復讐*6
ヴィアが人間であった頃に仕えていた人間は、どうしようもない屑であった。
貴族に生まれたが為に力を持ち、しかし、力を持つに値する器は持ち合わせていなかった。それ故に問題も多く、侍女達に手を出したり、貧民とはいえ人を殺したり、金を使い込んだり、と、様々なことをやっていた。そうして成人後まもなく、魔物の国へ送られることとなったのだ。
……そうして考えると、問題のある息子を死地へ送り出し、あわよくば死ねと願ったその父も、屑と言えば屑であった。だが、それについては、ヴィアも心情を理解できる。
屑の一族は、神官の系譜であったのだ。それ故に、神殿に携わる仕事も多かった。諸々の問題を起こしてきた息子の存在は、清廉潔白を求められる神殿での仕事に差し支えたのだろう。
ヴィアはそんな屑の家に仕える中で、神殿に関する情報を多少、知ることができた。
ヴィア自身は信心深い方ではなかったが、一通り、人間達の宗教のことを学び、更にその裏側を覗き、『所詮神なんてそんなものか』とがっかりしたものである。
……そう。人間達の神は、人間を救いはしない。
愛する者を死なせ、そしてヴィア自身をも死なせた神に、救いなど求めはしない。
それよりは今、こうしてヴィアを蘇らせ、そしていよいよ復讐を成し遂げさせようとしている魔物の神の方が余程、信頼できた。
……そう。例え、『人間達の神』と『魔物達の神』が、同一の存在であったとしても。それでもヴィアは、魔物として、魔物の神を信じる。
「……何が分かったの」
「いえ、そう多くのことは分かりませんでしたがね……どうやらここに、強い魔力があったらしい、ということが分かりましたよ」
エクラの疑問に答えつつ、ヴィアは周囲を見回した。
『精霊の聖堂』は、小さな建物である。床や柱に用いられている白大理石はきめ細かい上等なものであるが、古びて、朽ちかけている個所もある。
……人間達が『神』と崇めるものの一部がここに在ったはずなのに、人間達の多くはそれを忘れているのだ。
「エクラ嬢。不思議に思いませんか。何故、神ではなく、その下位に属するとされる精霊の社で、勇者が生まれたのか」
エクラはヴィアの言葉に眉を顰める。『言われてみれば確かにそうだ』と考えているのかもしれないし、『神の教えに従って生きる精霊であるならばそういうこともあるのだろう』と考えているのかもしれない。
「簡単なことです。そこに、神の意思も力も、介在していないから。だから、神も精霊も関係ない。……ただそれだけにすぎない」
ヴィアの言葉に、エクラは何も言わなかった。魔物の戯言に何かを言う気は無いのだろう。或いは……エクラ自身も、ヴィアと同じように思っているからかも、しれないが。
「適性さえあれば、人は誰でも、勇者になれる。そういうことなのかも、しれません」
魔力を持つための器さえあれば。
そして、そこに注ぎ込む魔力さえあったならば。
……そうして人間の中に、『魔力持ち』が生まれる。そして、その魔力があまりに多かったなら……『勇者』となるのだろう。
「……恐らく、これですね」
それから少々、社の中を探索したヴィアは、そこで1つ、古びた盃を見つけた。細かな傷がつき、そこに泥が入り込み、すっかり汚れ古びてはいるものの、水晶を削り出して作ったらしいそれは中々良い品であるように思われた。
そう。魔力が少々溜まるには十分な品だ。
「それから……ここの大理石自体にも、魔力が溜まっておかしくない。あとは、祭壇に嵌め込まれた翡翠でしょうか?あれもそうだったかもしれない。うーむ……」
ヴィアは考えながら、聖堂のあちこちを見て回った。
……長い時を経て、雨に溶けた魔力が染み込み、それでいて流れ出ていくことなく溜まり、そして、より適した器がやってきた時、そちらへ流れ込んだ。そう考えれば、人間が『勇者』になったことにも納得がいく。
「……まあ、レオ・スプランドール殿は恐らく、類稀なる『魔力の器を持つ人間』であったのでしょう。そして、魔力の多いこの場所へやってきて、そして、魔力を得て……勇者になった」
エクラはヴィアの言葉を聞いて、そっと、聖堂の中を見回した。兄とその力について、何か思うところがあるらしい。……それもそうだろう。少なくとも、奇妙なスライムに銃を突きつけつつも家に上げ、更に、そのスライムを案内してここまでやってきているのだから。
「……兄さんは」
エクラがぽつり、と呟く。
「勇者に、なりたくなかったの?」
「……さあ。それは私には、分かりません」
ヴィアはエクラの呟きへの答えを持っていない。レオ・スプランドールのことは、理解できないでもなかったが、全てを知っている訳でもない。その上で、下手な気休めも、安い憶測も、言いたくはなかった。
それが、過去に人間であったヴィアの、ヴィアなりの筋というものである。
「となると、アシル・グロワールが勇者の力を得た理由は……魔物の国には人間の国より多くの魔力があるから、ということでしょうか?うーむ、しかし、魔王様亡き今、魔力の量は然程多くないはず……いや、でも堆積すればそれなりの……」
ヴィアは考え込みつつ呟いて、とりとめもない考えをまとめていく。
……ヴィアがここへ来た理由は、どのようにして勇者が生まれたのかを探ることだった。
人間であったころ、『ただ信心深いだけの農民が勇者になった』と聞いたことがあったが、その実態はまるで分からなかった。
だが、魔物となった今なら、魔力を感じることができる。ならば勇者が勇者になったという地へ向かえば、そこで何かを知ることができるのではないか、と思ったのだ。
そして……ひとまず、勇者が勇者になったというこの地に、強い魔力の残り香があることは、分かった。恐らくここで勇者は魔力を得て、その結果、勇者となったのだろう、とも。
だが……。
『……それならば、魔物と変わりがない』。
ヴィアは、唸る。……前より、思っていたのだ。勇者とは一体、何者なのか、と。
勇者の本質は、『魔力を持った人間』だ。そして、魔物と人間との違いは、『魔力を持っているか否か』であり……ならば、勇者とは、魔物では、ないのか。
そして、勇者と魔物を隔てるものが信仰と意思なのだとしたら……。
「……それで、それが分かって、どうなるの」
ぶつぶつと呟きながら考え込むヴィアに、しびれを切らしたらしいエクラが強めの語調で問いかける。
「ああ、勿論、レオ・スプランドール殿を救う手立てへと繋げますとも!」
ヴィアは両手を広げて如何にも親し気な様子を演出して答えたが、エクラには少々不評だったらしい。眉を顰めるエクラを見て、ヴィアは『これは失敗したか』と思い直し、少々畏まって、改めてエクラに提案する。
「神殿へ向かいましょう。そして、神殿が管理している、他の聖堂へ向かうのです」
「……他の、聖堂?精霊の?」
「ええ。そこで貴女が、勇者の力について突き止めた、とすれば……アシル・グロワールと交渉する余地が生まれる」
ヴィアがそう言うと、エクラは紫がかった青の瞳を見開いた。
「王家は勇者の力を欲しています。だからこそ、レオ・スプランドール殿から力を奪い、処理してしまおうとしている。ならば……そこに更なる力をちらつかせれば、レオ・スプランドール殿を交渉材料として持ち出すことも十分にあり得ます。奴らの狙いは、あくまでも力なのですから」
ヴィアの言葉にエクラは迷う様子を見せた。……無論、ヴィアとしては、どうでもよい。もし、エクラに魔力の器があり、魔力を手に入れたとしても、そのエクラを食らえば魔力を得ることができる。操られやすい少女を先に操っておくならば、むしろこちらの武器として使うこともできよう。それに、今後アシル・グロワールが暴走した時の保険にもなる。
……逆に、想定通り、エクラに勇者の適性が無かったとしても問題ない。その時はヴィアが魔力を得ればよい話である。むしろ、積極的にそちらを狙っている。
それに……ヴィアの目的は、また、別のところにある。
「そうですね、神殿に欲深い神官が1人、居るのですよ。貴族が一時的に、謹慎を兼ねて神官をやっているものでして……」
自分と、そして恋人の仇の顔を思い出しながら、ヴィアは言う。
「その男に声を掛けて、案内役をさせましょう。貴女のような美少女が金か酒をちらつかせながら頼めば、きっと奴は神殿を抜け出して、聖堂への案内をやってくれるはずです」
……ヴィアはこぽり、と頭部に泡を浮かべながら、いよいよ復讐に手が届く喜びを噛みしめた。
「……ということなのですよ、お嬢さん」
「……それ、精霊の聖堂っていうところに魔力があるかどうか、それが勇者に関係するかどうか、って、エクラ・スプランドールに判別、つかないんじゃないの?」
アレットはヴィアの報告を聞いて、愕然とした。
まさかヴィアが、レオ・スプランドールの生家を訪れ、そこで妹に会い、手紙を渡して更に、人間の神に関係する施設を訪れ……そして、勇者の妹を誑し込んでいたとは!
「まあ、これで私は無事、復讐をやり遂げることができそうです。レオ・スプランドールが私の復讐相手のことを知っていてくれて助かりましたよ」
ヴィアがぷるるん、と体を震わせて喜びを表現するのを、アレットは少々複雑な気持ちで見つめる。
「……ヴィアは、復讐が終わったら、どうするの?」
「そうですね、当面の間は、エクラ嬢を操ることに注力するでしょうね。上手くいけば、レオ・スプランドールの件を上手く動かすことができるかもしれませんし……あ、そうだ、お嬢さん。ちょっとお耳を拝借……」
そしてヴィアはふと思い出したようにそう言うと、よじ、よじ、とアレットの肩まで上ってきて、うにょん、と体を伸ばし、アレットの耳元で囁く。それを一通り聞いたアレットは、『それ、実現できるの?』と呆れと感心の混ざった言葉を向け、『まあ、駄目で元々ぐらいなものですが、保険として』というヴィアの返事を聞いて気の抜けるような思いをし……ひとまず、ヴィアを肩から下ろした。耳元で囁かれると、少々くすぐったいのだ。
「まあ、エクラ・スプランドールを使うのはちょっと回りくどい気がするし、全部が悪い方向へ転がったら、とんでもないことになる気がするけれど……上手くやってくれるんでしょう?」
「ええ。貴女の信頼に応えてみせますよ」
アレットはため息を吐きつつヴィアをベッドの上に下ろし、『ソルにもちゃんと報告しておいてね』と、事実上の承認を出したのであった。
それからしばらく、小さなヴィアはアレットのベッドの上でぷるぷると揺れ、他のヴィアの様子を感じ取ったり、こちらの様子を他のヴィアになんとなく伝えたりしていたのだが、それが一段落すると。
「それにしても、お嬢さん!」
ぴょこ、と跳ねて、小さなヴィアが妙に元気に声を発する。これは色恋や醜聞に関する話題だな、と察したアレットが身構えると……ヴィアは思いの外落ち着いた声で、先を続けた。
「これは水の報せ、といいますか、スライムの勘、といいますか……どうも、あのアシル・グロワールが何かしでかす気がしまして」
少々真剣なヴィアの声に、アレットは頷いた。
そう。アシル・グロワールは『フローレン』に傾倒しすぎている。それこそ、神に縋る人間のように、『フローレン』に縋っているようにさえ見えるのだ。
「このままでは、奴はお嬢さんを手に入れるために大暴れしますよ、あいつは」
「ああ、うん……私もちょっと、そんな気はしてる」
アレットはため息を吐きつつ、今日の会議の後の、第一王子からの視線を思い出す。
……騎士団長はアレットのことを大層気に入っているが、他の人間達からしてみれば、アレットは急に現れた不審な人物に他ならない。だが、騎士団長はそれらの不和を気にしていないようにも見えるのだ。
「第一王子と第二王子の分裂、そして血で血を洗う争い……となったなら、人間の国は大変なことになりそうですね」
「そうだね。魔物の国に構っている暇が無くなっちゃうかもね」
「ははは。いっそのこと、魔物の国の復活だけでなく、人間の国の滅亡も見込めるかもしれませんよ」
「それは楽しみだなあ……はあ」
アレットは深々とため息を吐きながら、『どうか、騎士団長がこれ以上私に構いませんように』と祈るのだった。
なんとも望みの薄い祈りであったが。
次回更新は16日(火)です。