騎士団長送り*2
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フローレンを奪われ、魔物達をみすみす逃したあの日から、一月。アシル・グロワールはその日、よい報せを受けた。
……それは、反勇者派の中の、厄介者の訃報。
以前より下手を打っては親勇者派に情報を与えたり、意図せずして反勇者派の邪魔をしてくれたり、と厄介がられていた辺境伯の長男が、『魔物の国の視察』という名目での謹慎中、魔物に襲われて死んだという。
「死因は」
「不用意に森の中へ入った、とのことです。主人の不在に気づき後を追いかけた護衛によって、食われかけの死体が発見されたとのことでした」
「成程な。全く……」
今回死んだ者は、以前より魔物の力を侮りすぎているきらいがあった。『魔物程度、自分にだって狩れる』と豪語していたが、実のところ、女子供にでも殺せるような弱い魔物ばかりを相手に戦っていたのだから当然のことであった。
そして、魔物の力を侮るあまり、魔物への対策として兵団を組織する者が居れば勝手に横槍を入れて人員を削らせ、予算を削り、果ては、魔物と戦う兵士達を嘲って士気を下げさせ、勇者さえも侮るあまり、余計な情報を漏らし……。
……挙げればキリがない程、反勇者派の邪魔をしてくれたのである。『下手な敵より余程厄介』とまで言われていた程に。
3年前よりずっと、魔物の国に逗留させられていたというのに、それでも魔物への認識は変わらないと家臣が嘆いているのを聞いたことがあったが……その男が遂に死んだ、ともなれば、訃報とはいえ多少、気分が明るくなる。
「では、弔辞を送れ。定型文でいい」
報告にやって来た部下に命じて下がらせると、アシル・グロワールは長く息を吐いて椅子に身を沈めた。
……今回の死亡事故は、恐らく、護衛の者達がいよいよ愛想を尽かした結果だろう。例の厄介者は魔物を侮り、1人で狩りに出かけたがっていたが……いよいよそれを護衛達が『見逃した』ということなのだろうと納得がいく。
勿論、護衛達を責めるつもりは無い。今回のことは事故として処理されるだろうが、仮に何か罪状が上がっても、誰かが減刑嘆願を出すだろうと思われる。
「……ひとまず、これでいくつか進められることが増えたか」
何にせよ、これで幾分、動きやすくなった。他の反勇者派の仲間達も動きが活発になってくるだろう。これから益々、仕事が増える。
「……フローレン」
そしてアシル・グロワールはふと、名を呟いて、どうか無事でいてくれ、と強く強く思う。
今、アシル・グロワールを突き動かしているものは、他でもない、フローレンの存在だった。
野蛮で邪悪な魔物達の手の中にありながら、それでも気丈に振舞っていたフローレンの、気遣い1つ1つが胸の内に深く刺さって、ずっと忘れられない。彼女を救い出すため、アシル・グロワールは只々必死に情報を集め、勇者について調べ上げ……今まで以上に活発に動いていた。
……だが、勇者からの連絡は、まだ無い。婚約者であるリュミエラの身柄も魔物の手の内にあるのだから、勇者としても動かないわけにはいかないだろうに……どうやら、未だに勇者は見つかっていないらしい。
早く連絡が欲しい。そして、勇者を問いたださねばならない。邪神の力を手に入れたのか。それをどうしたのか。今まで、何を、していたのか。
……そしてフローレンとリュミエラを、助け出さねばならないのだ。
「あ、あの、騎士団長殿……もう1つ、ご報告が」
「な、なんだ」
そんなアシル・グロワールの元に、先程の部下が戻って来た。弔辞を送りに行ったはずであるのに、随分と早い戻りである。少々戸惑いながらもアシル・グロワールが尋ねると、部下はそれよりもさらに戸惑いつつ……言った。
「親勇者派の懐刀、侯爵家の次男が……東の地より南へ移動中、魔物に襲われて、死んだ、と」
「……どうなっている?」
いよいよ、ぽかん、とせざるを得ない。侯爵家の次男、というと、親勇者派の切れ者である。勇者が居るこの地で勇者のために働くべくやってきた、と聞いており、更に、それにあたって銃で武装した精鋭の護衛が付けられた、とも聞いていた。だが、それが、死んだ、とは。
「移動中、というと……どのあたりで、だ?」
「さ、さあ……たった今、早馬が来たばかりですので、なんとも……」
詳細な情報は分からない。だが、これで親勇者派は大きくその基盤を揺るがすことになるだろう。公爵家の次男の能力に惹かれ、付き従っていたものも多い。彼らの離反も、あり得るかもしれない。
「……では、そちらにはもう少し落ち着いてから弔辞を送る。詳細が分かり次第、報告するように。ささいなことでもいい」
「はっ!畏まりました!」
再び部屋を出ていった部下を見送って、アシル・グロワールは首を傾げる。
……随分と、不思議な日もあったものだ、と思いながら。
……そして更にその数日後、『愚かにも盗みに入っていた』として、反勇者派の無能と名高い男爵家の者が捕まったのを見て、ますます首を傾げることになるのだが。
*
また別の日。東の地から南へと続く道の一角にて。
「順調、順調……っと。派手に暴れるんじゃねえのも、偶には悪くねえな」
ソルは今しがた殺し終えた人間の返り血を拭いながら、にやりと笑う。
銃で武装した一団を殺し終えたソルは、護衛達に守られていた馬車の中で、ただ怯えているだけの人間をちらり、と眺める。その人間の視線の先に居るのは……ヴィアだ。
「た、助けてくれ、命だけは」
「ふむ。そうだな。我々とて、君の命には興味が無い。だがしかし、君をここで見逃せば、確実に君は足を引っ張ってくれるだろうからね……悪いがここで死んでもらう」
短い命乞いも空しく、パン、と銃声が響く。ヴィアの銃によって眉間を撃ち抜かれた人間は、そのまま馬車の中で崩れ堕ちた。
「先輩!外に落ちてる方は食っていい奴ですよね!?」
「ああ。適当に食っていい。数人分は肉一欠片も残さずに消す必要があるからな。んで、残りの奴らは適当に『死んだ後で死体を魔物に漁られた』って具合にしとくぞ」
ヴィアが馬車から出てきたのを見て、ソルは早速偽装工作を始める。
……偽装の内容としては、『この人間達は魔物に襲われて死んだわけではない』とでもいうようなところだろうか。死体に残る外傷は、ソルのナイフによる切り傷と、ヴィアの銃弾の痕である。パクスは自ら仕留めた人間をひとまず全部食べることにしたらしく、早速元気に近くの草原へと運び始めた。
「これでどの程度人間が騙されるもんかねえ……」
「まあ、相手に確たる情報を与えない、というのは大切なことさ。魔物の仕業なのか、人間の仕業なのか。それが分からない状態にしておけば、人間達があとはいいようにするだろう」
今のところ、反勇者派の人間を殺す際には、必ず、魔物が殺したのか人間が殺したのか分からないようにある程度の偽装を行っている。こうしておけば、反勇者派の人間達が『親勇者派の仕業である』と言いがかりをつけることもできるだろう。
……そして、親勇者派の人間達を殺す時には、必ず、魔物がやったと分かるような痕跡を残すようにしている。つまるところ……パクスの牙の痕や、ベラトールの爪の痕。それを死体や馬車にはっきりと刻み残しておくのだ。そうしておけば、反勇者派があらぬ疑いを掛けられて立場を悪くすることも無いだろう。
「これで、反勇者派の『無能な働き者』が4人減ったか?で、親勇者派の切れ者が1人、顔が広い奴が1人、それぞれ死んだことになるな」
「更にアレット嬢の方が成功していれば、反勇者派の『無能な働き者』がもう1人、騎士団長送りになっているはずですね」
今、別行動をしているアレットとベラトールは、『無能な働き者』を騎士団長の元へ送り込むべく、上手く焚きつけているところである。……方法は然程難しくない。身分を隠して手紙のやり取りを行えば、それだけで相手を動かす手段になり得るのだ。
つい先日の相手には、手紙の誤配達を装って情報を与え、騎士団長の元へ盗みに入らせた。
『騎士団長が駐屯している邸宅に、勇者の力が邪神のものであるという証拠がある。しかし、騎士団長は臆病にも、それを発表できずに居るのだ。誰かが盗み出して発表してくれたなら、その者は英雄として歴史に名を残すことだろう。』というような内容の手紙を読んだ途端、嬉々として騎士団長の元へ盗みに入ったのだから、流石、『無能な働き者』だな、とソルは妙に感心したものである。
そして今、アレット達が上手くやっていれば……もう1人、同じようにして『無能な働き者』を排除できるはずだ。
「騎士団長送り、ねえ……騎士団長ってのはゴミ箱でもねえだろうに」
それにしても、騎士団長は不憫なことだ、とソルが呆れると、ヴィアは泡を揺らして笑った。
「まあ、アレット嬢に思いを寄せていますからね、あの人間は……。先に惚れた方が負け、とはよく申しますが、そういうことで」
「人間の感覚はよく分からねえな……まあ、執着してる相手が居ると周りが見えなくなる、っつう理屈は分かるが」
ソルは未だ、ヴィアの感覚がよく分からない。人間の感覚と魔物の感覚が混じり合ったそれは、ヴィア独自のものであり、到底、そこらの魔物に理解できるものではないだろう。
「あ、ところでそこのところ、隊長としてはいかがかな?可愛い副長が人間に思いを寄せられている、というのは?」
「アレットの腕の良さを実感してる。流石、自慢の副長だ」
今も、ヴィアは妙にうきうきそわそわ、とソルに尋ねてくるが、ソルが胸を張って答えた途端、しゅん、としょげたように粘液のハリを失せさせた。その反応がソルにはよく分からない。
「……嫌ではない、と?」
「そりゃそうだ。アレットが人間に懸想してるってわけでもねえ」
「……では、アレット嬢が人間に思いを寄せることになったとしたら?」
更に続いたヴィアの質問に、ソルはいよいよ、吹き出した。
「あっははは、あり得ねえ、あり得ねえ!あいつの性格、知ってるだろ?」
「ええ。実に可憐だ!」
「いや、それは騙されてるぞ!先輩は可愛いと思ってるんだったらそれはお前騙されてるぞ!」
血相を変えたパクスが『大変だ、ヴィアが俺より馬鹿かもしれない!』とやってきたところで、いよいよソルはけらけらと笑う。
「全く、もう少し情緒のやりとりが感じられると張り合いがあるのだがね……」
「そういうのは人間連中に期待しな。ほら、そろそろ行くぞ」
ぶつぶつと何か文句を言うヴィアを引っ張って、ソルはその場を後にすることにした。後は人間達が死体を見つけて勝手に諸々を判断するだろう。
「先輩はな!可愛いんだけど、可愛いんじゃなくて……すごいんだ!こう、ええと……すごいんだよ!」
「うーむ、君に『俺より馬鹿かもしれない』などと思われたというのは、非常に心外だな……」
そして帰り道、パクスとヴィアのやりとりを聞いて、ソルはまたけらけら笑うことになるのだった。
「あ、皆もう戻ってたんだ」
アレットとベラトールが集合場所に戻ると、そこでは既に、ソル達が戻ってきていた。
「ああ。護衛も大したことなかったからな」
「でも肉はとりあえず手に入りました!」
そして、ソル達……主にパクスが、人間の肉と思しき肉を焚火で焼いていた。食事の準備も万全らしい。
アレットとベラトールは嬉々として、ぱちぱちと燃える焚火の傍へと近づいていく。肌を切り裂くような寒さの中だと、こうした焚火がとてもありがたい。
「ほら、飲め」
「わあい、ありがとう!……あー、あったまる」
更に、ソルが温かいスープを注いだ椀を手渡してくれる。その椀を手で包むようにして暖を取りながら、アレットはようやく、緊張の糸を緩めることができた。
「さて、お互いに報告といくか」
一息ついたアレットとベラトールの様子を見てか、ソルがようやく、そう切り出す。
「俺達の方は単純だな。1人、きっちり殺してきた。人間の所業ではないと言えないような殺し方をしてきたから、ま、後は騎士団長が上手く処理するだろうよ」
「順調、ってことだね。お肉も取って来たみたいだし……」
「美味いですか!?美味いですか!?」
ソルの方はひとまず、順調だったらしい。アレットはパクスに『美味しいよ、ありがとう』と微笑んでやってから、自分達の方の報告を進める。
「ええと、私達の方、なんだけれど……『無能な働き者』さんの処理は、まあ、多分、上手くいくと思う。でも、それよりも何よりも……」
アレットはいよいよにこにこと、笑みを深めながら報告する。
「……勇者の居場所が、分かっちゃった」