36:キミのワガママ
「このまま、怜央くんと恋人になりたいだなんて言うつもりはありません。ただ……もう一度彼と、話をさせてほしい」
怜央くんは私に、好きだと伝えてくれていたのに。
私は一度だって怜央くんに対して、自分の本心を伝えたことはなかった。
「自分に都合のいい話をしにきたわけじゃないんです。本音を伝えて、その上で怜央くんと一緒に、お互いが納得できる結論を出したいんです」
もしもそれが、交わらない未来を選択する結果になったとしても私は後悔しない。
間違った決断を下しているのかもしれないけれど、この恋を中途半端に終わらせてしまうことはできなかった。
「…………」
リューさんは、押し黙ったまま何かを考え込んでいる。
どうすれば私を追い返せるか、私に怜央くんのことを諦めさせることができるか、そんなことを考えているのかもしれない。
無茶を言っていることは承知の上だ。リューさんは怜央くんの保護者なのだから、今この場で通報されて、未成年への付きまといだと言われればそれで終わりになる。
そう考えれば、私の人生を左右することなど彼にとっては赤子の手をひねるより簡単なことなのだ。
「……俺からこんなこと言ったなんて知ったら、アイツは怒るんだろうが」
「はい……?」
沈黙の時間は息苦しかったが、不意に落とされたリューさんの声音は、思いのほか優しいものだった。
「アンタのことを諦めるっつー話をしてたんだよ」
「え……」
その言葉に、ショックを受けるのはおかしいかもしれない。だって、怜央くんの気持ちを最初に拒んだのは私の方なのだから。
「本気で大事だと思ってるからこそ、迷惑かける前に諦めるべきだってな」
ああ、怜央くんはやっぱり私のことを考えて、あの時すんなりと私の言葉を受け入れてくれたのだ。
目頭が熱くなりそうで、私は自分の下唇を噛み締めて耐える。
「……けどな、『頭じゃわかってんのに、そうできねえのはオレがガキだからなのかな?』だとよ」
あの日の怜央くんは、私なんかよりもずっと大人びた顔をしていた気がするのに。自分の気持ちを抑え込んで、私の気持ちを優先してくれていたのか。
「アンタに会ったあの日にな、帰ってきた怜央に聞かれたんだよ。アンタに会ったかって」
直前まで普通の態度だったというのに、顔を合わせた私は明らかに様子がおかしかったのだろう。
何かがあったのだと察した怜央くんは、リューさんに疑いの目を向けたのだ。
「隠すことでもねえから肯定したが、アイツなんつったと思う?」
「さあ……?」
「たった一言、『そっか』、だと。俺がアンタに何か言っただろうってこと、わかった上で何も責めてこなかったよ」
そう言うリューさんは、とても複雑そうな表情を浮かべている。
「アイツは昔から聞き分けが良くてな。母親の話は?」
「聞きました。中学に入った頃に、亡くなったって」
「そうか。……そっからだな。自分のことは後回しで、ワガママ言うことも無くなっちまった」
(……あれ?)
その言葉に、私はどうしてだか違和感を覚えてしまう。
幼い頃から怜央くんのことを知っているリューさんは、私なんかよりずっと彼について深く理解しているだろう。
そんなリューさんが、はっきりとそう断言したのだ。
どこまでをワガママと呼ぶかなんて、きっと基準は人それぞれだろう。明確なラインなんて存在していない。……だけど。
『着いてっていい?』
『怜央って呼んで』
『マジで似合うって! それ買うよな?』
『コレ着てさ、デート。実際に穿いて歩いてるオネーサン見たいし』
『じゃあモーニングコールして』
『何でオレには連絡くれねえの?』
『オレの方が先に着いて待ってたかったの!』
『凛さんの中にある気持ちも全部、オレにだけ向いてりゃいいのにって思ってる』
どうして私の中には、怜央くんの向けてくれたワガママばかりが蘇るのだろう?
「保護者やってる俺の気持ちも理解した上で、自分の気持ちだけ押し通すっつーことができなかったんだろうな。まだ半人前のガキのくせによ」
リューさんが背凭れに体重を預けると、ソファーの軋む音がする。天井を見上げるリューさんは、大きく溜め息を吐き出した。
「アンタの言う通りだよ。アイツは、俺が思うよりずっと立派に成長してやがった」
「リューさん……」
「二人揃ってクソ真面目で、自分の気持ちは後回し。もうちょい感情的に動かねえと、反対し甲斐がねえだろうが」
ガシガシと頭を掻きながらスマホを取り出したリューさんは、何やら画面を操作してからそれをテーブルの上に放る。
そこには、『怜央』と書かれたLIMEのトークルームが表示されていた。
「あ、あの……これ……!」
「俺は今スゲー忙しい。忙しいんで、開きっぱなしのスマホの中身を覗かれたって気がつかねえ」
わざとらしい棒読みでそう口にするリューさんは、書類の束を手に視界を遮っている。
私は急いで表示された画面をチェックして、怜央くんの居場所を頭の中に叩き込んだ。
「身に覚えがあんだよ、俺にもな。けど、貫こうとはしなかった。選択を誤ったとは思わねえが……後悔してねえっつったら嘘になる」
過去を思い出すように呟かれた言葉は、私に向けてのものではないのかもしれない。
「用が済んだならさっさと出てけ。こっちは開店準備で忙しいんだよ」
「……ありがとうございました、リューさん」
経営者の顔へと戻ったリューさんは、片手で私を追い払うようにする。
私は深々と頭を下げると、店を後にした。
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