復讐*7
エクラが神殿の中へ入っていったのを見送って、ヴィアは側溝の中へ身を沈めた。
……夜分の外れの方とはいえ、人間の町の中である。十分に警戒してもまだ足りないくらいであろうが、それでもヴィアは、人間の町の中へ入ることを選んだ。
王都からまた更に離れた町の神殿。そこには、ヴィアが殺したい相手が居る。今、その男を連れ出すために、エクラが『寄付』として金の指輪とワインを持っていったところだ。
指輪は魔物の国で人間を殺した時に手に入れた金品の1つである。ヴィアは多少マメな性分なので、嵩張らない金品をいくらか、体の中に隠し持っておいたのである。また、ワインは適当な空き瓶を路地裏で拾って、中に水を入れただけのものだ。奴はワインを飲む前に死ぬので、これで十分誤魔化せる。
名指しで呼び出せば、神官は不思議に思いつつも取次ぎをしてくれるだろう。そこで『寄付』を渡せば、恐らく、奴は落ちる。
……そうして、また別の精霊の祠を探し当てることができる。そこで復讐相手を殺し、可能であれば、祠の魔力を我が物としたい。
ヴィアが側溝で少し待っていると、エクラが1人の神官らしい人物を伴って出てきた。
……面影がある。あれから3年かそこらが経って、多少やつれ、多少老けてはいるが、あの男だ。神官もどきの顔を見て、ヴィアは当時の憤怒と憎悪を強く強く思い出す。
「それでは早速ご案内します。どうぞ、こちらへ」
「ありがとうございます、神官様」
重たげな鍵束を手にエクラを先導し始めた復讐相手をじっと見つめたヴィアは、懐に手を入れた。そこに拳銃の感触を確かめて、そっと、側溝の中を進み始めた。
ヴィアは町の側溝を進み、側溝が無くなれば、人気が無い瞬間を見計らって素早く側溝から出た。後は、背筋を伸ばして堂々と歩いていれば、遠目には人間とさほど変わらないように見えるだろう。特に、夜に歩いている人間達は仕事で疲れ切っているか、酒に酔っているかのどちらかだ。ヴィアの姿を見咎める者はそうは居ない。
そうしてヴィアは、エクラと神官もどきの後をつけていく。スライムは人間のように呼吸をするわけでもなく、血液が流れている訳でもない。然程気配がしない体は、こうした尾行にうってつけである。
「それにしても、ご令嬢。珍しいですね。精霊の聖堂を見たい、とは。普通は神殿内部を見学したがるものですが」
そうしてヴィアが後をつけているとも知らずに、神官もどきはエクラへ話しかける。元が女好きの屑であるので、エクラのような美少女とみれば何かしらか、会話をしたくなるだろうとヴィアは踏んでいた。そして事実その通りとなり、神官もどきはヴィアの尾行にいよいよ気づきにくくなる。
「……どうしても、聖堂を見たくて」
一方のエクラは、ちら、と背後を振り返ってヴィアの存在を確認した。ヴィアは軽く帽子を取って掲げて『ここにいますよ』というあいさつ代わりにする。
エクラはそんなヴィアに特に反応を見せるでもなく、再び前方を向いて歩き始めた。少々冷たく無機的なかんじのするこの少女であるが、ヴィアにとってはそうやりづらくない相手である。下手に人間らしいよりは、この方が余程、やりやすい。
「ご令嬢は何故、精霊の聖堂に興味を持ったんですか?考古学か神学を学んでいるのですか?」
「いえ、私は……」
……だが、エクラはこうした嘘もあまり得意ではないらしい。ヴィアであれば『ええ、少々考古学を嗜んでおりまして』くらいの嘘はさらりと吐くのだが。
「……勇者について、調べています」
そうしてエクラが選んだ理由は、事実の内に収まるものであった。全てを話したわけではないが、嘘ではない。そして、エクラの素性には興味があろうともエクラの学問の分野には興味が無いのであろう神官もどきは、適当に相槌を打ちながら他の話題へと移っていく。
エクラは会話に不慣れな様子を存分に見せながら、町外れへ、町外れへと進んでいく。
……その先に、神殿の保護下にある『精霊の聖堂』があるのだろう。
精霊の聖堂の周囲は、高い柵で囲まれ、門には鍵が掛けられていた。だが、神官もどきが持ってきた鍵束の内の1本で、その門も軋みながら、なんとか開く。
あまり使われていないのであろう門を抜けて、雑草も木々も伸び放題の中を進んでいく。……ここから先、ヴィアはあまり隠密には動けないだろう。雑草が揺れれば、流石に気配が漏れる。如何に愚か者の屑とは言えど、神官もどきが何も気づかず看過するとは思いにくい。
……ならば。
「お久しぶりですね」
ヴィアは堂々と雑草を踏み、門を抜けた。
聖堂の中へいよいよ入ろうとしていたエクラと神官もどきは、はっとして振り返り……そこにヴィアの姿を見て、慄く。エクラは『出てくる予定だったのか』と疑念を抱いている様子であったし、神官もどきの方は純粋に、悍ましい姿の魔物を見て驚いている様子であった。
「ま……魔物!?だ、誰か」
「人は来ませんよ。こんな町外れに、一体誰が来ると?」
ヴィアはごぽりと泡を踊らせながら、後ろ手に門を閉めた。内側から鍵を掛けてしまえば、いよいよ、助けは来られない。
「ひっ……く、来るな!」
神官もどきは懐から銀のナイフを取り出した。魔除けの力があると言われている代物だが、魔物であるヴィアに何か効果があるわけでもない。ごぽごぽと泡を揺らして嘲笑いながら、ヴィアは一歩ずつ、憎い人間に近づいていく。
「まあまあ、そう言わずに。数年ぶりの再会じゃあないですか。ねえ?」
「再会、だと……!?」
何を言っているとばかりに狼狽する男を見て、ヴィアはまた一歩、近づく。そして。
「ああ、勿論、そちらのお嬢さんではありませんよ。……ランティエ・エグリーズ、お前だ」
銃を突きつける。これには憎い仇だけでなく、エクラもまた、驚く。
「忘れたとは言わせない。お前が私を殺したのだ。長年仕えた私を……そして私の愛する女を殺したこと、忘れてはいないだろうな!」
粘液の体を震わせて、ヴィアは叫ぶ。思えば、魔物になってから一度も、声を荒げたことなど無かったかもしれない。おそらくこれが最初で、そして、最後になる叫びだろう。
『なんのことだ』と怯え震える仇を前に、ヴィアは今一歩、間を詰めて……そして、引き金に指を掛け、一発、銃を撃つ。
銃弾は狙い通り、仇の太腿を貫いた。その痛みと死の恐怖に、憎い仇がみっともなく叫ぶのを聞いて、ヴィアは愉悦に浸る。
「お前の従者、エメ・バールを忘れたか?」
答えは無い。ただ、か細く『助けてくれ』『なんのことだ』『何かの間違いだ』と、命乞いらしいものが聞こえてくるだけだ。だがその中に、『魔物なんて知らない、関わったことも無い』という浅はかな言葉を聞いて……ヴィアはごぽり、と泡を蠢かした。
「お前への憎しみが、私を魔物として蘇らせたのだ。お前が、お前こそが、お前を殺す魔物を生み出したのだよ」
そうヴィアが放った言葉の、どれくらいの意味を理解しただろう。恐らく、理解はできていないのだろう。人間が死後、魔物になるなど、想像も及ばないに違いない。
だが、憎い仇の表情は、絶望に彩られていた。
ヴィアは自分の中の空虚な何かが穏やかに凪いでいくのを感じながら、もう一発、銃を撃つ。先程は脚、今度は腕だ。少々狙いが狂って手の平を貫通した銃弾は、また、仇に悲鳴を上げさせる。
「私の分とメルラの分はこれでよいことにしよう。そして最後は……お前の愚かさへの報いとして、銃弾を捧げようじゃあないか」
自分と愛する者を殺した愚者が、遂に自分に殺される。その仄暗く迸る喜びを味わいながら、ヴィアは、指に力を込めた。
「さあ、悔やめ」
悲鳴を掻き消すように、パン、と一発、銃声が響く。
……それで、ヴィアの復讐はようやく、終わりを告げたのである。
眉間に銃弾を撃ち込まれた人間は、呻いてそれきり動かなくなった。倒れ伏した死体と広がっていく血液を見下ろして、ヴィアは無感動に、死体の頭を蹴る。
硝煙を上げる銃を軽く振って、ヴィアは空を見上げた。
星の美しい夜空だった。その美しさが、凪いだ心に沁みる。
「……なんで、殺したの」
そしてそんなヴィアが感傷に浸りきる前に、エクラがじっと、ヴィアを見つめていた。その手には銃が握られている。
「ああ……申し訳ありません、エクラ嬢。騙すようなことをしてしまいましたが……これは私の目的、あなたの兄上との取引の内容でした」
ヴィアはエクラの銃から視線を外すと、自分の銃を懐へしまった。未だ熱を持った銃身が、シャツ越しに体に熱を伝えてくる。だが、その熱もまた、ヴィアの復讐の終わりを彩る絵の具の1つに過ぎない。
「私はかつて、人間でした。その男に仕える召使いで……恋人と自分とを、こいつに殺されたのです」
銃弾一つで死ぬヴィアではないが、もし、仮にここでエクラに殺されたとしても、それは仕方がない。ここ以外で仇を殺す機会はきっと、無かっただろう。魔物であるヴィアが神殿内部に潜り込んで口上を述べ、そして自分が殺された時と同じように銃で撃ってやる、となると、やはりどうにも難しい。
……だが、エクラは銃をヴィアに向けつつも、その銃口を彷徨わせながら、じっと、ヴィアを見つめていた。
「魔物は……人間、だったの?」
「へっ?」
そしてエクラの問いにヴィアはぽかん、として……それから、『ああ、先程の自分と神官もどきとの会話を聞いていたのか』と納得する。その上で、少々迷ったものの……人間相手に隠すべきことでもなかろう、と判断して、話した。
「……すべての魔物がそうかは分かりません。ですが、私は、そうです」
自分より大分小柄な少女の目線に合わせるように片膝をつき、ヴィアはエクラを見つめた。
「心の底から愛していた女は、魔力を持った人間でしてね。だから、この屑に殺されたのです」
それから少しばかり、ヴィアは身の上話をした。主に、恋人ののろけ話であったが。……人間の、それも勇者の妹にこんな話をするのは何やらおかしな気もしたが、復讐が終わった夜に話すには悪くない内容、悪くない相手だった。何せエクラは、ヴィアの話に興味があるのか無いのか、まるきり何も口を挟まずに聞いていたので。
「と、まあ、そういう事情で……私はずっと、この男を殺してやりたかったのですよ。愛する者を奪われた苦しみを、少しでも、味わわせてやりたくてね」
……そうしてヴィアの話が終わると、エクラは何か、思うところがあったのだろう。きゅ、と口元を引き結び、ちら、と死体を見た。
「……どうして、言わなかったの」
「それは申し訳ない。ですが、私が人を目の前で殺すつもりだったともなれば、貴女も困ったでしょう?」
「それは……」
エクラは迷うように目を彷徨わせ、そして、視線を地面に落とす。そうして血が広がっていく地面を見ながら、エクラはぼそり、と言うのだ。
「……事情が分かれば、別だったとは、思わないの」
おや、とヴィアは驚く。それはまるで、『事情があるなら人を殺しても良い』とエクラが思っているかのようであったので。
「……こんなこと、滅多に話すものでもないでしょう」
ヴィアははぐらかしつつ、エクラの前で立ち上がった。今や、エクラの銃は地面に向けられている。敵意も、牽制しようという意思も、最早無いらしい。
「さあ、参りましょう、エクラ嬢。私は私の目的を達成しました。貴女は貴女の目的を、達成しなければ」
そうしてエクラを伴って聖堂の入口へと向かう。……すると。
「私、兄さんのこと、あまり知らないの」
動く気配のないエクラが、そう、言った。
「魔物のことも、知らない」
「……そうですか」
ヴィアは何やら、不思議な気持ちになりながらエクラを見る。エクラは自分自身の言葉に戸惑っているようでもあった。
そのまましばらく、沈黙が流れる。エクラが何か言葉を探している様子を見て、ヴィアは立ち止まって、じっと、エクラを待ち……そして。
「教えて。兄さんは何故、魔物と戦っているの?」
エクラの真っ直ぐな視線を前に、ヴィアは、自分が大きな判断を迫られていることを悟った。
……人間と魔物の世界を揺るがしかねない、大きな、判断を。