03
「来たねじゃねーって! これって、それだろ……!?」
「どうして鵜九森さんにまで……っ」
香宮さんの動揺ぶりを見ても、これが死を拡散するための呟きなのだということは嫌でもわかる。
しかも、呟きの中に表示されている秒数のカウントが、はっきりと数字を減らしていっているのだ。
始めは30秒になっていたそれは、俺たちの困惑をよそに20秒を切っていく。
「か、拡散しねーと……!」
香宮さんの先輩は拡散をせずに死んだというし、ブログ主もはっきりと警告をしていた。
真偽が不明だとしても拡散をしなければ、それが1%未満の確率だとしても死ぬリスクがあるということなのだ。
(……けど、俺がこれを拡散したら……結果的にそれが誰かを殺すことになるのか?)
この指ひとつで見ず知らずの誰かに、死のリスクを背負わせることになるかもしれない。そう考えると指先が驚くほどに冷えていく。
誰かを巻き込まないようにと生きてきたのに、俺は結局誰かを不幸にしなければならないのか。
「はーい、ストップ」
震える指の下に表示される2秒の文字。俺の手元をすり抜けた端末が、音坂さんの手の中にあった。
「ちょ、あんた何してんだよ……!?」
「拡散はしなくていいよ」
「しなくていいって、それじゃあ鵜九森さんまで私と同じになっちゃうじゃないですか!」
「うん、それでいいんだよ」
慌てて奪い返したスマホを見ると、あの呟きは跡形もなく消えていた。目の前の男が画面を操作したわけではない。
意図がわからずに顔を見合わせる俺と香宮さんをよそに、音坂さんは会場内に出店されている食べ物のブースへと歩き出している。
「ITSU~! 顔溶ける前に集合写真撮りたいんだけど!」
「あっ、ごめんなさい! すぐ行きます!」
会場の奥から、水色のポニーテールの女性がやってくる。衣装が似ているから、おそらく香宮さんのキャラクターと揃えてきているのだろう。
ITSUという名前は、彼女の名刺にも書かれていたのを覚えている。コスプレネームのようなものだと察することができた。
「あの、音坂さん。私そろそろ撮影に行かないといけないので……」
「うん、いってらっしゃい。近くにいるから大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
撮影場所に向かうらしい香宮さんは、音坂さんに断りを入れた後に俺の方へともの言いたげに視線を寄越してくる。
あの呟きを見てしまった直後なのだから、彼女が気まずさを覚えるのも無理はない。
軽く片手を挙げて見せると、会釈をした香宮さんは仲間のもとへと駆け出していった。
「……何食ってるんスか」
「見ての通り、かき氷だけど」
「かき氷……?」
音坂さんの手にしたプラスチック容器の中には、確かに削られた氷が入っている。だが、俺が聞きたいのはその上に乗せられたものだ。
回しかけられた本来シロップであるべきものは、明らかにドロリとした茶色いソースの類に見える。
トッピングにはウエハースらしき板状の食べ物と、見た目そのままだと思いたくはないのだが、たこ焼きらしき丸い何かが乗っていた。
氷が溶けるからという配慮なのかは知らないが、さすがに湯気が立っている様子はない。
どう見ても美味しそうだなどと思えないそれを、音坂さんはさも当たり前のような顔をして口に運んでいる。
「……不味くないんスか?」
「ん? 美味しいよ、たこかき氷。食べる?」
「遠慮します。つーか、そうじゃなくて……!」
ついつい目の前の光景に気を取られてしまったが、今の俺が問題視すべきなのは異質なかき氷ではない。
「なんで止めたんですか、拡散しなきゃ死ぬんですよね……!?」
スマホの画面を何度確認をしても、もうあの文面はどこにも見当たらない。
制限時間内に拡散することができなかった俺は、拡散しない選択を取ったと判断されたことになる。
「……この中にさ、霊感無い人ってどのくらいいると思う?」
「は? 答えになってねーんだけど」
氷を掬い上げたストロー型のスプーンの先で、音坂さんが示したのは人で溢れる会場の中だ。
呑気に世間話なんてしている場合ではないというのに、この男のマイペースさは崩れることがないのだろうか?
「……霊感なんて、ある奴の方が少ないだろ。9割くらいじゃねえの」
夏の定番の心霊番組だとか、霊能力者がどうこうだとか、それらの大半はヤラセだろうと俺は思っている。
死んだ人間の声が聞こえたりするなら、未解決事件なんてものはこの世から消えるはずだ。
「残念。その逆なんだよね」
「逆……?」
「ここにいるすべての人が、霊感のある人間だと思っていいよ」
「は? いや、それはさすがに盛り過ぎだろ」
「ふふふ」
そんな極端な話があってたまるかと思うのだが、俺が否定することを先読みしていたみたいに、音坂さんは笑いながらかき氷を頬張っている。
「霊感っていっても、大なり小なり差はあるよ。けど、完全に霊感が無い人間って実はほとんどいないんだ」
「でも、俺は……?」
音坂さんに初めて出会った時、開口一番に向けられた言葉が脳裏を過ぎる。
霊感の強さに関わらず霊感があるという言い方をするこの人が、俺には霊感が無いと言った。つまり俺は、世間的には珍しい人間だということになる。
「琥太郎くんみたいに、霊感ゼロの人間は貴重だよ。僕も出会ったのは二人目だし」
嘘をつかれたところで、俺にそれを見極める術はない。ただ、この男が嘘を言っているようには思えなかった。
実際に、音坂さんに特殊な力があるということは紛れもない事実だ。
「霊感っていうのは、自分が身を守るために与えられた力のようなものなんだけどね。たとえば琥太郎くん、キミの周りには生命バリアが張られてる」
「生命バリア……?」
やっぱりからかわれているのかもしれない。まるで小学生が遊びで使うようなワードに、一気に胡散臭さが増したような気がする。
疑惑の眼差しを隠そうともしない俺の反応を気にすることもなく、音坂さんは話を続けていく。
「生命バリアが強いほど、何か対処をしなくても悪いものからバリアが身を守ってくれる。だけど、そのバリアが弱ければ危険を察知する力が必要になる」
「怪我したら痛みを感じるみたいな……?」
「そうそう、そんな感じ。霊感の強い人間はその分バリアが弱いから、『嫌な予感』とか『虫の知らせ』ってやつで、本能的に危険を察知してるんだよ」
「俺も嫌な予感とかすることあるけど……」
「うん、それらには二種類あってね。霊感のある人間は危険を察知しているのに対して、霊感の無い人間はこれまでの経験則に基づいて『予測』をしてるんだ」
「予測……」
「これは無意識なものだから、考えてもわからないだろうけどね」
俺は俺の感覚しか知らないのだから、霊感があるという他人との感覚を比較することはできない。
音坂さんの言うバリアどうこうの話が本当なのだとすれば、俺は無意識のうちに危険から守られていたということなのだろう。
「じゃあ、霊感の弱い人はどうなるんスか?」
「放っておいたら大変なことになっちゃうね」
「大変なこと……」
その言葉に、俺はアパートの隣人の姿を思い出す。
俺にはわからないが、あのオッサンにも少なからず霊感があったということなのかもしれない。
「だから大変なことにならないよう、悪さする霊をどうにかするのが僕らのお仕事ってわけ」
「……けど、それって矛盾してないスか?」
「うん?」
助手として雇われたものの、正直どんな仕事をさせられるのかまるで想像がついていなかった。
霊感の強い音坂さんが、霊感の弱い人を守る仕事をしているのだとすれば、俺の存在が役に立つようには思えないのだが。
「矛盾してるかどうかは、そのうちわかるんじゃないかな」
「そのうちって……」
人を雇うのなら、仕事の詳細くらいはきっちり教えるべきではないのだろうか?
言い方に引っかかりを覚えるが、かき氷をすっかり胃袋に収めた音坂さんは立ち上がってゴミ箱へと向かっていく。
その後を追いながら、すれ違う人の波に目を遣る。
(この人たちみんな、霊感があんのか……)
目立ちたがり屋がそう主張することがあっても、霊感があることを話す人間の存在は当たり前のものではない。
だとすれば、ここにいる人たちの多くは自分に霊感があるだなんて、想像もしていないのだろう。
「きゃああああああっ!!!!」
そんなことを考えた時、離れた場所で何かが倒れたような派手な音と共に複数の悲鳴が響く。
一斉に視線が向けられたのは、さっき香宮さんが写真を撮るといって向かっていった方角だった。
「っ、音坂さん……今の……!」
「うん、行ってみよう」
俺に促されるまでもなく、音坂さんは悲鳴の聞こえた方へと駆け出している。
胸の奥がざわついて嫌な予感がする。これも経験則から感じているものなのだとすれば、どうか予感が外れてほしいと願うばかりだった。
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