復讐*3
アレットが従者の方の天幕から出ると、外では騎士団長が他の兵士達と何やら、話している様子があった。
「ああ、フローレン。何も無かっただろうな?」
「ええ。口を割りそうにもありません。……やはり、そちらもですか?」
アレットが意図して少々ずれた返答をすると、騎士団長は『そうじゃない』というような表情をちらりと過ぎらせつつも、そっとアレットに近づいてきて、耳打ちする。
「スプランドールの奴は黙秘を貫くつもりらしい。大人しい割に随分と強情だな」
ここにきて黙秘というと、やはりヴィアが何かしたのかもしれない。小さなヴィアからの報告次第だが、アレットが動く必要は無いだろう。
「こちらの従者も、口を割りそうにありませんが……ただ、『勇者を裏切る気はあるか』と聞いたら、はい、と答えました」
「何っ……意味が分からん。奴は一体何を考えている?」
「さあ……少なくとも、スプランドール殿とその従者は、強い絆で結ばれている、という訳ではなさそうです」
……アレットの予想になるが、ほぼ間違いなく、神の力の欠片を盗み出して使ったのはスプランドールの従者だろう。一体何に使ったのかは分からないが、レオ・スプランドール本人の強化に充てていないことだけは確かだろう。スプランドールの能力は、王都の前で見た時からも、その後、西の神殿でちらりと気配を感じた時からも、大して変わっていないように思える。
「スプランドールはあの従者に操られているようにも見えるが……従者側は既にスプランドールを切り捨てた、ということだな。なら、スプランドールを揺さぶる時にその話を出すか……」
「お互いに裏切り合ってくれると助かりますね」
何にせよ、アレット達魔物としては、勇者もしくはその従者から、次の神殿の情報と、神の力の欠片をどこへ使ったのかの情報を得たい。また、何を考えているのか分からない従者については、その目的についても知りたいところではあった。
「まあ、尋問は国に帰ってから、ということになるだろうな。既に奴らの裁判および尋問については書簡を送ってある」
何にせよ、詳しい話は後日、人間の国で、ということになるのだろう。いよいよアレットの出番、ということである。
アレットは決意を新たにするとともに、そっと、神殿前の景色を見回した。
下手をすれば二度と見られない景色だ。アレットはそれらをしっかりと記憶に収めた後……もし、上手く帰ってくることができたなら、その時はパクスの尻尾をふさふさ触らせてもらおうかな、などと考えるのであった。
……一方、その頃、ソル達は。
「あっ!先輩が今、俺の尻尾を触りたがっている気がします!」
「急に何言ってんだお前は」
パクスが急に騒ぎ出し、ソルはパクスの後頭部を翼でぺしりと叩く。
パクスもアレットのことが心配なのだろう。何せ、アレットに救われて王都警備隊の所属となって以来、アレットを敬愛し……いっそ信奉している程に懐いてきたパクスである。心配そうにそこらを行ったり来たり、ぐるぐるうろうろ歩き回っているのも已む無し、である。
「ところで、でかい方のヴィアはまだ帰ってこないのかい」
そんなパクスを見やりながら、ベラトールがふと、そう尋ねる。
人質として取っていたアレットを『返却する』という名目で人間の国へ送り込むにあたって、魔物側の存在がどこにも無いわけにはいかなかった。だからこそ、その役をヴィアに任せたのだが……本体、とでも言うべき大きい方のヴィアの姿はここに見当たらない。
……そして、ソルはその理由を知っていた。
「……ああ。ヴィアは帰ってこない」
ベラトールとパクスがはっとしたようにソルを見る。それに応えて、ソルはあくまでも平静に、伝えた。
「あいつも人間の国へ行くそうだ」
「……そうかい。まあ、止めやしないけれどね」
ヴィアについて聞いたベラトールは、小さなため息を1つ吐き出して、それきり、文句の類は何も言わなかった。
「えっ、えっ……大きいヴィアが、ですか!?小さいヴィアが先輩にくっついていくんじゃなくて?」
「ああ。でかい方のヴィアが、だ。上手いこと馬車だの船だのに染み込んで人間の国へ辿り着く予定らしい」
ベラトールは何か合点したように頷き、そして、パクスは只々困惑して首を傾げている。そんなパクスの頭に翼をぽふ、と置いてやりながら、ソルはごく簡潔に伝えた。
「復讐に行く、だってよ」
「ああ……え?何のですか?ヴィアが人間だったころに殺した奴を殺しに行くってことですか?」
「ま、そういうことでいいんじゃないのかい」
ちら、とベラトールがソルを見る。その目は、『ああ、こいつも事情を知っているらしいな』とでもいうようなものであった。
……ソルはヴィアから、かつての恋人の話を聞いていた。魔力持ちの人間であったため、愚かな人間に殺された、と。そして、その人間にヴィア自身もまた、殺されたのだ、と。
そして、その人間が生きているとするなら、人間の国に居るであろう、ということも。その人間を、手ずから殺してやりたいと思っている、とも。
恐らく、ベラトールもその辺りの事情を知っているのだろう。ソルはそう納得して、ベラトールに目配せした。ベラトールは『はいはい』とでも言いたげな様子で軽く頷いて、それきり、ふい、と顔を背ける。その表情には困惑の類が無く、ただ、納得と『よかったじゃあないか』とでも言いたげな微かな満足感が見て取れた。
「で、だ。……でかい方のヴィアを人間の国へ行かせてやるその代わりに、こっちのヴィアが神の力の欠片から力を抜き出す作業を行う、ということになった」
そこでソルは、懐から小さいヴィアを取り出す。連絡用に、と置いていかれたヴィアではなく、昨夜、ヴィアからの連絡を受けたソルが待ち合わせ場所で受け取ってきたヴィアである。
「やあ、諸君。今、ソルから説明があった通りだ。大きい私はここで離脱させてもらうことになる」
その小さなヴィアは、ぴょこり、と伸び上がると、一礼するように、へこ、と折れ曲がって見せた。
「大きい私がこのような形で離脱するのは大変申し訳ない。その分は不肖、このヴィアが埋め合わせさせてもらおう」
「……俺、ヴィアが分裂した後の感覚について聞いても全然分からなかったし、今も分かってないんですよねー……大きいヴィアと小さいヴィアって別のスライムなんですよね?なんか変なかんじするなあー……」
ヴィアの決意表明に対して、パクスは『まずはここから』とでもいうかのように、首を傾げ始めた。ソルやベラトールと比べて、大分手前のところで理解が止まっているらしい。
「……ま、こっちのヴィアが今、話した通りだ。体よく貧乏くじを逃れやがったなあ。あーあ……」
「まあ、それについても申し訳ないとは思っているがね。少なくともお嬢さんのところに居る私は当分残るだろう。連絡用の私も当分はこちらに残るということで、勘弁してくれたまえ」
「うっかりお前を懐にしまってる奴が炎でも浴びたらお前が死ぬんだろ?貧乏くじ増やしやがって」
「それも申し訳ないね。だが、まあ、大きい私が居なくなる時点で私のことは死んだものと思ってくれたまえ。連絡用の私もどうせ、永遠には連絡し続けられない。時の経過と共に他の私の存在は分からなくなっていく。そうなったらまあ、適当に燃やしてしまっても構わないさ」
ヴィアは飄々としているが、ソルとしては『好き勝手言いやがるなあ』という気分である。
ガーディウムの時もそうだった。戦う役に立てなくなったからといって、切り捨てていくには、あまりにも大切になりすぎた。
だが、そうしなければならないだろうということも分かってはいる。そして、それを割り切る役目こそ、隊長として部下たちを率いてきたソルの役目だろう、とも、自覚していた。
……切り捨てるのも見捨てるのも割り切るのも、今更だ。もう、慣れた。
「……ところで、なんでこのヴィアは赤いんですか?なんか柘榴でも食ったんですか?」
そして、未だ別れの悲しみを意識から遠ざけているらしいパクスが、ひょい、と小さなヴィアをつまみ上げる。
……昨夜、ソルが拾ってきたヴィアの欠片は、実は、少々不思議な見た目をしていた。そう。この小さなヴィアは、濃い赤色をしていたのである。
「いやいや。これはまだ消化が終わっていない勇者の血だよ」
「えええええええ!?勇者の!?なんで!?」
案の定、パクスは驚き慄き……そして、はっとしたように、言った。
「……まさか、ヴィアが、勇者を殺した!?」
「いや、それは無い。流石に私如きに殺されてくれるようではなかったね……」
尊敬と慄きの混じった視線を向けられていたヴィアは気まずげにもじもじ、と身を捩って、やがて『なーんだ』というパクスの落胆を真っ向から浴びせられ、またも気まずげにもじもじすることになった。
「少々、取引をしてね。勇者の血を貰い受けた。勇者の血を吸った部分を大きな私から分離して、この小さな私が生まれた、という訳だ。姫君とガーディウムから受け継いだ魔力の一部は大きな私が持っている。その私が人間の国へ行ってしまうのなら、その埋め合わせは多少なりともさせてもらうべきだと思ってね」
小さなヴィアはソルの両掌に乗る程度の大きさであるが、その中に蓄えた血の色濃い様子からも、それ以外の気配からも、この小さなヴィアがたっぷりと魔力を持っていることが窺い知れた。
「つまり、この赤い小さなヴィアって、滅茶苦茶に魔力が多くて、滅茶苦茶に強い……?」
「ふふふ、試してみるかな?」
パクスの手の上からぴょこん、と跳ねたヴィアは、パクスの鼻先にちょこん、と乗って堂々と体を伸ばした。それにパクスは『おおー!なんか強そう!』と喜び、ソルとベラトールから暖かい視線を向けられることになるのだった。
「……一応、聞いておこうか。勇者との取引、ってのは、何だい?」
パクスが喜ぶ中、ベラトールが少々目を眇めて尋ねる。それにヴィアは少し伸び上がってから、答えた。
「ああ。奴の血と、私の復讐相手の情報、そして次なる神殿の情報をこちらが頂く代わりに、勇者に代わって手紙を一通、人間の国の中で出してくることになった。手紙の内容は……まあ、言ってしまうのは少々気が咎めるが、構わないだろう。奴の妹さんへの手紙だよ」
ぴょこ、と跳ねてパクスの上から降りてきたヴィアは、至って平静な声で続ける。
「曰く、『自分のことは忘れて幸せになれ』ということだった。それ以外の内容はあって無いようなものだったな」
「……そうかい」
『妹』というところに思うところがあるらしいベラトールだったが、それはそれ、と割り切ったらしい。ふ、と息を一つ吐き出して、それきり、何も言わなかった。
「まあ、そういうわけで……次の我々の目的地は、5つ目の神殿だ。その場所は……」
「王都の地下だとよ。ま、予想は付いたが確証が持てたのはでかいな」
そうして、ソル達の方針が決まる。
これからはまた、移動と探索の旅になる。王都地下の神殿とやらを探すために、また、王都近辺へ戻るわけだ。
「アレットが人間の国で勇者の処分と、勇者の従者の目的の確認を行う。ついでに騎士団長を適当に誑かして、いざとなったらそいつも食えれば尚、良い。で、その間に俺達は次の神殿へ向かう。勇者は居ない。比較的安全な旅路になるだろうが、何せ、王都の地下だ。油断はできねえ。勇者の従者のこともある。全力でことに当たるぞ」
ソルがそう呼びかければ、パクスは背筋を伸ばし、ベラトールは静かに頷いた。そしてヴィアはただ、静かに揺れる。
「で、その間にヴィアには、東の神殿で手に入れた神の力の欠片の吸収を行ってもらう。それが終わり次第……」
風の無い日の静かな水面めいた、ぷるんとして静かなヴィアを見つめて、ソルは……覚悟を決めた。
「……食うぞ」
切り捨てるのも見捨てるのも割り切るのも、もう、慣れているのだから。
「まあ、ガーディウムより食べにくいということは無いだろうから安心して食べたまえ!」
「アレは伝説に残る硬さでしたよねえ……」
「味は悪かなかったけどね」
「その点、ヴィアは……美味いのか?」
「さあ……スライムの体では味というものがよく分からないので、何とも……」
一行は何とも言えない会話をしつつ、南の神殿近くから去ることにした。
大きなヴィアとも、アレットとも、永遠の別れになるかもしれないと、覚悟しきれないまま。