表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スウィートカース(Ⅵ):流星観測・井踊静良の結果往来  作者: 湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)
第三話「通過」
22/32

「通過」(6)

 夜の校庭は暗闇につつまれていた。


 息を切らして疾走しながら、ヒュプノスに謝ったのはセラだ。


「ごめんねヒュプノス。人類がわからず屋で」


「しかたがない。どこまでいっても、しょせん我も人食いだ」


「きみはかならず守りきるよ。だからいつか仲間のもとへ戻っても、人間を敵対視しないでくれる?」


 並んで走るヒュプノスの横顔に、はじめて穏やかな笑みが宿った。


「もちろんだ。地球にはまだ、おまえのような良心が残っている。それがお互い理解できず、わずかに意見が食い違ったばかりに戦争は起きた。我は地球に攻撃はしな……」


 セラは立ち止まった。


 背後のヒュプノスが、きゅうに走るのをやめたではないか。その場でジョギングしながら、セラはせかした。


「なにしてるの! はやく!」


 ヒュプノスは沈黙したままだった。銃声を聞いた野生動物のように夜気をかぎ、セラへ警告する。


「そこを動くな、セラ」


「え?」


「すでに囲まれている」


 かすかにこだましたのは、重い波音だった。


 幻の水面を切り、校庭に浮かび上がったのは半透明の背びれだ。


 その数、五匹。


 セラの顔はこわばった。


「た、〝食べ残し〟!」


「〝魔性の海月(ヴーゾンファ)〟か……」


 右に左に走る凶暴な魚影を前にしても、ヒュプノスに動揺の気配はなかった。


「よかろう。おまえを目覚めさせたのも我だ。我じきじきに責任をもって処断してくれる」


 棒立ちのヒュプノスを挟み撃ちにする流れで、呪力の水しぶきとともに巨大なサメは跳躍した。だがそのときには、ヒュプノスの両腕はすばやく跳ね上がっている。


「ナノマシン弾倉変更カートリッジリバイス。プロトコル(C)〝疑似火呪サラマンダー〟」


 轟音とともに、肉食魚の結果呪エフェクトは爆散して灰と化した。ヒュプノスの両手、こうこうと燃えるのは超高熱の呪力の炎だ。


 その背後から、三匹めの人食いザメは牙をむいて襲いかかった。


「プロトコル(D)〝疑似風呪シルフ〟」


 忽然とかき消えたヒュプノスの姿は、直後には捕食者のうしろに現れていた。爆発的な勢いでヒュプノスを加速させた突風に、校庭の木々までもが激しく揺れる。


 地面に片手を叩きつけ、ヒュプノスは呪文の引き金(トリガー)をつむいだ。


「〝疑似地呪ノーム〟」


 その手のひらを起点に、サメめがけて続々と生えたのは剣山のごとき地面の隆起だ。とがった岩の切っ先に串刺しにされ、サメは不可視の血をまいてのたうっている。


 消滅しかかりながら、しかし、サメは耳障りな金切り声で哄笑した。


〈かかったな。では、先にあちらから頂くとしよう〉


「なにッ!?」


 気づいたときにはもう遅い。


 幻影の波濤を裂いたふたつの背びれは、高速でセラへ猛進した。不吉な泡立ちとともにいったん地面へもぐって隠れる。サメ特有の攻撃前の予備動作に違いない。ヒュプノスとセラをうまく引き離す形で、サメはたくみに動いていたのだ。


 叫んだのはヒュプノスだった。


「迎撃しろ! セラ!」


「わかった! 〝輝く追跡者(ヴェディオヴィス)〟!」


 セラの正面にはずんだ魚影は、隕石の雨が貫いて地面に縫い止めている。


 だが、わずかな時間差で、セラの背後から跳び上がったのは最後のサメだ。


 駆け出しながら、ヒュプノスは舌打ちした。


「ばかもの、フェイントだ! 〝疑似風呪シルフ〟!」


 暴風をまとって、ヒュプノスはセラのうしろに滑り込んだ。


 生々しい響き……


 振り返ったセラの瞳は、こぼれんばかりに瞠られた。


 ああ。ヒュプノスの体の右半分は、無残に食いちぎられているではないか。


 断面から噴水のように赤黒いものを噴き、呪力の電光を帯びつつ、ヒュプノスは力なくその場に片膝をついた。偽物の吐血とともに、セラへうめきを漏らす。


「に、逃げろ……セラ」


 顔を引きつらせ、セラは悲鳴をあげた。


「うぁあああ! 〝輝く追跡者(ヴェディオヴィス)〟!」


 天から降り注ぐ隕石は、校庭を続けざまに陥没させた。


 だがこんなでたらめな狙いでは、素早い殺人魚にはあたらない。もうもうと舞い上がった砂煙は、逆にセラの視界を奪ってしまう。


 弱々しくセラを突き飛ばしたのは、ヒュプノスだった。


 それまでセラのいた場所で噛み合ったのは、地獄の底めいた赤い口腔だ。そしてセラのかわりに、ヒュプノスはむごたらしく踊り食いされている。頭から腹、下腹部から爪先まで。ヒュプノスを完全に噛み砕いて嚥下したサメの鼻先から、獲物の硬直した片手の破片だけが落ちる。


 満足げなげっぷをひとつ吐き、〝食べ残し〟は正体不明の声でささやいた。


〈ちょっと硬かったが、なかなかいける。感じるぞ。〝魔性の海月(ヴーゾンファ)〟の呪力の限界値が底上げされたのを〉


 砂地にひざまずいたまま、セラは見た。


 校庭に、ひときわ大きなサメの背びれが突き出すのを。そのサイズはさきほどまでのそれとは打って変わり、すでに大型トラックの域に達している。ヒュプノスを吸収した成果らしい。


 死体のように血色の悪い身をくねらせ、超巨大な魚影はまっすぐセラへ迫ってくる。


 小刻みに震える指先で、セラはサメを指差した。


「〝輝く追跡者(ヴェディオヴィス)〟……」


 静寂……なにも起こらない。


 補足したのは〝魔性の海月(ヴーゾンファ)〟だった。


〈体力不足のシロウトめ。結果呪エフェクトのスタミナが無尽蔵だとでも思ったかね? 能力を乱発させたのも計算のうちだよ〉


「!」


〈完全に呪力切れだな、井踊静良いおどせら。これほど力を無駄遣いしたのだ。もうまともに立って歩くこともできまい?〉


 横に飛び退こうとして、セラは情けなく地面に倒れた。


 ろくに体が動かない。呪力とは、生命力そのものを負の意思で奇跡に変換する。


 殺人鬼の言うとおりだ。もはや逃げることすらままならない。


 絶望に遠のく意識の中、セラは無力感たっぷりに独りごちた。


「また大切なひとを救えなかった……メグルも、ヒュプノスも。ぼくの大嘘つき。この死は、ぼくへのせめてもの罰だ」


 幻の海中からのぞいた肉食魚の瞳は、たしかに笑いにゆがんだように見えた。


〈楽に殺してあげる、とは言いきれないよ。なに、痛いのは一瞬だけだ〉


 半身だけを起こしたセラへ、サメの巨躯は嬉々として躍りかかった。血のような朱に染まったあぎとで、そのまま頭からセラを丸かじりに……


「〝竜巻の断層(トルネンブラ)〟!」


 一閃した刃の輝きに打ち落とされ、サメはふたたび地面に没した。


 あざやかに宙返りしてセラの前に降り立ったのは、ソーマだ。彼女を守って立ちふさがるスーツの背中へ、セラは嗚咽混じりにつぶやいた。


「先生……」


「話はあとだ」


 肩越しに、ソーマは告げた。


「まずは目先の悪党を片付ける」


 体中から鋭い結果呪エフェクトの幻影剣を展開し、ソーマは戦闘態勢をとった。


「よくも教え子に手を出したな、〝魔性の海月(ヴーゾンファ)〟。きさまの相手はこの私だ」


 ふたりの視界を威嚇的に泳ぎ回りながら、サメは歯をきしらせた。


〈戦っても負ける気はしないが、いま正体がバレるのはあまり宜しくない。やれやれ、また人を食って呪力を溜め込まなければ〉


 浮遊して光芒をはなつ刀の狭間から、ソーマは挑発した。


「逃げる気か?」


〈追ってきたいのなら好きにすればいい。置き去りにしたそこの小娘が、配置済みの予備のサメの餌になっても構わないのなら〉


「…………」


 醜怪な声音で、肉食魚は続けた。


〈いついかなるときも〝魔性の海月(ヴーゾンファ)〟は暗がりから結果使い(おまえたち)を狙っている。せいぜい悪夢にうなされる夜を過ごすことだな〉


 呪力でできた水滴を大量に散らして、獰猛な背びれは仮想の海中へ消えた。


〈たしかにもらったよ、ヒュプノスの未来の記憶……これは興味深い〉


 遠ざかっていく邪悪な高笑いを背景に、セラは悔しげに地面を殴った。


「くそ、くそ……許さない。絶対に許さないぞ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ