って怖いわ……)
病気だったのよ、ベアトリス……と彼女は、自分に言い聞かせた。
「やあ、ベアトリス」
「お久しぶりですね、従兄様」
「……こんな事になって、本当に残念だよ」
(あーん? どの口がいいますかー!?)
背後に控えたマリオンの、怒りの波動も伝わって来る。
「陛下も、何もあんな野蛮な国に、君を送るなんて……」
(大陸の国々を、力づくで併合していった歴史を持つ帝国の方が、ずっと野蛮だと思いますがねー)
帝国の人間は、帝国以外の国を平気で見下す。
(その傲慢さが命取りになるのは、まだずっと先だろうどね……)
小さいひずみはアチコチに出来ている。
ベアトリスは、驚きの表情を作った。
「あら? 私は陛下に感謝してましてよ」
「ベアトリス?」
「王国は帝国よりも暖かいと聞きます。今頃はもう、美しい花々が咲き誇っていることでしょう」
帝国は王国の、斜め北に位置している。
皇宮のある帝都は、帝国内でもやや南にあるが、自然に花が咲くのはまだまだ先だ。
「ふ、花なんて。帝国にいて見られない物はないよ」
「そうでしょうか? あちらの王太子殿下は、色とりどりの庭園で私を待っていて下さるそうです」
頬に手を当て、恥じらうように微笑むと、元婚約者の女子供を見下す表情が、さっと変わった。
「従兄様にも、感謝してましてよ。快く、婚約を解消していただけたおかげで、私はこうして、彼の国の王太子殿下に嫁げるのですもの」
はしゃぐように告げ、思いっきり無邪気に笑う。
自分でも不気味だが、元婚約者には、この方がアピールするのをベアトリスは知っている。
「ベアトリス、僕はね……」
「従兄様も! お妃様の侍女の方、男爵家のご令嬢でしたっけ? あの方とお幸せに! 私、遠くの空からお祈りしておりますわ」
醜聞を期待して、さりげなく耳を澄ませている周囲に、ベアトリスは声は高らかに響いていった。
浮気相手とは、もう事実上破局しているとベアトリスは知っている。
(あちらも『少女』とは言えない、御歳になってますものねー)
それ以前に、己の中の皇帝の血を誇っているこの男が、たかが男爵令嬢などと縁を結ぶ訳がない。
(禁断の恋とか、身分違いとか、浮気って燃えるのよね。しかも奪う相手は『皇女』ですものねー さぞかしよく燃えたでしょうね)
「皇女殿下、そろそろ……」
マリオンがタイミングよく、声をかけてくれる。
ベアトリスは今気づいたという風に、手をパチッと合わせ
「まぁ……!」
とつぶやいた。
そして心もち頭を下げ、
「予定が押しておりますので、これにて失礼致します」
(永遠にさようなら、『従兄様』)
ベアトリスは、今度こそ、出入口に向かった。
もう、彼女の邪魔をしてくる者はいなかった。
 





