2人の勇者*4
翌日。一行は神殿の傍までやってきた。するとそこには既に、人間達が幾多、野営していた。
「騎士団長のところの人間じゃないのが居るね」
「ってことは、勇者の一行かね。やれやれ、ここまで長かったぜ」
人間からは見えない距離をとって彼らを観察してみれば、明らかに見覚えのない人間が何人も居る。第二騎士団の増員分かとも思ったが、それにしては、騎士団長に対する行動が不自然なように見える。やはりあれは、勇者側の人間だろう。
「勇者がようやくお出まし、ということは、あの騎士団長は中々の働き者ということでしょうかね」
「まあ、多分。ここ最近だけで2回以上、盗みに入られてるし、それだけでも結構な働き者かもね」
実際、遠くから観察してみただけで、騎士団長が少々疲れている様子が見て取れた。同時に騎士団長はそわそわと落ち着きが無い。余程『フローレン』が心配なのかもしれない。
「……あの様子じゃあ、これ以上待たせちゃ可哀相かな」
アレットは苦笑しつつそう呟くと、隣に立ったヴィアを見上げる。
「じゃあ……ヴィア。よろしくね」
「ええ、こちらこそ。エスコートさせていただきますよ、お嬢さん」
これから2人は、死地へ赴く。不帰の任務となるかもしれないが、上手くやってみせよう、とアレットは意気込んでいる。
自らの役割を、全うするのだ。蝙蝠として。
*
「魔物からの連絡はまだか」
アシル・グロワールが部下に問えば、部下は困ったように、まだのようです、と答えた。
……自分自身でも、部下を困らせている自覚はある。ここ一刻の間にもう何回も、同じ質問をしているのだから。だが、そうせずにはいられない程、もどかしい。いよいよ、勇者が神殿に『神の力』とやらを返したという。魔物達からの要求はこれで満たした。後は、フローレンとリュミエラが返ってくるのを待つしかない。
「殿下。魔物の様子はいかがですか?」
そこへ、話しかけてくるものがあった。……それは、レオ・スプランドールの従者である。従者であり、秘書らしい仕事までしているこの者が、レオ・スプランドールを動かす立場に居ることは分かっている。
何故なら、この従者は王家が勇者の監視のために送り込んだ者だからである。親勇者派……即ち、王家に敵対する立場の内情を報告させるために仕込んだ、いわゆる間者なのだが……王家からの間者としての働きをしつつも、それ以外に『それらしい』行動をいくつも取っていることが判明している。
例えば……どうも、勇者を『親勇者派』の方へ動かしているように見える、など。
それ故に、この勇者の従者のことを、『こいつは今一つ信用できない』と、アシル・グロワールは評価していた。
「まだ魔物達からの連絡は無い」
「それは……困りましたね。リュミエラ様は本当にご無事なのでしょうか。魔物達の罠では?」
「だとしても僅かな望みに賭けるしかないだろう?そちらもリュミエラ嬢は惜しいはずだ」
ぎろり、と相手を睨んでやれば、戦う力を持つでもないただの従者は、たちまち竦み上がった。
「……殿下におかれましても、やはり、リュミエラ嬢のことは、惜しい、と?」
「それはそうだ。国民を守るのが王家の務め。1人でも多く無事である方が良いに決まっている」
言外に『リュミエラのことは最早、ただの一国民としてしか見ていない』と言ってやりつつ、アシル・グロワールはさっさとその場を離れることにした。こちらを探るような態度を取る勇者の従者が、少々目障りだったのだ。
「殿下。しかし、1つご確認して頂きたいことがございまして」
「何だ」
それでも尚、厚かましくやってくる従者を鬱陶しく思いながら足を止めれば、勇者の従者はにっこりと、如何にも親切そうな顔をしてアシル・グロワールへ問う。
「殿下は勇者としての力に目覚められた、ということですが……具体的には、どのような?」
「一々説明してやる義理は無い」
要求を鼻で笑って、適当に風の刃1つを生み出して放ってやれば、それを見た従者は『失礼いたしました』と半歩下がって少々青ざめる。……大方、アシルが勇者への対抗策として、偽りの『勇者』の看板を掲げているとでも疑ったのだろう。浅はかなことだ、と思いつつ、今度こそアシルはその場を去ろうとし……。
「殿下!殿下!ご報告です!魔物がやって参りました!」
「なんだと!?」
そこで部下からの報告を受け、歓喜と緊張が一気に高まる。
「フローレンは?無事か!?」
傍にいる勇者の従者など最早意識の外に捨て置いて、アシル・グロワールはそう、部下に詰め寄ると……部下は、まごまごとしながら答える。
「い、いえ、それが、詳細は分からず……ただ、『人質はこちらが預かっている。神の力の欠片を確認するまでは人質に会わせることはできない。丁重に神殿の前まで私を運びたまえ!』と、こいつが……」
そして、部下がそっと、差し出したものは……。
「やあ、人間諸君。私はヴィアという。見ての通りのスライムだが、今回の伝令、交渉役として抜擢された者だ。よろしく頼むよ。今回の交渉が互いにとって有意義なものになるようにしようじゃあないか」
大きな木の葉の上に乗せられた、握り拳ほども無い大きさの……透明な粘液の塊であった。そして何故か、蝶ネクタイを着けている。粘液が、蝶ネクタイを。
「では早速私を神殿へ運んでくれたまえ。ああ、慎重に頼むよ。うっかりすると踏み潰されてしまいそうだからね!」
色々な意味でまるで理解の及ばない生き物を前に、アシルはただぽかんとし、勇者の従者でさえもぽかんとし……そして、謎の粘液を運ぶ部下は、只々、まごまごとするのであった。
そうして、スライムを運ぶ部下、アシル・グロワール、そしてレオ・スプランドール、という組み合わせで、神殿の内部へ突入することになった。できることなら兵士を全員神殿内部へ入れたかったのだが、『そんなことをされれば私が殺されて終わりだろうからね。拒否させていただこう!』とスライムが言うもので、それは叶わなかったのである。
また、レオ・スプランドールは従者を連れていきたがったのだが、それもまた、スライムによって拒否された。勇者を2人も招き入れるのに、それ以上の譲歩はできない、と言われてしまえばそれまでである。
「ふむ、人間に運ばれるというのは奇妙な感覚だな。まあ、悪い気分ではないがね」
スライムはこの場で唯一、妙に上機嫌な様子であった。一方、アシルをはじめとした人間一同は、このよく分からないスライムに対し、どう扱ってよいものか、測りかねている。これが人間同士の交渉であるならばいくらでもやりようは分かるのだが、何せ、魔物相手である。どのように振舞えばよいのか、まるで分からない。
「……何故、蝶ネクタイを?」
結果、自分でもよく分からない質問を投げかけることになってしまった。だが、悪くない質問だろう、と思い直す。相手が雑談に興じることができる程度の知能を持ち合わせているのか、どの程度狭量なのかをこれで推し測ることができるのだ。
「うん?これかな?これは人間の正装だと聞いたのだが、違ったかね?」
……そして、スライムからはあっさりと、そういった答えが返ってきた。
違わない。これが正装の一部であることは間違いないが、スライムが蝶ネクタイを身に着けるなど聞いたことが無い。相手が雑談に興じる程度の知能や寛容さを持ち合わせていることは分かったが、それ以外のことが益々分からなくなった。
「ふふふ、これは人質のお嬢さんに作ってもらったものだ。あの、黒髪の彼女は手先が器用だね。それでいて、中々肝も据わっている。立派なお嬢さんだ」
だが、スライムが続けた言葉に、アシルははっとさせられる。
「フローレンは無事なのか」
「勿論。魔物は誇り高き戦士にはそれ相応に敬意を払う。あの黒髪のお嬢さんは立派な戦士だ。我々も彼女に敬意を表して、丁重に扱っているよ」
スライムの答えを聞いて、アシルはほっとする。
フローレンの柔軟で器用な性質は、人質としても上手くやる材料となったらしい。ひとまずフローレンが無事であるらしいことを聞けて、アシルは幾分、落ち着いた。
「なら、リュミエラは?リュミエラはどうした?」
続いてレオ・スプランドールが問えば……スライムは、ぷるん、と一度震えてから答える。
「ああ、あの金髪の方かい?あれは駄目だね。まるでこちらへの敬意というものが感じられない。居丈高ではあるが、それに伴う能力があるわけでもなさそうだ。まあ、それなりの扱いをさせてもらっているが……当然だろう?何をそんなに怒っている?」
スライムの表情などまるで分からないが、あまり機嫌が良さそうではない。リュミエラはそういった態度をとっているのだろう。
公爵家の娘として、幼いころから丁重に扱われてきたリュミエラだ。人質としての扱いに適応できなかったのだろうということは想像が付く。アシルは小さくため息を吐いた。
「だから、まあ……殺すとしたら、先に殺したいのはあの金髪の方だね。我々としても、ほとほと手を焼いている。こんなものを攫うべきではなかった、と思っているとも……」
しゅん、としょげたように粘度を失ったスライムは、てろり、と木の葉の上に広がり、それを支えていたアシルの部下を益々慌てさせた。そして同時に……レオ・スプランドールをも、大いに慌てさせたのである。
「こ、殺すだと!?おい、リュミエラを殺すつもりなのか!?」
「勿論、交渉が決裂しなければ、生きたままお返ししよう。しかし、そちらに神の力の欠片を返還する意思がない場合や、こちらに危害を加えた場合、当然ながら交渉は決裂、となる。……その時には、人質共を殺さなければならないだろうね」
一方のスライムは『何を当たり前のことを』とばかり、落ち着いて答えているのだが……レオ・スプランドールは落ち着いてもいられないようだ。
「まあ、落ち着きたまえ。そちらがきちんと我々の交渉に応じてくれるのであれば、何も問題は無いのだからね」
スライムの言葉に、レオ・スプランドールは黙って俯いた。……その様子を見て、アシルは、ふと、『もしや』と考えたが……。
「さあ、いよいよ神の御前に到着だ。……さあ。それでは約束通り、ここに神の力の欠片を返してもらおうか」
これ以上考える時間はなさそうだ。スライムとスライムを運ぶ部下、そしてアシルとレオという2人の勇者。それらが皆、神殿の祭壇前に集まってしまった。
「……おい、レオ・スプランドール」
動こうとしないレオ・スプランドールに声を掛ければ、彼は思い出したように懐に手を入れ、中から赤い宝石を取り出した。手の平程度の大きさの、美しい宝石だ。
それを惜しそうに一瞥して、勇者が魔物の神の祭壇へと向かう。……そして、祭壇の上に、コトリ、とその石を載せた。
「よし。確認しよう。私も祭壇の上に下ろしてくれたまえ」
そこへスライムも降ろされて、そこでスライムは美しい宝石を確かめ始めた。……だが。
「む……?」
早速、怪訝な声を発すると、それから、しげしげと、宝石を見て回り始める。アシルが危惧した通りのことが起きているのか、と、一気にアシルは緊張し……そして。
「……そちらの勇者に1つ聞きたいのだが」
スライムは、静かな声で、言った。
「本当に、これが、この神殿から持ち出した宝石か?」
「ああ。そうだ」
レオ・スプランドールは堂々と答えるが、スライムは訝しむように唸る。
「この宝石はどこにあった?」
「祭壇の奥の隠し通路の奥だ。壁を壊していったらこれが見つかった。火が噴き出て何人か死んだが……」
スライムは『なんと下品な解き方だ……』と感想を漏らしつつ、先程までの友好的な様子はどこへやら、空気を張り詰めさせて、再度の質問をする。
「……この宝石に、何をした?この宝石からは、魔力が抜き取られているようだが」
「魔力が……?」
レオ・スプランドールは戸惑う様子を見せる。本当に何も知らないのだろう。
だが。
「……これが最後の機会だ、勇者君。さあ、神の力を返せ。それができないなら、人質は殺す」
交渉相手は、無慈悲であった。