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スウィートカース(Ⅵ):流星観測・井踊静良の結果往来  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第一話「点滅」
3/32

「点滅」(3)

 夕暮れの住宅街を歩きながら、セラはふとメグルの上着のすそをつまんだ。


「やぶれてる。縫うね」


「裁縫ができるのか?」


「まあ、そこそこには」


「器用だなァ、セラは」


 空き地で足を止めると、セラはカバンから裁縫セットを取り出した。制服にあう色の糸を手早く選ぶや、さっさと上着の修繕を始める。


「よし、これでオーライ。今夜は雨予報もないし、気温もそれなりに暖かい。汚れた制服は、洗濯して一夜干しすれば綺麗になるよ」


「仕事が早いな……着いたよ、家だ」


 メグルが立ち止まったのは、あまり上品とはいいがたい安アパートの前だった。なぜか居心地悪げに、セラへつぶやく。


「ほんとはお茶でもだしたいとこだが……家には入らないほうがいい。()()()がいる」


「お気遣いは無用だよ。ここで退散する。ところで()()()、って?」


「どうしようもなくてな」


 メグルの愛想笑いには、かすかに他者を寄せつけない雰囲気が混じっていた。


「きょうはありがとう。不良の退治にケガや服の手当てまで……このお礼はまた、学校できっと」


「うん。困ったことがあったら、いつでも言って。じゃ、またあした」


 路地の角で手を振り合い、セラとメグルは別れた。


 力なく手をおろし、深く嘆息したのはメグルだ。


井踊静良いおどせら、か」


 築何十年かになる古いアパートの階段は、のぼるたびに耳障りな金属音を響かせた。


「クラスじゃただのぼんやりした不思議ちゃんだと思ってたが、まさかこんなにも度胸があったなんて。たぶん根本的にいいやつなんだろうな……」


 とぼとぼと通路を歩くと、メグルは自宅のカギを開けて入った。


 部屋は薄暗くて、とても湿っぽい。台所の流し場に山をつくる洗っていない食器、何日も置きっぱなしのゴミ袋、無造作に散らかった女物の下着、そこかしこに転がる酒の空き缶、そして……


 家に人はいた。


 仏頂面のメグルの首に手を回した女が、もつれた舌で喋りかけてきたではないか。


「見たわよ~、あんた」


「酒臭え。また飲んでるのか」


 二合理乃ふたあいりの……この生き物が実の母親であることに、メグルにはもうなんの感慨もない。


 メグルに物心がつく前後に、父親はいろいろトラブルがあって離婚している。息子のメグルとは、リノに内緒でときどき気遣いのメールを送り合うていどの関係だ。聞くところによれば、いまは再婚相手の女性とうまくやっているという。


 母子家庭の育児等に疲れ果て、あるときからリノは、なにもかもを放棄して酒におぼれるようになった。アルバイト・パート等も試すには試すが、彼女の根拠のない理想の高さからどれも長続きはしない。そのため二合ふたあい家は現在、父親からの養育費とメグル自身のアルバイト、国の諸保護を受けながらなんとか生活している。


 恥ずかしげもなく缶ビールを嚥下して、リノはしゃっくりをひとつ放った。酒とタバコで肌は荒れ、髪も新聞紙のように艶がない。


 ケガまみれの息子を心配もせず、リノはにやついた。


「話し声が聞こえたんでね。窓から見てたのよ」


「なにを?」


「あんたにもとうとうできたか、彼女が?」


「ちがう」


 いまいましげに鼻を鳴らし、メグルは自室のスペースに通学カバンを放って置いた。


「セラとはきょう初めて話したばかりだ」


「へえ、セラちゃんって言うの。かわいい名前じゃん。で?」


 たんたんとカバンから宿題を取り出すことで、メグルはリノを黙殺した。それでもリノは食い下がってくる。


「で、もうヤったの?」


「なにもしてない。彼女じゃないって言ったろ。ただのクラスメイトだ」


「怖い顔しちゃって。お母さん喜んでるのよ?」


 食卓に座ってタバコに火をつけると、リノはゆったり紫煙を吐きだした。


「こういうときに父親がいないと困るのよね。分けてあげよっか?」


「なにを?」


「ゴムだよ。セラちゃんがもし失敗して妊娠でもしちゃったら、あたし、相手の親御さんに下げる頭も堕ろす金もないわよ?」


 思春期の息子が着替えをしているのに、リノにはなんの遠慮もない。時計を確認しながら、メグルはリノの詮索を切って捨てた。


「悪いけど、おしゃべりしてる暇はない。もうすぐバイトの時間だ」


「付け方、知ってる? 教えてあげよっか?」


「だから、うるさいって」


 投げつけられた缶ビールは、中身がやや残っていた。


 そんなものが直撃したメグルの頭は大きく揺れ、こぼれた中身は私服を汚して泡立っている。メグルの胸ぐらを掴み上げるや、リノはいきなり逆上した。


「うるさい!? うるさいだと!? それが母親にいう言葉か!?」


 節くれだったリノの手首を掴むと、メグルは八重歯をむき出しにした。


「なんどでも言ってやる! うるせえ! 気まぐれに母親ヅラすんな! 母親なら、ちっとは家事でもしてみろってんだ!」


「おまえはいつもそうだ! あいつそっくり! うちを見捨てて、ほかの女のとこに転がり込んだロクでなしのおまえの親父! だからあたしは、おまえが大嫌いなんだ!」


「ならなんで俺を産んだ!? なんで親父を遠ざけて、俺の親権を引き取った!? すこしは親の責任感ってものを持てよ! 一日中引きこもって飲んだっくれやがって!」


 幼いころは母親に暴力を振るわれるままだったが、いまのメグルはもう違う。一人前の大人の男に近づきつつあるメグルの力は、リノの女手よりすでに強い。


 リノをあっさり突き飛ばすと、メグルは怒鳴った。


「もう二年我慢しろ! 卒業したらすぐに出てってやる! いやそれとも、いますぐのほうがいいか!? いまの俺は、あんたより生活能力はある! とっくに一人暮らしの物件のめどはついてるぜ! ひとりでも立派に生きてってやる!」


「言ったな!? 出てけよ、出てけ! もう二度と帰ってくんな!」


 メグルに飛んでくるものは増えた。


 吸い殻のたまった灰皿に、食器、無駄に買って放置したままの健康器具……


 避けきれず、メグルの鼻面にとがった目覚まし時計は突き刺さった。鉄臭い血のぬめりが、鼻孔の奥を埋め尽くす。メグルの頭の中で響いたのは、なにかの切れる音だ。


 くぐもった声で、メグルは吠えた。


「死ね! くそばばあ!」


 次の瞬間に起こったことは、メグルにもよくわからなかった。


 渇いた音……


 それはテレビや映画でしか聞いたことのない〝銃声〟のように思えた。


 気づいたときには、リノはひっくり返って気絶している。その側頭部をかすめた弾丸のようなものが、衝撃で脳しんとうを起こしたのだ。この母親なので、今回のことも〝飲み過ぎによる幻覚〟で解決してしばらくの入院生活を送ることになる。


 轟音に驚いて頭をかばったまま、メグルはあたりを見回した。


「!?」


 それはそこにいた。


 歴史の教科書で見たことがある。ああ。メグルの背後にたたずむのは、古い日本の甲冑をまとった人影だ。その腕では、これも大昔の火縄銃がまだ硝煙をあげている。


 それよりなにより……鉄砲兵の姿は半分透き通っているではないか。


 腰を抜かして尻もちをつき、メグルは鼻血をだらだら流しながらあえいだ。


「ゆ、幽霊!?」


 鉄砲兵は無言で踵を返し、そのまま押入れに吸い込まれるように消失した。


 メグルの混乱に答えたのは、保健室からずっと囁き続けていたあの声だ。


〈それはただの幽霊ではない。それは二合恵留ふたあいめぐる、おまえ自身の結果呪エフェクト墳丘の松明(グレイイーグル)〟……この場所が過去に記憶した〝射撃の結果〟を現在に再生したのだ〉


 耳をふさいでも、声はメグルの脳裏に直接届いた。


 幻聴? 亡霊? 超能力?


〈おまえの怒り、憎しみ、悲しみ……あらゆる負の感情は呪力じゅりょくとして集束し、強力な結果呪エフェクトの能力をおまえに与えた〉


 メグルは叫んだ。


「だれなんだ!? おまえは!?」


 メグルにしか聞こえない声で、不吉なそれは名乗った。


〈我はヒュプノス……可能性を探る〝眠れる覚醒〟だ〉

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