復讐*1
「……ということで、私、勇者に会いに行ってみようと思うんだけれど」
その夜。アレットは寝床の中で、ヴィアにそう、相談してみた。
ヴィアは小さな体で、ぷるるん、と震えつつ、小さな声で答える。
「いいえ、お嬢さん。それは危険です。お嬢さんは勇者に顔を見られているのでは?」
「ああ、まあ、王都の前で、ちょっとは見られてると思うけれど……でも、いつかは絶対に顔を合わせなきゃならないだろうし、向こうが覚えているとも限らないと思うし」
アレットは考える。実際のところ、勇者は自分のことを覚えているだろうか、と。
勇者側の兵士が1人、アレットを覚えていたことは記憶に新しい。それによってアレットは、翼の有無を確認されかけたのだから。
だが……勇者は果たして、アレットを覚えているだろうか。あの時の勇者は姫に注目していたはず。そのお付きの魔物にまでは、意識は向いていなかったのではないだろうか。
「ご心配なく、お嬢さん。私が勇者の元へ赴きますので」
アレットが悩んでいたところ、ヴィアがそう言ってぷるるん、と体を揺らした。
「え?でも、ヴィアが行くのは難しいんじゃ……」
「大丈夫ですよ。大きな私なら歩いてどこへでも行けます」
アレットが驚いていると、ヴィアは胸を張ってそう答える。どうやら、本体が出向く、ということらしいが……。
「……それこそ、危険じゃないのかな。本当に小さいヴィアじゃなくて、大きいヴィアが行くの?」
「それはお互い様です。それに、小さなスライムが行ったところで、奴は交渉に応じないでしょう」
アレットは不安だったが、ヴィアは元々、人間である。人間独自の感覚もある程度は理解できるのだろうし、ヴィアが必要と言うのであれば、きっと必要なのだ。
「そういうわけで、勇者についてはお任せあれ。……とは言っても、勇者本人から得られる情報は、そう多くはなさそうですね」
「ね。どちらかというと、勇者の従者。あっちが黒幕なんだろうけれど……」
「うーむ、もしかすると、あの従者が神の力の欠片から魔力を抜き取った張本人かもしれませんね」
結局、南の神殿にあったはずの神の力の欠片はまだ発見されていない。勇者も知らないとなれば、従者が何かしたとしか思えないのだが……。
「でも、勇者が強くなってる印象も無いんだよなあ」
「そうですねえ、もし勇者が神の力の欠片を使っていたとしたら、その分、魔力の強化が見られるはずです。しかし、そういう訳でもなさそうですし……」
「かといって、従者がそれらしい気配か、っていうと、そういう訳でもないしなあ。うーん……」
神の力の欠片の行方は、依然として分からないままだ。どうにかして探し出さねばならないのだが……。
「……いや、最悪の場合、神の力の欠片が全部揃わなくても、何とかなっちゃうかな」
「え?……ああ、勇者の処理さえうまくできれば、最悪、我々に武力は必要ない、と。そういうことですね?」
「うん。そうそう。勇者を倒すために魔力がたくさん必要なわけだから。勇者の処理が人間側で上手くいくなら、私達が神の力の欠片を手に入れなくてもいいんじゃないかな」
無論、最終的には魔物の国の大地に魔力が還った方が良い。だが、それは、新たなる魔王が国に君臨し、国が安定してからでも十分可能な話だ。
「まあ……それでも、『もう1つの神殿』について勇者は知っているようでしたから、話させた方がいいとは思いますがね」
「そうだね。多分、勇者は知ってるんだろうし。後は、従者にも聞いて裏を取りたいところだけれど」
「成程、分かりました。そちらは2人がかりで。かつ別々に当たりましょうか」
勇者を殺すにしても、こちらが欲しい情報を全て出させた後にしたい。アレットはヴィアと頷き合って、今後の方針を固めるのだった。
「それはそれとして、騎士団長の方はいかがですか」
「うん。大分、盲目」
次いで、ヴィアに尋ねられたアレットはばっさりとそう答えた。
「……まあ、盲目ですねえ」
「うん」
騎士団長はすっかり、『フローレン』を心の拠り所にしてしまっているらしい。アレットが淹れた野草茶を飲み、穏やかな笑みを浮かべて少々雑談に興じ……どう見ても、すっかり『フローレン』の虜である。
「自分が苦労して取り戻したものだからこそ、の執着なのかもしれませんね」
「ね。こういう効果もあったわけだから、やっぱり私、一度攫われておいてよかったなあ」
……恐らく、これから先、アレットは人間の国で活動することにもなる。仲間達とも、魔物の国とも、離れることになるだろう。
だが、それでいい。勇者はこのまま人間の国へ護送されるようであるし、そこで諸々、裁判の類もあるのだろう。アレットは既に騎士団長から『法廷で証人として立ってほしい』と頼まれている。
つまり、勇者をどうこうするならば、やはり、人間の国へ行かねばならないのだ。
「……お嬢さん。あの騎士団長に求婚でもされたら、どうします?」
「ええー……結婚しておいて、寝首を掻く、かなあ……」
アレットもヴィアも、『流石に第二王子ともあろう者が、そこらの雑兵と結婚はしないだろう』と思いつつ、『あの騎士団長ならやりかねない』とも思う。最早、その程度には騎士団長の信用が無い。彼は『フローレン』に対して脆弱すぎる。
「なんでかなあ……なんであの人間、ああなんだろう……そんなに私のこと、気に入ったのかな……」
「う、うーむ……それはやはり、お嬢さんの魅了の力がそれほどまでに強い、というのと……色々と、こう、噛み合ってしまった結果、というところでは……」
リュミエラに裏切られ、勇者に国を脅かされ、傷心と疲労の中に居たのであろう騎士団長のことを思えば、まあ、分からないでもない。だが、その結果、リュミエラが肉団子として目の前に現れても戸惑わず、勇者を殺すことにも躊躇が無い、など、中々の変貌ぶりを見せていることについては……騎士団長の元々の素質なのか、『フローレン』の力によるところなのか、今一つ判別がつきにくかった。
……尤も、あれが演技だったとしても、そうでなかったとしても、アレット達にとっては『想定外』であり、『ちょっと面倒』である。そういったところまで含めて、騎士団長はつくづく、悩ましい人物であった。
「まあ、ひとまずは勇者の処理を最優先することになるよね」
「ええ。さっさと処刑されてくれると助かるのですがね」
勇者が処刑されたなら、やらねばならないことがある。それは、勇者の捕食だ。
「勇者の肉って美味しいのかなあ」
「さあ……なんとなく硬くてまずそうな気もしますがねえ」
アレットとヴィアは『勇者の味』を想像し……ガーディウムより硬いということはないだろうなあ、と、ぼんやり考える。
「まあ、彼がもし神の力を奪った張本人だとすれば、彼を食べてしまえば問題は解決、というわけですね」
「うん。逆に言えば、勇者が自覚してでも無自覚でも、神の力の欠片を使っているんだったら、食べてそれを確認できるっていうことになるよね。それだったら、勇者が処刑される前に確認できるかも。血が出たら飲んで確かめられるかもしれないし……」
アレット達は魔物であるので、食らったものを消化できれば、そこに含まれる魔力も大方、自分のものにすることができる。勇者の血肉を食らえば勇者の力を我が物にできるかもしれない。そうでなくとも、勇者にどの程度の魔力があるか、測る手立てとなるだろう。
「あ、もしかして、勇者の残り湯でも確認できるかな……?」
更にアレットは、そんなことを思いついてしまった。途端、ヴィアが大慌てでぴょこぴょこと跳ねる。
「だ、駄目ですよ、お嬢さん!そんなことをしては!魔王様の残り湯ならともかく、あのように愚かな人間の残り湯なんて飲んでは!」
「いや、ヴィアが飲むかな、って」
「ええっ!?」
「冗談だよ」
驚いたのか、にゅっ、と伸び上がった姿勢のまま固まってしまったヴィアをつついて微笑みつつ、アレットは『でもちょっと確かめるだけなら有効な手立てだよね』と冷静に考えてもいた。
追々、試すことになるかもしれない。ヴィアで。
「おや」
そんな折、ヴィアが、ぽよんと跳ねた。
「どうしたの?」
「いえいえ。どうやら、大きい私が勇者と接触したらしく」
ヴィアはそう言うと、ぷる、ぷる、と少し体を動かす。大きなヴィアが見たものをなんとなく感じ取っているのかもしれない。
「どう?」
「ふむ……まだ、大した話にはなっていないようですね」
だが、アレットの手の中に潜り込んだ小さなヴィアは、そう言って、ふよよ、と体を揺らした。
「分かったことがあればすぐご報告しますよ、お嬢さん。そろそろお休みになった方がよろしいかと。どうせ、大きな私からの報告があるのは明け方になるでしょう」
「そっか。ありがとう、ヴィア。おやすみ」
「ええ、おやすみなさい。よい夢を」
アレットはヴィアに返事をしつつ、そっと、寝床へ潜り込んでいく。
……人間用の寝床にも随分慣れたが、やはり、少し落ち着かなかった。
「……成程な。やはりまだ、生きていたか」
一頻りのやりとりを終えたヴィアは、血色の悪い顔をした勇者レオ・スプランドールと向かい合いながら、そう呟いてため息を吐いた。人間であったころの癖で帽子のつばを少々引き下ろしつつ、じっと、考える。
「……なんで、魔物が人間の行方なんて気にする?邪神の神殿についてはまだしも……しかも、どこで、貴族の名前なんて知った?」
「何、こちらにも事情があるのさ」
そんなヴィアに対して少々不審げなレオにそう答え、ヴィアは踵を返す。これ以上ここで考えていても仕方がないだろう。
「まあ、情報提供には感謝するよ、勇者君。他のことは君の従者とやらに聞いてみるとしよう」
「待て、こっちの話は終わってない!」
レオが焦って声を掛けると、ヴィアは振り向いてこぽりと泡を躍らせる。
「心配は要らない。少なくとも、君が支払った『対価』の分はきっちりと働くから安心したまえ」
振り返ったヴィアの、手袋と袖の間。ちらりとだけ見えるその粘液には、赤く、血の色が揺らめいていた。