2人の勇者*7
「魔王……だと?」
愕然とする騎士団長に、ヴィアは尚も畳みかける。
「ああ、そうだ。神の力は本来、時が来るまで安置されるべき代物。そして、いずれ新たなる魔王を生み出すために必要なものだが……勇者はどうやら、それを狙っているようだ」
ヴィアの言葉に、騎士団長は諸々の考えを巡らせたことだろう。
まず、『勇者が邪神の力を狙う理由は、邪神の力を滅ぼすことで魔王の復活を止めることなのでは?』とでも思ったかもしれない。
だが、それは他ならない勇者自身によって否定される。……演技ができる程には賢くないあの勇者の、今日のあの立ち回り。あれを見るだけでも、勇者がそんな高尚なことを行っているとは思えないだろう。
次に考えるとしたら、『ならば邪神の力を完全に取り払わなければ』とでもいったところだろうか。
……そう考えたとしても、おかしくはない。人間側としては、当然の感想だろう。そして、実際にそう行動された時のために、アレットがこれから、騎士団長を監視するのだ。
「我々としても、人間などを、それも、『気の狂った』者を、我らが王として崇めるつもりは無いのでね」
「気の狂った……?」
そして、3つ目に……『そんな力があるなら、自分が手にすればよいのではないだろうか』とでも騎士団長が考えたとしたら、その考えは封じなければならない。
「当然。人間が魔の王となるための力など手に入れて、正気でいられるとでも?」
「そういうものか」
騎士団長は難しい顔で頷く。『そうだよ、だからあなたは神の力を狙わないでね』とアレットは心の中で祈りつつ、ただ不安そうな顔で騎士団長を見つめるに留めた。
「我らの国への侵略を止めろとは言わないとも。そちらがその気なら、こちらも全力で抵抗するというだけの話だ。だが……あの勇者は、お互いのためにも殺しておいた方がいい。違うかね?」
ヴィアがそう言うと、騎士団長は何も答えず、ただ、じっとヴィアを見つめる。……だが、無駄である。どれだけ観察したとしても、ヴィアはスライムだ。人間達には、ヴィアの表情を読み取るような真似はできない。
「どうやら、君はあの愚かな勇者より数段頭がよく、話も分かる存在のようだ。敵としては脅威でもあるが、何をしでかすか分からない狂人を残しておくよりは、君が残った方がいい。君はこちらのお嬢さんを守ってくれることだろうし……」
ヴィアがそう語ると、騎士団長は益々怪訝な顔をしつつ、ヴィアを睨むように見つめる。
「……そちらがよくとも、こちらには手を組む理由がない。そもそも何故、そちらはフローレンを守ろうとしている?」
「えっ!?美しいものを慈しむのに理由が必要だと!?それとも、君はこちらのお嬢さんを美しくないとでも言うつもりかね!?」
「い、いや……」
……だが、ヴィアの、やたらと熱の籠った反応に、騎士団長はたじろいだ。『竜とスライムは喧嘩をしない』とはよく言ったもので、あまりに価値観が異なる相手とは口論するより先に意識や認識の違いを認め合うところから始まるものである。今のヴィアの反応に対し、騎士団長は咄嗟に『そういうものか』と思ってしまったらしかった。
「それに……まあ、何だ。そちらのお嬢さんは魔力をお持ちのようだから」
更にヴィアが理由をつければ、『美しいので』という理由でアレットを守ろうとするヴィアについて、騎士団長がそれ以上の疑問を抱くことは無かった。
「魔力を持っている人間には優しくしよう、ということか?」
「いや……まあ」
ヴィアは少々口籠る様子を見せながら……そっと、言う。
「……私のかつての恋人は、魔力を持たない魔物でね。見た目もとても人間らしかったものだから……どうにも、他人事に思えなかった」
まるきり立場を反転させた物言いだが、概ね、ヴィアの身に起きたこと、事実そのままである。『かつて人間だった』というようなことを明かすとまた話がこじれそうなので、そこは改変されたようだが。
「かつての、というと……」
「勇者に殺された」
ヴィアは朗々と嘘を吐き、騎士団長を黙らせた。……騎士団長とて、魔物が殺されることに罪悪感など欠片たりとも持ってはいないだろうが、それでも、交渉相手の機嫌を損ねないように振舞うだけの能はあるらしい。神妙な顔で、『そうか』とだけ言って、それきり口を噤んだ。
「……私が勇者を殺したい理由は、これでお分かりかな?我らが王として奴を君臨させるわけにはいかない。そして、私の恋人を奪った相手を、生かしておくわけにはいかないのだよ」
騎士団長を納得させる材料は、これで揃った。騎士団長には『人間と魔物の感覚の違い』を確かめるだけの経験が無く、知識も無い。これ以上の判断材料は出てこず、ここから先は彼の心ひとつ、ということになる。
「無論、そちらに何の利も無いということがあってはいけない。これは取引だからね。そうだな……ならば、こうしよう」
そこで、ヴィアは騎士団長に頷かせるべく、ここで1つ、提案することにした。
「そちらのお嬢さんに何か困ったことがあった時。我らが力になろうじゃあないか」
「困ったこと……?」
「パンはパン屋に焼かせる。肉は肉屋に捌かせる。そして、魔力については魔物に扱わせるのが最も確実だ。そうは思わないかね?」
ヴィアの言葉は、今後への布石となる。アレットが窮地に立たされた時の助けになるかもしれない。だからこそ、この条件を飲ませたい。
「魔力をお持ちのお嬢さんであるならば、魔力のせいで困ることもあるかもしれない。その時には私達が助けになる。どうだね?勇者が我々両者にとっての『損』であるならば、そちらのお嬢さんは我々両者にとっての『得』であると思うのだが」
騎士団長は迷うようであった。彼としては、勇者を殺すことについて異論は無いだろう。ただ、魔物から頼まれてそれを行うのであれば対価が必要だ、と考えているだけに過ぎない。
……しかし、騎士団長には時間も無かった。
「分かった。そちらの手を借りることなど無いことを祈るが」
「まあそう言わずに」
結局、騎士団長は概ね、ヴィアの意見を呑むことにしたのである。少なくとも、『フローレン』自体が罠だなどとは思っていない様子であった。
「もし私が居なかったら、ソルという名の鴉に頼むといい。あれはあれで気のいい奴さ。話は通しておく。……くれぐれも、お嬢さんをよろしく頼むよ」
ヴィアはそう言い残すと、アレットをその場に残して神殿の屋根から飛び降りた。恐らく地上でぐしゃりと潰れているのだろうが、むにむにと蠢いて人間の形に戻っていくに違いない。
「……奇妙な魔物だったな」
「ええ、本当に……」
アレットは騎士団長と顔を見合わせて、ヴィアの消えていった先を眺めるのだった。
一息吐いたところで、改めて、騎士団長はアレットに向かい合う。アレットは騎士団長から見えない奥底で緊張の糸を張り詰めさせながらも、申し訳なさそうな笑みを浮かべて騎士団長を見つめた。
「フローレン……魔物達には酷い目に遭わされなかったか」
「はい。捕虜として至極適切な扱いを受けていました。先ほどのスライムは特に、友好的で……あの、手紙を受け取って頂けましたか?」
心配そうな騎士団長に尋ねてやれば、騎士団長は例の蝶ネクタイを思い出したらしく、少々表情を綻ばせた。
「ああ。……それにしても驚いた。粘液の魔物が蝶ネクタイを着けていたものだから……」
「ふふふ、少し可愛らしかったでしょう?」
アレットはくすくすと笑ってやりながら、ふと、表情を引き締め、声を潜める。
「それで、あの手紙には詳しく書けませんでしたが……魔物達はどうやら、勇者が新たな魔王として君臨しようとしている、と思っているようです」
実際のところはどうか分からない。勇者がヴィアに対して開示した情報はそう多くなく、アレット達の判断には足りなかった。だが……騎士団長の危機感を煽るだけなら、十分であろう。
「やはり、勇者は、王都で防衛に当たっていた兵士達を……見殺しにしたのですか?魔王となるために?」
アレットが深い悲しみと微かな希望、そしてちらつく憎悪を込めてそう、騎士団長を見上げる。柘榴のような赤い瞳で騎士団長をじっと見つめてやれば、騎士団長は青空色の瞳を揺らがせて……そして、気まずげに、頷いた。
「そう、考えることもできるだろうな」
そして、騎士団長は少し考えて……言った。
「こうなっては、国があいつを勇者として扱うわけには、いかない」
騎士団長は最早、勇者を勇者と思っていない。自分個人の敵であり……そして、今回、遂に『勇者は魔王になろうとしている。最早人類の敵である』という、大義名分を得た。
これで、騎士団長は思う存分、勇者を潰しにかかってくれるはず。アレットはそれを、影に日向に支えればよいのだ。
「では……失礼するぞ、フローレン」
「え?」
アレットが『ひとまず上手くいってるかな』と安堵していたところ、不意に騎士団長が近づいた。そして、すぐさまアレットの膝の裏と背中とに腕が回され、アレットはひょい、と横抱きにされる。
「な、何をなさるのですか、騎士団長殿!いけませんよ、騎士団長ともあろうお方が、一兵卒にこのような……」
「すまないが、こうでもしないと安全にここから降りる方法が無い。我慢してくれ」
アレットが慌てふためいて見せると騎士団長はにやりと笑って、颯爽と神殿の屋根から飛び降りた。
「へ!?あ、と、飛び降り、るんですか……!?」
……当然ながら、アレットは飛べるのでこの程度の高さから飛び降りることになど、まるで恐怖を抱かない。だが、そんな内心を隠して身を竦め、唯一の頼りとなる騎士団長にしがみつき、恐怖の声を上げてやれば、騎士団長は満足したらしい。
ふわり、と風の魔法が働いて、地面への衝突寸前に2人の体は浮き上がる。そしてそのまま、ふわ、と着地してしまえば、それきりだ。アレットは着地して数秒後、ようやく強張った体を緩めて息を吐く。
「驚かせたか?」
「……ええ。とても」
少々じっとりと騎士団長を見上げてやると、騎士団長はまた少々満足気に笑った。どうやら反応はこれで正解だったらしい。『この人間、ちょっと意地悪だなあ』とアレットは思いつつ、そっと地面に降ろされる間も複雑そうな顔をしておいてやった。その方が騎士団長が喜びそうなので。
着陸した騎士団長を見ていたらしい兵士達が、わらわらと駆け寄ってくる。中には見覚えのある兵士も居た。王都第二騎士団の兵士の中で生き残った兵士……つまり、騎士団長を裏切る意思の無い兵士である。彼らも『フローレン』の無事を大いに喜んでいるらしかった。
「フローレン」
そして、そんな中、騎士団長はじっとアレットの目を見つめる。
「見ての通り、俺は勇者として選ばれた。強い力を手に入れた。最早、レオ・スプランドールに頼らずとも、国を率い、魔物と戦うことができるようになった。そして何より……お前を守る力を、手に入れた」
騎士団長は誇らしげに、そして何より愛おしげに、アレットへ語りかける。ヴィアが見ていたなら『哀れな……!』とでも言ったかもしれない。
「もう二度と、魔物の手に奪わせはしない。約束しよう」
「わ、私などにはもったいないお言葉です、騎士団長殿……」
アレットは恥じ入るように俯き、もじもじと答えてやる。騎士団長も周囲の兵士達も、なんとも暖かい目でアレットを見守り、そして、満足したらしかった。
……実に平和に見える、そんな一幕であった。
「あーあ、気に入らねえなあ……」
そんな一団を上空から見下ろして、ソルはため息を吐く。
「俺の副長だぞ、アレットは」
「そういう仕事だろうに」
それに応えるのは、千切られた小さなヴィアである。ソルの肩のあたりに貼り付きつつ、ぷるん、と震えれば、またソルはため息を吐いた。
「分かっちゃあいるよ。優秀な部下を誇らしくも思う。けどなあ、あの、ほのぼのと騙されてる人間共を見てると、こう、気に入らねえなあ、って気分になるだろ」
「分からないでもないがね。まあ、麗しの魔物に誘惑される哀れな人間を見て楽しむくらいのつもりでいようじゃあないか」
ヴィアは肩を揺らして笑うと、ふと、思い出したように言った。
「そうだ、ソル。一つ頼みがあるんだが、いいかね?」