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40:変化していく環境


「桜川主任! 今日の会議で使った資料、ちょっと確認をお願いしたいところがあるんですが」


「どれ? ああ、これなら相田さんに確認取れてるからこのまま進めて大丈夫」


「ありがとうございます」


 仕事の片付けを始めていた私は、声を掛けてきた部下の対応を終えてからスマホを確認する。 適切に仕事の割り振りをしたお陰で、残業にならずに済みそうだ。

 トラブルが舞い込んでくることも多々あるのだが、今日ばかりはそうならなくて安心している。


「お疲れ様です。西条さん、そろそろ出られそうですか?」


「ええ、大体片付いたし行きましょうか」


 バッグを手にした私は、西条さんのデスクへと足を向ける。パソコンの電源を落とした彼女は、私の声掛けに応じて席を立った。

 会社を出て向かった先は、ビル街の狭間の少し奥まったところにある、こじんまりとした居酒屋だ。


「おじさん、こんばんはー」


「おう、いらっしゃい! 奥の座敷が空いてるよ!」


 よく通る声の店主に挨拶を済ませて、私と西条さんは店の奥へと移動した。


「それじゃあ、新たな門出を祝しまして。乾杯!」


「乾杯」


 頼んだビールのジョッキ同士を軽く当てると、私はしっかりと冷やされたその中身を喉で味わう。そうしていると、早々と注文した料理が運ばれてくる。

 食欲をそそる香りに、私も西条さんも我慢をすることなくそれらを食べ始めることにした。


「でも、送別会なんてしなくて良かったのに」


「何言ってるんですか! みんなには気を使わせたくないって聞かないから、二人きりの送別会で妥協したんですよ」


 困ったように笑う西条さんだが、実際には照れ隠しなのだということを理解しているので私は拗ねたふりをする。


 あれから二年近くが経って、私は主任に選ばれることとなった。忙しいけれど仕事はやり甲斐もあって、楽しいと感じられる。

 新人も増えたので、褒めて伸ばす指導を心がけるようにしていた。

 これはもう、言うまでもなく特定の人物から影響を受けているのだが、評判は上々だ。


 そんな中で、西条さんが職場を辞めるという報告が入ったのが先月のことだった。茂木先輩との事件以降、交流が深まっていただけにショックは大きい。

 けれど、話を聞いてみると彼女は自分で店を開こうとしているらしかった。


「喫茶店でしたよね。オープンしたら、絶対報告してくださいね。私一番に行きたいので」


「ありがとう。……桜川さんはどうなの?」


「え? 私ですか?」


「アタシにばかり話させているけど、自分のプライベートは順調なの?」


 普段は一緒に仕事をしているというのに、どういう意図の質問かと思ったのだが。

 西条さんは恐らく、あれから音沙汰のない私の恋愛についてを聞いているのだろう。


「今は、我慢の期間……ですかね」


「……そう」


 待ち望んでいるLIMEのトークルームは、あの日から更新されないままどんどん下に追いやられている。

 気にならない。連絡をしなくても平気だ。そう言えばきっと、嘘になる。


「でも、つらい時間ではないんです。私にとっては」


 彼のことを待っていてもいい。

 捨てられたペットボトルのように空っぽだった私の心は、その事実だけで満たされているのだ。


 (あ、雪乃からLIMEだ)


 西条さんと別れた帰り道、通知音に気がついて目にしたスマホは、友人からの通知が連続してついていた。そこには、数枚の写真が添付されている。


『小雪・作。私と凛だって』


 画用紙に描かれているのは、二人の女性らしきイラストだ。

 色鉛筆を使って描かれたそれは、どうやら小雪ちゃんが私と雪乃のことを描いてくれたものらしい。


(ふふ、嬉しいな。あ、隼人くんも写ってる)


 写真をよく見てみると、見切れている小さな赤ん坊の手らしきものが写っていた。

 雪乃は去年、第二子となる男の子を出産したのだ。無事に産まれたその子は、旦那さんの名前を取って隼人と名付けることにしたらしい。

 小雪ちゃんは良いお姉さんぶりを発揮しているようで、四人家族となった下塚家はますます賑やかになっていた。


 人生で28回目の春。

 周囲には、少しずつ新しい変化が訪れている。


(……私は、どうだろうな)


「ギャハハ! お前それマジで言ってんのかよ!?」


「マジマジ! 明日学校行ったら確かめてみろって!」


 騒々しいと思ってスマホから顔を上げると、目の前を中学生らしき数人が歩いている。何か面白いことでもあったのだろう。

 そんな風に思いながら、彼らの横を追い抜こうとしたのだけれど。


(……あ)


 集団の中にいた男の子の一人が、中身を飲み干したらしい空き缶を投げ捨てたのだ。脳裏にはデジャヴの文字が浮かぶ。

 転がる空き缶を拾い上げた私は、歩調を速めて缶の持ち主の肩を叩いた。


「キミ、落とし物してるよ」


「うおっ……!? 何だよ、落としたんじゃなくて捨てたんだよ!」


 急に声を掛けられた彼は驚いていたけれど、私の顔を見てすぐに開き直った態度を見せる。


「捨てるなら、道端じゃなくてゴミ箱でしょ? そこに捨てるべきじゃない?」


「るっせえな! 急に何なんだよオバサン!」


「そうだぞ! つーかさ、これって『事案』ってやつじゃね?」


「は?」


「そうそう、急に声掛けてきた怪しいオバサンがいたって通報してやろうか!?」


 覚えたての知識なのかはわからないが、どうやら彼らは自分のしたことを棚に上げて私を悪役に仕立て上げたいようだ。


「あのね、中学生にもなって空き缶のポイ捨てなんかして、恥ずかしいと思わないの?」


「うっせーな、そういうオバサンは他に相手してくれる男がいなくて寂しいんですか?」


「なっ……!?」


 なんと生意気な口をきく中学生たちなのだろうか。そう思うと同時に、私は少なからずショックを受けている自分に気がついた。

 オバサン呼ばわりされたことにではない。

 心のどこかに、自分だけが取り残されているという、小さな不安があったからかもしれない。


 道で金髪頭の男性を見かける度に、もしかしたら彼なのではないかと期待する自分がいた。

 信じて待つと決めたのに、もしかしたら彼はもう帰ってこないのではないかと疑う自分もいた。


 この二年間は、怒涛のように過ぎていったけれど。

 10代の二年間は、同じようには流れないのではないだろうか?


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