2人の勇者*6
神殿の前は大変な騒ぎであった。肉塊を前に勇者はどうしてよいものやら動きあぐね、従者は何やら考え込んでおり、そして、周囲の兵士達は悍ましい肉塊を恐れ、遠巻きにしている。
……リュミエラの死を悼む者はあまり居ないようだった。まあ、人望の差だろう、とヴィアは納得する。
「どうだね、勇者君。君が望んだ通りの結果になっただろう?」
ぴょこ、と飛び跳ねて、ヴィアは手近な木の枝に乗った。自分を運ぶ兵士を巻き込まないためである。
「望んだ、だと?」
「望んでいなかったというのであれば、君は答えるべきだった。そちらの……君を操る者の意見など、気にせずにね」
勇者がヴィアを睨むが、その瞳に宿る憎悪はさほど強くない。心より愛する者を殺された、というよりは、必要な道具を失った、といったような反応である。
……まあ、そうだろうね、とヴィアは納得する。勇者がリュミエラと婚約したのは恐らく、公爵家との繋がりが欲しかったから。もしくは、騎士団長のものを奪いたかったから。そんなところだろう。先程からの反応を見てしまうと、リュミエラを愛していたからだとは思えない。恋人を殺された身としては、特に。
「全く、碌でもない人間だったが、流石に少々、彼女が哀れだな。勇者の婚約者になってしまったばっかりに人質にされ、それなのに勇者が助けようとしなかったせいで死んでしまった!」
ヴィアは高らかにそう言ってやった。愛してもいないのに愛を嘯き、愛を偽った割に死を悼みもしない、その中途半端さには少々苛立たせられたので。
所詮は安い挑発である。だが……勇者はそれに乗った。
「……殺したのは、お前だろう!」
勇者は早速剣を抜く。勇者の従者はおろおろとした様子を見せてはいるが、止めはしない。やはりそういうことか、とヴィアは納得しつつ……あっさりと、勇者の剣で体を二分された。
「おや。小さな私が斬られたようです」
アレットは神殿の屋根の上、ヴィアの報告を聞いた。
「そっか。ということは……」
「はい。小さな私が2匹に増えました」
「そっかあ。増えちゃったかあ」
「あの、アレット嬢?何故、私が増えたことについてそんな残念そうな顔を……?」
ヴィアの問いかけは無視しつつ、アレットは屋根の下の様子を見守る。
……リュミエラの死体と偽った肉の塊は遠巻きに眺められ、そして、勇者が激高しながらヴィアを切り刻んでいく。その度に小さなヴィアは千切れて更に小さくなり、そして、さらに増えていく。地上はさぞかし煩くなっていることだろう。
「勇者がここで色々喋ってくれればよかったんだけれどな」
「敵ながら、まあ、それなりに口は堅いようですね。仕方ありませんが」
勇者が剣を振り回す様子を見ながら、アレットはそっと、ため息を吐く。やはり、多少煽って揺さぶった程度で情報が得られる訳でもなかった。
だが逆に考えれば、勇者側は他の神殿の情報を何か知っている可能性が高い、という裏付けでもある。喋ってしまえば優位を失う、と判断して黙ったのだろうから。
「まあ、勇者の印象をここで悪化させられればまずはそれで十分。その後、勇者の信頼回復の為に従者が動くのを見て情報を得られればさらに良し……かあ」
「そう、ですね……いやはや、しかし、それではやはり、アレット嬢は……」
「大丈夫だよ。自分が『救出』した相手に対して、『潜入』されたとは思わないだろうし」
これからアレットは、騎士団長側に潜り込むことになる。彼も勇者と対抗する立場であるのだから、うまく誘導すれば神殿巡りも十分に可能なはずだ。そこで神の力の欠片を入手できれば……とアレットは考え、そして、ふと、表情を曇らせた。
「ただ……羽は、切り落としておいた方がいいかなあ」
「ええっ!?」
アレットの言葉にとんでもない驚きようを示したのが、ヴィアである。にょっ、と体を伸ばしたまま固まり、驚きを表現した後……もぞもぞもぞ、と動き回りつつ、アレットの周りで慌てふためいた。
「とんでもない!この、夜空を紡いだ絹糸を織り上げたかのような、極上の黒絹の如きその美しい翼を、切り落とす、など!とんでもない!とんでもないことですよ、お嬢さん!」
「いや、でも、これが見つかっちゃうと私、言い訳が利かないんだけどな」
「それならば背中に傷があるのを見られても同じことでしょう。羽を動かすための骨まで取り除くおつもりですか、お嬢さん!ほら!どうせ不可能ですよ!」
「だけど……」
アレットはその程度の覚悟を持ち合わせてここに居る。自分の羽を切り落として、より深く人間に溶け込むことを優先すべきか、何度も悩んできた。
だが、ヴィアはアレットの手をしかと握って力説する。
「お嬢さんの体は資本です。あなたの戦闘能力を、少しでも下げるべきではない。傷を負って体力を失うなど、以ての外です」
美しさ云々はさて置いた力説に、アレットも『確かにそれもそうなんだよなあ』と思う。
敵地へ潜入する、という時にわざわざ自らの体力を削るのは、それはそれで愚かしいことである。羽を失えば飛べなくなるだけでなく、背中の傷を抱え、失った血の分緩慢になる動きを以てして、活動することになるのだ。
「弱点を削って補うのではなく、強みを存分に生かして補ってください。貴女の力は、その魅了の力ではありませんか!」
……そして何より、アレットの能力は、最大限、生かすべきだ。
戦闘力をそれなりに有し、夜に最大の力を発揮する。舌先三寸で人間を騙して、その魅力で人間を操る。……アレットは、そういう生き物として生まれてきた。そして、そういう生き物として、生きる。
「……うん。そうだね。そうしよう。いざとなった時に飛べれば、それはそれでなんとかできることが増えるだろうし」
「ええ、ええ!そうでしょうとも!そして何より、やはりお嬢さんの羽は美しいので!」
アレットの決断にヴィアが小躍りせんばかりに喜ぶ。アレットはそれを眺めつつ、つくづく、良い味方に恵まれたなあ、と思うのだった。
自分の役割を思い出せること。その役割を全うできること。その役割を望まれること。その喜びを、アレットはしかと、噛みしめる。
少しすると、少々、地上がざわめき始めた。
おや、と思い地上を見てみれば、そこでは小さなヴィアが燃やされている様子があった。
「ああ、ヴィアが……」
「まあ、あれは元々ああなる運命でしたから」
剣を相手にする分にはほぼ無敵のスライムも、焼かれてしまえばひとたまりもない。先ほどまで人間達との交渉役として残っていた小さなヴィアは、散々勇者を煽って、そして、死んでしまった。
「そう悲しまないでください、お嬢さん。大きな私はここに残っていますよ」
「うん、分かってはいるんだけれどね」
アレットだけではない。皆が……ヴィアも、自らの役割を全うしている。ヴィアの役割は、これなのだ。それは、アレットにも理解できている。
「美しいお嬢さんに死を悼んでもらえるのなら、あの小さな私も本望でしょう。……そして、無論、私も」
ヴィアはそう言ってアレットの手を取り、手の甲に恐らくキスを落とした。無論、唇どころか口も無いスライムのキスである。アレットは『わあ、ヴィアの表面、全体的にぷにぷにしてる』という感想を抱いたが。
「さて、そろそろ騎士団長があなたを救いにやってくることでしょう。失礼ながら」
「うん。よろしくね」
アレットが両手を差し出すと、ヴィアはそこに縄をかける。一応、人質としての体をとっておこう、ということである。
そしてヴィアがちょっと身を乗り出して神殿の周りの様子を見ていると……『おお、早かったじゃないか』と声を上げる。
さっと戻って来たヴィアと共にアレットが待っていると……そこには、騎士団長の姿があった。どうやら、風の魔法を駆使しながら神殿の外壁を登って来たらしい。
「ああ、騎士団長殿……!」
アレットは歓喜に表情を輝かせつつも、リュミエラの死を悼むが如く、手放しには喜ばないような、複雑な表情と声を作って騎士団長を迎える。アレットを見た途端、騎士団長は目を見開き……そして。
「フローレン!」
アレットへ大股に歩み寄り、そして、アレットを抱きしめた。ヴィアは『おやおや……』と、騙される哀れな人間を見る目で騎士団長を見ていたが、騎士団長はアレットに夢中で気づかない。
「……迎えに来るのが遅くなって、すまない」
「いいえ……私は、大丈夫です」
アレットは強く抱きしめられたまま、騎士団長の肩越しに細く息を吐き出して、震える声で答える。
「ごめんなさい。リュミエラさんが……その……」
「……仕方ない。レオ・スプランドールが下手を打ったからだ。あなたは何も悪くない」
騎士団長の、アレットを抱きしめる力が益々強くなる。『騎士団長殿、ちょっと苦しいです』とアレットが控えめに訴えれば、慌ててその力は緩められたが。
「さて、さて。騎士団長殿。感動の再会に水を差すようで申し訳ないが、時間がない。こちらの話を聞いてもらおうか」
更にヴィアがそう言って割り込んでくれば、流石の騎士団長もアレットから体を離した。……抱き合う2人の間にも割り込めるところがスライムの強みの1つなのである。
「何か、あるのか」
「当然。タダでお嬢さんを渡すとでも思ったのかね?だが、まあ……そちらにとっても、そう悪い話ではないはずだ」
ヴィアは少々悪ぶってそう言うと、アレットの首にしゅるりと粘液の腕を這わせて、存分に騎士団長を煽ってやりつつ……冷静に、持ち掛けた。
「勇者を殺していただきたい。最早、あの勇者が魔王となるのを止めるには、それしかあるまい」