大地を離れて*1
アレットは騎士団長の一団について、南の神殿から更に南へと向かっていた。
目指す先は人間の国。海峡を挟んで向こう側の、魔物にとっては未知の世界である。
「いやあ、それにしてもよかったですね、騎士団長殿!王家への反逆者を捕え、フローレンを魔の手から救い出し……いよいよ騎士団長こそが真の勇者ですよ、これは!」
「そのように言うものではない」
騎士団長は道中、部下の軽口を諫めながらもまんざらではなさそうな顔をしていた。今までレオ・スプランドールに婚約者を奪われ、国を脅かされてきたのだから、自然な反応ではあるかもしれない。
「それにしても、スプランドールの野郎は何を考えているんでしょうね。騎士団長殿に楯突いて、その割にやっていることがお粗末で……」
「いやいや。フローレンが魔物に人質に取られてなかったら、スプランドールが邪神の力に魅入られたなんてことも分からなかったかもしれないぞ?」
「となると、フローレンには悪いが、お前も功労者だなあ」
騎士団の兵士達は、にこやかに騎士団長を讃え、『フローレン』を讃える。今、この騎士団で生き残っている兵士達は皆、反勇者派、騎士団長に擦り寄る派閥の者達である。レオ・スプランドールが失脚し、いよいよ騎士団長ことアシル・グロワールの時代がやってきた、と大変な喜びようであった。
「全く……皆、気を引き締めて進め。どこから魔物が襲ってくるか分からんのだぞ」
騎士団長は苦笑しながら、兵士達を諫める。その表情はやはり穏やかで、上機嫌であることがよく分かった。
「……フローレン、すまないな。皆、このように騒がしくて」
「いいえ。ちょっと騒がしいくらいの方が楽しくていいですよ」
アレットは騎士団長に微笑みかけながら、騎士団長のすぐ横を歩く。今のアレットの立場は、『騎士団長および第二王子アシル・グロワールによって招かれる証人』ということになっているらしい。要は、『要人の客』なのである。
ただの兵士とは異なる待遇にアレットは少々戸惑いつつも、騎士団長がアレットを離そうとしないので仕方なく、このように隣を歩く栄誉に与ることとなっている。……監視ができる一方、監視されている息苦しさもあるので、アレットとしてはあまり嬉しくないのだが、騎士団長はすこぶる嬉しそうであった。
「フローレン、疲れたらいつでも言え。お前も一月以上捕らえられていたのだ、体力がまだ追い付かないだろう?」
「まあ、多少は。……でも、暇を見て鍛錬は積んでおりましたので。それに、私のために進軍を止めるわけにはいきませんよ」
アレットは如何にも遠慮しているような言葉を発して騎士団長の様子を見る。……騎士団長はアレットの健気な遠慮に心を痛めている様子であった。これはいけない。
「早く国へ帰って、スプランドール殿の裁判を行わなければ。騎士団長殿の名誉のためにも!」
アレットは積極的な様子を見せて、騎士団長の気持ちを鼓舞する。『私もあなたと同じものを目指していますよ』という主張であり、騎士団長が今、表立って露わにしにくい攻撃性を代わりに表現してもいる。
「そうか……その通りだな。お前には苦労を掛けるが、よろしく頼むぞ」
「はい!お任せください!しかと、証言台に立って騎士団長殿のお役に立ってみせます!」
アレットは満面の笑みを騎士団長に向けてやる。騎士団長はそれに満足げに頷いた。
……士気が上がるのはよいことだ。勢いづけば、周りが見えなくなる。困窮しているか、興奮しているか。どちらかに偏った人間は、やはり操りやすい。
そうして、人間達にとっては中々の速度、魔物の戦士からしてみればゆっくりとした速度で、騎士団は進んでいく。
「わあ……この辺り、あまり見たことが無い植物が多いですね」
その道中、アレットは物珍しく思いながら、周囲を見回すことになった。
季節は冬であったが、植物の類はちらほらと見えている。特に南の方は寒さがあまり厳しくないこともあり、雪が積もっていない土地も多かった。北の方ではあまり見ない植物が地面から顔を出しているのを見て、『どれがお茶にいいかなあ』とアレットは考えつつ歩く。
「そうか、フローレンは南の方にはあまり、居なかったのか」
「ええ……魔物の国へ来てからはほとんど、中央か西に居ましたから。なのでこの辺りは、来る時に一度、通ったきりなんです。こちらに来てからは一度も国へ帰っていませんでしたし……」
アレットは『フローレン』の設定をどんどんと重ねていきながら、騎士団長と他愛もない話を続ける。ある程度の設定があれば、本当に隠さなければならない箇所を誤魔化しやすいのだ。
「そうか……郷里への連絡は、取っていないのか」
「はい。もう二度と帰ることのない場所ですから」
アレットが少々気まずげにそう言って目を伏せれば、騎士団長は『これはまずいことを聞いたか』とばかり、言葉を引っ込める。
これでいい。とにかく、アレットは『人間の国でどのように暮らしていたか』を聞かれてしまうと、大変に困るのだ。よって、『あまり話したくない』と遠回しに伝えておく必要があった。これでこれ以上、根掘り葉掘り聞かれはしないだろう。
「そう、か……すまない、嫌なことを思い出させたか」
「いいえ、お気になさらず。昔のことですから。……あっ、あの草はお茶にするのにいい草です!ちょっと採ってきます!すぐ追いつきますので、どうぞお先に!」
更にアレットは早々に会話を切り上げて、脇に生えていた野草を摘み始める。こうして一度会話を途切れさせてしまえば、これ以上この話題に触れられることも無いだろう。
それから少しして休憩となった。人間達は少し歩いては休憩する生き物である。アレットも怪しまれない程度に疲れたふりをしつつ、野草茶を淹れてやったり、食事の支度を手伝ったりして過ごすことにする。
アレットは食事の支度を手伝う中で、荷馬車に摘んである木箱の中から芋を取り出していた。……すると。
にゅ、と、芋の間から透明な粘液が伸び上がる。
……アレットが自分の背中でその奇妙な光景を隠してやっていると、伸び上がってきた粘液は『あっ、どうも』と小声で言って、またするすると木箱の奥へ戻っていった。
「……なんで居るの?」
チラリと見えた粘液の量からして、小さいヴィアではなく大きいヴィアが潜んでいるのだろう。アレットは只々ぽかんとしつつ、できる限り早く、小さなヴィアから事情を聞こう、と決意したのであった。
休憩を数度挟んで、夜。
アレットは古く小さなものとはいえ、天幕を1つ丸ごと貸し与えられ、快適に過ごしていた。
「……で、どういうことなの、ヴィア」
そして、その中であまり快適そうではないヴィアをつつきながら、アレットはじっとりとした目を向けていた。
「い、いえ、誤解です、お嬢さん。私は決して、貴女を騙そうとしたわけでは……ああああ!伸ばさないで!伸ばさないでください!あああああ!」
「大きいヴィアが付いてきてるなんて、知らなかったんだけれど!」
お互い小声ながら、ヴィアは悲鳴を上げ、アレットはうにうにとヴィアを掴んで伸ばしたり縮めたりしつつ問い詰める。
そうしてアレットが一頻りヴィアを伸ばして縮めて、とやった後、ヴィアはどこかよれよれとした様子になりながらも弁明を始めた。
「実は……大きい私は、暇乞いをしまして」
「……抜ける、ってこと?」
「ええ。大変に申し訳ないのですが、復讐のために」
そうしてヴィアは、ソルに伝えた内容をアレットにも伝えることになる。
勇者との取引で、復讐相手が人間の国に居ることが分かったということ。その相手を殺すために、人間の国へ潜入するということ。また、勇者との取引の代価である『勇者からの手紙を届ける』という任も、行うつもりだということ。
……それから、ソル達は王都地下にあるという神殿へ向かった、ということも、小さなヴィアからアレットへ伝えられた。一通り聞き終わって、アレットは小さくため息を吐く。
「それじゃあ……結構皆、バラバラになっちゃうね」
『バラバラになっちゃう』。そう言ったアレットに、ヴィアは少々戸惑うように揺れる。
「帰って、来るんでしょう?」
更にアレットがそう問えば、ヴィアはぷる、と震えて答えた。
「……ええ、恐らくは。許されるのであれば、帰ってくる、と……思います。私にも、大きい私が何を考えているのかが完全に理解できるわけではありませんが」
「そっか……なら、また、会えるよね」
アレットの言葉に、ヴィアは少々、躊躇うように揺れた。それを見てアレットはくすり、と笑う。
「あのね、分かっては、いるんだ。分かってはいるんだけれど……今はあんまり、考えたくないなあ、って……」
「アレット嬢……」
ヴィアの、『なんと言葉を掛ければよいか』とでもいうような戸惑い様を見て、アレットは少々可笑しく思う。
「……また会える、って思っていた方が、元気で居られる気がして。逃避なのかも、しれないけれど」
ヴィアとの別れは、『死』ではない。だから、永遠の別れでは、ない。
……そう思う余地があるのは、果たしていいことなのだろうか。下手な希望は絶望より余程性質が悪いというのに。
だが。
「……約束しますよ、お嬢さん。不肖の大きな私がどうするか、私の一存で決められるものでもありませんが……それでも、約束します」
ヴィアはぷるるん、と勇ましく震えて、言うのだ。
「必ずや、戻って参ります。私達の棺は、魔物の国の大地。人間の国で死のうとも、必ずや、水となって、雲となって、雨となって……ここへ、帰って参ります」
ぴょこ、と跳ねたヴィアが、アレットの手のひらの上へ乗る。その小さな重みとぷるりとした感触を手の平の中に感じながら、アレットは、小さく笑った。
「……うん。約束。絶対に、帰ってきてね。死んだ後でも、いいから」
「勿論です。そして……大地へ還って、必ずや、語らいましょう」
覚悟はまだ、できない。ヴィアは恐らく、とっくに覚悟しているというのに、アレットはまだ、できない。
……まだ生きている、死が見えている訳でもない相手と『死後』の約束をしながら、アレットはただ、己の弱さを噛みしめて、胸の奥へとしまい込むのだった。
そうして明日になればきっと、弱さも迷いも振り払える。アレットは魔物の戦士なのだから。
翌朝からまた、騎士団の一行は南へ南へと移動を続けた。
幸いにして、魔物は出なかった。魔物と行き会わず、彼彼女らを殺さずに済んだことに心底安堵しながら、アレットは『フローレン』として歩を進め……そして。
「おお、ようやく見えたか!」
木々の向こう。なだらかな平地は不意に途切れ、その先に、未知の世界が現れる。
それは、冬の鉛色の空の下でも尚青い、海。
ざばり、ざばり、と波が押し寄せては、白く砕けていく。みゃう、みゃう、と鳴くのはカモメか、ウミネコか。いずれにせよ、魔力を持たないか弱い鳥である。
「よし、船の準備はできているようだ」
そして、喜びに目を細める騎士団長の視線の先にあるのは……船。
荒れた海を泳げぬ人間達が、魔物の国へ侵略しにやってくるための、乗り物である。
「これでようやく帰れるな」
「……はい」
感慨深げな騎士団長の隣で、アレットは静かに、決意を固める。
ヴィアだけでなく、自分も、また……必ずや、この大地へ戻ってくるのだ、と。
行くぞ、と差し出された手を取って微笑みながら、アレットの足は、桟橋へ、そして船へと進んでいく。
……こうしてアレットは、魔物の国を離れることとなった。