2人の勇者*2
一行の出発は翌日となった。何故なら、ヴィアが落ち着くまでに少々時間がかかりそうだったので。
「あの、ヴィア。大丈夫?」
「う、うーむ……まだ少々、片付いていない部分があるようですが……まあなんとか。動けますよ」
ヴィアは、自分ではない自分を大量に吸収した結果、記憶が混濁しているらしかった。この辺りの感覚はスライムにしか分からないところであるので、他の者達はただヴィアを気遣うことしかできないが……『自分ではない自分』が大量に居て、それが一つに戻る、という状況を想像してみれば、何とも頭の痛くなるような思いである。
「う、うう……私を投げたのがアレット嬢で、ベラトール嬢がそれを捕まえ……いや、逆……?」
「私もアレットも投げたけどね。パクスと勘違いしてないかい?」
ヴィアは普段よりゆっくりした速度で動きつつ、記憶を整理しているらしいのだが……やはり記憶が混じり合い、上手く整理できていないらしかった。
「2番目の無能の家に居たのは、金髪が美しいメイドであったか、はたまた、赤毛の女性騎士であったか……ううむ」
ヴィアは終始この様子で上の空なのだが、躓いて転ぶようなことは無かった。なぜなら彼はスライムなので……木の根に脚が引っかかろうものなら、そのままぬるんと変形して、脚が木の根をすり抜けていくのである。おかげで事故も特になかったが、ヴィアの上の空ぶりに一行は少々、調子の狂う思いであった。
午後になれば、ヴィアはいよいよ正常な状態に戻ったらしい。記憶の整理整頓も大半が終わり、魔物達は通常通りの速度で進むことができるようなった。
「なあ、ヴィア。あんた、小さいのを吸収した後って、いったいどういう感覚なんだい?」
「自身の中に別の自身が居るような感覚、でしょうか。自分が複数ある、といいますか……まあ、とにかく落ち着かないものですね」
「へえ……聞いてもよく分かんないね」
ヴィアの言葉を聞いてみても、やはり、彼の感覚は分かりそうにない。一行はあれこれとヴィアに尋ねては、『ふーん』と興味深く頷き、また新たな質問をし……ヴィアを質問攻めにしつつ、進む。
途中で数度、休憩や野営を挟みつつ、人間には決してあり得ない速度で一行は進み……そして。
「……っと。そろそろ南の森の端か」
「そうだね。植物がそんなかんじ」
いよいよ、一行は南へと帰って来たのであった。
「少し離れてただけだってのに、懐かしいね」
「あはは。そういうものだよね」
南の森の中へ入ってすぐ、ベラトールが何とも不思議そうに言うのを聞いてアレットはにっこり笑う。南の方で生まれ育ったらしいベラトールにとって、やはりこの森は『懐かしい』ものなのだろう。
「私も王都に戻ったら、懐かしい、って思うかな……いや、それより先に憎悪が来そうだなあ」
アレットは王城の変わり果てた様子を思い出して、そっと考えに蓋をした。……王都は人間による侵略と破壊の形跡が強い。その分、懐かしさではないものを感じることになるだろう。
「……あっ、ヨモギ」
考えを振り払うべく、アレットはその辺りに生えている草から茶に向くものを見つけ出し、採取していくことにした。考えたくないことがある時は、別のことを考えればいい。茶のことを考えていれば、自然と、王都のことを意識の外へ追い出せる。
「また茶の材料かい?熱心だね」
「えへへ。……もしかしたら人間の国へ行くことになるかもしれないし。その時には多少、こっちのを持っていきたいから……あっ!月夜樺!ごめん、皆!ちょっと根っこを採取してから追いかけるから先に行ってて!」
「……それ、人間に飲ませても大丈夫なやつかい?50歳未満の子供には禁止だろう?」
「あ、うん。だからまあ、人間に飲ませるには丁度いいかなって……」
……ということで、アレットは早速、青白い樹皮を持つ木の根元を掘り返し始めた。アレットは『先に行ってて』と言ったが、皆、アレットの作業を興味深く見守り始めてしまった。
「あー、それ、美味しいんですよねえ。冷たくて、甘くて……なんか、ぽわーん、として……」
「中毒性があるからな。子供には禁じられた大人の味、って奴だ。……一応、ヴィアもやめとけ」
「そ、そうですか……私も魔物としてはまだまだ子供です。人間の年齢も足せば30を超えるのですが」
「30?まだまだガキじゃないかい。生意気言ってるんじゃないよ」
アレットの後ろで皆が好き勝手言いつつ、白い根っこが掘り起こされて採取されていくのを見守る。ついでにソルが『これ美味いよな』と手近な野草を採取し始めたり、ベラトールが『この石は投げやすそうだね』と石を集め始めたりして、結局、一行はその場で休憩となる。
「……ついでにお茶、淹れようか」
「おお!では、私も」
「ヴィアの分は月夜樺無しで作るね」
ヴィアにはまだ、月夜樺は早い。魔物の子供達は皆、多かれ少なかれ月夜樺や胡蝶楓に興味を持つものだが、それでもしっかり線引きするのが善い魔物というものである。アレットがにっこり微笑めば、ヴィアは『おおお……』と、何とも言えない声を上げるのだった。
そうして茶で休憩しつつ歩を進め、いよいよ明日には南の神殿へ辿り着くだろう、というところでの……夜。
「いやはや、実についている!2晩連続で美しいお嬢さんと共に夜の見張り番とは!」
「あんた、やっぱり1体に戻ってもうるさいねえ……」
見張りはベラトールとヴィアとに任された。この面子の中で夜目が最も利くのはアレットだが、次点はベラトールである。そして、ヴィアはそもそも視界というものをほぼ持たずに周囲の様子を感じ取るスライムである。お互いに感じ取るものが異なる両者であることもあり、夜の見張りの組み合わせとしては悪くない。
「やはり美しいものは讃えてゆかねば!それが私という生き物の、魂の根源なのですから!」
「はいはい、大層な魂だね……」
いつも通りのヴィアの様子に少々辟易した様子を見せつつ、ベラトールはゆったりとその場に座る。今宵はよい月夜だ。風も無い。見張りには丁度いい日であった。
そうしてベラトールが座った横に、『失礼』と断りを入れてからヴィアも座る。アレットが眠りに就く前に淹れていった茶のカップを手に、2人はゆったりと、それでいて油断なく、見張りを始めることになる。
森の中は人間にとって視野の悪い場所だ。その点、ベラトールは森によく慣れており、ヴィアは視野に頼らない索敵ができる。然程緊張しておらずとも、人間相手には十分に地の利があると言えるだろう。
「……1つ、聞いてもいいかい」
「ええ、ええ。何なりと!」
そんな折、ベラトールはその瞳を月光に光らせながら、ヴィアに尋ねた。
「何があったんだい、人間だったころ」
「……裏切られ、殺されました。それだけのことです。あまり面白い話ではありませんよ」
「面白かろうが面白くなかろうが、判断するのはあんたじゃなくて私だろう?」
ヴィアは言い淀んだが、ベラトールは食い下がる。それにヴィアは少々戸惑った様子であり、咄嗟に何かを言い返すことも無かった。……そんなヴィアを見て、ベラトールは一旦、一歩引くことにした。
「ま、内容がどうであれ、できることなら聞いておきたい、と思ってね。あんたか私か、どっちかはここらで死にそうだから」
そう言って次に何を言うべきか考えていると、ベラトールより先に、ヴィアが、少々おずおずと聞いてきた。
「……だからこそ、喋らずに死んだ方がよいのでは?」
「そうかい?私はそうは思わないけれどね。どうせ弔われやしないんだ。墓だって作られないだろう。勿論、それでいい。それでいいけれどね……残るものが多少なりとも、あったっていいとは思わないかい?」
ヴィアの反応があったことを嬉しく思いつつ、ベラトールは語る。それはある種の自暴自棄であり、ある種の覚悟であり……戦士としての、魔物としての、共同体の一員としての誇りである。それでいて同時に、個としての、ささやかな望みでも、あった。
「寂しいだろう。残された者達が」
「ああ……貴女は……いえ」
ヴィアは何やら口籠りながらも、ぼそぼそ、と、『自分のためではなく、仲間のために、残りたがっているのですね』と呟く。その微かな呟きはベラトールの耳によって拾い上げられたが、ベラトールはそれについては何も言わず、ふう、と息を吐いた。
「……まあ、無理に、とは言わないよ。私だって、弟分や妹分のことを思い出すのはちょいと辛い」
「ああ……そう、ですね。ええ、私の場合、思い出すのが辛い、というような経験でも、無いのですが……」
ヴィアは指を組んで膝の上に乗せると、迷うようにその指を動かした。所在なげに動くその指……或いは、ただの粘液を指の形にしている手袋を眺めてベラトールはヴィアの答えを待つ。
……そうして、ヴィアはようやく、覚悟を決めたらしかった。
「……まあ、いずれ死にゆく者として、美しいお嬢さんの記憶の片隅に住まわせて頂けるという栄光を頂けるなら、そうしましょう」
少々おどけてそう言うヴィアには、先程までの迷いは見受けられなかった。吹っ切れたんなら何よりだ、とベラトールは笑う。
「よしきた。私とあんた、生き残った方がもう片方のことを覚えておくことにしようじゃないか」
「ははは、できることなら貴女が死ぬところは見たくないものですが」
「勝手な奴だね」
「少々卑怯なようですが、男の美学、というやつですよ」
軽口を叩き合いつつ、ヴィアはふと、静かに月を見上げて……そして、ぽつり、と話し始める。
「……私を殺した相手は、当時の私の雇い主であった男と、その側近でした。私は奴らの不正を正すべく動き……奴らに撃たれて殺されたのです」
ヴィアの言葉にベラトールは首を傾げる。
「不正、ねえ」
人間達のやり方は、ベラトールにはよく分からない部分も多い。分かる部分についても、なんと非合理な生き物だろう、と思うことが多い。そんな人間達の話を聞いていても、『不正』と言われてすぐに答えが思い浮かぶ訳がなかった。
「……まあ、簡単に言ってしまえば」
そんなベラトールに、ヴィアは少々気まずげに、言った。
「私が愛した女を、殺されましたので」