CASE 01:理不尽の怨念
見たこともないほどの群れと化し飛び回るハエ。
次々と湧き出す蛆虫の下に隠れた、人の形。
鼻をつく強烈な刺激臭に染み出す液体。
これも全部全部、俺のせいだっていうのか。
◆
「キミ、霊感無いでしょ」
じっとりと汗ばむ、なんて表現は生ぬるい。ひとたび外に出れば、灼熱の太陽が俺の肌を容赦なく焼き尽くそうとしてくる。
どこに行っても熱された鉄板の上を歩いているようで、たまらなくなった俺は、目についたコンビニの中へと逃げ込んだ。
けれど、自動ドアをくぐっても期待したような冷気に包まれることはない。
数秒前よりはマシになったが、全身から噴き出す汗が引くほどではなかった。
見れば、手書きの文字で大きく『節電中』だなんて書かれた張り紙がされている。
地球の未来を見据えれば大事なことなのだろうが、今の俺には恨みを募らせる三文字の並びでしかない。
冷えた飲み物は豊富に揃えられているだろうから、まずはそれを手に入れることが最優先だ。
意識の外から声を掛けられたのは、そんなことを考えていた時だった。
「え……なに、俺?」
「そう。他にお客さんいないし、そこの金髪のキミ」
商品棚の反対側からひょっこりと顔を出した男は、手にしていたポテトチップスの袋で俺を指差す。
どうやら品出しか何かをしている最中だったようで、このコンビニの店員なのだろう。
柔らかそうな黒の猫っ毛に、口元の右側に二つある縦並びのほくろが印象的だ。
なにより、いわゆる『顔面偏差値』というやつが高い。腹立つな。
「霊感なんかあるわけねーだろ、俺が霊媒師にでも見えんのかよ」
いきなり何なんだとか、そもそも客に対してフランクすぎないかとか、言いたいことはある。
しかし、今の俺はまず冷たい飲み物を買うのだという目的の達成が最優先だった。男を素通りして、その背後にある冷蔵の飲料売り場へ移動する。
男は当たり前のように着いてくるのだが、無視して青いラベルのペットボトルを一本取り出した。
「霊媒師には見えないね。ごく普通の若者ってところかな」
「どうでもいいけど会計してくれよ、店員さん」
「ああ、ごめんね。151円です。お支払いは……ICカードですね、こちらにタッチをお願いします」
「レシートいらねえっス」
後ろを歩いていた男は、レジ前に立った俺を見てようやく自分の仕事を思い出したらしい。
それでも、慌てる様子もなくマイペースにカウンターの向こう側へ移動していった。
パスケースに入ったICカードを鞄の中から取り出して、読み取り用の機械にかざすとあっという間に会計は終わる。
自動ドア越しに見てもわかる外の暑さにはうんざりするが、これ以上この面倒くさそうな男に関わるのも疲れそうだ。どうせ外には出なくちゃならない。
俺は意を決してコンビニから一歩足を踏み出す。
ほんの少し感じていた涼しさは、瞬く間にじりじりと肌を焼かれる感覚へと上書きされてしまった。
もう夕方になるというのに、一向に暑さが落ち着く気配はない。
「ありがとうございました~」
ドアが閉まる直前、背中にかけられた声に振り向くことはしなかった。
ペットボトルの蓋を捻ると、俺は待ちきれずに中身に口をつける。爽やかな口当たりのスポーツドリンクはよく冷えていて、ようやくまともに呼吸ができた気がする。
(……霊なんて、そんなもんいるはずねえのに)
開口一番に霊感の有無を尋ねてくるなんて、ウケ狙いか頭のおかしな奴かの二択で間違いないだろう。
いや、怪しげな霊感商法の勧誘ならそういった問い掛けもあり得るのかもしれない。
それでも、勧誘の相手に俺を選ぶような人間はまずいないだろう。
光を反射する金髪がやたらと眩しく感じられて、長く伸ばした前髪を払うと少しだけ視界が開けた。
通りかかった子連れの主婦がこちらを見るので、自然と視線が向く。目が合うと肩を跳ねさせた女性は、子どもの腕を引いてそそくさと歩いて行った。
目つきの悪さは自負している。ガンつけたと思われたんだろうなあ、などと他人事のように考えながら、重たい頭をぐるりと回す。
霊感がどうだとか、余計なことを考えさせないでほしい。ただでさえ、このうんざりする暑さで疲労が溜まっていく一方なのだ。
頭と肩がやたらと重くて、ここ数日なんかは食欲もあるとは言い難かった。
風邪をひいたというほどではないし、前向きに捉えるなら貧乏フリーターの食費が浮いているともいえる。
とはいえ、身体を壊したいわけではない。熱帯夜のせいで寝不足もあるのだろうし、どうにかしなければいけないとは思っているのだ。
「……帰るか」
あっという間に中身を飲み干してしまったボトルを、ゴミ箱へと押し込む。
帰ったら真っ先にシャワーを浴びよう。そんなことを考えながら、俺は一人暮らしのアパートを目指して歩き始めた。
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