02
「死を拡散って……事件事故現場の写真とかを拡散するみたいな?」
「いえ、そういうやつじゃなくて。拡散したことで人が死ぬ、呪いみたいなものかと」
人の死や事故現場などの悲惨な写真や映像を、SNSに載せて注目を集めようとする人間はネット上には少なくない。
そういう話かと思ったのだが、俺の考えは香宮さんからあっさり否定されてしまう。
「一昔前に流行った、チェーンメールの現代版かな」
「……チェーンメール、って……なんですか?」
「え、うそでしょ? 一鶴ちゃんチェンメ知らない?」
「俺も知らないです」
よくわからないが、音坂さんは俺と香宮さんの反応に大袈裟にショックを受けているらしい。
ソファの肘掛け側に倒れ込んで何やらブツブツ唱えている男をよそに、香宮さんはやたらと大きな鞄のポケットから自身のスマホを取り出した。
デフォルメされた猫のようなキャラクターが描かれた、手帳型のスマホケース。それを開いて画面を操作した彼女は、こちらに中身が見えるようテーブルの上へと置いた。
「これ、実際に拡散に協力したって人のブログなんですけど」
覗き込んでみると、スマホにはよくあるブログの一ページが表示されている。
記事のタイトル一覧を見る限り、ブログ主は鉄道関係の趣味を公開するために利用しているようなのだが、その中に一つだけ明らかに異質なものがあった。
『SNSで拡散した呪いは本物です』
香宮さんの許可を得てその記事を開いてみると、内容はひどく簡潔に書かれている。
『僕のSNSを見た人へ。先日の呪い拡散は本物です。
本当にごめんなさい。
だけど僕は死にたくなかった。
死にたくなければ拡散して』
数日前の日付になっているこれが最新の記事で、以降の記事は更新されていない。
「でも、こういうのってよくあるっつーか、言っちゃ悪いけど気を引きたいだけじゃ……」
「そうじゃないと思ったから、僕のところに来たんだ?」
いつの間に復活していたのか、気配もなく横からスマホを覗き込んでいた音坂さんに身体が跳ねる。
(つーか距離が近いんだよ、パーソナルスペースバグりすぎか)
俺の脳内抗議が届くはずもなく、音坂さんの問いに頷いた香宮さんの顔つきが真面目なものになる。
「部活の先輩が、昨日亡くなりました。事故なんですけど……数日前に、先輩がこのSNSの話をしてたんです」
「先輩は拡散しなかったの?」
「わからないですけど、多分……先輩、こういう呪いとか迷信とか信じない人で」
「そのSNSの内容は確認できないんスか? 先輩のアカウントとかわかれば、見たら一発なんじゃ……」
俺が考えつくようなことなんて、すでに当たり前に試してみているのだろう。
力なく首を振った香宮さんは、その先輩のものと思われるSNSのページを開いて見せてくれた。
「呪いの呟きは、拡散するかどうかの選択を迫ってくるんです。決められた時間内に選択してもしなくても、呟きは消えてしまうみたいで……この通りです」
呟きの履歴を遡ってみても日常的なものばかりで、それらしき呟きを見つけることはできない。
「……もしかして、一鶴ちゃんも拡散した?」
「えっ……まさか……」
音坂さんの指摘を受けて彼女を見ると、聞くまでもなく答えは明白だった。
膝上丈のスカートの裾を握り締める香宮さんの手は、恐怖からかわずかに震えているように見える。
「か、拡散はしませんでした。私も信じてなかったから」
拡散をしなかった。つまりそれは、昨日事故死したという先輩と同じ選択をしたということだ。
「先輩が話をしてたのは、数日前なんだよね?」
「はい、三日前の部活の時でした」
「一鶴ちゃんが呟きを見たのは?」
「……昨日の夜です」
「なるほど。じゃあ、二日くらいは猶予がありそうかな」
妙に落ち着き払っている音坂さんは、こうした話を聞き慣れているのだろう。
だからこそ、彼女もまた音坂さんを頼ってここに来たのだ。
俺だって、この人に出会う前だったらこんな非現実的な話を信じることはなかったはずだ。完全に信用しきっているとは言い切れないが。
それでも、あんなものを視せられたら、そういう世界の存在を信じるほかないだろう。
「一鶴ちゃん、もしかしてこれからイベントかな?」
「あ、はい。会場に向かう前に冥土さんに相談しておこうと思って」
「なるほど、それなら僕らも同行しちゃおっか」
「あの……イベントって何スか?」
香宮さんのスケジュールについてを把握しているのか、俺を置き去りにして話が進められていく。
彼女は確かに美人だし、何かのモデルでもしているのかもしれない。そのイベントとやらが今日開催されるということなのだろう。
俺を見た音坂さんは、やたらと楽しそうな顔をして笑っている。
「琥太郎くん、早速助手の初仕事だよ!」
「……へ?」
◆
「これが、イベント……?」
行く先もわからず強引に連れ出された俺は、経験したこともないような人混みの中に放り込まれていた。
どこから溢れ出てくるのやら、途切れることのない人の波が遥か先まで列を成している。
逆三角形を四つ並べた独特の形状をした大きな建物。存在は知っていたが、内部はこのようになっていたのか……などと感心している余裕はない。
「コミケってやつだね。僕も実際来たのは初めてだけど、人がすごいね」
「はあ、なるほど……って、そうじゃねーだろ!!」
持参したらしい紺色の扇子で顔の辺りに風を送ってはいるが、やはり汗ひとつかいていないこの男は一人涼しげな顔をしている。
七分袖のジャケットを羽織る音坂さんとは反対に、Tシャツ一枚の俺は噴き出す汗が止まらないというのに。
始めは汗臭いだろうかと心配したものの、会場内はそもそもが独特の熱気を纏っている。誰も彼も、周囲の状況より各々の目的を達成することの方が重要そうだ。
それに、俺が気にかけるべきことはもっと他にある。
「音坂さん……俺、こういう場所はあんま……」
場違いだとか混雑が鬱陶しいだとか、会場を出たくなる理由は挙げればいくらでも並べられそうだ。
けれど、俺がこの場にいることで意図せず誰かに迷惑をかけることになるかもしれない。対象となる人間が多すぎること、それが一番嫌だった。
「うん、大丈夫だよ」
だというのに、音坂さんは俺の方を見ようともせずに涼しげな顔で扇子を揺らしている。
あの時のように何かが視えているのかもしれないし、真面目に取り合う気がないだけのようにも見えてしまう。
「大丈夫って……」
「僕がいるから」
思い思いに会話をする来場者たち。会場内に響き渡るアナウンス。
それらにかき消されてもおかしくはない男の小さな声は、どうしてだか雑音をすり抜けて俺の耳に届く。
「……そうかよ」
そう呟いた俺の声が届いたかはわからないが、音坂さんの口元が少しだけ緩んだように見えた。
この人は一体、俺のことをどこまで知っているんだろうか?
「冥土さん! 鵜九森さん!」
周囲の人間も反応するほどにはっきりとした声が響いて、顔を向けると見知らぬ女性が駆け寄ってきているのが目に入った。
派手な桃色をした長い髪は左右対象に巻かれていて、身体のラインをなぞるみたいにぴたりとした白いドレスは、ぱっくりと割れた胸元から谷間を大胆に覗かせている。
顔は幼い印象なのに妖艶にも見えるその女性は、人懐っこい笑みを浮かべて俺の前で立ち止まった。
「え、っと……?」
「わあ、着替えてきたんだね。よく似合ってるよ、一鶴ちゃん」
「ありがとうございます!」
「え……香宮さん……!?」
音坂さんがあまりに自然に受け入れているので一瞬頭がバグってしまうが、確かにそう言われてみれば聞き覚えのある声をしている。
見た目はまるで別人だが、目の前の彼女は香宮さんなのか。
「ふふ、驚いたでしょ。彼女はコスプレイヤーをしてるんだよ」
「そうだったんスね。生のコスプレって初めて見たけど、別人みてえ」
「別人になれるよう頑張ってるので! あ、これ私の名刺です。良かったら!」
「あ、どーも……」
腰元のポーチから丁寧に差し出された名刺を受け取る。
SNSのQRコードも載せられていたから、興味本位で覗いてみた俺は表示された数字を三度見してしまった。
「一鶴ちゃんすごいよね、登録者数150万人超えの超人気のコスプレイヤーなんだよ」
「マジか、女子高生スゲー……ん? なんだこれ」
「鵜九森さん、どうかしました?」
「あ、いや……なんか変な呟きがあるから」
香宮さんのアカウントに驚かされた俺は、感心しながら自分のSNSのホームへと戻る。
自分のといっても、登録したきりほぼ使っていない見る専門のアカウントなのだが。そこに見覚えのないアカウントの呟きが表示されていた。
『今すぐ拡散しなければあなたは死にます
拡散する? (30秒)』
普段なら何事もなくスルーしていたであろうその文面は、今の俺にとって嫌な予感の材料にしかならない。
隣から画面を覗き込んできた音坂さんは、青ざめる俺や香宮さんとは対照的に、玩具を見つけた子どものように楽しそうな顔をしていた。
「ああ、来たね」
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