09:デートの約束
今日は少しだけ早く仕事を切り上げることができたので、私はまだ人通りのある帰り道を急いでいる。
会社を出てスマホを確認すると、予想通りそこには新着メッセージを告げるアイコンが表示されていた。
『土曜、昼頃待ち合わせてまずはメシ食わない? パンケーキとか好き?』
好き嫌いはほとんど無いので、食に関しては相手の好みに合わせることができる。
けれど、挙げられていたその候補に思わず笑みがこぼれてしまう。
(パンケーキ……そういえば、コーヒーも飲めないって言ってたよね。もしかして、甘い物好きなのかな?)
女性といえばパンケーキが好きそう。そんな偏見を持つ人がいることも知っているが、彼の場合は恐らくそうではないのだろうとわかる。
見た目はチャラついていて、食べ盛りでもあるだろうに。
怜央くんがそのチョイスをすることが、やたらと可愛く感じられた。意外だけれど、似合うような気もする。
私は承諾の返信を送ると、いつもより少しだけ空いている電車に乗って帰宅をした。
「う~ん……何着てこう」
夕食も風呂も済ませて、明日はいよいよ怜央くんとの約束の日。今週は何だかあっという間に過ぎていった気がした。
普段通りで行けば良いのだろうと思う反面、少しはオシャレをした方が良いのだろうかと迷いが生じる。
そもそも、怜央くんにはあの日買ったスカートを穿いてきてほしいと言われている。
お世辞なのかもしれないが、彼が選んでくれたことは事実なので穿いていくべきなのだろう。
手持ちのトップスと合わせながら姿見の前で一人ファッションショーをするうちに、何が正解なのかわからなくなってくる。
(あんまり大人しすぎるのも良くないのかな)
元々、そう派手な服は持っていない。趣味ではないのだから当然だろう。けれど、明日はあの怜央くんと一緒に出掛けるのだ。
派手にとはいかなくとも、並んで歩いてちぐはぐになりすぎない格好を選ぶべきなのではないだろうか?
「これだと、地味かな……?」
選んでもらったブラウンのスカートに、グレーのトップス。
髪の毛はアップスタイルにするとして、大きめのイヤリングでもすれば少しはマシだろうか?
「……って、何をこんなに悩んでるんだろう。遊びに出掛けるだけなのに」
怜央くんがデートだなんて言葉を使うものだから、必要以上に考えすぎているのかもしれない。
最後にまともにデートをしたのなんて、ハタチそこそこの頃だったはずだ。あの頃の自分はどうやってオシャレをしていたのか、思い出すことができない。
「あれ、通話……雪乃?」
鏡の前でうんうんと唸っていると、ベッドの上に放り投げていたスマホが鳴り出す。
もしかして怜央くんかもしれないと思ったのだけれど、画面に表示されていたのは見慣れた友人の名前だった。
「もしもし、雪乃? どうしたの?」
『やっほー凛! ちょっと報告があってさあ、今平気? 仕事中?』
「ううん、家にいるから大丈夫だよ」
音声通話ではなくビデオ通話だったので、応答ボタンをタップすると画面に雪乃の顔が表示される。
画面の向こうで手を振る彼女に、私も見えているという確認も兼ねて手を振り返した。
『実はね、二人目がデキたの! LIMEでも良かったんだけど、凛には顔見て報告したいと思ってさあ』
「ホントに!? うわ、おめでとう! 性別はまだわからないんだよね?」
『うん。一人目が小雪で女の子だったから、次は男の子がいいねって話してるけど。女の子でも可愛いからいっかなーって』
「そっかあ。小雪ちゃんもお姉さんになるんだね」
彼女・下塚雪乃とは高校時代からの付き合いで、私にとっての数少ない理解者でもある。
ふんわりとした茶髪に、二児の母となった現在もオシャレを忘れていない様子が窺えた。
見た目も中身も私とは正反対の雪乃は、学生時代から将来設計を描いており、それに基づいた人生を送っていた。
大学を卒業してデザイン系の会社に就職をした後、現在の旦那さんと出会って23歳で結婚。
25歳で初の出産を経て、26歳の今は第二子を授かったということだ。
外見と同じくふわふわとしているように見えて、地頭が良くかなり計算高い性格をしている。
計画的に人生を歩むことができているのは、彼女自身の努力の賜物だ。
彼女のように生きることができたらと、思ったことがなかったわけではない。
『……ってか、何か凛オシャレしてない? いつもと違う感じする』
「え、そうかな?」
鋭い指摘にギクリとするが、ビデオ通話では隠し通すことができない。
不思議そうな顔をしていた雪乃は、やがて何かに思い当たったようにニヤリと悪い笑みを浮かべて見せた。
『ははーん。さてはデートだあ? 誰? 会社の人?』
「いや、デートっていうか……会社の人じゃないけど……」
『えー、口を開けば仕事ばっかりの凛が会社以外で出会い見つけてたとか! 何で言ってくんないの!?』
「だから、出会いとかそういうのじゃなくて……」
何を想像しているのかはわからないが、私よりも盛り上がってしまう雪乃に思うように声が届かない。
そうこうしているうちに、彼女の声で目を覚ましてしまったらしい小雪ちゃんの泣き声が聞こえてきた。
『あっ、小雪起きちゃった……! ごめん凛、報告だけになっちゃったけどまた今度ゆっくり話そ! デートのこととか聞かせてね!』
「だからデートじゃ……まあいいや、小雪ちゃんと旦那さんにもよろしくね」
『うん、それじゃあまたね!』
そうして通話を終了した雪乃は、まるで台風のように過ぎ去っていく。
一人目の育児だけでも疲れているはずなのに、通話画面の向こうの雪乃はまるでそんな様子を見せなかった。
旦那さんが協力的ということもあるのだろうけれど、彼女らしさは変わっていなくて少しだけ安心する。
(……何となく、言えなかったな)
出掛ける相手が8歳も年下だなんて言ったら、彼女はどんな顔をしただろうか?
そんな考えが一瞬だけ脳裏を過ぎって、素直に打ち明けることができなかった。
雪乃の旦那さんが、真面目で堅実そうな大人の男性だということもあるのかもしれない。
「別に、デートじゃないんだけど」
遊びに行くだけなのだから、何も気負うことはない。
スカートを選んでもらったから、そのお礼も兼ねているのだ。理由なんてそれだけだろう。
(というか、未成年と遊びに行くのってどうなんだろう……何というか、こう、法的に……?)
深夜まで遊び歩くつもりではないとはいえ、途端にそんなことが気になり始めてしまう。とはいえ、明日に迫った約束をドタキャンするのは相手にも失礼だ。
色々な考えがぐるぐると脳内を巡る中で、私はまず明日の準備を終わらせることにした。
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