勇者達の邂逅*4
3人目の勇者が現れた。
民衆は大いにざわめき、王家の者達も青ざめ、そして……この場で唯一状況を知るアレットは、やはりか、と、思う。
そっと、ドレス越しに懐のヴィアに触れると、小さなヴィアも何かを察したようにふるり、と揺れた。
……エクラの魔力は、然程強くないように思える。光の魔法を使うことができるが、それ以上ではない、という程度である。光の魔法は、幸運にも適性があったということなのだろう。或いは……人間は魔物とは異なり、生きていくのには魔力を必要としない為、魔力を手に入れると外に出る魔法を使えるようになりやすい、ということなのかもしれない。
勿論、魔力の出所が分かっている以上、アレットは然程、驚かない。だが勿論、驚く演技は忘れない。『フローレン』にとってはまるで予想できなかった、恐ろしい事態なのだから。
「勇者……だと?」
「昨夜、神よりこの力を授けられました」
エクラは演技があまり上手くない。堂々としていた方が効果的な場面であろうが、少々、腰が引けている。緊張しているのだろう。表情は強張り、じっと、騎士団長を見つめながらも、命の危機に瀕した動物のように極限の警戒を続けている。それもそのはず、ここはつい先日まで勇者でもなんでもなかったただの少女には、あまりに大きすぎる舞台だ。
「そんな、馬鹿な……」
「事実です。……ほら」
エクラは騎士団長や国王、そして多くの民衆の前で、もう一度、魔法を使ってみせる。
ぽわり、と優しく輝く光の球がエクラの手の中から生じて、ふわ、と宙に浮く。その様子を見て、エクラの魔力を疑うことはできないだろう。
「……何が望みだ」
騎士団長もまた、エクラと同じくらいの緊張を内に隠しながら、そう、問う。表情は取り繕えているが、混乱や動揺がある分、エクラに競り負けているかもしれない。
「兄さんに会わせてください。それから……取引を、申し出ます」
そしてエクラが覚悟の滲んだ表情でそう言うのを聞いて、騎士団長は困惑しつつ、剣の切っ先をそっと、下ろすのだった。
それから有耶無耶の内に式典が終わり、エクラ・スプランドールは王城へ連れてこられた。
この時点で、王家側の目論見も面目も、丸潰れである。民衆には『追って報告をする』とだけ言ってあるようだが、その言い訳も果たして、どの程度の民衆に浸透したか。
良くも悪くも民衆は愚かである。物事の真相に辿り着くことよりも、面白そうな醜聞を囁き合うことに飛びつきがちだ。既に民衆の間では『あの少女の言っていた通り、王家は不正な手段を用いて勇者を用意したのではないか?』『あの少女もきっと処分されてしまうに違いない』などと囁かれている。
……これで、王家はエクラをただ処分することができなくなってしまった。このままエクラを処分したなら、民衆の離反が懸念される。
かといって、エクラを野放しにしておくわけにはいかない。親勇者派に王家を攻撃する根拠を与えてしまうことになる。親勇者派は表立っては、王家に敵対していない。それをわざわざ波立たせるのはあまりに愚かしい。
だが、エクラを処分したいのは事実。レオ・スプランドールも元々の計画通り、さっさと処刑してしまいたいところだが……。
……ということで、騎士団長は疲れ果てていた。
「ああ、お前の茶は、本当に美味いな……」
疲れが隠し切れない顔で、騎士団長はアレットの部屋に居た。小さなテーブルの向かいには当然、アレットが座っている。……ここ数日は毎日のように、時には一日に二度以上も、騎士団長はアレットの部屋へやってきて茶を飲んでいた。アレットはすっかり、騎士団長を労わり、癒す役割となってしまっている。
「今日のお茶は十薬花と薄荷です。少し気分がすっきりされるかと思って」
「ああ。今日も美味い。不思議なものだ。城で用意されるどんな茶よりも、お前が淹れたものが俺を落ち着かせる」
野草茶のカップを手の中に包みながら、騎士団長は半ば無意識にか、深々とため息を吐いた。
「……今日も、お疲れですね」
アレットは労わりの言葉ついでに、探りを入れる。
騎士団長は、エクラ・スプランドールの事情聴取に携わっているはずである。城内には『さっさと拷問にかけて殺してしまえ』といった声も聞こえているが、今のところ、騎士団長にその踏ん切りは付かないようであるが……。
「ああ……今日は、その、色々と、あってな……」
……どうやら、エクラ・スプランドールとのやりとりに、進展があったらしい。だが、騎士団長は言葉を濁して、それ以上を喋ろうとしない。
何か迷うような、そんな様子の騎士団長を見て、アレットもどのように聞き出すかを迷う。
騎士団長は妙に『フローレン』を大切にしたがる。それは、背中を預ける仲間として、というよりは、籠に入れた小鳥を可愛がるように。要は、危険に晒したくない、と考えているらしいのだ。
そんな様子を感じ取りながら、アレットは……意を決して、それとない風を装って、尋ねる。
「なにかとんでもない要求でもしてきたのですか、エクラ・スプランドールは」
「それは……」
騎士団長は、はっとしたような顔でアレットを見つめ……それにアレットは、静かに微笑んで見つめ返す。
すると騎士団長は何やら迷うように視線を彷徨わせ……そして。
「その……フローレン」
「はい、何でしょう」
何か決心したらしい、と見たアレットは内心で『やったね!』と喜びながら、静かに騎士団長の言葉を聞く。
「このようなこと、お前に伝えるかどうか、悩んだが……お前は聡明だ。俺より良い考えが浮かぶかもしれない」
前置きもそこそこに、騎士団長は、ちら、とアレットの様子を見て……そして、言った。
「エクラ・スプランドールが、お前に会いたいと言っている」
「……えっ?」
「『フローレンという名の女性に会いたい』と。そう、言っているのだ」
アレットはすぐさま、『ああ、ヴィアがそういう風に言ったんだろうなあ』と察する。同時に、エクラの用件もなんとなく、理解してしまった。……必ずや、エクラに会わねばならない、とも、理解できた。
「そういうことでしたら、会いに行きますよ。地下牢ですか?」
「い、いや、客室だが……おい、フローレン、待て!そう急くな!」
席を立ちかけたアレットの手首を掴んで、慌てて騎士団長が止めに来る。アレットはそれを、きょとん、とした顔で見返してやりながら、至極まっとうなことを言ってやるのだ。
「しかし、私が会いに行かねば、事態が進展しないのでは?」
「それは……」
それはそうなのだろう。だからこそ、騎士団長はこれだけ悩んでいるのだろうから。そうでなければ、『フローレンに少しでも危険があるなら賛同できない』と突っぱねて、それ以降悩むことなど無かったはずである。
「大丈夫ですよ、騎士団長殿。私は元々、傭兵です。お忘れですか?」
アレットはもう一押ししつつ、にっこり笑ってそう言ってやった。どうも、最近の騎士団長はあまりに『フローレン』を大切にし過ぎているので。
「……いや、そうだな。ああ、お前は誇り高き兵士だ。俺が案ずることは何もない、か……」
「はい!捕虜の尋問程度は経験がありますよ!お任せください!」
アレットは自信をもって満面の笑みでそう答えた。予想通りに事が進むならエクラを尋問するつもりは無いが、実際、アレットは人間の捕虜を拷問にかけた経験は何度かある。本当に自信はあった。
「いやいや、お前がそう気負わずとも、尋問官が居るからな。奴らの仕事をとらないでやってくれ」
騎士団長は自信たっぷりなアレットを見て苦笑しながら、ようやく踏ん切りがついた、というように言った。
「では命令だ、フローレン。エクラ・スプランドールと接触し、奴の狙いを聞き出してくれ」
「はい!この任務、必ずや成功させてみせます!」
アレットは少々冗談めかしつつそう答えて敬礼し、騎士団長へにっこりと笑いかける。エクラ・スプランドールに接触できる機会を得たことを、内心で喜びながら。
アレットは係の兵士に連れられて、エクラ・スプランドールが滞在している部屋へと向かった。王家としてもエクラ・スプランドールの扱いに困ったらしく、ひとまず、牢ではなくこちらへと通したらしい。
それはそうだろう。牢へと連れて行ったなら、レオ・スプランドールと接触する可能性がある。王家としてはそれは避けたいのであろうし、何より、一度エクラを牢に入れてしまったなら、エクラを二度と、外へは出せなくなる。外で『王家は神に選ばれし勇者を、あろうことか投獄した』などと吹聴されては王家の印象が悪くなる。そして、牢から二度と出さなかったともなれば、民衆は皆、『勇者はやはり王家に殺されたのだろう』と噂するだろう。
……つまり、民衆からの覚えを良くしてレオ・スプランドールを抹殺したい王家としては、エクラを牢に入れる選択肢を取ることはできず、ついでにエクラをいずれ外へ出さなければならない、というところまではほぼ、決定しているのだ。
そんな状況であるので、アレットが尋ねていった先でのエクラの様子は、然程悪くなかった。緊張はしているようだったが、その程度である。傷つけられたり、食事を与えられなかったり、といった様子は見られない。
「あの、エクラ・スプランドールさん?私、フローレンです。初めまして……だよね?」
アレットは部屋に入ってすぐ、少々困ったような笑顔をエクラへ向けた。ヴィアから話は聞いていたが、実際、初対面なのだから。
「あ……初め、まして」
エクラはアレットを見て、少々慌てたように居住まいを正し、ぺこ、とお辞儀をした。アレットもそれに合わせて、ぺこ、とお辞儀を返す。そして再び頭を上げた両者は、一抹の気まずさと共に、しばし、見つめ合う。
……どうやら、エクラ・スプランドールは元々あまり喋らない性質であるらしく、ついでに、今は緊張も相まって、余計に喋らないらしい。
人間の少女など、魔物からしてみれば赤ん坊に等しい。そんな生き物に過度な期待など掛けていないアレットは、早速、自分から話し始める。
「ええと、レオ・スプランドール殿の妹さん、なんだっけ」
「はい。……兄さんを、知っているの?」
「ああ、うーん……どうだろう。ちらっと見た、程度だから……あんまり」
アレットは曖昧に答えて濁しつつ、少々気まずげに笑ってみせた。『フローレン』としてみれば、勇者レオ・スプランドールは王都防衛の際、『フローレン』の同僚達を見殺しにしたも同然の人物である。よい印象は持っていないはずだ。
だが、それでも心優しい『フローレン』であるならば、憎い相手の妹にまで憎しみをぶつけはしないだろう。……アレットの友、本当のフローレンがそうだったように。
「そうだ。確か、私に会いたい、っていうこと、だったよね?私、そう聞いて、ここに来たんだけれど」
フローレンの記憶を振り払いながら、アレットは偽りの『フローレン』として、再びエクラに向かう。彼女が何を言い出すか、概ね、予想しながら。
「……何か、用が、あるのかな」
アレットは小柄な自分より尚、下に位置するエクラの目を見ながら、優しく尋ねる。
……すると。
「これ」
エクラは、懐にずっと隠していたらしいものを、そっと、取り出してアレットに差し出した。
「……あなたに渡すように、頼まれたから」
エクラから手渡されたのは、瓶に入った水であった。