16:不機嫌なキミ
「桜川さん、本当に体調悪かったりしない?」
「いえ、大丈夫です。何だかぼんやりしててすみませんでした。食事もご馳走になってしまって……」
「それは気にしなくていいよ。僕が飲みに行こうって誘ったんだから」
こんなに失礼な態度を取ってしまっているというのに、茂木先輩はとても優しい。
私を元気付けようとしてくれた先輩の気持ちに報いるためにも、早くいつもの調子を取り戻さなくてはならない。
「……あのさ、桜川さん。もし迷惑じゃなかったらなんだけど、また一緒に食事しない?」
「構いませんけど……あっ、じゃあ次は私にご馳走させてください!」
「それは……うん、まあいいか。じゃあそれで」
先輩がこんなオシャレなお店を紹介してくれたのだから、私も満足してもらえるようなお店をリサーチしておかなくては。
「決まりですね。それじゃあ、私はこれで……」
「桜川さん」
「え?」
次の約束も決まったところで、私は帰宅をするために駅の方へ向かおうとする。
けれど、茂木先輩はどういうわけか、私の肩を掴んで引き留めてきたのだ。
「茂木先輩……?」
「あのさ、桜川さん。僕は……」
先ほどまで穏やかな顔をしていたはずの先輩が、とても真剣な瞳をしているのが見える。
向かい合った茂木先輩の顔が、心なしか近づいてきたような気がした時。
「凛さん……ッ!!!!」
夜の街にひと際大きく響いた声。
誰もが驚いてそちらを振り返ったというのに、私がそちらを見るよりも先に、強い力に腕を引っ張られた。
わけもわからず、引かれるままに私は走るしかなくて懸命に足を動かす。
腕を掴む誰かの手。その先にいたのは、ここにいるはずのない怜央くんだった。
「ちょ……怜央く、っ……止まって……!」
「っ、悪い……」
デスクワークの日々ですっかり衰えてしまった脚が悲鳴を上げ始めて、私は途切れ途切れに訴える。
その声が届いたらしい怜央くんは、私がヘロヘロになっていることに気がついてようやく足を止めてくれた。
「ハア……ハア……何で、こんなところにいるの……?」
「たまたまだけど、オネーサンがいたから」
私がいたから声を掛けた。それにしては、色々と強引すぎるのではないだろうか?
「明日、茂木先輩に謝らないと……」
不可抗力とはいえ、何も言えずに茂木先輩と解散することになってしまった。
さすがに謝罪をしておいた方が良いだろうと思ったのだが、怜央くんはムッとしたような、何とも言い難い顔をしている。
「あの人……前にカフェで相席してた人だよな?」
「うん、そうだよ」
「いつも一緒にメシ食ってるわけじゃねえって言ってた」
「今日は先輩が誘ってくれたから」
「何でオレには連絡くれねえの?」
先輩の話をしていたと思ったのに、突然話題が切り替わって言葉が続かなくなってしまう。
自分の中での理由は明確なのだけれど、彼にその理由を伝えるための言葉を考えていなかったのだ。
「何でって……それは、その」
「オネーサンが忙しいっつーから、我慢してたのに。あの人とメシ行く時間はあんの」
「食事は、今日はたまたま……」
「じゃあ、オレともメシ行ってくれる?」
掴まれたままの腕が離される気配はない。
あの時と同じだというのに、パンケーキの店に向かっていた時よりも、伝わってくる熱が高いような気がした。
「い、行けない」
「何で。あの人と付き合ってんの?」
「違うよ、茂木先輩とはそういうのじゃないし」
「じゃあ……オレのこと、嫌ンなった?」
どうしてそんなに、寂しそうな声を出すのだろう。
怜央くんの顔を見ることができなくて、私は下を向いたまま手を振り解くこともできずにいる。
(こんなところ、見られたら誤解されるのに)
それとも、誤解されないという自信があるのだろうか?
私みたいに年上の女が傍にいたって、彼女に誤解されるようなことはない。そう思っているから、こんなことができるのかもしれない。
「か、彼女さんに悪いから……!」
「え?」
思いきってぶつけた私の言葉に、今度は怜央くんが言葉を途切れさせる番だ。
「私なんかに時間使うより、彼女さんに構ってあげた方がいいし。誤解なんかしないと思うけど、万が一ってことも……無いとは言い切れないし……」
「彼女って、何の話?」
とぼけられる可能性もあるかもしれないとは思っていた。怜央くんは、私がデート中の姿を目撃したことを知らないのだ。
「やだなあ、別に隠さなくていいよ。この前ね、仕事帰りに偶然見ちゃったんだ。ツインテールの子、可愛い彼女さんだね」
私は努めて笑顔を浮かべて見せるのだが、言葉の意味を理解したらしい怜央くんの瞳が見開かれる。隠し事がバレたのだから、もうこれ以上彼が取り繕う必要はない。
そんな私の考えとは裏腹に、怜央くんは大きな溜め息を吐き出しながらその場にしゃがみ込んでしまった。
「え……怜央くん? どうしたの?」
声を掛けてみても、反応する様子がない。
だというのに腕は未だに掴まれたままで、どうすれば良いかわからずに私も向かいにしゃがんでみる。
街灯に照らされた怜央くんの頭のてっぺんは、生え際が少し黒くなり始めているのがわかった。
「……オネーサンさ、もしかしてそれで連絡してこなかったの?」
「え? それは、まあ……うん」
「マジか……」
理由を理解したらしい怜央くんは、そう言うと再び大きな溜め息を吐き出して黙り込んでしまう。
時折通行人が好奇の目で見てくるので、私は無意味に会釈をして通り過ぎていくのを待っていた。
「あのさ、今からちょっと時間ある?」
「今から……? 電車逃さなければ大丈夫だけど」
「じゃあさ、ちょっと付き合って」
頭の中を整理することができたのだろうか?
ようやく立ち上がってくれた怜央くんは、何だか困ったような表情を浮かべている。
食事をしていたものの、仕事を早く終わらせたお陰で終電まではまだかなりの余裕がある。
彼の用件がどのようなものかはわからないが、私は怜央くんの要求を受け入れることにした。
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