29:不器用なひと
「ごめんなさいね。見合い話が舞い込んできて、お父さんどうしても凛のところに行くんだって聞かなくて」
「……いいよ。でも、私お見合いなんてしないから」
「うん、そうね」
父が不在の隙を見計らって謝罪をしてくる母。
母もまた相変わらず父の機嫌を窺って生活しているのかと思うと、心底うんざりした。
「だけどね、凛」
「なに?」
「あんな風だけど……お父さん、本当はあんたのこと凄く心配してるのよ」
「心配? いつになったら身を固めるのかって?」
心配しているのは私のことではなくて、自分の世間体なのではないか。感情的になりかけた私は、首を横に振る母の姿を見てその言葉を飲み込む。
「お父さん、とても厳しい人でしょう? 昔からあんな風だから、優しい接し方がわからないのよ」
「そんなの、どうとでも……」
「結婚もね、別にしなくたっていいのよ。だけど、あんたが寄り添える相手を見つけられたら、お母さんたちも安心できるから」
見合い話を持ってきておきながら、結婚をしなくてもいいだなんて言われるとは思わなかった。
まさか、本心で私のためにこんなことをしたとでもいうつもりなのだろうか?
「凛。あんた、私がお父さんの顔色を窺って生活してると思ってるでしょう?」
「え……それは、その」
「お父さんはね。気難しい人だから、私が一緒にいてあげないとダメなのよ。そうじゃなかったらとっくに離婚してるわ」
「えっ!?」
まさか、あの母の口から離婚という単語が飛び出すとは思わなかった。悪戯っぽく笑う母は、父が消えた廊下の方を一瞥してから話を続ける。
「凛に厳しいことを言ったあとには、いつも『もっと言い方があったかもしれん』って後悔してるのよ」
「うそ……お父さんがそんなこと言うはず……」
「だからね、褒めてあげたら? って背中を押すんだけど、『それはお前がやってくれ』って」
飴と鞭で例えるのなら、飴の役割を担うのは確かにいつだって母だった。
「お見合いがあるなんて、あんたの顔見にくる口実だったんだから」
母の言うことが信じられずに、私は呆然としてしまう。
「弱音も吐かずに、要求した分だけあんたが応えられるものだから、お父さんも『厳しい父親』から抜け出せなくなってるのよ」
私の自己肯定感を奪い去っていった人。
そんな父は、ただ不器用なだけの人だったというのか。
「おい、そろそろ帰るぞ」
「はいはい、それじゃあお邪魔したわね」
トイレから戻ってきた父は、変わらずぶっきらぼうな調子で母に声を掛ける。
荷物を手に玄関へ向かおうとする父を、私は思わず追いかけていた。
「ッ……お父さん」
「……なんだ、見合い写真なら置いていくぞ」
「そうじゃなくて……コレ」
父に差し出したのは、この家の合鍵だ。
「残業で遅い日もあるし、タイミング合わないと無駄足になるから。LIMEくれるのが一番だけど」
母の言葉のすべてが事実かどうかは、まだ信じきることはできない。
それでも、両親との関係だってここから変わっていくことができるのかもしれない。
伝えられる時にそうしなければ後悔することを、教えてくれた人がいるから。
「……母さんに渡しなさい。失くすと困る」
「そうね、お父さん意外とおっちょこちょいだから」
「お前の方がドジだろう。昨日も皿を割っていた」
母に合鍵を渡しながら、両親がこんなやり取りをするのかと物珍しい目で見てしまう。
父に認めてもらうことばかりに必死で、私自身も二人のことをちゃんと見られていなかったのかもしれないと思った。
「それじゃあ、気をつけてね」
「……凛」
玄関先で二人を見送ろうとした時、なぜか母が踵を返してきた。
「紹介したい人ができたら、いつでも連れていらっしゃいね」
「紹介したい人って……」
「告白を保留にしてるんでしょう? あんたの返答次第じゃ、息子が増えるかもしれないんだから」
そういえば、先輩の件を打ち明けたのだ。
先輩とのことがどうなるかはわからないが、良い報告ができるのならそうしたいと思う。
「うん。でも、あんまり期待しないでね」
告白をされたことだって急すぎて、まだ頭が追い付いていない状態なのだ。結婚なんてしたとしても先の話だとは思うが、期待を持たれすぎるのも困る。
「……どんな人を連れて来ても、あんたの選んだ相手なら反対しないわ」
「え?」
「それじゃあね、凛」
母の言葉の意味がわからず、私はきょとんとしたまま両親の背中を見送ることとなった。
先輩がどんな人なのかは、大まかにではあるものの伝えたというのに。
(どんな人を連れて来ても……か)
まるで心の中を見透かされたような気がして、私は逃げるように部屋の中へと戻っていった。
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