復讐*2
翌朝。アレットは寝床からもそもそと出て身支度を整えると、まだ眠っていたらしいヴィアをつついて起こしてポケットに放り込み、天幕の外へ出た。
朝陽が眩く、森の木々の葉を照らしている。陽が出てそう時間の経っていない朝特有の、きりりと澄んだ空気を吸い込み、アレットは微笑む。
神殿の近くの空気はやはり、よく馴染む。だが、アレットはこれからまた当分、人間のふりをしなければならない。神殿の空気を味わえるのは、次はいつだろうか。
アレットが天幕から出てしばらくすると、やはり身支度を終えた騎士団長が出てきた。
「おはようございます、騎士団長殿」
「ああ、おはよう、フローレン。昨夜はよく眠れたか」
「はい。久しぶりにゆっくり休ませて頂きました」
アレットが微笑んで挨拶すると、騎士団長は『それはよかった』と穏やかに微笑む。
「ところで、勇者様は……」
「ああ、レオ・スプランドールか。あいつは今、隔離されている。邪神の神殿の中に入れておきたいような気もしたが、奴が邪神の力を狙っているのならそういう訳にもいかん。仕方ない、今はそちらの天幕の中だ」
騎士団長の示す方を見れば、厳重に警備されている天幕が2つ、見受けられた。片方が勇者の天幕、もう片方が従者の天幕なのだろう。
「後で、勇者の従者の方に会いに行ってもよろしいでしょうか」
「勇者本人ではなく、か?それは……何故だ?」
アレットが早速申し出ると、騎士団長は少々不可解そうな顔をした。だが、アレットも抜かりない。
「リュミエラさんが話していたことを、その、少しでも、お伝えできれば、と思いまして……しかし、勇者様に直接お伝えすると、その、傷つかれるかも、しれませんから……」
死者は喋らない。アレットがリュミエラの遺言を捏造して伝えたところで、もうリュミエラは文句を言わないのだ。そして、死者の言葉を盾にすれば、人間達も表立っては反対できまい。
「そうか……それならば、俺も」
「いえ、あの、騎士団長殿にはあまりお聞かせしたくないことも、リュミエラさんは仰っておいででしたので……」
早速、付いてこようとした騎士団長に断りの言葉をそっと伝えれば、騎士団長は『つまりそういう内容か……』というような、何とも渋い顔をした。
「では、俺以外の者を付けよう」
「あの、そのようにお気遣いいただかなくとも……」
何が何でも『フローレン』を勇者と二人きりにしたくないらしい騎士団長をやんわり諫めると、騎士団長はまた、渋い顔をする。
「……お前が魔物に捕らえられた原因の1つはあの勇者が邪神の神殿で何かしたからだ。俺はあの勇者を許すつもりも、警戒を緩めるつもりも無い。従者も一枚噛んでいるとなれば、そちらへの警戒を怠る理由も無いな」
どうやら、騎士団長は『フローレン』を失っていた期間の恨みを勇者達に向けることにしているらしい。『直接の原因はソルじゃないのかな』とアレットは思ったが、まあ、要は憎めるところを憎むことにした、ということなのだろう。実に単純である。
「そう……ですね。警戒するに、越したことは無い、ですが……私などのために、人手を割かせるわけには……」
「何。お前の安全の為なら皆、喜んで働くだろう。……ここに居る第二騎士団の者達は皆、気のいい連中だ」
そりゃあそうだろうなあ、勇者派の兵士、皆殺しちゃったもんなあ、とアレットは納得しつつ、『それなら、お言葉に甘えます』と了承した。
できることなら従者とは1対1で会いたかったが、我儘は言えない。
「……ところで、フローレン」
「はい」
少々改まった様子の騎士団長を見て、『何が来る?』と内心身構えつつ、アレットはただ不思議そうに騎士団長を見上げた。……すると。
「お前を奪われた直後、俺も神に選ばれ、勇者として目覚めることとなった」
「ああ……その瞳を見て、もしやと思っておりましたが、本当に、そうだったのですね?おめでとうございます!」
『ああ、お祝いしてほしかったのかな?』と理解したアレットは、綻ぶような笑顔で騎士団長に祝いの言葉をかけてやる。すると騎士団長はある程度満足したような顔をみせたものの、やはり改まって、言葉をつづけた。
「であるからして、その……レオ・スプランドールを『勇者様』と呼ぶと、何かとややこしいことになる」
アレットは『話の行き先が見えないなあ』と考えつつ、『フローレン』としてもやはり小首を傾げつつ、騎士団長の言葉を聞く。
「なので、今後、あいつのことは『スプランドール』とでも呼ぶように」
……そうして出てきた結論に、アレットは『それに一体、何の意味が……?』と疑問を抱いたが……長年、人間に紛れて生活してきたことで磨かれた勘が、アレットに次の言葉を紡がせた。
「畏まりました。では、スプランドール殿、と、お呼びします。ええと、それから……騎士団長殿のことも、また、別の呼び方でお呼びするよう改めた方がよろしいでしょうか?」
多分これじゃないかな、と見当をつけて放った言葉は、騎士団長に少々目を瞠らせ……そして。
「どうか……その、アシル、と。そう、呼んではくれないか」
そんな言葉を発させた。
これにアレットは内心、『よし!当たり!』と喜んだ。……人間という生き物はどうやら、名前で呼ばれることを親密な関係、もしくは気安さの証、と捉えるらしいことは知っている。姓というものを持たず、『隊長』や『副長』といった肩書によって付き合ってきた時間や信頼を示す魔物とは、少々文化が異なるのだ。
つまり……今、騎士団長は、『より親密な関係になろう』と、提案してきているのである!
「え、ええっ!?駄目ですよ、騎士団長殿!それでは周囲の者に示しがつきません!」
「そ、そうか……そうだな……」
なのでアレットは、これを拒否した。
受け入れてしまった方が、騎士団長は喜ぶだろう。現に、アレットの拒否の言葉によって、騎士団長は少々傷ついたような顔をしている。だが……獲物を追いかけている間こそ、その獲物だけに夢中になっているとは言えないだろうか。
簡単に、捕らえられるわけにはいかない。『フローレン』が騎士団長に捕らえられる時は、『アレット』が騎士団長を殺す直前となるだろう。
「……そういえば、殿下、とお呼びした方がよろしいのでしょうか」
だが、騎士団長をがっかりさせてばかりなのも心苦しい。アレットは早速、少しばかり話題を変える。
「その……大変お恥ずかしながら、貴殿が王家の方であらせられると、リュミエラ様からお聞きして、初めて知った次第でして……」
アレットの思惑通り、騎士団長はぽかん、として……それから、笑いだした。
「な……そうだったのか!そうか、そうか。なら、俺のことを純粋に軍人だと思っていたと?」
「はい。騎士団長殿はお強くていらっしゃいますし、その……不敬を承知で申し上げますと、王城におられる王族の皆様が、このように前線へ赴かれるとは、思わず……」
「成程、そうか……はは、いや、構わない。不快に思ってもいないとも」
騎士団長は肩を震わせて笑いつつ、気を取り直したように続けた。
「では、引き続き『騎士団長』の肩書で呼んでもらおうか。……案外、俺は王城に居るより、こうして前線に居る方が性に合っているらしい」
「そうですか。それなら、よかった。……これからもどうぞよろしくお願いします、騎士団長殿」
アレットが微笑めば、騎士団長は早速、気を取り直したらしい。同時に、『何としても、いずれ名前で呼ばせてみたい』と意気込んでいる様子でもあったが。
「さて、フローレン……特定の部隊に所属しようと思っていないお前にこんなことを頼むのは心苦しいのだが……共に一度、国へ帰ってもらうことになる」
そうして話が一段落したところで、騎士団長がそう切り出した。
「スプランドール殿の裁判の為、ですよね。勿論、構いません。私がお役に立てるなら」
それにアレットは即答する。
覚悟はもう決めている。アレットが人間の国について行かねば、勇者の死体を食って魔力を回収する者が居なくなってしまうのだから。
恐らく、勇者レオ・スプランドールは人間の国で処刑される。それを追いかけていくことには、大きな価値があるだろう。
そして何より……勇者側が持っているであろう情報は、魔物の国を出てからの方が、聞き出しやすいだろう。
「そうか。その決断と献身に感謝する。裁判が終わるまでの間、不自由を掛けることになるが……こちら側の証人として、最大限の礼は尽くさせてもらう」
「い、いえ、どうぞ、お気になさらず……」
……だが、どうやら、アレットの監視は色濃いものになりそうである。アレットへの不信故ではなく、むしろその逆の感情によって。
『第二王子の最大限の礼ってどんなものなんだろうなあ』と、アレットは少々気の遠くなるような思いで、どうか上手くいくように祈るのだった。
それから朝食を摂ることになった。アレットが騎士団長と共に野営地の中央へ向かえば、そこでは既に、兵士達が分担して朝餉の準備を進めていた。
いつも通り、干した野菜や塩漬け肉を煮戻したスープに麦粥、というような内容であったが、ひとまず腹に入って体を動かす材料になるならそれ以上は望まない。アレットは早速、朝餉の支度の中に入っていって人間達を手伝いつつ、その中へと溶け込んでいった。
食事と一通りの片づけが終わったところで、騎士団は神殿前から撤収することになった。神殿の内部、もしくは周辺に居るとあまり具合が良くないらしい人間達からしてみれば、当然の選択だろう。勇者を捕らえ、『フローレン』を取り戻した彼らがここに留まり続ける理由は無い。
出発の直前に、アレットは勇者の従者の確認に行くことになった。その間、騎士団長はレオ・スプランドールの方を確認するらしい。
「よし、スプランドールの様子はどうだ」
「大人しいですよ。しおらしいというか、諦めがついたらしいというか……それでいて、自死しようともしていませんから、助かりますね」
騎士団長と兵士の会話を聞きつつ、ヴィアが何かやったのかな、と考えるアレットであったが、しかし、ヴィアからの報告は特にない。となると、勇者は自省したということだろうか。いや、それはないな、と思いつつ、アレットはもう片方の天幕を気にする。
「では、従者の方は」
そして、アレットがこれから訪ねようとしていた、勇者の従者については。
「ええ、こちらも大人しいものですよ。ただ……その、昨晩から、騎士団長殿に会わせろ、と言っているようですが」
アレットは騎士団長と顔を見合わせた。
……どうやら、何か企んでいるらしい。
「あなたに聞きたいことがあります」
「は、はあ……そうですか」
アレットは天幕に1人で入ってすぐ、そう、勇者の従者に問う。
従者は『何を言っているのか分からない』というような顔を作って見せたが、その裏には困惑や緊張が見て取れる。
「あなたが王家を裏切ったのは、いつのことですか?魔物の姫の、公開処刑の後ですか?」
これはまどろっこしいことをしている暇は無いな、と思ったアレットは、さっさと本題に入ることにする。
「裏切るなんてとんでもない!ご存じないかもしれませんが、私は王家からレオ・スプランドールの監視のために派遣された者で……」
「そして、邪神の力に魅入られた」
アレットが斬り込めば、従者は口籠り、ただ思考を巡らせ始めたらしい。
「スプランドール殿から邪神の力を奪ったのは、あなたでしょう?」
「いや、私は、そんなものは存じ上げません。勇者様が何か、宝石のようなものをお持ちだったことは知っていますが……」
口籠る従者を前に、アレットは『ああ、これは口を割らないだろうなあ』と予感した。こういった手合いはそれなりに居る。『何も知りません』という顔をして情報を漏らさず、黙っている者は共通してそれらしい雰囲気を持っていた。
「どうやったら喋ってくれますか?」
なのでアレットは、拘束されて座り込んだ従者と視線を合わせるようにしゃがみながら、少々困ったような笑みを浮かべて、じっと、従者を見つめる。アレットのこの態度に、従者はまた何か、思索を巡らせ始めたらしい。恐らく、『何か条件を吹っかけてやればそれを呑みそうだ』とでも思ったのだろう。
無論、アレットもここで下手に出るのは悪手だと知っている。だから……。
「あの、そちらの騎士団長殿にお話ししたいことがございまして。勇者様との同行中に知ったことで、大変に有用な情報があるのです。ですから、騎士団長殿にお会いしたく……」
「それ、手足の爪を剥いでいったら私にも喋ってくれますかね?」
優しい微笑みのまま、そう、言ってやるのだ。
従者が途端に青ざめる。……どうやら、痛みはそれなりに感じ、それを苦痛と思うらしい。これは一つ、大きな情報である。
「い、いや、何をそんな……」
「私、ずっと傭兵崩れとして魔物の国で過ごしてきました。多少の荒事には慣れっこなんです」
アレットは人間から見れば、如何にも無垢な美少女である。だが、そう魅了される分には構わないが、そう侮られては、いけない。
外見と中身が乖離しているような印象を与えなければならない。それでなければ脅しにならない。だからアレットは演じる。『まるで魔物のように』。
「こういう汚れ仕事も請け負ってたんですよ。何をしてでもお金を稼いで、ご飯を食べなきゃいけなかったし……でも、そういう経験が今、騎士団長殿のお役に立ちそうですから。経験しておいてよかった」
にっこりと微笑んで、アレットはじっと、その柘榴のような目で従者を見つめる。
「爪何枚で喋ってくれますか?」
結局、勇者の従者は喋らなかった。ただ、青ざめて俯くばかりで、黙秘を貫いていたのである。
誰かの為なのか、それとも、未だに自分自身の野望を達成できる見込みがあるのか。勇者はともかく、従者の方は何を考えて動いているのか分からないだけに、諸々を聞き出したいところではあったが……これでは難しそうである。
いずれにせよ、拷問にかけるとしたらそれなりの道具と場所と時間が欲しいところである。出発前の今、それを行うのは無理がある。
「じゃあ、最後に1つだけ、先に聞かせてください」
アレットは今この場での追及を諦めることにした。そして……今後の指針を決めるべく、質問を投げかける。
「あなたは、レオ・スプランドールを裏切る気がありますか?」
アレットの質問に、従者は『はい』と答えた。アレットはそれに『それはよかった』とにっこり微笑んで返しておくことにした。