24:夢から醒めた日
そういえば、リューさんの経営するホストクラブがこの駅の近くにあるんだった。
立て続けに怜央くんの関係者に遭遇したことに驚いたが、そもそもが彼の活動圏内なのだから出会っても不思議ではない。
「こんなところで何してんだ? ……もしかして、アイツと待ち合わせか」
「えっと、はい」
リューさんの言うアイツとは、怜央くんのことだろう。桃華ちゃんとの一件があったとはいえ、彼と待ち合わせていることに違いはない。
「あの、リュージンさん……じゃなくて、龍神さん」
「リューでいい。大体の奴はそう呼ぶからな」
「じゃあ、えっと、リューさん。桜川凛といいます。先日は、ご挨拶もしないままですみませんでした」
「構わねえよ、アイツが勝手に連れて来て勝手に引っ張ってったんだろ」
それはそうなのだが、リューさんはあの時の振る舞いを気にしていないようで少し安心する。
けれど、鋭い視線が私を射抜くように見つめるので、空気に緊張が走った気がした。
怜央くんよりも背が高いリューさんは、髭と体格のせいもあってか、立っているだけで威圧感が凄い。
「アンタ、怜央と付き合ってんのか」
「へ!? いえ、付き合ってはないです……!」
桃華ちゃんと同じ質問をしてくるリューさんに驚いて、私は慌てて左右に首を振る。
「怜央とは何で知り合った?」
「ええと、道端で偶然にというか……ゴミ拾いの現場を目撃されて、そこから興味を持たれたといいますか……」
「アイツが何のバイトしてるか知ってんのか?」
「リューさんが経営されているレンタル彼氏のお仕事をしてると聞きました」
「アイツの年齢は?」
「高校三年生の18歳です」
……これは一体、どういう状況なのだろうか? まるで、圧迫面接を受けているような気分だ。
「高校三年、ねえ……正確に言やあ、高校二年だな」
「二年……ですか?」
怜央くんの年齢は間違っていないし、学年を否定されたこともなかった。だというのに、『正確に』とはどういうことなのだろうか?
「本来なら、俺から話すようなことでもねえんだがな」
そう前置きして、リューさんは頭を掻きながら話し出す。
「高校入ってすぐの頃な、『勉強なんか意味ねえ、さっさと働くんだ』って、アイツ勝手に中退しやがったんだよ」
「え……中退ですか?」
「ああ。そりゃあ怒ったし、拳で大喧嘩したな。けど、やっちまったもんはしょうがねえ」
当時を思い出しているのだろうか?
リューさんは確かに怒っているのだけれど、どこか優しさも感じられるような気がする。
「立派に独り立ちしてえなら、せめて高校は卒業しろっつって、去年の春から定時制に通ってんだ」
そうか、だから平日の昼間に会った時にも、怜央くんは制服を着ていなかったのだ。
「来年の春からは三年になって、順調に行きゃあ卒業して……そっから先をどうするかはアイツ次第だ」
「リューさんは、怜央くんのことをとても大切に想ってるんですね」
「そりゃあ、妹の忘れ形見だしな。成人するまでは、きちんと見守ってやらねーと合わせる顔がねえ」
怜央くんはこんなにも愛されている。
それをわかっているから、彼はあんなにも素敵な男の子に成長することができているのだろう。
「レンタル彼氏のバイトもな、実際は登録してねえんだよ。アイツにゃ内緒だけどな」
「そうなんですか?」
「さすがに年齢誤魔化してマジの仕事やらせるわけにはいかねーだろ。信用できる俺の知り合いで、アイツの事情知ってる奴らに協力してもらってんだよ」
色々な仕事を手広くやっているというリューさんは、きっと人脈も凄いのだろう。
目の届かない場所で危険な仕事をされるよりは、怜央くんのためにもその方が良いと判断したのだ。
「……だけど、どうして私にその話をしたんですか? 怜央くんには内緒なのに」
「アンタ、告げ口とかするタイプじゃねえだろ?」
「しないですけど……」
「それに、何でこんな話をしたのか……もう察しがついてんじゃねえか?」
リューさんの言葉は、確かに私に問いかけている。だというのに、そこに私の返答は必要ないと言われているような気がした。
「怜央くんと、会うなってこと……ですか?」
「やっぱり察しがいいな。アンタには悪いが、アイツはまだ未成年だ。世の中のことなんざ何もわかっちゃいねえ、狭い世界で生きてる未熟なガキなんだよ」
ほんの少し前まで浮かれていた胸の奥が、冷水を浴びたようにスッと冷めていくのがわかる。
桃華ちゃんに指摘を受けた時よりも、リューさんの言葉はずっと重い。
それはリューさんの、『保護者』という立場での考えをよく理解できるからなのだろう。
「年齢的なモンもそうだが、アイツとアンタじゃ住んでる世界も違いすぎる」
「……はい」
「怜央も浮かれて考え無しに突っ走っちまったんだろうが、それを止めんのが大人の……俺らの役目だ。そうだろ?」
「わかってます」
「若いうちは荒波に揉まれんのも悪くはねえが、アイツはもう十分辛い経験をした。こっから先は、できるだけ普通の人生を歩ませてやりてえんだよ」
リューさんの言うことは正しい。
私はこれまでずっと、自分が正しいと思うことをしてきた。
それが人に認められようと、馬鹿にされようと、周囲がどう思うかは重要ではない。正しいと思う気持ち。それだけが重要だった。
(リューさんの言うことは、正しい。……そう思うのに、どうしてなんだろう)
自分が正しいと思ったことに、生まれて初めて反発したいと思ってしまった。
「強制はしねえ。アンタに対して、そんな権利はねえしな。……けど、本当にアイツを想うんなら、よく考えてほしい」
「……わかりました。だけど、一つだけ訂正させてください」
「訂正?」
「怜央くんは、確かにまだ子どもかもしれないけど……私たちが思うより、ずっと大人ですよ」
『狭い世界で生きてる未熟なガキなんだよ』
私は、どうしてもそんな風には思えなかった。
確かにまだまだ知らない世界の多い子どもかもしれない。
だけど、彼は確かに自分の頭で考えて、自分の力で懸命に先の世界を見ようとしている。
「……そうか」
リューさんはそう一言を落とすと、ホストクラブのある方角を目指してその場を去っていく。
二人と話している間に、もう怜央くんとの待ち合わせの時間が迫っていた。
どうすればいいか。どうすべきか。その答えはわかっているのに。
わかっているからこそ、私はその場を動きたくなかった。
「凛さん! お疲れ、仕事大丈夫だった?」
「うん、遅れてごめんね。待たせたかな?」
「いや、ヘーキ。凛さんのことならいくらでも待てるし」
待ち合わせ場所に着いたのは、約束していた時間を少し過ぎた頃だった。
動き出したがらない足を無理矢理に動かして、辿り着いた先に見えた怜央くんの姿に自分の気持ちを再確認する。
(ああ……やっぱり、好きだなあ)
私を見て嬉しそうに笑う怜央くんの顔が、どうしても直視できない。
ちょっとだけくだらない話をして、隣に立って、それから、好きだと伝えよう。その時の怜央くんがどんな反応をするのか、いろんなパターンを想像していた。
だけどもう、その答えを知ることは叶わない。
「……怜央くん、覚えてる? 初めてここで会った日のこと」
「ん? そりゃ覚えてるに決まってんだろ、ペットボトル拾う凛さんをオレが見つけたんだから」
「あの時、馬鹿にされるんだろうなって思ったのに。怜央くんが偉いって言ってくれて、嬉しかったんだよ」
「だって、ホントに偉いと思ったし」
「うん。……こんな子もいるんだって、今時の若者も捨てたもんじゃないなあって思ったよ」
「……凛さん?」
怜央くんが戸惑うように私の名を呼ぶけれど、聞こえないふりをする。
「あの日から、怜央くんと過ごす時間は楽しかったし、嬉しいこともいっぱいだった」
この言葉に、偽りはない。
たくさん笑って、感謝して、これ以上ないほどに幸せな時間を過ごすことができた。
だからもう、夢の時間はおしまいにしよう。
「ッ……凛さん!?」
視界が歪んだかと思うと、私の瞳からボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
それを見て驚く怜央くんに何でもないと言いたかったのだけれど、自分の感情すら追いついていない状態だ。
こんな風に涙を流すのは、何年振りのことだろうか。まるで他人事のように、そんなことを考えていた。
「ごめん……ごめ、っ……私、怜央くんとは……一緒にいられない、ッ」
涙が止まらずに、上手く言葉を紡ぐことができない。大人らしく、もっと冷静にさよならを言うつもりだったのに。
けれど、怜央くんはその言葉で私の心の内までもを汲み取ってくれたのかもしれない。
「うん。……うん、いいよ。わかってる」
背中に回された両腕は、本当に優しいもので。
これで最後だというのに、初めて感じたこの温もりを、私は忘れられないと思った。
「ありがとう、……オネーサン」
怜央くんは、私が泣き止むまでその腕を離さないでいてくれた。
この胸の痛みは、味わってきた『良いこと』の代償なのだろうか?
最初からちゃんと、距離を保っておけば良かったのかもしれない。
自分たちの感情だけで動いていいのは、きっと責任を伴わない子どもの頃だけで。
好きだからこそ、諦めなければいけない恋がある。
たとえ二人の心が同じ場所にあったとしても、私たちの正解はそこにはないのだから。
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