表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

後悔先にたたず・その2

やや長めです。

 ラビエータの父ラルゴは、爵位剥奪の上、一般牢へ収監された。

 帝国法に基づき、死刑囚としての最低限の生活は保障されていたが、執行日の告知は直前までなく、髪も髭も伸びたまま、狭い空間で彼は日々を送った。


 金物は一切取り上げられた。

 ラビエータが投げ渡してきた小さな指輪すら。


 牢内で許されたのは、帝国正教の教書を読むことだけだ。

 することもないから、与えられた教書を捲る。


『嘘をついてはいけません』

『他人には優しくしましょう』


 昔むかし、最初の妻が言っていたようなことが書いてある。

 何度か頁を破ろうとして、都度ラルゴは思いとどまった。


 ある晩のこと。

 小さな窓の鉄格子の隙間から、青い月の光が差している。

 床で寝ていたラルゴは、衣擦れの音に気付く。


 深夜の牢屋にドレスで来る者など、いるはずがない。

 だが気になり、ラルゴは上半身を起こす。


 ふわりと香水の匂いがする。

 女が、いるのか。

 まさか……。


 ――旦那様……。


 まさか!


 朧げな月光の中、ラルゴは牢の前に立つ、かつての妻を見る。


「お、お前、プリーシャ……」


 妻は笑う。

 結婚した当時と同じ顔で。

 菫のような目を細めて。


 ――うふふ。幸せでしたわ、あの頃。


 妻はラルゴに手を伸ばす。


 ――もうすぐ、会えますね……。


「ひっひいいいいいい!」



 ラルゴは頭を抱え蹲る。


「俺じゃない……俺じゃない……俺だけじゃない!」


 全身を震わせながら、ラルゴは長い間、涙を流し続けた。

 ふと、牢屋の前の気配が消え、コロンと何かが転がった。


 薄く目を開けたラルゴに、床の上に小さく光る物が見えた。

 それは白い球体。


 ラルゴはおずおずと手に取る。


「真珠……?」


 脳裏に浮かぶ遥か昔の記憶。

 ラビエータが生まれたばかりの頃だ。


 出産を労い、何の気なしに妻に渡したネックレス。

 安物の真珠だったが、プリーシャは大層喜んだ。


『大切にするわ。私と娘のお守りとして』


 裕福な妻の実家からは、高価な宝飾や家財が届けられていた。

 ラルゴは妻の言葉に鼻白む。

 馬鹿にされているように感じたのだ。


 それでも……。


 妻と娘と慎ましく、生きていく道を選ばなかったのは、彼自身である。

 ぽたりと水滴が落ちた。

 それはラルゴの涙だったのか……。



 数日後、刑が執行されたラルゴの掌には、一粒の真珠が握られていたという。



 ***


 ラビエータの義妹アージィとその夫ペトリエルは、平民となり旧王都のはずれで暮らしていた。

 ヴィンダ夫妻が捕縛された後、借財の厳しい取り立てが二人を襲う。

 邸や宝飾品を手放しても、返しきれる額ではない。


 ペトリエルは農地開拓や土木工事に従事し、アージィは飲食店の給仕として働くことになる。

 返済すると、手元に残るのは僅かな日々の糧。

 明日の食事代に頭を悩ますような生活に、二人が耐えられるはずもない。


 ある日のこと。

 ペトリエルは仕事を早めに切り上げ、働く店からアージィを連れ出す。


「ちょ、ちょっと。まだ仕事残ってるんだよ」

「ああ、いいからいいから。とりあえず着替えて、化粧しろよ」


 ペトリエルは、薄い生地で派手な色の服をアージィに投げる。


「ほら、新しいドレスだ」


 アージィは鼻を鳴らしながら、服を着る。

 胸と背中が大きく開いた、平民でも着ないようなデザインだった。

 デコルテに何もないのは寂しいので、ガラス玉のネックレスを付けてみた。


 あれほど沢山あった色石や貴金属は、もう手元に残っていない。

 その大半がラビエータから奪った物だったという記憶も、薄れているアージィである。


 ペトリエルがアージィを連れて行った先は、場末の娼館だ。


「え、やだよ! 聞いてない!」


 流石にいやがるアージィの頬を叩き、ペトリエルは彼女を突き飛ばす。アージィは店先で転んだ。

 アージィを売った金だけひったくるように受け取ると、ペトリエルは逃げ去った。


 残されたアージィは、胸元のネックレスが切れ、ガラス玉が散っていくのを見ていた。


 ガリッと音がした。

 ガラス玉が一つ、壊れたようだ。


 顔を上げたアージィに、蜃気楼のような景色が見えた。


 散らばる白い粒。

 踏みつけている女の子。


 泣いている少女。

 少女の泣き顔を見ると、女の子は嗤う。

 歪んだ笑みだ。


 少女の持ち物を好き勝手に壊した。

 すると心が晴れる。

 母が喜ぶ。


 少女の死んだ母親の持ち物だったという真珠。

 女の子は床に散らばる真珠を、思い切り踏んだ。


 儚い美しさを持つ真珠は、傷つきやすい。

 力を込めて踏みつければ、いとも簡単に潰れる。


 嫌な笑顔を浮かべ、喜々として真珠を踏みつけている女の子……ああ、アージィ(あたし)だ。


 今、目の前でガラス玉を踏みつけているのも、紛れもなく幼い頃のアージィだ。


 何するのさ、アージィ。 

 唯一残された装飾品だったのに。

 悔しい!

 悲しい!

 許せない!


 ――何を許せないの?


 目の前の幼いアージィが笑う。


 ――弱い者を踏みつけて、何がいけないの?


 アージィはぼろぼろ涙を流す。

 それは嘗て、アージィが言ったこと。


 貴族子女として生まれ育った義理の姉が、羨ましかった。

 綺麗なドレスや宝石をいくつも持つ、ラビエータが許せなかった。

 婚約者の男も、世界一素晴らしい男に思えた。


 ――これだけはやめてと何度も言っても、あなたは止めてはくれなかった……。


 そうだ。

 義理の姉は何度も何度も、窘めてくれた。

 人としてのあるべき姿を。

 人の物を奪ってはいけないと。

 うるさい、ウザイと撥ねつけた。


 結果がこれか。

 世界一だったはずの夫には売られ、逃げられた。

 底辺の更にまた奥底。


 蜃気楼の中の自分は、美しい淑女の礼をすると、ふんわりと笑った。

 一時は姉であった女性の微笑みに、似ているとアージィは思った。



 **



 ペトリエルは走っていた。

 手持ちの金があれば、しばらくは遊んで暮らせる。

 伯爵が作った借金など知るか。

 まずは旧王都に行こう。


 数日前、工事現場に落ちていた新聞の切れ端に、驚くような記事を見た。


『稀代の悪女、自治領主妃に!』


 悪女とは、元の婚約者ラビエータのことだ。

 旧王国が帝国の自治領となり、しばらくはざわついていた。最近になって旧王国の大公家の者が領主となり、ようやく落ち着きを取り戻したところだ。


 大公に嫁いだあとのラビエータは、本当に美しく艶やかになった。

 昔からあんな風だったら、何も下賤な身のアージィと結婚などしなかったのに。


 領主の妃となったからには、再婚したのだろうか。大公家繋がりもあるし。

 まあ、悪女ラビエータなら、粉をかければ靡いてくるのではないか。

 何と言っても、ラビエータは自分に惚れていたのだから。


 下卑た妄想を浮かべたペトリエルの足が止まる。


 広い街道の手前で、数人の男に囲まれた。

 思わず懐の革袋を抑える。


「ようペトリエル。金回りが良さそうだな」


「い、いや、そんなことは……」


「恋女房を売ってまで、借金を返そうなんて、偉いよお前」


 何故コイツラが知っている。


 冷や汗が流れるペトリエルの顔色を見て、男たちはゲラゲラ笑う。


「借金取りと娼館は持ちつ持たれつ、だぜ。さっさと懐のモノ渡しな!」


 イヤイヤしながら後ずさるペトリエルに、男たちは容赦なく暴力を振るう。

 ペトリエルの抵抗むなしく、革袋ごと抜き取られる。


 男たちは顔の形が変わったペトリエルを、そのまま川に投げ込んだ。

 痛みと屈辱で、涙を流しながら、ペトリエルは川底に沈んでいく。


 ――あなたには、涙を流す価値もないわ。


 遠のく意識の中で、婚約者だった女の声がペトリエルには聞こえた。

次が最終話です。

ここまでお読み下さいまして、ありがとうございました!!

感想は、必ず返信いたしますので、少々お待ちくださいませ。

ブクマ、評価、いいね、本当にありがとうございます!!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] それぞれが相応の報いを受けましたね。 最後の最期で亡き奥方への罪悪感を抱いたのか、真珠を握り締めて処刑されていたのが印象的でした。 [気になる点] 義妹は意外としぶとく娼婦として頑張っ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ