2人の勇者*1
*
「勇者様が到着なさいました!」
部下の報告を受けて、アシル・グロワールは立ち上がる。
……ここ数日の間で、反勇者派と親勇者派の力関係は大きく変わった。親勇者派の中枢を担う人物が2人消え、そして、反勇者派内で足を引っ張る者が数名消え……少なくとも魔物の国の中では、形勢逆転、といった様相を呈してきている。
だが、勇者はそれを知らない。知らずに今、アシル・グロワールの出した要請文に渋々従ってここまでやってきている。
薄く笑みを浮かべて、アシル・グロワールは執務室を出た。階段を下り、広間に出て……そこで、過去の恋敵の姿を見つける。
「久しいな、レオ・スプランドール」
名を呼べば、『勇者』は神に選ばれし者特有の青い瞳でじっとアシル・グロワールを睨み……そして、気づいて、愕然とした。
「……その、瞳は」
「ああ、これか?先日、こうなった」
アシル・グロワールは『勇者』の困惑と驚愕、そして何より、そこに微かに見える恐れを存分に楽しみながら、何ということも無いように振舞う。
「どうやらこちらも、勇者として神に選ばれたらしい」
そして右の手に風の刃を生じさせてそう言えば、いよいよ、『勇者』レオ・スプランドールは、青ざめるのだった。
そうして2人の勇者は卓に付いた。運ばれてくる茶はよい茶葉を用いたものなのだろうが、フローレンが淹れたような温かみも優しい甘みも感じられない。……フローレンが淹れた茶を飲んで以来、どうにも他の茶を美味いと思えない。
だが、そんな思考は一切見せず、完璧な所作でティーカップをソーサーに戻して、アシル・グロワールは早速、用件を切り出す。今や、一分一秒が惜しい。
「貴殿に至急、ここまで来てもらったのは他でもない、リュミエラ嬢のことだ」
そう切り出すと、レオ・スプランドールは顔を顰めた。
「……彼女を返せ、と?」
リュミエラを奪ったという自覚はあるのだろう。うしろめたさと開き直って生まれた反感とを見出して、アシル・グロワールはため息を吐いた。
「いや。『彼女を取り返してきてもらいたい』という要請だ」
だが、そう言ってやれば流石の『勇者』も、つまらない嫉妬心故にこんなことを言っている訳ではない、と理解できたらしい。
「取り返す……誰から?」
「魔物達だ」
更にそう続ければ……レオ・スプランドールは愕然とし、次いで、激高する。
「な……何故奪われた!?ここは多くの兵が守っていただろう!?」
「侯爵家の私兵は全滅した」
「では、第二騎士団は何をしていた!?」
「南にある、邪神の神殿を探索していた」
恐らく、レオ・スプランドールは次に『何故お前はこの場を離れたのだ』と問うてくるつもりだったのだろう。……だが、フローレンをも奪われたアシル・グロワールは容赦しない。
「邪神の神殿を見に行ったという貴様が、それ以降戻らず、音沙汰も無くなったのでな。仕方なくその調査に赴いていたのだ!」
先んじてそう吠えてやれば、レオ・スプランドールはいよいよ青ざめる。自らの失態が巡り巡って自らの婚約者を危険に晒したという事実を、彼はようやく知ったのである。
「……それじゃあ、リュミエラは」
「魔物は人質の解放と引き換えに、『勇者が持ち去った神の力を南の神殿へ戻せ』と要求している。……心当たりがありそうだな?レオ・スプランドール」
フローレンを救い出す手立てをいよいよ見つけたかもしれない。その気持ちは焦りとなり、わずかな安堵となり……それでいて、未だ、達成感にも高揚感にもつながらない。
憎い相手を追い詰めたというのに、爽快感はあまり、無かった。この先に、今だ囚われの身である愛しい存在が居るために。
それからしばらく、レオ・スプランドールの供述を聞いて、アシル・グロワールはため息を吐く。
……どうやら、レオ・スプランドールは邪神の神殿から1つ、宝石を持ち出してきたらしい。赤い色をしたそれを見せられて、いよいよ、アシル・グロワールはため息を吐く。
「こんなものを何故、持ち出した」
「宝石を持ち出すのに理由が必要なのか?」
レオ・スプランドールは遠回しに『金の為』と言っている。だが、それが真実であるとは思い難い。何せ、邪神の神殿に祀られていたという宝石だ。何か裏があるに違いなく、以前、フローレンが危惧していた『勇者は邪神に魅入られたのではないか』という内容と照らし合わせても、やはり違和感がある。
……そして何より、邪神の神殿がただの宝石を祀るようにも思えない。だが、今、目の前に提出された赤い宝石からは、特に何の力も感じられなかったのだ。
アシル・グロワールは勇者として選ばれて以来、目に見えない力に敏感になった。何か、魔物の魔法に関係するようなものがあれば敏感にそれを感じ取ることができ、魔法が使われようとしていれば、それを察知することができた。
だが、レオ・スプランドールが机の上に出した宝石からは、それらしい力がほとんど感じられなかった。
元々そういったものなのか、或いは……。
「……この宝石を既に何かに使ったか?」
「いや、そんなことは……」
レオ・スプランドールは相変わらず青ざめ、何をどうしていいのやら困り果てているようであった。それもそのはず。レオ・スプランドールは元々が平民の出である。学があるわけでもなく、政治の世界を渡り抜いていく力は本人には無い。
そんなレオ・スプランドールを『勇者』として祭り上げて王家であるグロワール一族へ対抗する一派が親勇者派であるが……あまり賢くない『勇者』をどのように動かすか、親勇者派の者達が頭を悩ませている様子は度々、目にすることができた。
そんな勇者レオ・スプランドールには直属の秘書が居るはずである。しかし、今は席を外させているため、レオ・スプランドールはあらゆる判断を自分1人で行わなければならないのだ。
「……レオ・スプランドール。『同じ』勇者として要請する。邪神の神殿に『神の力』とやらを全て戻し、そして、リュミエラ嬢と我が部下フローレンを救出してほしい」
アシル・グロワールがそう言えば、いよいよ困窮した様子でレオ・スプランドールは視線を彷徨わせる。
「……要請ではなく命令の方が良ければそうするが?」
「い、いや……分かってる。やる。リュミエラが、助かるなら……」
だが、再び迫れば了解の意思を引き出すことができた。後からごたごたと文句をつけてくるかもしれないが、今はこれでいい。
「分かった。今回は私と第二騎士団も同行しよう」
レオ・スプランドールは厭そうな顔をしたが、拒否はできない。当然だ。勇者であろうが、腹の内で王家への謀反を企てていようが、今は王国の民である。王家の者に逆らえる立場ではない。
それに加え、『第二騎士団も』と加えたことにより納得しやすくもあったのだろう。何せ、第二騎士団の副団長は親勇者派、言ってみればレオ・スプランドールの配下だ。味方が居るなら悪くないだろう、と妥協する材料になったはずだ。
……だが。
「分かった。ならば翌朝6時、早速出発しようではないか。ああ、それと……第二騎士団だが、人員の半数程度が減ってしまったのだ。然程人数は多くない。気負わなくていいぞ」
そう言ってやれば、レオ・スプランドールはきょとん、とする。
「……愚かにも、俺を殺そうとした者達が居たものでな……全員、既に処分してあるが、その分、随分と人数が減ってしまった」
だがそう続けてやれば、いよいよ、自分の状況が分かってきたのだろう。後悔の色を表情に過ぎらせ始めた愚かな『勇者』を眺めて、アシル・グロワールは笑った。
……婚約者を奪い、国の転覆を謀り、そして、間接的にフローレンを危険な目に遭わせた愚か者。レオ・スプランドールをいよいよ処分するために、動く時がやってきた。
*
その夜。
一行は東の神殿から南へと戻る際、可能な限り、小さなヴィア達を回収していくことになった。
だが、回収できたのは当初放った内の半数程度である。『死にそうだ』と報告を受けたこともあれば、『1匹死んでいるのを見つけた』と他のヴィアから報告があったこともある。人間に見つかってしまえば、か弱いスライムはどうすることもできない。下手を打てば簡単に死ぬ。それがスライムの運命なのだ。
……しかし。それは、さておき。
「只今戻りました!」
「我らの働きはいかがでしたか?」
「スライムも中々、悪くはないでしょう!」
……戻って来た小さなヴィア達は、大層、煩かった。その煩さたるや、パクスが『すごいな!こいつらうるさいな!』と驚くほどである。数が集まるとヴィアもパクス以上に煩くなるようであった。
「さあ、アレット嬢!よく働いたスライムに褒賞を!」
「あはは、お疲れ様。何が欲しい?お茶?」
だが、その一匹一匹は小さなスライムである。その身を危険に晒しながら健気に働いてきた小さなヴィアを手の中に掬い上げながら、アレットは微笑む。つるん、ぷるん、としたスライムの体は中々手触りがよく、大きさも丁度、手の中に収まりがよいのだ。
「いいえ、いいえ!どうかこのまま、柔らかな手の中に私を包み込んでいて頂きたい!……ああ、何たる至福!このためなら命を危険に晒すことなど厭わない!」
それでも、そんな小さく健気な生き物がそんなことを言い始めれば、流石にアレットも何とも言えない気持ちになる。
「ええー……やっぱり降ろすね」
「そんな!?温もりと柔らかさを味わわせた後にそれをすぐ取り上げるなど、なんと残酷な……!だが残酷ながらも美しい!まるで死の女神のように……ああっ!投げないで!せめて優しく地面に戻して!あああー!」
アレットは、ぽん、とヴィアをパクスへ放った。パクスは他所を見ていたにもかかわらず、飛んできたものに瞬時に反応し、ぱっ、とそれを捕まえてみせる。『捕まえましたよ、先輩!』と尻尾を振るパクスに、アレットはにっこり微笑んで『地面に戻しておいてね』と命じた。
「あああー!ベラトール嬢!真似なさらずに!投げないで!投げないで!ああああー!」
「……小さく分かれても煩いもんだねえ」
ベラトールはアレットを見て、自分に群がってきた小さなヴィアをぽいぽい、と投げ始める。パクスはその度に尻尾を振りつつ飛んできたヴィアを追いかけては宙で捕まえて遊び始めるのだった。
「うう、投げられるよりは、大きな私へと還ろう……」
「さようなら、さようなら、麗しのお嬢さん方。どうか、我らが大きな私に還った後は、投げずに頂けますよう……」
「しかし、美しいお嬢さん方に放り投げられるというのもまたオツなものではないかね?」
「しっ!そのようなことを言ってはいけない!そんなことを聞かれればもう放り投げては頂けないぞ!」
「あの、ヴィア。全部聞こえてるんだけどな……」
……かくして、騒々しいヴィアの欠片達は、ぞろぞろと動いてヴィアへと吸収され、元の体に収まっていくことになった。元の体に吸収されていくその過程ですら、何やら煩かったが。
「……なんか気が抜けるが、ここから先は勇者と出くわす可能性が高いんだからな。覚悟して行けよ?」
そんなヴィアや他の者達の様子を見て、ソルが呆れたように言う。……だが、そんなソルが誰よりも、気が抜けたような気分で居るのだった。
……勇者といよいよ再会する、という時には不釣り合いなほど、気の抜けた、平和で穏やかな夜だった。