餌
ユースティが帰っていった後、ラビエータは庭で夕陽を眺めていた。
学園の図書館で勉強する時間は、あの頃唯一、心安らぐひと時であった。
貴族子女として生まれ育った家では、何も希望が持てなかったのだ。
時々、図書館の窓際で夕焼けを見つめた。
同じ時間、図書館に残っているのは、ユースティくらいだった。
勉学に励む彼には、いつしか親近感を持っていた。
卒業式後の馬鹿げた婚約破棄宣言の時、ラビエータを追いかけてくれたのはユースティだったのだろう。今日の面会は、あの時の恩返しになったろうか。
「奥様」
侍従のダニエルが、ため息をつくようにラビエータを呼ぶ。
「また、門で騒いでいらっしゃいますが……」
ラビエータの口の端が上がる。
相当追い詰められているのだろう。あの連中。
勿論、そうなるように仕向けたのだ。
引導を渡す時となったようだ。
「分かりました。今日は私が相手をしましょう」
ラビエータがエントランスまで出向くと、実父の伯爵と義妹のアージィ。それにアージィの夫となったペトリエルがいた。
ラビエータが姿を見せると、伯爵とアージィの目の色が変わる。
安い貴金属のような色だ。
ペトリエルは目を伏せている。
「おお、ラビエータ!」
「お姉さま!」
ラビエータは優雅に挨拶をして、三人に問う。
「あら、本日伯爵夫人はいらっしゃらないの?」
「そ、そうなんだ、今日はその件で」
伯爵が額の汗を拭く。
「病気になってしまって、その治療費が……」
ラビエータは笑いそうになる頬を引き締める。
「まあ、それはお可哀そうに」
アージィが胸の前で手を組み、上目使いでラビエータを見つめる。
「ひどいわお姉さま! 他人事みたいに。可哀そうな我が家に治療費を出してよ。一人だけ、アンタ一人だけ、こんな贅沢な生活して!」
全くの他人事だとラビエータは思うが、言葉には出さない。
ラビエータが実家のヴィンダ家を離れて五年。
その間に、ヴィンダ家は坂を転げ落ちるかの如く、資産を減らした。
減らした原因の大半は、継母とアージィの散財であり、散財を埋めることが出来なかった伯爵の無能さであった。継母や義妹の購買欲を誘い、ツケや割賦の利用を勧め慣れさせたのは、ラビエータの手の内の者だ。
「三十五回」
微笑みを湛えたまま、ラビエータは冷ややかに言う。
三人はキョトンとした顔をする。
「な、何?」
おそるおそる、ペトリエルが訊く。
「ここ一年間で、皆様が当邸にお金をせびりに来た回数よ。総額は高位貴族の税収数年分になるわ」
「せびるなんて、酷いわ! 家族なら助け合うのが当然でしょ! お姉さまは大公様の遺産、全て受け継いだのだから」
叫ぶアージィに、側で控えている侍従のダニエルが、冷ややかな視線を向ける。
「生憎と、すぐにお渡しできる現金は今、手元にはなくてよ、アージィ」
人差し指を頬に当て、ラビエータは言う。
「そうねえ、王国が以前発行した債券なら、間もなく返金が始まるわね」
伯爵の喉が上下に動く。
「た、確か支払った額より三割増しで返金されるのだったな」
「ええ、王国の債券は百万くらいで購入したかしらね。ああ、帝国の紙幣なら十万ほどあったわ。どちらがよろしいかしら?」
「帝国のお金なんて意味ないわ。とりあえず債券とかを頂戴! それとお姉さまの宝石、余っているものも!」
ラビエータの瞳が一層細くなる。
「余っている宝石なんてないわよ。そうねえ、昔お母様が亡くなった時、お母様から頂いた指輪を棺に入れて御見送りしたけど。余っていたというものでもなかったし。まあいいわ。ダニエル」
ラビエータは侍従に債券を用意させる。
「こちらは来月から返金が始まります。ご注意を」
慇懃な態度の侍従に、伯爵はふと既視感を覚えたような気がしたが、債券を受け取ると同時に忘れた。
すっかり暮れた闇の中を帰っていく、ラビエータの元家族たち。
「これで準備は整ったわ」
ダニエルの胸に顔を寄せ、ラビエータは三日月のような笑みを浮かべた。
そして一ヶ月後、王国に激震が走る。