噂の未亡人
王都にあるルクス社は、週に一度新聞を発行している。
社長以外社員は三人。取材から印刷、販売まで、全て三人で行っている。
ユースティ・アルタスは、三人の社員のうちの一人で、一番若い男性だ。
彼は王都の学園卒業後、寄親貴族の紹介によりルクス社に入った。
ユースティは子爵家の三男で、親たちから学園時代に婿入り先を見つけろと言われていたが、果たすことは出来なかった。さりとて剣技は並以下、第一希望だった王宮文官の試験を落ち、仕方なくルクス社入った。
そんなユースティだったが、学園時代は高位貴族らと一緒に、生徒会の仕事に関わっていたので、文章を読み書きすることは嫌いではなかった。
就職して五年たった今、ユースティも多くの記事を任されるようになった。
目下、ユースティが書きたい内容は、王国内の農作物の不作と、隣国である帝国との関係悪化だ。
天候不順の影響で、国内の小麦の収穫量が例年に比べて少ない。
食料全般の輸入先である帝国とは、ここ数年関税問題で揉め、火種が生じている。
ユースティが万年筆で下書きしていると、勢いよくドアが開き、社長がやって来た。
「おい、ユースティ。明日の晩、用事あるか?」
「はあ、特にないですが。なんですか、一体」
「取材だ取材。明日の公爵家のパーティに、来るんだよ」
「え、誰が?」
「オルプレンタ夫人、いや、未亡人が」
大公オルプレンタ。
前王の弟君にして、王国一番の資産家。
十年前に夫人を亡くし、五年前に再婚した。
親子というより、祖父と孫ほどの年齢差がある婚姻だったと聞く。
再婚後、大公は二年で急死した。
莫大な遺産は、全て若い夫人が相続したという。
夫人の名は、ラビエータ。
学園でユースティと同級生だった女性である。
「ほら、君は同じ学園だったろう? 今回の噂について直撃取材を任せたいのだよ」
「今回の、噂って」
「あのゲイル侯爵と不倫関係っていうヤツ。侯爵夫人は実家に帰って、離縁も間近っていう醜聞」
「はあ……」
「無事取材出来たら、翌日には号外新聞出すぞ」
社長は鼻息も荒く、ユースティの肩を叩く。
「いや、俺、農作物の記事がまだ」
「アホか。そんなモン、後回しだ。誰も読まんから売れないしな。悪女オルプレンタの記事は売れるんだよ、滅法」
そんなものかとユースティは万年筆をしまう。
悪女か……。
学園時代のラビエータからは想像もつかない二つ名だ。
身分も年齢も性別すら問わず、誰にでも優しかった彼女。
栗色の髪を後ろで縛り、図書館で勉強している姿をよく見かけた。
派手なタイプではないが、楚々とした美しさを持つ彼女のことを、ユースティは好ましく思っていた。
もっと言えば、密かに憧れていた。図書館で何度か、会話したこともある。
だが、彼女には婚約者がいた。
当時、ラビエータの婚約者だったペトリエルも、ユースティの同級生だった。
柔らかな金髪の下で輝く水色の瞳は、いかにも貴族子息といった面持ちで、女生徒の人気も高かった。
彼が卒業式でラビエータに婚約破棄を宣言した時、ユースティは驚いた。
あのラビエータを振ってしまうというのか?
次の相手は、ラビエータの義妹アージィ?
ペトリエルの選択に、ユースティは首を傾げた。
アージィが、ペトリエル以外の男子とも遊び回っているのは有名だったからだ。
ともかくも、貴族女性として傷モノ扱いとなったラビエータは、卒業後すぐに四十歳以上年上の大公家に嫁がされた。
大公は、王族の暗部を束ねているとか、闇組織と繋がりがあるとか噂されていたが、幸せになって欲しいとユースティは祈った。
ラビエータがオルプレンタ夫人となって、半年ほどたった頃からだろうか。
彼女にまつわる醜聞が次々と世に出て来た。
最初は大公存命中の噂だ。
ラビエータと近衛騎士団副団長とのロマンスが、王都を駆け巡ったのである。
醜聞を嫌った国王は、副団長を更迭したという。
そう言えば、副団長もユースティらと同期生だった……。
以降、真偽はともかく、オルプレンタ夫人にまつわる噂は後を絶たない。
彼女が白昼堂々逢引していた、大商会の跡取が放逐された。
彼女が足しげく訪れていた、教会の神父までも篭絡された。
彼女に捨てられた年配の元大臣が、王宮内で刃物を振り上げ逮捕された。
そして、大公が逝去した時には、夫人が毒殺したと実しやかに語られたのだ。
この時もルクス社は大公追悼記事の他に、号外で夫人の毒殺疑惑を出した。
それはもう、飛ぶように売れ、社史上最高の売上となった。
◆◆未亡人との再会
この国の公爵家は二つだ。
オルプレンタ大公家と、本日のパーティ主催者であるゲードナー家である。
晩夏の時期、庭園での夜会は同家の定番である。
ユースティは社長と一緒に入場した。
庭園内にはあちこち篝火が揺れていた。
ユースティがウエルカムドリンクで口を潤していると、歓声とどよめきが起こる。
「来たな」
隣の社長が呟いた。
会場となった庭園に、重い熱風が吹く。
篝火は一層高くあがり火の粉を落とす。
喧噪の中心に彼女、ラビエータ・オルプレンタが立っていた。
ユースティの背中を、ピリピリとした何かが走る。
顎に伝わる汗を、彼は手の甲で拭いた。
確かにラビエータである。
顔の造作はそうだと分かる。
だが纏う雰囲気がまるで違う。
ユースティとて予め知っていなければ、分からなかったかもしれない。
今宵、彼女は光沢のある銀色のドレスを纏っていた。
篝火がドレスと彼女のデコルテを橙色に染め、大粒の真珠に炎の軌跡が走る。
艶めかしい。
ユースティの喉が動く。
ラビエータは、黒い式服の男性にエスコートを受けている。
背の高い、端正な顔の男だ。
「また、いつもの男を侍らせているな」
社長が拗ねたような声を出す。
まさか社長の声が聞こえたわけではないだろうが、ラビエータは滑るように、ユースティたちの方へとやって来た。
「ごきげんよう」
昔と変わらず愛らしい声だと、ユースティは思った。
「これはこれはオルプレンタ夫人」
揉み手をしながら近寄る社長からラビエータを守るように、黒い式服の男が位置を変える。
ラビエータは社長を素通りし、真っすぐにユースティの前に立つ。
「お久しぶりですね、ユースティ・アルタス様」
蜂蜜のような、ねっとりとした風がユースティの髪を揺らす。
清楚な令嬢だったラビエータは、華麗な羽を広げ、妖艶な美女へと変身していた。