01:キミとの出会い
毎日更新していきます。
一生のうち、良いことと悪いことは同じだけ起こるなんて話がある。
けれど、果たして本当にそうだろうか?
「あの、良かったら座ってください」
息が詰まりそうなほどの満員電車。
私は運よく座ることができたけれど、目の前に杖をついた高齢者が乗り込んでくれば、席を譲るのは自然なことだと思う。
「あたしを老人扱いするつもりかい!? 失礼な子だね、結構だよ!!」
だが、誰もが同じ考えを持つわけではないらしい。
「そんなつもりじゃなかったんですが……すみません」
唾を吐きかけるように激昂する彼女の姿を見て、私は中途半端に立ち上がったままの身体を再び座席に沈める。
同情するような周囲の視線が集まるのを感じたが、気にせず遮断するようにイヤホンを両耳に押し込んだ。
移動することもできず、高齢女性はまだ何か文句を口にし続けているようだった。
人生って多分、誰にでも平等なものではない。
桜川 凛、26歳。
人に何かを期待することをやめようと思ったのは、もう随分と前のことだ。
「桜川さん、悪いんだけどこれもお願いできる?」
「わかりました。ついでに、明日の会議用の資料もまとめておきます」
「ホント!? ありがとー、助かるわあ!」
時刻は定時。
自分の受け持つ仕事はすでに片付いていたので、帰ろうと思えばいつでもそうできた。
けれど、追加された書類の山によって今日も残業が確定する。
向かいの席の同期は必死にキーボードを叩いているので、恐らくまだ今日の分の仕事と戦っているのだろう。
本来なら自分の仕事ではないのだが、どうせ作業を続けるのならと、余分な仕事も片付けてしまうことにした。
「桜川さんって仕事早いよね。正確だし、安心して任せられるよ」
「ありがとうございます」
「あのさ、もし余裕あったらなんだけど……こっちも頼めないかな? 嫁に今日は早く帰ってこいって言われてて」
「構いませんよ、特に急いで帰る用事もないので」
「マジ!? 助かる~、桜川さんならパパッとできちゃうっしょ。じゃあ頼むな!」
嬉しそうに両手を合わせて私を拝む彼は、つい先日おめでた婚をした先輩だ。
奥さんを大事にしていることは伝わってくるし、初めての妊娠ということで色々と心配もあるのだろう。私に仕事を引き渡すや否や、そそくさと会社を出ていった。
それからは時計を確認することもなく、私はパソコンに向き合って黙々と書類を片付けていく。
始めはうんざりするほどの量だったその山も、オフィス内の人が少なくなるのに比例して、着実に高さを減らしていった。
(うわ、もうこんな時間……さすがにそろそろ帰らないとだな)
区切りがついたところで、ふと顔を上げると終電の時間が近づいていることに気がつく。
仕事自体は嫌いではないので夢中になってしまったが、明日だって休みではないのだ。
片付いた仕事をそれぞれ担当者のデスクに置いてメモを残してから、私は帰り支度を済ませる。
会社から外に出てみると、辺りはすっかり暗く人気も無くなっていた。
秋に入りかけのこの季節は少し肌寒さも感じるが、嫌いではない。
慌てることもないので、今日の夕飯は何を食べようかなどと考えながら駅を目指していく。
「ゆーくんさぁ、ミカの話聞いてた?」
「聞いてた聞いてた」
ふと、静かな夜に似つかわしくない声が響いて、自然とそちらに目線が向いてしまう。
腕を組みながら歩く若い男女は、恐らく恋人同士なのだろう。ミニスカートを穿いた彼女の方が、彼氏の腕を大きく揺らして何かを訴えている。
「ミカは頑張ったのに、先輩にすっごい嫌味言われたんだよ!? もー超ヤル気なくなったし!」
「それは先輩が悪いっしょ。ミカが頑張ったのは俺がよくわかってるよ」
「ホントにぃ?」
「ホントホント。ミカは頑張ってるし、生きてるだけでエライ」
「えへへ。ゆーくん大好き!」
人目も憚らずイチャイチャする二人を追い抜くことができず、私の歩調は少しばかり鈍くなる。
それだけであれば微笑ましいとも思えたが、上機嫌な彼女が手にしていたペットボトルを道路脇に投げ捨てた。
(うわ……)
空っぽのペットボトルは、壁にぶつかると軽い音を立てて跳ね返る。
彼氏側もそれを咎めるわけでもなく、デレデレとしながら彼女と共に歩き去ってしまった。
転がっていたペットボトルは、私のパンプスに当たってようやく動きを止める。それを拾い上げた私は、二人の消えていった方角を見て小さく息を吐き出す。
(生きてるだけで偉い、か)
努力は必ず報われるものではない。
私のしてきたことを認めてくれる人も、褒めてくれる人もいなかったのだから。
『失礼な子だね』
『桜川さんならパパッとできちゃうっしょ』
期待をするから、裏切られたような気分になるのだ。それならば、最初から他人に期待などしなければいい。
自動販売機の横に設置されたゴミ箱にペットボトルを捨てながら、持ち主の背中を思う。
(生きてるだけで偉いなら、私もあの子も同じように偉いんだろうか?)
不平等。
そんな言葉が過るのは、私の中にまだ期待が残ってしまっているからかもしれない。
「うわっ」
その時、聞こえた声に驚いて私は振り返る。誰もいないと思っていたそこに、一人の男性が立っていた。
薄暗くて顔はよく見えないのだが、夜の闇の中でも目立つ金髪が最初に目を惹く。
スカジャンを着てスケートボードを持って、ピアスもジャラジャラとつけているように見える。
その彼を中心として集まってくる数人の若者たちは、見るからに『社会に反発しています』と言わんばかりの不良集団だ。
先ほど声を発したのは、恐らく金髪の青年なのだろう。
「ウケんだけど、今この人ゴミ拾ったよな?」
「きたねー! もしかしてゴミ収集癖とかある人?」
「でも捨ててたし違うっしょ」
彼らは次々と言葉を発するが、そのどれもが私を馬鹿にしたようなものばかりであることは理解できた。
ゴミを拾っただけとはいえ、見ず知らずの他人にそんなことを言われる筋合いはない。
相手をするだけ無駄だと判断した私は、無視をしてその場を去ろうとしたのだけれど。
「いや、オネーサン偉くね!?」
「え……」
揶揄するような言葉が飛び交う中で、金髪の彼だけが真逆の言葉を口にしたのだ。
思わず私はそちらを見てしまうが、驚いたのは私だけではなかったらしい。周囲にいた仲間たちも、金髪の彼のことを目を丸くして見ていた。
「レオ、何言っちゃってんの?」
「えー、お前ってこういうのがタイプだったワケ?」
「ゴミ拾ってただけじゃんなあ?」
口々に否定的な発言をする彼らに対して、レオと呼ばれた金髪の青年はきょとんとした顔をしてる。
「や、偉いでしょ。ポイ捨てされたの拾ってんだから」
「普通はスルーすんだろ。わざわざ拾うとかキモい」
「だよなあ、いい人ぶってる感じとか無理」
散々な言われように、やはりすぐにでもこの場を去るべきだったかと後悔した。
けれど、私が何か行動をするよりも先に、金髪の彼の声音が明らかに低くなったのを感じる。
「あー、お前らってそういう感じね。いいや、解散」
「え?」
「だから、解散。もうお前らとはつるまねえから、二度と声掛けんな」
「は? どうしたんだよ、レオ」
「行こ、オネーサン」
「えっ、ちょ……!」
私と同じように困惑している彼らに背を向けると、金髪の青年は私の背中を押して歩き出してしまう。
背後から何やら野次が飛んできているのが聞こえたけれど、彼は一度も振り返ることなく歩き続けていた。
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