07:先輩とお局様
『オネーサン、今なにしてる?』
『テレビ観てたよ』
『なんのテレビ?』
『ニュース』
『うわ、超マジメじゃん!』
『嘘だよ。ホントはバラエティ観てた』
『え、もしかしてお笑い大王決定戦?』
『それ』
『マジか! オレもそれ観てる!』
まるで目の前で話をしているように、テンポよくレスポンスが返ってくる。
送信したそばから既読がつくのは、恐らくトークルームが開かれたままだからなのだろう。
いつもは一人でぼんやりと眺めているテレビ番組も、今日は一人ではないことが嬉しかった。
怜央くんと連絡先を交換して以来、彼は何かとメッセージを送ってくる。
その内容は特に用件と呼べるようなものではないのだけれど、今日は何を食べたとかどこに行ったとか、他愛もないものだった。
話をしているうちに、彼のことが少しずつわかってきた。
年齢は18歳で、高校三年生であること。
私の職場から近い地域に住んでいること。
髪の毛は自分でブリーチしていて、ピアスも安全ピンを使って開けたらしいこと。などなど。
『怜央くん、まだ寝なくていいの?』
『オネーサンが寝るなら寝る』
『朝早いんじゃないの? また寝坊するよ』
『じゃあモーニングコールして』
『バカ言わないの。私も寝るから寝るよ』
テレビも終わって日付も変わろうという時間まで、結局お喋りを続けてしまった。
怜央くんは会話を続けるのが上手くて、ここで終わろうという区切りが無くなってしまう。
私自身も、彼と話すことに嫌だとか面倒だと感じていないからこそ続いているのだろうけど。
『ハーイ。んじゃ、おやすみ。オネーサン』
『おやすみ』
眠るのを渋っているような、白くて丸っこい謎の生物のスタンプが送られてくる。
寝るのが不本意なのだろう。
けれど、こちらが寝ると言えばそれ以上食い下がってくるようなことはない。聞き分けは良いらしい。
私も『おやすみ』と書かれた布団で眠る猫のスタンプを送ると、それ以上メッセージが送られてくることはなかった。
(何だか、弟ができたような気分だな)
スタンプと同じように布団に潜り込みながら、私はそんなことを考える。
一人っ子なのできょうだいがいる環境に憧れることはあったが、どちらかといえば兄や姉の存在が欲しいと思っていた。だけど、弟というのも悪くないものかもしれない。
(怜央くんも、そう思ってるのかな……?)
メッセージをしながら、彼もまた一人っ子だと聞いたことがある。
だとすれば、姉のような存在として私に懐いてくれているのかもしれない。
(だったら、オネーサンじゃなくてお姉ちゃんって呼んでくれてもいいんだけどな)
そんなことを思ううちに、気がつけば私は眠りの中へと落ちていった。
(ダメだな……ちょっと寝不足かも)
いつも通りに出勤した私は、いつもより作業効率が悪くなっている自分に気がつく。
怜央くんには寝坊するから早く寝ろなどと言っておきながら、あれから何だか寝付くことができなかった。
彼とのやり取りを見返しながらゴロゴロしていたのも良くなかったのだろう。
寝ようと思うならスマホのライトは良くないとわかっているのに、画面をスクロールする指は止まってくれなかった。
(お昼は眠気覚ましに濃いブラックコーヒーを飲もうかな)
時計を見れば、間もなく昼休憩の時間が近づく。
今日は弁当も持参していないので、昼はカフェにでも行って熱いコーヒーとサンドイッチでも食べよう。
「桜川さん、お疲れ様。何だか眠そうだね?」
「わ、茂木先輩……!」
「ごめん、驚かせたかな。いつもはシャキっとしてるのに、今日は何かふわふわしてる気がしたから」
「そんなに違って見えました?」
「気にするほどではないと思うけど、少しね」
背後から現れた茂木先輩に驚いた私は、指摘を受けて眠気が顔に出てしまっていたらしいことを反省する。
先輩は笑っているけれど、仕事でミスでもしたら笑えないことになってしまう。
「桜川さん。この資料だけど、ここの二箇所の情報が逆になってるわ」
「えっ!? すみません、すぐ訂正します……!」
「急ぎではないから構わないけど、初歩的なミスよ。気を付けて頂戴」
「はい、すみません」
そう思っていた矢先、ミスを指摘してきたのは西条響子さんだ。
私に資料を手渡した彼女は、赤い眼鏡をクイッと持ち上げて足早に自身のデスクへと戻っていった。
「うわあ、今日も厳しいですね。お局様」
「桜川さん、気にしない方がいいよ」
「大丈夫、ミスしたのは事実だし。西条さんが見つけてくれて良かったよ」
離れていく茂木先輩と入れ替わるように、今のやり取りを見ていたらしい同僚たちが忍び足で私のところへやってくる。
西条さんは、この会社で長く務めているベテラン社員の一人だ。
仕事のできる人ではあるのだが、物言いがきついことが多く密かに『お局様』と呼んでいる社員も少なくない。
「西条さん、多分わざとですよ。桜川さんが茂木さんと話してたから」
「え? 茂木先輩?」
「もっぱらの噂ですよ? 西条さんは茂木さんのこと狙ってるって。だから、茂木さんと仲いい女性社員たちには特に厳しいんだって」
「そうかな……?」
「もうすぐ40手前なのに独身だし、焦ってるのかもね。だからって茂木さんはハードル高すぎると思うけど」
話についていけていない私を置いて、彼女たちは噂話に花を咲かせている。
確かに西条さんは独身だが、そんな風に考えたこともなかった。厳しいとはいえ、指摘だって正当なものだと思っている。
「ほらほら、お喋りもいいけどお昼休みまでもうちょっとですよ~」
話を遮るように声を掛けると、彼女たちは各々の席へと散らばっていった。
(……仮に噂が本当だとして、それってダメなことなのかな?)
浮気や不倫は別だけれど、誰が誰に恋をするかは自由なのではないだろうか?
そんなことを考えていると、こちらを睨む西条さんと目が合ってしまったので、私は慌てて資料の訂正に取り掛かることにした。
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