復讐*4
その日の昼。
「よし。好みのものがあれば選ぶといい。何着でも選べ」
「えええ……」
アレットは、騎士団長にそう勧められつつ、困惑していた。
……王城の衣裳部屋。そう小さくない部屋がきらびやかな衣装でいっぱいになっている中に通され、『好みのものを選べ』と言われても、只々、困り果てるしかない。
「気に入らないか?」
「い、いえ、どれも私には、もったいなくて……」
アレットが尻込みする様子を見せると、騎士団長は『慎み深いものだな』と笑う。実のところアレットは、慎み深いというよりは、面倒がっているのだが。
「では、俺が数着選ぼう。いいか?」
「え、ええ……お任せします。ごめんなさい、こういった場所は、その、不慣れで」
アレットがしおらしく騎士団長を頼り切る様子を見せれば、騎士団長も悪い気はしなかったらしい。楽し気に衣裳部屋の中を進み、アレットのドレスを見繕い始めるのだった。
そうして、騎士団長はドレスを選び終え、それらを『フローレンに合わせて仕立て直すように』と侍女達に命じた、のだが……。
「あ、あの、騎士団長殿」
「どうした?」
アレットは、『やっぱりこうなるよね!』と内心で笑いつつ、おろおろと戸惑ってみせながら、騎士団長の袖を控えめに引く。
「この数は……その、あまりにも、多くありませんか?」
騎士団長が選んだドレスは、その数30に上る。やはり、一着二着では済まなかった。
「いや、そんなことは無い。貴族諸侯との打ち合わせは何度かあることだろうからな。できることなら、親勇者派の貴族が突然押し掛けてきた時に備えて、できるだけ毎日ドレスで過ごしていてほしいのだ」
「そ、そういうことでしたか……」
「それに……お前に似合うと思ってな」
それにしても、多くない?とアレットは少々心配になりつつ、選ばれたドレスの数々を見る。
黒い絹のスカートの内側に深紅の薄絹を何枚も重ねた華やかなドレスもあれば、白く簡素な作りのドレスに銀と空色で刺繍が入れてあるだけの清楚なドレスもある。色とりどり、形も様々。だが確かに、どれもアレットに似合いそうなドレスが選ばれている。
「黒絹に深紅の刺繍を入れたドレスが毒々しく見えないのは、この国でお前くらいなものだろう」
騎士団長は満足げに頷くと、侍女達にまた指示を出しつつ、何かを持ってこさせた。それは、豪奢な首飾りである。
「わあ、綺麗……」
「ひとまず、明日はこれを身に着けておいてもらおう」
繊細な銀細工と大ぶりな宝石があしらわれた首飾りがアレットの首にかけられる。アレットは戸惑う様子を見せて騎士団長の様子を窺った。
「やはり舐められない格好をしておくに限るからな」
「そういう、ものですか……」
「そうだな、できることなら、更に、どこかの貴族の養子、ということにしてしまいたいが……」
「ええええ!?養子!?私を、ですか!?」
「ああ。平民からの証言だと言うよりは、どこかの末端の所属であっても貴族の子からの証言の方が重く取り扱われるからな」
騎士団長が重々しく頷くのを見ながら、アレットは『これ、頑張って外堀を埋めようとしてるんじゃないかなあ』と感じたが、それに言及するような真似はしない。ただ『フローレン』は戸惑いながらも、自らの使命のために姿勢を正すのみ、なのである。
「殿下の為にも、この国の為にも、必ずや証人としてやり遂げてみせます!」
「うむ。期待しているぞ、フローレン」
「はい!」
ひとまず、大量のドレスやこの後また大量に贈られるのであろう装身具の類は頭から追いやりつつ、アレットはにっこりと微笑んでみせるのだった。
……一方、人間の国の王都から、荷馬車でごとごとと揺られて半日程度の場所。
そこには小さな、宿場町があった。王都へ向かう人々や様々な物品が行き交い、小さいながらも賑わう町である。
そんな町の片隅、静かな農地に隔てられた一角に、ぬるり、とスライムが紛れ込む。
如何にも紳士然とした恰好であるが、明らかな異形。夕闇に影を長く伸ばし、颯爽と田舎道を歩く姿は、中途半端に人間に似せた姿であるだけに、余計に恐ろしく奇異なものとして見えただろう。
だが、ヴィアを見咎める者は居なかった。ここは、それだけ人のいない町外れなのである。ヴィアを見ている者といえば、春を待つ畑に降り立って落穂を探す鳥くらいなものであった。
そんなヴィアは、やがて、小さな小屋に辿り着いた。畑と北風に囲まれたその小屋の戸を軽く叩いて、ヴィアは『すみません、エクラさんはご在宅でしょうか?』と声を掛ける。
……小屋は静まり返っていたが、やがて、きぃ、と小さく軋みを上げて、戸が開く。そして、戸の隙間から、注意深そうに、紫がかった薄青の瞳が覗いた。
「エクラ・スプランドールお嬢様でいらっしゃいますか?私、レオ・スプランドール殿から……おや」
そして、ヴィアが帽子を取って挨拶した途端、警戒心に満ちた瞳が恐怖に彩られ、そして、戸がバタンと閉められる。
剣呑に拒絶を示した戸の前でヴィアは『やれやれ』と肩を竦めつつ、もう一度、戸を叩く。
「エクラお嬢様。どうか、話だけでも聞いていただけませんか?あなたの兄上から、お手紙をお預かりしております」
あくまでも優しく、穏やかにそう話しかけるが、戸は開かない。だが、戸のすぐ向こうで息を潜め、恐怖に身を強張らせているらしい少女の気配は感じられる。
……そこでヴィアは、そっと、自身の体の一部を伸ばして、戸の隙間からそっと、封筒を差し入れた。戸の向こうから悲鳴めいて息を呑む鋭くか細い音が聞こえたが、ヴィアは構わず続ける。
「こちらをどうか、お読みください。あなたの兄上が、私のような魔物を頼ってまであなたに届けたいとしたためた手紙です。どうか、お願いします」
ヴィアが懇願すれば、戸の向こう側が静まり返り……やがて、かさり、と紙を開く音が聞こえてくる。
かさ、ぱさ、と手紙が開かれていき、そして、しばらくの間、気配が沈黙した。
その間もヴィアは忍耐強く戸の前で待ち続け……戸の中の気配が、困惑や狼狽に満たされた頃。
「エクラ嬢。どうか、聞いていただきたい。……私は、あなたの兄上に信用されて、ここまで来ました。そして、あなたの兄上を助けるため、ここまで来たのです!」
そう、訴えかける。すると、戸の中で息を呑むような気配があり、逡巡する気配があり……そして。
きぃ、と、また、戸が開いた。
中から覗いたのは、怯えと緊張、そして強い警戒の色を宿した、紫がかった青の瞳。そして、その瞳を収めた、レオ・スプランドールにどことなく似た、美しい顔立ち。
「……入って」
肩までの淡い金髪を揺らして、少女……エクラ・スプランドールは、そっと、ヴィアを招き入れたのだった。
「お邪魔します。いやはや、どうもありがとうございます、エクラ嬢。何分、外は寒くて!」
ヴィアは部屋に入ってすぐ、如何にも気さくで友好的な様子を見せた。人間が人間らしいと感じる身振りをきちんと付け加え、人間であったころの記憶と知識を総動員しつつ、目の前の少女に気に入られようとし……。
「……要件だけ、話して」
……エクラ・スプランドールが銃口を向けてきたのを見て、ヴィアは固まる。
無論、ヴィアは銃弾の一発や二発を食らったところで、致命傷にはならない。柔らかな粘液の体は、穴が開いたとしてもすぐに柔らかく元の形に戻り、やがて完全に再生するだろう。
だが、銃口を向けるだけの殺意と警戒を向けられれば、流石のヴィアも、何も感じない、というわけにはいかない。目の前の、まだ幼さの残る少女がそれだけの意識を向けてきているのだから、ヴィアもまた、それに応えなければならない。
「……失礼しました。では、早速」
ヴィアは前置いてから、即座に切り込んだ。
「近々、あなたの兄上は処刑されます。罪状は、国家転覆を謀った罪、ということになるのでしょう。……ですが、私はまだ、あなたの兄上が助かる可能性を見ています」
ヴィアの言葉を、エクラ・スプランドールはじっと、真剣に聞いていた。緊張と警戒はそのままに、期待が彼女の表情に滲む。
「あなたの兄上……レオ・スプランドール殿が処刑されるのには、訳があります。王家には、彼を狙う理由がある」
「この国を、変えようとしたから?」
遠慮がちに、そして緊張が地に、エクラ・スプランドールが問い返す。『おお、会話ができた!』とヴィアは内心で喜びながら、あくまでも真剣に会話を続ける。
「それだけではありません。それはあくまで、名目に過ぎない。王家は真の目的を隠したまま、レオ・スプランドール殿を処刑しようとするでしょう」
ここで勿体ぶってもいい。だが、エクラ・スプランドールの焦りようを見る限り、それは逆効果だろう。そう判断したヴィアは勿体ぶることなく、さっさと、その『結論』を述べた。
「第二王子であるアシル・グロワールが、勇者の力を奪おうとしているのです」
そうして一通り嘘を積み重ねたヴィアは、唖然とする少女の前に片膝をつき、その紫がかった青の瞳を見つめた。
「どうか、お力をお貸しください。あなたの兄上を救えるのは、あなただけなのです」
エクラ・スプランドールは戸惑う様子であったが……ヴィアは、彼女の手を取って、その手の銃ごと、優しく握った。
「『精霊の聖堂』へ、私を連れていってください。勇者が勇者となった、その場所へ」
……そうして、エクラ・スプランドールは、確かに頷いたのであった。