復讐*5
翌日。
アレットは部屋にやって来た侍女達によって着替えさせられていた。
『ヴィアが持ってきてくれた下着があってよかった』と心底思いつつ、アレットは為されるがまま、黒絹で作られた繊細なドレスを纏っていくのだった。
「一日で仕立て直していただいて……皆さんにご迷惑をおかけしていますよね。うう……」
半分ほど本心が混じった言葉を零せば、侍女達は『お気になさらず!』と笑顔で応える。アレットの、否、騎士団長のせいで間違いなく仕事が増えているであろう彼女らであるが、アレットに敵意を向ける気にはならないらしい。
それもそのはず、昨日も採寸などを終えた後、アレットは小間使い達に混じってあれこれ働いていたのだ。『珍妙な客人ではあるが、悪人ではない。そして、思いやり深く、庶民的。』アレットはそうした評価を受けつつある。
アレットはそうこうしている間にその身をすっかりドレスで包み、更に、数点、装身具を身につけさせられる。昨日の首飾りの他にも、結われた髪に宝石が飾られ、華奢な腰にも飾り帯が巻かれ……そうしてアレットは、一国の姫君もかくや、といった美しさと気品、そして迫力を兼ね備えた姿になってしまった。
侍女達が『いい仕事ができました!』と喜ぶ中、アレットは半ば戸惑い、半ば冷静に『私って着飾るとこうなるんだなあ』と分析していると。
こんこんこん、とノックの音が響き、侍女が恭しく戸を開ける。すると案の定、そこには騎士団長が立っていた。
騎士団長も、王族として相応しい恰好をしていた。鎧を纏っている普段の様子とは随分、雰囲気が異なる。騎士にしては然程肉のついていない体も、金刺繍の礼服を纏えば随分と様になる。……アレットからしてみれば、鎧を着ていてくれた方が多少、気安くてやりやすいのだが。
……そしてそんな騎士団長もとい第二王子アシル・グロワールは、アレットを見て、目を見開いたまま固まってしまった。
「あ、あの、騎士団長殿……?」
アレットがそっと声を掛けてみると、ようやく我に返ったらしく、騎士団長は動き出した。
「いや、驚かされた。どこの姫君がおわすのかと」
「えええっ!?な、何を仰るんですか、騎士団長殿!もう!」
アレットが照れながら諫めるようなことを言えば、騎士団長はいよいよ上機嫌である。分かりやすい。とても顔に出やすい。アレットは騎士団長を見ていて、何故か可愛い後輩のことを思い出した。途端、頭の中で『先輩!先輩!先輩!』と尻尾がぶんぶん振られ始めたため、慌ててパクスを頭の外へ追いやったが。
「さて……それでは、フローレン。準備はいいか?」
「え、ええ……慣れない感覚ですが……」
色々と不慣れな状況ではあるが、アレットは自らを叱咤するように背筋を伸ばし、敬礼して答える。
「しかし、任務はしかと、こなしてみせます!」
「ふふ、意気込みはよいが、フローレン。その恰好をしている時は、敬礼ではなく一礼するといいい」
騎士団長の嬉しそうな顔を見つつ、アレットは人間の礼儀作法を思い出す。貴族のそれと平民のそれが多少異なる、という程度の知識はあるが……。
「了解であります!え、ええと……」
アレットは人間達の見様見真似で、ドレスの裾をつまんで、片足を引き、ぴしり、と姿勢を正したままに上体を軽く折り曲げた。
「……こう、でしょうか?」
すると、騎士団長は目を瞬かせて、歓喜と驚きの入り混じった表情を浮かべた。
「……やはり、どこかの姫君か?」
「もう!揶揄わないでください!もう!」
アレットが少々照れて怒って見せれば、騎士団長は愉快そうに笑った。その様子を見ていた侍女達は『まあ』と目を輝かせていたが、それには気づかないふりをしつつ……この後のやりとりのため、アレットはそっと、気を引き締めるのだった。
王城の一角に、会議室がある。王城の会議室に相応しく、金象嵌の紫檀で飾られた豪奢な部屋だ。
両開きの扉を開いて騎士団長が入場すれば、会議室の中に居た面々が一斉に起立して出迎える。如何にも貴族然とした面々は、騎士団長の言っていた『反勇者派の面々』ということなのだろう。
それに軽く手を挙げて応えながら騎士団長が入場する後ろを、アレットは軽く一礼してから歩いてついて行く。会場の貴族の面々は味方ではあるはずだが、異分子である『フローレン』を見定めようとはしてくるはず。気は抜けない。
蝙蝠の耳には貴族達の囁きが全てはっきりと聞こえてくる。『ほう、あれが噂の……』『中々美しい娘ではないか』『殿下が心酔しているというが、それも理解できる』などと囁き合い、そして、じっと、視線を向けてくるのだ。アレットは少々居心地悪そうに見せながらも、あくまで堂々と、颯爽と進んで、会場を通り抜けていく。
「フローレン。こちらへ」
「はい」
やがて、騎士団長が一番奥の席の列に着くと、その脇に用意されていた、やや小さく簡素な椅子をアレットに勧めてきた。『証言者』という立ち位置の者のための席なのだろう。アレットは優雅に一礼してからそこに座り、背筋を伸ばす。あくまでも、侮られないように。軽んじられないように。これから先、『利用価値がある』と思わせられるように。
「では、早速だが報告を始めよう。皆、長らく待たせたな」
そして騎士団長が話し始め、反勇者派達の会議は始まったのである。
「まずは弟、アシル・グロワールの不在の間も皆にこの国の安定と繁栄のため尽力してもらったことについて、礼を言う。今後とも、善く国に仕えてほしい」
始めに声を発したのは、銀の髪をさらりと流し、ウォーターグリーンの瞳を笑みに細める男であった。発言の内容から見ても、この会場で最も目立つ位置に座っていることから見ても、恐らく、彼が第一王子なのだろう。
「さて……では、早速だが。愛する我が弟、アシル・グロワールよ。魔物の国での成果を報告してくれ」
第一王子が水を向ければ、騎士団長はその場で報告書と思しき紙を広げて、報告を始めた。
「魔物の国であったことだが……まずは、討伐した魔物の数、67。魔物に占領されていた町を2つ解放。そして……『勇者』レオ・スプランドールの謀反についての証言を得た。以上だ」
騎士団長の言葉に、会場がざわめく。……アレットとしては『証言』が自分のことであったとしても、その前の『討伐した魔物の数』や『魔物に占拠されていた町を解放』の方が余程気になる情報であったが。
「証言については、前回の会議で提示した通りだ。1つは、親勇者派の家の者が何故か盗みに入ったところを捕縛、尋問して得られた証言だ。『レオ・スプランドールは王家を裏切って、魔物の国に国を興そうとしている』という内容だな」
どうやら、アレット達がけしかけて騎士団長の元へ盗みに入らせた親勇者派の無能達は、無事、その役目を果たしてくれたらしい。アレットは内心でにこにこと笑いながらも、表面上は緊張した様子を崩さないようにし……そして。
「そして、もう1つの証言が……こちらの証言者によるものだ」
騎士団長がアレットを紹介し、アレットに目配せをして頷く。それにアレットも頷き返して、そっと、その場で起立した。
「フローレンと申します。元は魔物の国で王都防衛の任に就いておりました。此度は証言者として皆様に真実をお知らせできるよう、誠心誠意努めさせて頂きます」
アレットがぴしりと一礼すると、『貴族らしくはないが見苦しいわけでもない』と感心したように、貴族の面々が頷いた。どうやら、アレットの姿は概ねほとんどの者に好印象を与えたらしい。
「では、こちらのフローレンより、今回分かったことについて報告する。……フローレン」
そしてアレットの報告が始まる。ほとんどが嘘で塗り固められているにもかかわらず、人間が誰も否定できない報告が。
『フローレンからの報告』は、概ね事前に打ち合わせておいた通りとなった。
まず、勇者レオ・スプランドールが邪神の神殿から邪神の力を持ち出したということ。そしてどうやら、その力を何らかに使用したらしいということ。
……それは即ち、勇者ともあろう者が邪神の力に傾倒し、人間の国を滅ぼさんとしていることの表れである、と。勇者としての力を与えたもうた神への冒涜である、と。
また、リュミエラはレオ・スプランドールの裏切りによって死亡した、とも。
これらの報告に、貴族達は大いにざわめいた。『勇者が邪神の力に堕ちた』という見解に、公爵家の娘が見殺しにされたという事実。これらは大いに貴族達を盛り上げた。
『邪神に傾倒したものを勇者として国から支援することはできない』『勇者の称号を剥奪すべきである』『王子の命令に背いたのだから処罰は妥当である』といった意見から、『公爵家が反勇者派であったからこその行動だったのか?』『リュミエラ嬢については反勇者派の面汚しであったが、見殺しにされるのはあまりに哀れだ』といった意見まで、皆が好き勝手言い合う。
……要は、皆、醜聞が好きなのだ。特に、憎い者を貶める内容であれば、尚更。
皆が好奇と義憤と損得勘定によって意見を出し合えば、やがて、勇者を処刑するための罪状が出来上がっていく。所々、アレットも意見を求められたり、『人質として扱われている間にリュミエラや魔物から聞いた話』を伝えたりと細々動く。
そうして反勇者派の面々は、すっかり『勇者レオ・スプランドールは次なる魔王となり、人間達を裏切るつもりでいる』という結論に至ったのである。
王家から押し付けられた罪状に、勇者が反論する余地は無い。証明など、できようはずが無いのだ。
そうして反勇者派の報告会が終わった後。
「フローレン、といったな?」
アレットは第一王子に呼び止められる。騎士団長こと第二王子はそれに気づくと、少々警戒の色を露わにしながら近づいてくる。だが、第一王子はそんな弟の様子を気に留めることもなく、じっとアレットを見つめて、微笑んでいる。
「はい。フローレンと申します。傭兵として魔物の国で戦っておりました」
「ほう。傭兵、か。珍しいな。女の身で単身魔物の国、とは」
「……故郷を出る必要があったので」
第一王子は微笑んでいるものの、その視線はアレットの奥底を見透かすようである。
間違いなく、怪しまれている。
……当然といえば当然だが、支障であることにかわりはない。アレットは第一王子に疑われている状況をどうするか、少々考え……。
「兄上。フローレンが、何か?」
そこへ、騎士団長が口を挟んだ。すると、第一王子は何か質問しようとしていたらしい口を噤む。騎士団長の邪魔が入っていなかったなら『何故故郷を出る必要があったのか』『故郷はどこか』というようなことを聞くつもりだったのだろうが、ひとまず、それは回避できた。
「……いや、特には、何も。ただ、お前が随分と可愛がっている兵士のようだから気になっただけさ」
第一王子は再びアレットに視線を戻すと、その整った顔に微笑みを浮かべて、『これからよろしく頼むよ』とだけ言い、その場を去っていった。
第一王子を見送りながら、アレットは少々、緊張していた。
……第一王子は間違いなく、アレットを疑っている。今回は騎士団長がアレットを庇ったが、場合によっては今後、支障となるだろう。
騎士団長だけを思いのままにしたところで、アレットの勝利は確実ではない。むしろ、騎士団長がアレットにやたらと甘いことで、周囲に違和感を生じさせ、それが転じてアレットを疑う目になっているのかもしれない。
……となると、第一王子をはじめとして、新参者のアレットを疑う人間達を、どうにかうまく処理しなければならない。アレットに賛同させるにせよ、もっと他に目を向けなければならないことを生じさせるにせよ、共通の敵への恐怖や怒りを煽り立てるにせよ……何らかの手は打たなければならないだろう。
最終的に『始末』することも視野に含めつつ、今後どのように第一王子を処理していくか、アレットは考え始めるのだった。
ヴィアは小さな町を離れて、その傍の川……そしてその川の上流の、小さな山へとやってきていた。
人間の国の王都からほど近いこの山は、天然の城壁として王都を守ってきた歴史がある……のだったと、ヴィアは記憶している。歴史の勉強に熱心であったわけでもないヴィアは、然程、その手の話に詳しくはないが。
そして、そんな『天然の城壁』は、然程大きくないながらも切り立った面を持ち、人の手が入り切っていない……そんな山なのだ。山道は急勾配を含む荒れた道であり、そこを行くヴィアは徐々に徐々に、そして確実に、疲弊していった。
「エクラ嬢!本当にこちらですか!?」
そして、そんなヴィアの前を颯爽と歩くのは、エクラ・スプランドールである。彼女がちらりと振り返れば、彼女の金髪が肩のあたりでさらりと揺れて、少々汗の滲んだうなじが見える。エクラ・スプランドールも『汗一つかかずに』とはいかないらしかったが、それでも、ヴィアより数段慣れた足取りで、すたすたと山道を進んでいく。
ヴィアは体を伸縮させつつなんとかエクラ・スプランドールの跡を付いて進んでいく。それはひとえに、『精霊の聖堂』を見に行くためである。
「ちょ、ちょっと待ってください、エクラ嬢!待って!ちょ、速いですよ!ねえ!」
……だが、苦戦していた。ヴィアは、苦戦していた。
元々、スライムの体は、移動に適した形であるとは言い難い。ヴィアの場合、力を相当余分に使って人らしい形を保っているが、それでもスライムはスライム。動くのは苦手なのである。
「あああ!待ってくださらないんですね!?」
そして……そんなヴィアをまるで気遣うことなく、エクラ・スプランドールは進んでいった。時折、ちらりとヴィアを確認するが、声を掛けるでもなく、先に上っておいてからヴィアを待って手助けするでもない。そうなれば仕方がない、ヴィアは体を縮めて伸ばして、一生懸命にエクラ・スプランドールの後をついて行くのだった。
「ここ」
やがて、ヴィアがすっかり疲れ果てた頃。
エクラ・スプランドールのぶっきらぼうな案内に従って顔を上げれば……そこには、白大理石のすっかり古びた社があった。
「ここが……精霊の聖堂、ですね」
ヴィアが確認すれば、エクラ・スプランドールは黙って頷いた。ヴィアから大きめに距離を取っているところを見ると、やはり、ヴィアへの警戒は抜けきらないらしい。
「……精霊の聖堂、とは、この地の精霊が住まう場所、なのでしたね。勇者にのみ力を与える、という伝承の」
警戒態勢のエクラにそう確認すれば、エクラは眉を顰め、『なんで知ってるの』と呟いた。まあ、魔物であるヴィアが人間の国の宗教関係に詳しいのは不審だ、ということなのだろう。だがヴィアは気にせず続ける。
「あなたの兄上は、ここへ巡礼に訪れた。そして、ここで神の祝福を受け、勇者になられたのでしたね」
ヴィアがレオ・スプランドールから聞いた内容を話せば、エクラはこくりと頷いた。
そして……。
「……やはり、そうでしたか」
ヴィアはそこで、見つけるのである。
確かな、強い魔力の残り香を。