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13:小さな変化


 そこからは和やかな空気のまま、目についたお店を覗いたりしつつ夕方には怜央くんと解散をすることにした。

 彼はまだ遊び足りない様子だったけれど、あまり遅くなるのも良くないだろうと思ったのだ。


 散歩から帰りたがらない犬のようだったが、また遊びに行こうと言うと、怜央くんは目に見えて嬉しそうな顔をする。感情を素直に表に出すことができるのも、若さゆえの特権なのかもしれない。


 そうして彼と別れて、電車に乗るためにホームの乗り場でぼんやりとしていた時だった。


「あれ、凛?」


「……雪乃!? わ、小雪ちゃんも! 珍しいね」


 聞き覚えのある声がしてそちらを見ると、そこにはベビーカーを押す雪乃の姿があった。

 いくつかのショッピングバッグを持っていて、どうやら買い物帰りらしいということがわかる。


 雪乃とは結婚と出産を機に直接会う機会は減ってしまったものの、最寄り駅は同じなのでこうして遭遇することがあるのも不思議ではない。

 私は並んでいた列から抜け出すと、雪乃の傍へと歩み寄って行った。


「買い物帰り? それ持つよ」


「ありがと、助かる~。小雪が大きくなってきたから、ちょっと服を買い足しておこうと思ってさあ」


「ふふ、前に会った時はもっと小さかったもんね。小雪ちゃんグッスリだ」


「さっきまで大泣きしてたんだよね。やっと寝てくれたトコ」


 あどけない顔で夢の世界にいる小雪ちゃんは、ますます雪乃に似てきた気がする。


「そういえば、凛のデートって今日だったんだ?」


「えっ? いや、デートってわけじゃ……」


「隠してもムダムダ。可愛いスカート穿いてるじゃん、デートどうだったの? いい感じだった?」


 友人と遊ぶ時もパンツスタイルが基本なので、私がスカートを穿いていることを彼女は見逃さない。

 列の最後尾に並び直しながら、私はどう答えるべきかと考えあぐねていた。


「まあ……楽しかったよ。って言っても、ホントにデートじゃないんだけど」


「ふーん、まだ発展前って感じかあ。それならこんな健全な時間帯に帰ってくるのも納得だよねえ」


「それは……」


 相手が未成年だから早く解散しました、とは言えなかった。

 言葉に詰まる私への助け舟のように、目的の電車がホームに滑り込んでくる。扉が開くと、私たちは列が進むのに合わせて電車の中へと乗り込んだ。


「……雪乃、大丈夫?」


 電車が動き出して少しした頃、隣に立っていた雪乃の顔色が悪いような気がして私は彼女の顔を覗き込む。

 満員というほどではなかったものの、電車内はすべての座席が埋まる程度には乗客がいた。


 なので私たちは座席の前の吊り革に掴まる形で立っていたのだけれど、子連れであると同時に雪乃は妊婦であることを思い出す。


「顔色悪いよ、座らせてもらった方がいいんじゃ……」


「ううん、平気。ちょっと貧血気味なだけで、すぐ落ち着くと思うから」


「でも……」


「あの、良かったら座ってください」


 そんな私たちに声を掛けてくれたのは、目の前に座っていたサラリーマン風の若い男性だった。


「あ、すみません。ありがとうございます」


 雪乃は申し訳なさそうに頭を下げた後に、譲ってもらった席へと腰を落ち着けた。

 気丈に振る舞ってはいたものの、やはりしんどかったのだろう。座れたことで、表情が安堵したように見える。


「……わざとらしい。座りてえなら優先席にでも行けよ」


「は?」


 そんな私の耳に入ったのは、まるで悪意の塊のような声だ。

 その声の主は雪乃の隣に座っている中年男性で、顔は別の方向を向いているが明らかに私たちに向けられた言葉だとわかる。


「あの、失礼ですけどどういう意味ですか?」


「どういう意味もクソもねえだろ。目の前でわざとらしい演技しやがって、こっちは並んで座ってんだよ。ベビーカーも邪魔だしよ」


 自分が席を譲ったわけでもないというのに、この男性は一体何を言っているのだろうか?

 邪魔だというベビーカーだって、他の乗客に当たらないよう気を使いつつ雪乃の前に置いている。


「どうして演技だと思うんですか? 彼女、妊婦なので急に体調が変化することだってありますよ」


 まだお腹は膨らんでいないものの、雪乃のバッグにはマタニティマークもついている。それを見たからこそ、先ほどのサラリーマンも席を善意で譲ってくれたのだろう。

 だというのに、この男性は何がそんなに気に食わないというのか。


「凛、いいよ。私は平気だから」


「良くない。体調が悪い友達気遣って、演技だなんて言われる筋合いないよ」


「うるせえな、女は黙って言われたこと素直に受け入れてりゃいいんだよ」


 その物言いにカチンとくるが、男性の隣に雪乃が座っているので下手なことはできない。

 もうすぐ最寄り駅だ。そこまで我慢すればいいとはいえ、こんな風に言われ放題なのは許せないのに。


「あなたが譲った席なら文句を言いたくなるのも理解できますが、違いますよね? 女性相手に文句をつけて、恥ずかしくないんですか?」


 そんな私の横から加勢してくれたのは、先ほど席を譲ってくれたサラリーマンだった。

 一度はこの場を離れて出入口付近に移動したと思っていたのだけれど、私たちが言い合うのを聞いて戻ってきてくれたらしい。


「大体、この女性が本当に具合が悪いかどうかなんて一目見ればわかります。あなたはご自身のこと以外、何も見えていないようですが」


「うっ、うるせえ! 若造が偉そうな口叩いてんじゃねえぞ!」


 彼の言うことに反論できないらしい男性は、電車が駅に到着するや否や逃げるようにしてホームへと駆け出していった。

 私たちも降りなければならないので、雪乃からベビーカーを預かって扉の方へと向かう。


「あの、ありがとうございました……!」


「いえ。災難でしたけど、素敵なご友人をお持ちですね。お気をつけて」


 サラリーマンにお礼を述べた私たちは、爽やかな笑顔に見送られながら電車を降りることができた。

 雪乃の体調が回復するまで、少しベンチに腰掛けて休憩することにする。


「あのサラリーマンの人、素敵だったね」


「うん、いい人だった」


「凛のことも褒めてくれたし、見る目ある」


 まさかあんな風に褒め言葉を向けられるとは思わず、私は気恥ずかしくなってしまう。

 風に当たりながら休憩をしたことで、雪乃の顔色も少しずつ良くなってきているようだった。


「……けど、意外だったなあ」


「ん? 何のこと?」


 ぽつりと落とされた雪乃の言葉に、それが何を指すのかわからない私は首を傾げる。


「凛は、あそこで食い下がらないと思ってた。グッと我慢して、電車下りてから『あのオッサンめっちゃムカついたね!』って二人で話すかなあって」


「それは、だって……言いがかりだったし」


「そうだけど、凛は正しいことでも自分が我慢する方を選ぶでしょ? だから、意外だった」


 そう言われれば、確かに雪乃の言う通りなのだ。

 少し前の私だったら、理不尽なことを言われているとわかっていても駅に着くまでの辛抱だと思っていた。


『いいことしただけなんだから、堂々と胸張ってりゃいい』


 私の背中を押したのは、多分怜央くんの言葉だ。

 正しいことをしていると思ったから、私は言葉を飲み込まずに済んで、あのサラリーマンも加勢してくれた。


「もしかして、デート相手の彼の影響かな?」


「そんなこと……ないけど……」


 否定はしたものの、雪乃には見透かされてしまっている気がする。

 彼女の体調が回復した頃合いを見計らって、私たちはそれぞれの家路へとついたのだった。


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