2人の勇者*5
*
「どうした?まさか、何も知らない、とでも言うつもりかね?」
スライムに詰め寄られ、レオが怯む。怯みながらも、その手が剣へと伸びるのを、スライムもアシルも、見逃さなかった。
「おい、スプランドール!何をしている!」
アシルがすぐさまその手を止めれば、レオはぎろり、とアシルを睨んだが、その気迫を超える勢いでアシルはレオを睨み、そして……殴った。
完全に不意を突かれたもう1人の勇者は、頬を殴られ、その場に倒れることになる。
「レオ・スプランドール!気が狂ったか!?人質を取られているということを忘れるな!」
レオは起き上がって何か言いたげであったが、それを無視してアシルはスライムへと向き合う。
「……ヴィア、といったか。大変失礼した」
蝶ネクタイをつけた紳士的なスライムに対し、きちんと礼をして見せれば、ぷるん、とスライムは体を揺らした。
「ふむ……まあ、いいだろう。だが、ここで私を殺そう、などとは考えないことだ。当然だが、私が死んだならその時は、確実に他の仲間達が人質を殺す」
どうやら、レオ・スプランドールの暴挙はひとまず許されたらしい。ほっとしながらアシルは再びレオを睨み、『これ以上愚かな真似はするなよ』と言外に釘を刺す。
すると、レオ・スプランドールは渋い顔で立ち上がり……そして、スライムに尋ねた。
「……一度、外に出ていいか」
「何?」
「俺の従者が何か、知っているかもしれない」
スライムは、ふむ、と唸り……そして、ぷるん、と器用に体を縦に揺らした。頷いているらしい。
「5分以内に戻ってきたまえ」
許可が下りてすぐ、レオ・スプランドールは足早に神殿の外へと向かっていった。恐らく、例の従者に知恵を授けてもらいに行っているのだろうが……。
「ふう、やれやれ……あちらの勇者は少々、頭が足りないのではないかね?どう思う?」
レオ・スプランドールが居なくなってすぐ、スライムはそう、アシルに話しかけてきた。その幾分気安い話し方に、『まだ愛想を尽かされたわけではなさそうだ』と安堵する。
「まあ……あいつは元より知識階級の人間ではない。生まれや育ちはそう変えられないものだ」
「ほう。つまり、馬鹿だと」
「物事を考えるのには向いていないようだな」
アシルが答えると、スライムはぷるるん、と体を揺らした。笑っているのかもしれない。
「君は話が分かる人間のようだ。素晴らしい。そんな君に……」
アシルの安堵を見て取ったのか、スライムは愉快そうに体を揺らしつつ……。
「これを差し上げよう」
「蝶ネクタイ……」
自らを飾っていた蝶ネクタイを外し、粘液が細長く伸びた触手のようなものでそれをアシルへ差し出した。何故、蝶ネクタイを。アシルも、スライムを運んできた部下も、只々静かに混乱していると、スライムはくつくつと笑うように体を揺らした。
「欲しくはないかね?あのお嬢さんが作ったものだ。きっと君の役に立つと思うがね。さ、さ、手に取ってみたまえ」
急かされて仕方なく、謎の蝶ネクタイを手に取る。……すると、布でできているはずの蝶ネクタイから、かさり、と音がした。
なんだろう、と思って蝶ネクタイをよくよく観察してみると……裏側に、折りたたまれた紙が一枚、差し込んである。
そっとスライムの目を気にすると、スライムはぷるん、と体を揺らしながら『私は何も見ていないよ』と嘯いた。つまり、この手紙のことはスライム自身も知っている、ということなのだろう。
アシルは祈るような気持ちで紙を開き……そして、そこに並んだ、フローレンの文字を見つけた。
『騎士団長殿へ。このスライムは私達の味方です。どうか、勇者にお気をつけて。』
「読んだかね?読んだならさっさと焼き捨てるなり隠すなりしたまえ。さっきの勇者が戻ってくるぞ」
アシルがはっとすると、神殿の入り口の方から足音が聞こえてきていた。アシルは急いで、それでいてさりげなく、懐にフローレンからの手紙を戻した。
「まあ、そういう訳だ。安心したまえ。私はフローレン嬢のナイトだからね。ひとまずは共同戦線と洒落込もうじゃあないか」
スライムがうきうきとした調子でそう言うのを聞いて、迷う。
魔物の言うことを信じていいのか、という気持ちはある。フローレンは脅されて、或いは騙されて、あのような手紙を書いたのかもしれない。
だが……。
「……ひとまず、もう1人の勇者を片付けてからゆっくり話そう」
アシルは、この奇妙なスライムの話に乗ることにした。今は藁に縋ってでも、フローレンを救出したい。フローレンを捕えている側の者の協力が得られるなら、それに越したことは無い。
「おお、了解、了解。……ついでに君の元婚約者には死んでもらうことになるが、構わないね?彼女の心は既に君にも王家にも無いようだが」
「ああ、構わない」
そのついでに非情な判断をあっさりと下して、アシルはやってくる勇者とその従者とを待ち受けることになった。
「さて。そちらは許可した覚えのない人間までもがやってきているようだが……どういうことかな?」
「私は何も知りませんので……」
従者は困ったようにレオ・スプランドールを見上げる。これが演技だとしたら大した役者だが、どちらとも考えられる。警戒は続けなければならない。何せ、勇者レオ・スプランドールを動かしているのは、この従者かもしれないのだから。
「……やはり、この宝石で間違いないそうだ。この宝石が、ここの地下にあった」
「そして宝石から魔力を抜き取った、と?」
「そんなことするか!邪神の力だぞ!?汚らわしい……」
どうやら結論は変わらないらしい。レオ・スプランドールは『これがこの神殿にあった宝石だ』と主張し、スライムは『この宝石の中にあったはずの魔力はどうした』と問い質している。そして『宝石の魔力なんて知らない』と主張するレオ・スプランドールによって、いよいよどうにもならなくなってきた。
「成程……つまり、人質は諦める、と。そういうことかね?」
「な……」
レオ・スプランドールは『短絡的にすぎる』とでも言いたげな顔で言葉を発しかけ、しかし、口を噤む。これ以上交渉材料を持っていないともなれば、どうすることもできないだろう。
「……本当に知らない。俺は何もしていないし、この宝石は元からここに在ったものだ」
「そちらの不注意で偽物とすり替えられた、ということは?」
……だが、スライムがそう尋ねた時、少しばかり、反応があった。
「……そんなはずはない。常に俺が保管していた」
「それは確かかな?例えば、そちらの従者に預けたことがあったり、鑑定の得意な者に見せたりしたことは?」
「それは……あったが」
スライムは訝し気にレオ・スプランドールの顔を覗き込むようにして伸び上がると、へにょ、と体を折り曲げた。首を傾げる仕草なのかもしれない。
「ふむ……そうか。成程」
そこでスライムは言葉を途切れさせて、何やら考え込んでいる様子であった。
「ならば人質は諦めてもらうしかないが……或いは、他の神の力の在処を、対価としてもいい」
「他の神の力……?」
「他の神殿はもう荒らしたのか?まだ荒らしていない神殿はどこだ?既に神の力の欠片を持ち出したことは?……このまま手ぶらで帰って人質を無為に殺すよりはその方が互いに有意義だろう。どうかね?」
スライムの提案は、間違いなく温情である。情報提供だけで人質を生かす、と言われているのだから。
「……東の」
だが。レオ・スプランドールが何か喋りかけた時。
「いけません、勇者様!魔物の誘いに乗るなど!」
従者が横から口を出してきたのである。
*
ヴィアは微かな驚きと共に、『やはりそうか』というような納得を得ていた。
勇者は間違いなく、自分一人の頭で物事を考えていないだろうと思っていたが、やはり傀儡であったらしい。
となると……神の力を欲しているのも、勇者ではなく、その従者である可能性が高い。そこまで理解して、ヴィアは体内に小さな泡を躍らせた。
「成程、成程……こちらが親切に手を差し出してやればその手を振り払う、と……そういうことか」
これで黒幕が少なくとも1人は割れた。大いなる成果だろう。ヴィアは満足しつつ……勇者へ向き合う。
「勇者君。君も『魔物の誘いに乗るなど』とでも言うのかね?それとも、他の神の力について、喋るつもりがあるのかね?」
「それは……」
勇者が、ちら、と従者へ視線を向ける。だが、従者は首を横に振るばかりである。
「……ふむ」
どうやら、勇者は完全に、この従者の傀儡と化している様子である。元々2人の関係はこうだったのか、或いは……最近、また関係が変わって勇者の傀儡化が進んだのか。
どのみち、ヴィアがやるべきことは変わらない。
「愚かな勇者、レオ・スプランドール。よく覚えておくがいい。勇者の力を手にしたとして、その力を振るい御すための知恵が無ければ……お前はただの破壊者、そしてただの傀儡に過ぎない」
勇者はヴィアに何か言いたげに、不満そうな様子を見せたが、その程度で怯むヴィアではない。ヴィアは神殿の天井に向けてぷるんと揺れると、大きく声を張り上げた。
「交渉は決裂だ!人質を1人、お返ししよう!……勇者君の望んだ通りの姿で!」
……勇者が剣に手を掛けて警戒する中、ふと、神殿の外がざわめいた。
「確認してきたまえ、勇者君。君の婚約者が届いているよ」
ヴィアの言葉に勇者は青ざめて、すぐさま神殿を出ていった。従者もそれに付き従い、出ていき……後には、ヴィアと、ヴィアを神殿内部まで運んできた騎士団の兵士、そして騎士団長が残される。
「……リュミエラは死んだのか」
「ああ、殺させてもらったよ。交渉決裂だ。まあ、こうなることは分かっていたからね」
ヴィアはそう答えながら、昨夜行った細工を思い出す。
……何せ、リュミエラは既に殺して久しいので、死体すら残っていなかったのである。だが、髪は抜いて保存してあったので……後は適当に、バラバラにした骨や肉に髪を混ぜて肉団子のようにしたものを用意しておけば、ひとまず『リュミエラの死体』が出来上がる、という訳である。
「だが、フローレン嬢は無事だ。安心したまえ」
「……そうか」
ヴィアの言葉に、騎士団長は明らかに安堵した様子を見せる。余程アレットに惚れこんでいるようだ。少なくとも、元婚約者の死がどうでもよくなる程度には。
『アレット嬢も罪なことだ』とヴィアは面白く思いつつ、改めて、騎士団長へ向かい合う。
「さて。君にはこれから、フローレン嬢を救出してもらおう。彼女は神殿の屋根の上に隠してある。見つけ出して保護してやってほしい」
「分かった。……礼を言う」
ヴィアは騎士団長を送り出すと、ぷるん、と体を揺らす。
……事態は動き出した。後は……勇者と、その従者の本性を暴くのみ。
「さて、我々も外へ出ようではないか。また運んでもらおうか!」
……ということで、ヴィアは騎士団の兵士の手の上に戻り、また、運ばれていくのだった。