2人の勇者*3
「私は召使いでした。ある貴族の男の。……その男は、自らの功績欲しさに魔物の国へやって来たのですが、頭も悪ければ要領も悪く、ついでに臆病で、どうしようもない男でね。……まあ、自らが魔物と戦うことなく、召使いに銃を持たせて魔物を殺させていたのですよ」
「つまりあんたは魔物を殺していた、ってことかい」
「ええ」
ヴィアは特に罪悪感も無く、答える。魔物となった今は当然、魔物達を殺すことは無い。だが、当時は人間であり……人間からしてみれば、魔物を殺すことは当然のことだった。人間と魔物、両方の意識が混ざり合ってできているヴィアは、その辺りの感覚が少々、客観的に過ぎるのかもしれない。
「ま、それはそうだろうね。別に、そこをとやかく言うつもりは無いよ」
そして、ベラトールもまた、少々複雑そうな顔をしつつも、やはりヴィアなりの感覚を理解してはいるようだった。それにヴィアは安堵しながら、話を進めていく。
「……そんな生活に疑問を抱かなかった訳ではありません。常々、自らの主君が如何に劣った人間か、目の当たりにしていましたからね。そしてその尻拭いをさせられるのは、召使いである私だった。ですが、そんな日々を耐え凌ぐことができました。私には不運ばかりが訪れていたわけではない。幸運もまた、等しく訪れていたのですよ」
「へえ」
興味があるのか無いのか、今一つ分かりにくいベラトールを相手に喋るのは少々恥ずかしいような心持ちであったが、ヴィアは意を決して、言うことにする。
「……私は1人の女を愛しました」
……相変わらず、ベラトールの瞳は穏やかで冷静で、その横で愛を語っていることが妙に滑稽な気もしたが、ヴィアは開き直ってしまうことにした。
「名を、メルラと言いました。雨のような銀の髪を揺らし、海のような青い瞳を細めて……私の前で、よく、水を操っていました。水と踊るように戯れる彼女の姿に私は一目で惹かれ……」
「ちょ、ちょいと待ちな」
開き直ったヴィアの一方、ベラトールは困惑した。
「その……その女、ってのは、人間じゃなかったのかい?」
『水を操る』というのは、即ち魔法を使ったということに他ならないだろう。だが、当然ながら人間は、一部の例外を除いて魔法を使うことが無いのだ。……そう。一部の例外を除けば。
「……まさか」
「ええ、その通り。彼女は確かに人間であり……同時に、人間から忌み嫌われる存在でした」
そして彼女……メルラは、その『一部の例外』であった。
「魔力持ちの人間は、魔物として人間に忌み嫌われる。……そういう意味では彼女もまた、魔物だったのかもしれませんね」
「メルラは魔力持ちであったことで、魔物の国へ逃れてきた人間でした。……魔物の国へ自ら志願してやってくる人間の一部は、彼女のように魔力持ちであるがために人間の国を追われてきた者達なのです」
「へえ……私は見たことが無いけれどね」
「まあ、そう多いものでもありませんから。ですが……西の研究施設を潰した際には、魔力持ちの子供が居ましたよ。まあ、あれは大方、研究に使われていたのでしょうがね」
ヴィアは西の神殿に到着する少し前のことを思い出しつつ、こぽりと頭部に泡を浮かべた。あの時はさっさと食べてしまったが、懐かしさを覚えなかったわけでもない。一滴も零さず血を飲み干したのも、『彼女』と似た生き物を食らう際の矜持のようなものであったのかもしれない。
「……まあ、メルラも同じように、人間の国を追われて出てきた者でした。魔物の国へ来てしまえば、身元は案外分からなくなってしまうものですし、そもそも人間の国での身分もさして関係がない。……それに何より、死んでしまえば王子も乞食も同じ肉ですからね」
「それは間違いないね」
ベラトールとヴィアは顔を見合わせて互いに笑い……そして、先に口を開いたのは、ベラトールだった。
「それで、そのメルラっていう娘は、なんで殺されたって?」
ここでヴィアは少々口を噤んだ。あまり話していて愉快な話ではない。未だ、思い出せば憎悪が腹の底から湧き上がってくるような、そんな思いがする。
「私の主人であった無能に殺されましたよ。『魔物狩り』として、ね」
「奴らには美しいものを美しいと感じる心が無いのです。知っているものか、知らないものか。或いは、自らの理解が及ぶか及ばないか。それが奴らの感性に直結しています。どんなに美しくとも、未知のものであれば恐ろしいと感じる。人間とはそういう生き物であるようなのです」
かつて人間であったころを思い出しながら、ヴィアは人間について語る。
……今になってより強く思うが、ヴィアは人間達の中でも異端であった。未知を、神秘を恐れると同時に、美しいと、確かに思った。それは他の人間達の多くには理解できない感覚であったのだろう。当時のヴィアが人間達の中で、自らの感性について語ることを自然と避けるようになっていったのも、異端と思われ排斥されることを避けるためであった。
人間は弱く、共同体としてまとまっていなければ生きていけないのに、分裂したがり、排斥したがる。人間達の中で『美しい』と言っても許されるものは、他の人間達もが『美しい』と言うものだけだったように思う。
「まあ、そういうわけで……メルラは、魔法を隠して女中として働いていたのですがね。ある日、火事を消すために魔法を使ったのを咎められまして。更に、私の主人であった男の『魔物狩り』の功績稼ぎのために殺されました」
今も鮮明に思い出せる。
無実を訴えるメルラ。メルラに救われたはずなのにメルラを糾弾する者達。そして、銃声。
メルラの細い体が血に染まり、それを見て、自らの主人であったあの愚か者は……『醜い魔物を1匹殺してやったぞ!』と、狂喜したのである。
そしてその場でヴィアは主人に食って掛かり、『人間を殺した罪』を主人に問うた。だが、主人も、周囲の人間達も、誰もが『これは魔物殺しである』と言って笑った。メルラがヴィアとの結婚資金に、と貯めていたささやかな金を誰がどう分けるかを楽し気に相談し始めた。メルラの死体を蹴って嘲笑った。
……そしてヴィアは、恋人の仇となった主人へナイフを向け……あっさりと、銃で撃ち殺されたのである。
人間であったヴィアは、その時に死んだ。『あいつも魔物だったか』とせせら笑う人間達を見ながら。『あいつは魔物であったから殺したところで罪ではない』などと言い合う人間達を見ながら。そして、人間へ救いの手を差し伸べたばかりに殺された恋人の姿を見ながら。そうしてヴィアは、死んだ。
自分が『魔物だ』というのであれば、魔物にでも何にでもなってもいい。だから、どうか、愚かな醜い人間共に、死を。可能な限り惨たらしい未来を。そう、何よりも強く思いながら。
「だから私は人間共を殺したい。皆殺しにしなければならない。あのような、狂った奴らなど」
ヴィアはじわじわと、怒りに満ちていく。憎悪は深く、慚愧は激しく。恋人も自分も魔物だというのであれば、人間共への義理など欠片も無い。何もかも奪われた以上、何もかも奪ってやりたい。それが許されないのであれば、一体、何のためにメルラは死んでいったのか。
恋人への愛おしさは、全て憎悪へと変換された。恋人によって支えられていた人生は、彼女を殺した愚者達への復讐心を新たな支柱とした。気が狂いそうな憎悪が、ヴィアを今も生かし、動かしている。
……だが。
「……見てみたかったね。その、メルラって娘。綺麗だったんだろう?」
憎悪と怒りと喪失感に囚われかけたヴィアの意識を引き戻したのは、ベラトールの言葉だった。
『綺麗だったんだろう?』と。幾分唐突なその言葉を聞いて、ヴィアは怒りではなく、幸福を思い出す。
「ええ。それはそれは、とても」
「聞かせてくれるかい。その娘がどんな奴だったか」
……不思議なもので、さっきまでヴィアの頭にあったものは、憎い人間達の顔であった。ヴィアやヴィアの愛するものをせせら笑い、嘲り、破壊する者達の顔であった。だが……。
「当時の集落の近くには小さな池がありましてね。まあ、井戸ができてからは誰も使わなかったので、そこがメルラお気に入りの休憩場所でした。池のほとりで水を操り、空を舞う水の蝶や小鳥と戯れるメルラは……本当に、美しかった」
今、こうして改めて思い出してみると、脳裏に浮かぶのは、生きていた彼女のことばかりである。
生き生きとして、輝いて、美しかった。心から惹かれた。それを思い出して、ヴィアはこぽ、と泡を揺らす。
「ふふ、実は、私がスライムになった時、然程嫌ではなかった理由の一つが、メルラが水使いであったことなのです。水を操る彼女の美しさはよく知っていましたからね。彼女に操られ、宙を舞っていた水に近しい姿になったというのなら、多少、救いがあった。彼女に少し、近づけたような気さえした」
……こうしてヴィアは、ようやく気付く。
メルラという、世界一愛おしい存在を喪って、生きる意味をも失ったと思ったが。
メルラを殺された恨みと人間への憎悪だけが、自分を今も生かしていると思ったが。
……だが、ヴィアの奥底では今も、メルラへの愛おしさが息づいていた。根底では今も、メルラがヴィアを支えていた。
「ああ、懐かしいな。彼女は私に笑いかけ、宙に浮かべた水の端で私の頬にキスをした。夏の夜には池のほとりで蛍を眺め、秋には色づく木の葉を愛で、冬には寄り添って温め合い、春になれば春風ごと、腕いっぱいに抱きしめてくれた」
思い出せば、いくらでも思い出が溢れ出てくる。人間であったころの記憶は大分薄れてしまったと思っていたが、それでも尚、色鮮やかに彼女のことが思い出された。
「……本当に、愛してるんだねえ。全く、『ご馳走様』ってところだ」
そんなヴィアを見て、ベラトールは呆れたように笑った。『愛していた』ではなく、『愛している』と、そう、ヴィアを称して。
「ええ……本当に、愛しているのです。人間では無くなっても、人間を滅ぼす立場になっても、憎悪が私を突き動かしていても、それでも、今も、ずっと」
自分を突き動かすものは、間違いなく人間への憎悪だ。しかし、自分を支え、崩れないようにそっと守っているものは、間違いなく、死んだ恋人への愛おしさなのである。
そう確認して、ヴィアは何やら救われたような、安堵にも似た気持ちになる。
……久しぶりの感覚であった。それこそ、魔物になってからは、初めて味わう感覚であったかもしれない。
「ねえ、ヴィア。あんたは人間を愛しているのに、人間を殺しちまっていいのかい?」
それからふと、ベラトールがそう、尋ねてくる。少々ヴィアの様子を窺うような、そんな気配を感じ取ってヴィアはこぽこぽと頭部で泡を蠢かせた。
「ええ。どうか勘違いなさらないで頂きたいのですが……私は彼女が人間であったから愛したわけではありませんでした。しかし、人間達のことは……人間達であるからこそ、あの人間特有の性質こそを、憎んでいるのです。ですから、人間を殺そうという気持ちに変わりはありませんよ」
ヴィアははっきりと答えた。ベラトールを安心させるためでもあり、改めて自分自身とメルラに誓うためでもある。
「ですから、ご安心を。交渉は必ずや、成功させますとも」
……明日。ヴィアは勇者と対面することになるだろう。そしてそこが、一世一代の大舞台だ。
人間であったころに興じていたカードゲームの駆け引きのような、そんな状況である。こちらの手札はアレットのみ。対して、相手が要求しているのはアレットの他、既にこの世に居ないリュミエラだ。更に、勇者が持っているであろう他の神殿の情報をも、引き出さなければならない。
手札を見破られないように立ち回り、どこまで相手の掛け金を吊り上げさせ……そして、どうやって、アレットを逃がすか。そこが、ヴィアの腕の見せ所である。
「それならいいさ。まあ、元より大して心配はしてないけれどね」
「おやおや。そんなに期待されているのであれば、益々力が入るというものです」
……新たな仲間に応えるため。そして、自分自身と、最愛の存在に報いるため。ヴィアは必ずや、明日の交渉を成功させなければならないのだ。
「……ところで」
「はい」
ヴィアが意気込む中、ふと、ベラトールが尋ねてきた。
「あんた、私やアレットのことを美しいだのなんだの言うけどね。仮にも恋人が居るってんなら、もうちょっと義理立てしてやったらどうなんだい」
……その瞬間、ヴィアは思い出す。
メルラは多少、やきもち焼きであったなあ、と。ついでに、妬く姿が少々可愛らしくて、ついついそれも愛でてしまうような、そういう存在であったなあ、と。
「……まさか、妬かせたいってんでもないだろ?」
「え、ええ!勿論!誓って、そのようなことは!」
だがベラトールにじっとりと視線を向けられて、ヴィアはすぐさま、ぴゃっ、と姿勢を正した。恋人の嫉妬心を喜んでなどおりません、と表明すべく。
「なら、誰彼構わず美しい美しいって言うのはどうなんだい?」
「いえ、それは出来かねます。私の信条に反する!」
そして、その中でもヴィアは、持論をしかと主張するのだ。
「ベラトール嬢やアレット嬢がお美しいことは真実でして……そもそも、美しさに優劣があるわけでもありませんし。こう、ベラトール嬢の、自然な、それでいて荒々しく鋭い美しさはそれとして、アレット嬢の、可憐ながら月夜のような妖しさを兼ね備えた美しさもそれとして……メルラの美しさは、こう、透き通って、煌めいて、無垢な美しさであって……美しいものは全て褒め称えられるべきであるというのが、私の信条でして……!」
「……つくづく分かんない奴だねえ、あんたも……」
「えっ?えっ?私、そんなにおかしなことを言っておりますか?」
ヴィアが語ると、ベラトールは呆れたようにため息を吐く。それにヴィアは、またおろおろすることになるのだった。
……そうして戸惑うヴィアを見て、ベラトールは深々とため息を吐きながら、思う。
まあ、これほどまでに美しさを真っ直ぐ褒め称え、愛を告げてくる生き物が身近に居たなら……そして、その生き物は死して尚、その愛に報いようとしているのなら。そのメルラという生き物もまた、それなりに幸福だったのだろうな、と。




