勇者達の邂逅*1
レオ・スプランドールの処刑の準備は恙なく進んでいた。アレットは度々騎士団長に連れ出されて貴族達と顔を合わせながら、レオ・スプランドールの処刑について、着々と駒が進んでいくのを日々、眺めている。
これは当然ながら、国の一大事であった。何せ、勇者として国が推した人物が、国家反逆罪で処刑されるのだ。勇者を旅立たせた王家としても面子を潰される形となっている。また、何も知らない民衆達からしてみれば、『悪しき魔物を倒し、人間達の未来を切り開いてくれる人物』を処刑しようとする王家に反感を覚えることは間違いない。
国とは、頂点だけで成り立つものではない。如何に愚かであろうとも、国民は国民、国を支える根幹となる部分である。それらが一斉にそっぽを向いてしまったなら、現王家であるグロワール一族の政治も立ち行かなくなるだろう。
……ということで、反勇者派の面々は、ああでもないこうでもない、と相談しつつ、忙しく動き回っていた。
民衆へのそれとない根回し。レオ・スプランドールのそれとない悪評。そういったものを少しずつ民衆へ浸透させつつあり……そして、やはり、勇者を民衆の心から消すべく、『新たなる、真なる勇者』の発表が行われたのである。
今までの『勇者』を塗り替える者として、アシル・グロワールは民衆の前に立つことになった。
「ということで、フローレン。お前にも是非、参加してもらいたい」
「えええ……」
……アレットは困惑していた。
『話がある。ついでに茶を一杯、淹れてくれないか』という騎士団長の望みを叶えるべく、野草茶を調合して騎士団長に振舞ったアレットは、ささやかな茶会が始まって僅か数分で『新たな勇者の発表の会に出席してくれ』というとんでもない望みを聞かされている。
「わ、私が、ですか?」
「ああ」
騎士団長は申し訳なさそうな顔をしてはいるものの、恐らく、これもまた、彼の望むところなのだろう。『頑張って外堀を埋めようとしているなあ』とアレットは思いつつ、表面上は只々困惑して、騎士団長に尋ねた。
「あの、何故、私が?」
「……打算づくで申し訳ないが、民衆からしてみれば、平民上がりの兵士が功労者として取り立てられるのは喜ばしいことだ。彼らに夢と希望を与えられる」
それはそうだろうなあ、と、アレットは頷く。
平民が成り上がる機会は、そう多くないらしい。それは人間達の中に交ざって暮らしていたアレットにも、よく分かっている。
……魔物の国へ入植した人間達は、故郷に居られなくなった者や恩赦と引き換えにやってきた犯罪者、或いは魔物討伐の功績を狙ってやって来た一部の貴族などが大半であったが、中には、『一生、同じ村で暮らすのかと思ったらぞっとした』『もっと広い世界を見てみたかったから』といった理由でやってきていた者も居た。
要は、そうでもしなければ、彼らは広い世界など見ることができないのだ。それだけに、『魔物の国で傭兵として働く中で王子の命を救い、王子に見初められた美少女』の夢物語は彼らの心に深く突き刺さることだろう。
「夢と希望……私が、ですか?」
「ああ、そうだ」
アレットは戸惑う様子を見せながらも、表情に少々の希望を浮かべて騎士団長を見上げる。騎士団長は優しく微笑んで、力強く頷いた。
「お前は、平民上がりの者であっても十分な功績を立てられる、という証明なのだ。そして同時に、お前を評価することで、王家は平民をきちんと評価すると証明できる」
「成程……」
「私の為にも、この国の民の為にも、どうか、勇者受勲式に参列してほしいのだ」
机の上、そして茶のカップを越えて、騎士団長の手が伸びる。そうして騎士団長はアレットの手を握って、じっとアレットの瞳を見つめてきた。
青空色に変じた瞳に、アレットの顔が映る。心細そうな、戸惑う少女の顔が。
……アレットはそんな自分の表情を確認して『よし、上手くできてる』と内心で満足しながら、俯きがちに騎士団長の手を握り返した。
「……分かりました」
そして顔を上げて、アレットは精一杯、微笑むのである。
「私がお役に立つのなら!」
「ああ、ありがとう、フローレン!」
騎士団長は心底嬉しそうに笑うと、もう一度アレットの手を握ってからそっと、手を引っ込めた。
「……断られることも覚悟していたんだが」
「あはは。確かに、お断りしたいくらいの重圧ではあります。でも、裁判での証人になると決めた時から、ある程度のことは覚悟していましたから」
アレットが笑いかけると、騎士団長は少々気まずげに笑った。……少々卑怯な手段で外堀を埋めている、という自覚はあるのだろう。恐らく。
「ああ……この埋め合わせは、必ずや」
「でしたらまた、お暇な時にお茶を飲みに来ていただけると嬉しいです」
「全く、お前には敵わないな。分かった。なら、次は茶菓子を何か、持ってこよう」
「あんまり素敵なお菓子は持ってこないでくださいね。私が淹れるお茶だと釣り合わなくなっちゃいますから」
騎士団長が退席していくのを見守りつつ軽やかに会話して、アレットは部屋の戸の向こうへ騎士団長を見送った。
「勇者叙勲式、かあ」
騎士団長が居なくなった後で茶のカップを片付けながら、アレットは小さくため息を吐いた。
これから先のことが、少々、見えない。ヴィアの方で何やら動いているようでもあるし、人間側も親勇者派と反勇者派の他に派閥があるように思える。
勇者レオ・スプランドールの始末が終わったら、次は第一王子と第二王子の争いになるのではないだろうか。アレットは先のことを少々考え……結局、『分からないことばっかりだもんなあ』と結論付ける。よく分からない国の中で、よく分からない未来に思いを馳せても仕方がない。
「……よし」
アレットは気を取り直すと、早速、懐から小さなヴィアを取り出した。ヴィアは『ああ、お嬢さんの懐はぬくぬくと暖かく居心地が良いのですが……』と残念そうに言いつつも、アレットの手の上にぷるんと大人しく収まった。
「じゃあ、ヴィア。大きいヴィアの進捗を教えて」
「はい、畏まりました!」
そうしてアレットは、ヴィアからの報告を聞く。
復讐が無事に成就したことも、エクラ・スプランドールが魔物と人間の関係に少々疑問を抱いたらしい、ということも。そして……。
「やはり、精霊の聖堂、とやらには魔力が封じられていますね」
「……そっか」
人間の国にも、魔力が存在していたらしい、という驚くべき真実も。
「いやはや、エクラ嬢。これは大変なことですよ。やはり、人間の国にも魔力があったとは!」
ヴィアは大仰に両腕を広げて天井を仰ぐ。
精霊の聖堂の、古びて少々みすぼらしい内装の中で、ヴィアのような少々気障な格好は如何にも場違いであるはずなのだが、今のヴィアには気にならない。何せ、復讐が成就した直後であるので。
「となるとやはり、人間の中の魔力持ちは魔物と似た存在、ということでしょうか。そして……勇者の力と魔物の力の根源は間違いなく、同じものと言って差し支えないでしょうね」
ヴィアの感想に、エクラ・スプランドールは少々目を眇めた。
人間の世界で生きる人間からしてみれば、悪しき魔物の生命を保つ力と勇者の破邪の力が同一視されるのは気分の良いものではないのだろう。……否、そうなるように、教育されてきたのだろう、とヴィアは推測する。
恐らく、最初の『勇者』やそれに近しい者は、勇者の力を神の力と偽りながらも、自分達の力が魔物のそれと変わらないことを知っていたはずである。
知っていたからこそ、勇者は魔物と勇者の存在を分けたのだ。その一方で、『魔力持ち』の人間が迫害され、殺されているというのに。
「魔力、って……何?」
ヴィアが恋人の姿を思い出しかけた時、エクラがそう、尋ねてくる。やはり、人間の平民の知識はこんなところであるらしい。エクラ曰く、『読み書きや計算ができるように、ちゃんと勉強した』とのことだったが、その勉強の中に宗教や魔法について扱ったものは無かったのだろう。エクラは、自分に知識が無いとも思っていないようであった。
「魔力、というのはですね、我々魔物を生かす力です。それが無ければ我らは生きていけない。同時に……より強大な魔力を持つ者であれば、魔法を使うこともできますね。私はできませんが」
ヴィアはできる限り優しく、エクラにそう教える。エクラが無知の罪を裁かれる前に、ある程度のことは教えておかなければならない。
「勇者であるレオ・スプランドール殿は、魔法を使われますね?あれができるのは神の御業によるものではなく……善も悪も光も闇も無い、純然なる魔力によるものなのですよ。きっとね」
「……そう」
「我々は魔力が無ければ生きていけませんが、もしかすると、人間は魔力なしでも生きていけるのかもしれません。ですが、知らず知らずのうちに人間が魔力を使っていたとしても、何らおかしくないと思いますよ」
聖堂の中、ささやかな祭壇とその上に輝く黄金細工の神の像を見て、エクラは複雑そうな顔をした。
人間である以上、生活の根本に染みついた信仰をまるきり捨てることには抵抗があるのだろう。だが、エクラは今、真実を知ろうと思っているらしい。
「まあ、ここにはどうやら、魔力がそれなりに蓄えてあるようですから。王家との交渉材料には丁度良いでしょう」
エクラの思考を断ち切るようにヴィアはそう言うと、聖堂の中を見回して……そこに漂う魔力を、確かめる。
魔物であるヴィアには、ここに漂う魔力が感じ取れる。ここには確かに、それなりの魔力が蓄えてあるらしかった。
魔物の国の神殿よりはずっと少ない魔力であるが……人間1人に注ぎ込まれれば、十分にその者を『勇者』へと変じさせるだろう。その後、更にあちこちから魔力が流れ込み、より勇者は強くなっていくと考えられる。
……そして、『勇者』の器に足りない者が敬虔にも巡礼としてこの地を巡ったならば……その者は恐らく、『魔力持ち』となり、人間に迫害されるのだ。
皮肉なものである。
『魔力持ち』の全てが精霊の聖堂を巡ったわけではなかろうが、中にはそういった者も居ただろう。そして、そうした者達は……神への思いも空しく、迫害され、虐げられ、そしていずれ殺されるのだ。メルラがかつて、そうであったように。
「……さて。エクラ嬢、参りましょう。王都へ」
少々感傷に浸り、少々考えをまとめた後。ヴィアはエクラへ声を掛けながら、紳士然として手を差し出した。エクラがその手を取ることは無かったが、目は、確かにヴィアを見つめる。エクラも何か感じ、何か思い、何か考えたらしかった。ヴィアへの警戒はまだ残るが、警戒の中に僅か、信用のようなものが芽生えてもいる。
「今こそ、レオ・スプランドール殿をお救いする時。暴虐なる王家に屈してはなりません。この機会を逃すと、王都へ入り込むことは難しいでしょうから、急いで旅支度をした方が良いでしょう」
ヴィアがそう言えば、エクラは少々不思議そうに首を傾げる。
「何か、あるの?」
警戒の代わりに感情が見えるようになってきた。ヴィアはそれに内心で喜びつつ、少々気障たらしい仕草で帽子のつばを引き下げつつ、言った。
「ええ。……第二王子が、勇者として名乗り出るようです。急ぎましょう。そのお祭り騒ぎに乗じれば、勇者の妹が潜り込んでも気づかれますまい」
アレットの懐に潜む小さなヴィアから伝えられた内容を確かめつつ、ヴィアはコートの裾を翻し、聖堂を出て歩くのだった。
……ほんの数日後の自分の運命を、覚悟しながら。